家族と舞台を何より大切にしてきた岸谷五朗さんには、若い頃から大きく変わらない精悍さと、支え合う温かな家庭があります。
息子の蘭丸さんは幼少期に小児リウマチ(若年性特発性関節炎)を抱えましたが、新薬の治験を経て症状が大きく改善。ご夫婦は“特別扱いしない”方針で挑戦の機会を増やし、いま蘭丸さんはYouTubeなどで自分の言葉を発信しています。
私生活では、ラジオ共演をきっかけに出会った奥居香(現・岸谷香)さんと1996年に結婚。舞台・映画・ドラマで第一線を走り続ける一方、演劇ユニット「地球ゴージャス」や映画監督業など表現の幅も拡張。最近では大河出演やご当地大使就任など活動域を広げています。
若い頃からの鋭い目元や骨格の印象は保たれ、年齢を重ねて渋みが加わった“変わらないかっこよさ”が支持される理由です。
この記事でわかること
- 息子・蘭丸さんの病気(小児リウマチ)と治験で改善した経緯
- 奥居香(岸谷香)さんとの出会い〜結婚までの馴れ初め
- 「若い頃と見た目が変わらない」と言われる具体的な理由
- 劇団〜地球ゴージャス・映画監督など主なキャリアの転機
- 近年の話題(大河出演・ご当地大使就任 ほか)のトピック
【画像】岸谷五朗の息子は難病?嫁との馴れ初めは?
岸谷五朗さんと岸谷香さんの一人息子・蘭丸さんは、幼少期に小児リウマチと向き合いましたが、9歳で新薬の治験を機に症状が大きく改善。両親は特別扱いせず、スキーや水泳など挑戦を後押しし、現在は発信活動にも意欲的です。
夫妻の出会いはラジオ共演で、交流を重ねて1996年に結婚。自宅での「一緒に記者会見を開きませんか」という粋な一言でプロポーズが成立しました。いまも円満夫婦として知られ、家族の支えが五朗さんの変わらぬ魅力を支えています。
岸谷五朗の息子は難病?
引用元:Yahoo!ニュース
岸谷五朗さんと奥様の岸谷香さんとの間には1人息子の岸谷蘭丸さん(2025年現在23歳)がいます。蘭丸さんはYouTuberとして活躍しており、当初は「柚木蘭丸」として活動していましたが、両親が芸能人と告白し話題となりました。
岸谷蘭丸さんは3歳の頃に「小児リウマチ」の診断を受け、重い障害をかかえながら幼少期を過ごしました。小児リウマチ(若年性特発性関節炎)は小児慢性特定疾患に指定されている病気です。
入退院を繰り返し、幼いながらに周りから「かわいそうな子」と思われていると思っていたそうです。症状としては「いつも体の痛みがあって、座るのもつらい」というのがあったと岸谷蘭丸さんがお話しされています。
そんな蘭丸さんを、岸谷五朗さんと岸谷香さんは特別扱いせず、スキーや水泳等といろいろなことにチャレンジさせてくれたそうです。
9歳の頃に新薬「アクテムラ」の治験を行い、劇的に症状が良くなりました。
岸谷蘭丸さんは「これが普通の体なんだ」と驚いたのを覚えています」とお話しされています。その後は中学受験に挑戦したり、アメリカやイギリスの留学も経験し、現在(2025年4月時点)は留学支援の制度をつくったり、YouTubeやtictok等で情報発信を行っています。
こうした岸谷蘭丸さんの挑戦はなんでも挑戦させてくれるご両親の接し方が影響しているのかもしれませんね。
けん小児リウマチは治る病気なの?
のぞみ病型によっては完治も可能で、約半分の人は薬は継続して服用するけど症状は改善されるみたいだよ。
岸谷五朗と嫁の馴れ初めは?
引用元:スポニチ
引用元:日刊スポーツ
岸谷五朗さんは1996年6月28日(当時31歳)の時に元プリンセス・プリンセスの奥居香(岸谷香)さんと結婚しました。
1990年(当時25歳)に始まった岸谷五朗さんのラジオ番組「岸谷五朗の東京RADIO CLUB」の事前番組の「レディクラ発射寸前」で香さんがゲスト出演したのがきっかけでした。当時番組内で2人は大喧嘩をしてしまったこともありましたが、奥居さんはたびたび出演し、親交を深めていきました。
岸谷五朗さんは出演した番組で「友達になって時間があったら飲みに行こうと。そのころから仕事ぶりはすごいなと思った。」とお話しされており、香さんのことを良く思っていたことがわかります。
プロポーズは結婚する4、5日前に岸谷五朗さんの自宅でビールと柿の種をつまみながら、岸谷さんから「オレと一緒に記者会見を開きませんか」と言ったそうです。こんなこと言われたら誰でも「はい!」と言ってしまいそうですね。香さんは「そうしますかー」と応じたそうです。
岸谷五朗さんは、出演した番組で「妻は料理がめちゃめちゃ上手いんですよ。そこは結婚してからラッキーでした」とお話しされており、お2人の幸せそうに食卓を囲む姿が目に浮かびます。
けん香さんは、今はどんなことをしているの?
のぞみ2025年現在も歌手活動をしているよ。毎年恒例で「岸谷香感謝祭」を開催し、豪華なゲストと歌を披露しているみたい!
【画像】岸谷五朗は若い頃と変わらない!
20代で大学を離れてSETに入り初舞台、ラジオで知名度を広げ『月はどっちに出ている』で映画主演へ。30代は寺脇康文さんと「地球ゴージャス」を結成し、舞台と映像の両輪を確立。のちに監督業や大河出演、大使就任へと活動域を拡張してきました。
鋭い目元と引き締まった輪郭、舞台仕込みの姿勢の良さに加え、短髪ベースのヘアや体型維持が一貫しているため、若い頃からの印象がほとんどブレず、現在はそこに渋みが乗って“変わらないかっこよさ”が際立っています。
20代(1984年~1994年)
引用元:婦人公論.jp
岸谷五朗さんは、1983年(当時19歳)に中央大学を中退し、三宅裕司さんが主宰する劇団「スーパー・エキセントリック・シアター」に入団しました。高校生の時にいきなり「あ、そういえば俺、舞台俳優になるんだった」と思い、大学在学中にオーディションを受け入団したそうです。
同年には若手公演の「夜明けのミステリーはローズマリー風味」で初舞台を踏み、看板俳優として活躍しました。
岸谷五朗さんはこの時のことを振り返り「第1の転機は、この三宅さんの劇団に入って演劇の道への第一歩を踏み出したことでしょうね」とお話しされています。
1990年10月(当時26歳)から1994年9月(当時29歳)までは「岸谷五朗の東京RADIO CLUB」(レディクラ)で初のディスクジョッキーを務め、この頃から人気が急上昇します。
そして1993年(当時29歳)の時に、映画「月はどっちに出ている」で映画デビューを果たし、主役に抜擢されました。
崔洋一監督から呼ばれて「台本を読んでくれ」と言われ読んだのが実はオーディションだったそうです。監督の主人公のイメージにピッタリだったそうで、岸谷五朗さんは主役に選ばれました。
後年のインタビューで岸谷五朗さんは、「月はどっちに出ている」で、お茶の間にも知られるようになったのが第2の転機だった」とお話しされています。
上の画像は1993年(当時29歳)、「月はどっちに出ている」出演時のものです。29歳ですでに味のある表情をされておりかっこいいですね。
けん岸谷五朗さんの劇団での活動はどんなものだったんだろう?
のぞみ1987年に同じ劇団の寺脇康文さん、山田幸伸さんとユニット「SET隊」(せったい)を結成してコントやドラマにも挑戦していたよ。
30代(1994年~2004年)
引用元:地球ゴージャスオフィシャルサイト
岸谷五朗さんは、1994年(当時30歳)の時に独立のため、劇団「スーパー・エキセントリック・シアター」を退団します。
そして、同じ劇団でコントユニットを組んだりして親交のあった俳優の寺脇康文さんと演劇ユニット「地球ゴージャス」結成しました。演劇出演者を岸谷さん、寺脇さんの2人だけ固定して、様々なゲストを呼び演劇を行うという今までにない形のユニットとなりました。
後年のインタビューで岸谷五朗さんは、演劇ユニットを組んだ理由を「できた脚本に対してキャストを世界中から持ってこられる。いろんなキャストが地球ゴージャスに出てくださって、作品を育てることだった」とお話しされており、当時の演劇界への新しい試みだったことがわかります。
上の画像は1995年(当時31歳)、地球ゴージャス第1作目の「瓶詰の地獄 ~いつまでもたえることなくともだちでいよう~」の練習風景です。新しい演劇をつくりだそうとするお2人がとても楽しそうです。
引用元:NHK
岸谷五朗さんは、2000年(当時35歳)の時に、NHKのドラマ「アフリカポレポレ」で主人公の岩中剛役を演じます。写真家の岩合光昭さん一家のアフリカ滞在記をドラマ化したもので、実際にアフリカで2か月間滞在しロケを行いました。
この時岸谷五朗さんは、「アフリカは本当に魅力的な土地で、ロケの合間に僕は持参した一眼レフのカメラで動物写真を撮っていました」とお話しされており、貴重な体験を楽しんでいた様子です。
上の画像は2000年(当時35歳)、「アフリカポレポレ」のワンシーンです。真剣に動物を取る姿はかっこいいですね。
けん岸谷五朗さんのNHKの出演作品は他にあるのかな?
のぞみ2003年に時代劇「またも辞めたか亭主殿 ~幕末の名奉行・小栗上野介~」や2014年に時代劇「ぼんくら」、2024年には大河ドラマ「光る君へ」に出演しているよ。
40代以上(2004年~)
引用元:シネマカフェ
岸谷五朗さんは、2009年(当時44歳)の時に、映画「キラー・ヴァージンロード」で映画監督デビューしました。この作品は「結婚したい女」と「死にたい女」の奇妙な逃亡劇を描いたもので、女優の上野樹里さんと木村佳乃さんのW主演となっています。
映画試写会に参加した岸谷五朗さんは、目の前のたくさんの観客を見て「ほんの少し恥ずかしいです。一生懸命つくったので観て感動してください」とお話しされており、満足いく出来だったことがうかがえます。
上の画像は2009年9月(当時44歳)に行われた映画試写会の時のものです。監督としては初めてだからか、少し緊張しているようにも見えますね。若い時と比べると渋みが出ているように見えます。
引用元:越前市
岸谷五朗さんは、2024年(当時60歳)の時に、福井県越前市の「越前国府 千年のときをつむぐ大使」に就任しました。上の画像は2024年(当時60歳)、大使就任の時のものです。越前和紙で作られた委嘱状を大切に持っています。
これはNHK大河ドラマ「光る君へ」の舞台が福井県越前市なこと、紫式部の父、藤原為時役を岸谷五朗さんが演じたことから実現しました。
この時岸谷五朗さんは、「生まれて初めての名刺。それがまさか大使としての名刺だとは、感動です」とお話しされていました。大河ドラマの出演をきっかけに越前市に3度訪れたという岸谷五朗さんは、越前和紙の紙漉きを実際に体験したそうです。
「完成した紙を見たときは本当に感動しましたね。自分で漉いたからこそ、1枚1枚に心が込められていることを体感できたし、越前和紙が大好きになりました」とお話しされており、この体験から皆に越前市を知ってもらいたいのが伝わってきます。
けん大使の仕事って何をするの?
のぞみ越前市の歴史や文化、伝統といった魅力を発信してもらおうとしているそうだよ!越前市は越前和紙や国府発掘、海の幸も豊富だから発信しがいがあるね。
岸谷五朗のプロフィール・SNS
引用元:アミューズ
プロフィール
- 名前:岸谷五朗(きしたにごろう)
- 本名: 岸谷五朗
- 生年月日:1964年9月27日
- 年齢:61歳(2025年10月現在)
- 出身地:東京都
- 血液型:O型
- 趣味:サーフィン、車
- 特技:中国語
- 所属事務所:アミューズ
SNS
- オフィシャルサイト URL:https://www.chikyu-gorgeous.jp/index.php

けん地球ゴージャスは今も活動しているの?
のぞみ1~2年毎にプロデュース公演をしているよ!2024年には結成30周年記念公演として中川大志さんや風間俊介さんたちと「儚き夢のラプソディ」を公演したみたい!









