【画像】渡部篤郎と現在の嫁の馴れ初めは?中谷美紀との破局理由は?若い頃イケメン!

渡部篤郎さんは、2016年に一般女性と再婚。お相手は「銀座の高級クラブ勤務」と報じられた30代の元ホステスとされましたが、テレビで本人が“ネットで出回った氏名や写真は別人”と明確に否定しています。出会いの詳細は非公表ながら、交際は真剣で、現在は3人の子どもに恵まれ、公私ともにパートナーと日常を“共有する”スタイルを大切にする愛妻家。

一方、長年事実婚状態と報じられた中谷美紀さんとは、2015年に破局。背景には、当時抱えていた母親の介護問題や、長期交際ゆえの結婚観のズレが重なったことが指摘されています。

若い頃は『独眼竜政宗』のエキストラや『青春の門』で本格デビュー、『静かな生活』で日本アカデミー賞受賞、『ケイゾク』で一気に国民的人気へ。色気と存在感は年齢を重ねても健在で、最新作でも“強敵”を堂々と演じ切る俳優です。

この記事でわかること

  • 現在の妻との関係性と“デマ否定”の経緯(氏名・写真の誤情報への本人コメント)
  • 再婚後の家族エピソード(イベント同伴や“共有”重視のライフスタイル)
  • 中谷美紀さんとの破局理由として報じられた要因(介護・結婚観のズレなど)
  • 若い頃〜ブレイクまでの代表作年表と評価(『静かな生活』『ケイゾク』ほか)
  • 近年の話題作と現在の立ち位置(“強敵”役を担う理由と俳優としての魅力)
目次

【画像】渡部篤郎と現在の嫁の馴れ初めは?中谷美紀との破局理由は?

渡部篤郎と現在の嫁の馴れ初めは?

渡部篤郎さん
渡部篤郎さん
引用元:女性自身 女性自身
引用元:X

渡部篤郎さんは1994年にタレントのRIKACOさんと結婚し2005年に離婚。2人の息子さんはRIKACOさんが親権を持っていますが、2016年に11歳年下の一般女性と再婚し、現在お二人の間には3人のお子さんがいます。

再婚したことを渡部さんご本人は発表しておらず、週刊誌の報道で世に知られることになりました。

はっきりと出会の時期や結婚に至ったお話はされていませんが、「東京・銀座の高級クラブに勤めていた30代元ホステスと再婚を視野に真剣交際」と報じられていました。

さらにその女性が元プロ野球選手の清原和博さんの元交際相手とも言われており、そのことについてはバラエティ番組に出演した際、ネットで出回っていた奥さんとされる名前や写真が全くの別人だと否定されています。

実際、清原和博さんの元交際相手は、渡部篤郎さんの知り合いの知り合いという関係で、再婚された奥様とは全く関係がありませんでした。

この報道について渡部さん自身否定の仕方がわからず、事務所も「違うならそのままに」と報道について取り合わなかったそうです。

私生活があまり見えない渡部さんがですが、バラエティ番組では愛妻家の顔を見せています。

どこに行くにも奥様を誘い、ドラマの打ち上げや、試写会、舞台挨拶などにも誘うそうで、「いろんなことが共有できたら一番いいかなと思って」とお話しされています。洋服もおなじところで購入し、美容室も一緒なのだとか。

奥様についても「可愛いですしね、チャーミングだし、凄い好きですよ」と言い切られるほど、再婚から約9年ほど経った今でもラブラブな関係のようです。

けん

渡部さんには芸能界のパパ友がいるんだって?

のぞみ

三浦翔平さんや玉木宏さん、向井理さんなど年下の俳優たちもパパ友で、子連れでお出かけしやすい施設の情報交換などしているんですって!
向井理さんとは一緒に家族ぐるみでハワイ旅行をしたこともあるそうよ。

渡部篤郎と中谷美紀の破局理由は?

引用元:X X
引用元:X

渡部篤郎さんと中谷美紀さんは、1999年ドラマ『ケイゾク』で初共演し、翌年のドラマ『永遠の仔』で再共演。2000年ごろから2人の交際の噂が流れ始め、渡部さんが2005年にRIKACOさんと離婚してからは「結婚間近」とまで言われていました。

長い同棲生活をされて事実婚状態でしたが、2015年とうとう破局を迎えてしまいます。

破局の理由はいくつか囁かれていますが、1つには渡部さんのお母様の介護問題が挙げられているようです。

中谷との結婚が近いと囁かれていたその時期、実は渡部は母親の介護問題を抱えていた。

「その前に渡部さんはお父さんを亡くしていて、お母さんは一人暮らしでした。そのお母さんの体調がよくなくって…。とはいえ、このまま結婚して中谷さんに介護を一緒に手伝ってもらうということにも、渡部さんとしては抵抗があった。中谷さんとしては全部受け止める覚悟があったと思いますが、彼は考えてしまったんでしょうね。そうこうするうちにお母さんの体調がさらに悪化してしまったんです。それで、渡部さんは中谷さんと共に暮らす家を出て、お母さんと暮らすことを決めたんです」(前出・芸能関係者)

引用元:NEWSポストセブン

そして、長すぎた交際期間も原因の1つでしょう。渡部さんと15年近く交際を続けてきた中谷美紀さんは、夫婦同然の生活をされてきましたが、結婚に踏み切らない渡部さんに愛想を尽かしてしまったのかもしれません。

「中谷さんはよくも悪くも昔気質の女優というか、何事にもキチンと線引きするタイプ。子供が成人したら結婚しようという約束の時が近づいて、ふたりの関係をこのままなあなあにするのではなく、どうにか結論を出そうとした。それは40才になるという女性にとっては当然、切実な問題ですから。でも渡部さんにはそれが重荷になってしまった。もう溝が埋まることはありませんでした」

引用元;NEWSポストセブン

そして、渡部さんはお酒が好きでとても強く、好きなお酒はテキーラだそうです。銀座のクラブに通い、似た境遇のホステスの女性と親密そうにしているところを週刊誌に撮られたこともあります。

結果、破局後2016年に渡部さんはその一般女性と再婚され、同年中谷美紀さんもドイツ人のビオラ奏者との交際が発覚、2018年には結婚を発表されました。

けん

渡部さんは「おれは結婚には向いてない」とよくおっしゃっていたそうだね。

のぞみ

子供が2人いながら離婚してしまった経験が、再婚に踏み込めなかった原因なのかもしれないわね。
長く夫婦同然の関係で生活してきたから渡部さんは”どうして今の関係じゃダメなの?”“うまくやってきたでしょ?”と考えてしまっていたみたい。
でもその考え方じゃ、中谷美紀さんに愛想を尽かされても仕方ないかもしれないわね。

【画像】渡部篤郎は若い頃イケメン!

10代・20代(1978年〜1998年)

引用元:X X

渡部篤郎さんが演技の世界に足を踏み入れたのは高校を中退後、母親のバーを手伝ったり、大道具のアルバイトをしていた頃にエキストラに参加したことがきっかけでした。

東京都の中野区で育った渡部さんは、新宿の映画館やボーリング場が遊び場で、小学生の頃から1人で映画館へ行き、年間100本も映画を見ていたそうです。

母と祖母と3人で生活していた渡部さんは、「離れて暮らしていた父親も映画が好きだった」とお話しされています。

上の画像は1987年(当時19歳)NHKの大河ドラマ『独眼竜政宗』のものです。エキストラで出演され、出演者としてのクレジットはありませんでしたが、伊達家の足軽役でした。

エキストラといえど、キリッとした目元がかっこいいですよね。

引用元:X

渡部さんは俳優丹波哲郎さんの『丹波道場』に18歳の頃から所属していましたが、遊ぶのに忙しくほとんど行かなかったそうです。

20歳の頃には日活ロマンポルノにも出演されていたそうで、この頃は「修行と駆け出しで何でもやった」とお話しされています。

上の画像は1989年(当時21歳)ドラマ『あいつがトラブル』の時のものです。南野陽子さん主演の刑事ドラマで、ゲスト出演されていました。

引用元:X

上の画像は1990年(当時22歳)『特警ウインスペクター』です。東映制作の特撮テレビドラマで、ウインスペクターとはヒーローチームの名前になります。この頃までは、まだ本名の渡部篤(わたべあつし)名義での出演でした。

1991年(当時23歳)渡部さんはテレビ東京『青春の門』で主人公・伊吹信介役をオーディションで勝ち取ります。
この時、芸名を『渡部篤郎』と改めて、俳優として本格的なデビューを飾りました。

「オーディションに受かったら、あれよあれよと仕事が入ってきましたから、それからですね。僕は劇団員でもないし、養成所にいたわけでもないので、やりながら興味を持って職業として選んだんじゃないかな」

引用元:スポニチ
けん

渡部さんのお話を聞いていると、最初から俳優になりたくて演技を始めたわけじゃなさそうだね。

のぞみ

そうなのよね。
大道具のバイトから流れに乗ってエキストラを始め、そのうちに演じる楽しさに目覚めていった感じかしら。

引用元:X

1994年(当時26歳)フジテレビ系の昼ドラ『愛の天使』に出演した渡部さんは、ひとりの女性をめぐって、父親と愛憎劇を繰り広げる息子役で出演しました。

このドラマの反響が大きく、伊丹十三監督岩井俊二監督から声をかけられたそうです。

1995年(当時27歳)渡部さんは大江健三郎さん原作伊丹十三監督の映画『静かな生活』に出演しました。障害を持った大江さんの息子、作曲家の大江光さん(イーヨー)の繊細な心の動きを演じ、日本アカデミー賞の優秀主演男優賞新人俳優賞を受賞されます。

この時前年にタレントのRIKACOさんと結婚し、生後10ヶ月になった長男の樹さんと親子共演を果たしています。

上の画像は2006年(当時28歳)には岩井俊二監督の映画『スワロウテイル』と2007年(当時29歳)ドラマ『ストーカー・逃げきれぬ愛』です。

スワロウテイル』は登場人物達が日本語、英語、中国語とそれらを混ぜた言葉で話す無国籍風な世界観で、渡部さんは移民達と親交がある無愛想な殺し屋役を、全編英語の台詞で演じられました。

ストーカー・逃げ切れぬ愛』では、ヒロインの高岡早紀さんを追い詰めるストーカーの役で、真に迫った怪演が話題となり、このドラマで一躍ブレイクを果たしました。

20代ですでに色気のあるオーラを放っていますよね!

けん

こんな穏やかそうな渡部さんだけど、20代はトガっていたそうだよ。

のぞみ

演技ではなく、態度が悪くて怒られたことがあるそうよ。
理不尽な事言う人いるじゃないですか。それに関しては普通に“ああ?何?”みたいな感じで言ってましたよ」とお話しされているの。
生意気だったんじゃないですかねえ」とその頃のことを回想されていたわ。

30代(1998年〜2008年)

引用元:X

渡部篤郎さんは1999年(当時31歳)堤幸彦監督のドラマ『ケイゾク』に出演されます。

放送当時から他ドラマとは一味違う作風が大きな話題になり、後のドラマ『SPEC』などの土台となったドラマでもあります。

この作品は、ザテレビジョンドラマアカデミー賞の最優秀作品賞主演女優賞助演男優賞脚本賞監督賞タイトルバック賞受賞しており、斬新な映像や軽妙な演出が効果的で、視聴者を最後まで飽きさせず引きつけたと評価されました。

上の動画はドラマ『ケイゾク』のワンシーンです。アクションシーンも軽々こなし、銃の扱い方もかっこいいですよね!

渡部篤郎さん
引用元:X エリック・ヴィグナー

上の画像は2002年(当時34歳)ドラマ『愛なんていらねえよ、夏』2006年(当時38歳)舞台『Pluie d'ete a Hiroshima』の時のものです。

堤幸彦監督のドラマで、日本ではあまり視聴率が取れなかったそうですが、2006年と2013年に韓国で、2021年にはトルコでリメイクドラマが作成されました。

舞台『Pluie d'ete a Hiroshima』はパリで公演された全編フランス語の2人芝居でした。渡部さんは役作りの為に、事前にフランス語を2ヵ月特訓し、挑んだそうです。

この舞台の演出家であるブルターニュ地方ロリオンのフランス国立CDDBシアターのエリック・ビニエ氏が3年前に来日。数人の俳優と面接し、舞台経験がほとんどない渡部を指名した。渡部には舞台もフランス語もゼロからのスタート。91年にデビュー以来、役者として走り続けたが、ここで原点に返り、芸術の国フランスで生身の力を試してみたいと難しい道を選んだ。今年3月に単身渡仏。パリのアパートで自炊しながらけいこに取り組んだ。

引用元:asahi.com

フランス国内6都市で66公演を演じ、日本人は渡部さんだけでした。

けん

個性的な魅力がある渡部さんには、目標とする俳優さんはいるのかな?

のぞみ

影響を受けた俳優さんということで萩原健一さんを挙げているわ。
萩原さんの“危険な感じ”が好きだったそうよ。

40代以上(2008年〜)

渡部篤郎さん
引用元:シネマトゥデイ

渡部篤郎さんは、2008年(当時40歳)映画『コトバのない冬』で監督デビューされました。自ら主演も兼ねて出演・監督したこの作品は、男と女の出会いをワンシーンワンカット、NGなしの演出で描かれました。

北海道のロケで、飛行機の時間検索、弁当の手配、雪かきなど監督として色々な経験をされたそうです。

舞台挨拶では司会者から「渡部監督」と紹介され登壇し「監督の渡部です!監督の渡部です!」と繰り返され「やっぱり気分がいいですね」と挨拶されました。

上の画像は2010年(当時42歳)の『コトバのない冬』インタビュー時のものです。

2008年に東京国際映画祭のコンペティション部門でワールドプレミア公開され、海外の映画祭でも上映されたのち、2年越しに日本での公開となりました。

引用元:Instagram

2014年(当時46歳)ドラマ『ビター・ブラッド』では、新米刑事で息子役の佐藤健さんと、離婚がきっかけで疎遠になっていたベテラン刑事の父親役で親子刑事を演じられました。コミカルな場面はお互いにアドリブを多用していたそうです。

佐藤さんはアドリブの演技について「渡部さんはコスプレをしたり、顔に何かをつけたり何かを被ったりすることが好きなんです」と暴露し、渡部さんは「カラオケでもやります」とそれを受けておどけて返されていました。

キザでプレイボーイ風な変わり者を演じられた渡部さんは、スーツ姿がかっこよくダンディで、親子のコミカルなやり取りが人気のドラマになりました。

渡部篤郎さん
引用元:otocoto

上の画像は2024年(当時56歳)亀梨和也さん主演、東野圭吾さんの小説が原作の『ゲームの名は誘拐』に出演されることが発表され、渡部篤郎さんが主人公の前に立ちはだかる敵を演じられることが話題になりました。

2002年に刊行され、2003年に1度映画化、2020年にはこの原案をもとに中国でもドラマが制作された人気作品です。

演じる上で渡部さんは「主人公の敵は、強敵でなければならないと言う強い思いを持ち、撮影に挑んでいました」とお話しされ、「躊躇なく悪を演じられた」そうです。

若い頃からミステリアスな雰囲気を纏った渡部さんは、年齢を重ねてもなお、多くの人を魅了し続けています。

けん

2025年4月16日に行われた『伊丹十三4K映画祭』に登壇された際には、伊丹監督との初対面についてお話しされていたね!

「夏前だったのかな。オーディションと聞かされていたのですが、監督のオフィスに行ったらもう『がんばろうね』みたいな感じだった。そして『アメリカでやるとしたらトム・クルーズにお願いしたいんだよ。日本だったら君だよね』と、最高の口説き文句を言われたことを覚えています」

引用元:映画ナタリー
のぞみ

あの伊丹十三監督に初対面からこんな言葉をかけられた渡部さんは、期待通り『静かな生活』で日本アカデミー賞主演男優賞を受賞されるなんて、本当に素晴らしいことよね。

渡部篤郎のプロフィール・SNS

渡部篤郎さん
引用元:スポニチアネックス

プロフィール

  • 名前:渡部篤郎(わたべあつろう)
  • 本名: 渡部篤(わたべあつし)
  • 生年月日:1968年5月5日
  • 年齢:57歳(2025年9月現在)
  • 出身地:東京都
  • 血液型:A型
  • 趣味・特技:ゲーム・海外旅行・テニス・登山・水泳・スキー・乗馬
  • 所属事務所:STARDUST PROMOTION

SNS

渡部篤郎さん
けん

渡部さんは元サッカー選手の中田英寿さんと友人なんだって?

のぞみ

中田さんがまだ日本代表になる前の19歳頃に、渡部さんの知り合いと友人関係で、お家に遊びにきたことがきっかけだったそうよ。
年の差はあれど、中田さんからは「あっちゃん」と呼ばれるほど親しい仲なんですって。

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