ヒロミさんが手掛けるキャンプ場は〈山梨・河口湖の西側〉で整備が進行中。現時点(2025年9月)ではまだプレオープン前のため、正式な料金・予約方法は未発表ですが、YouTube等で2025年オープンを目標に準備が進んでいます。敷地は約2,000坪で、テントサイトやBBQエリア、カフェ、ログハウスなど家族で楽しめる設備を想定。最新情報は公式発信のアナウンス待ちが最短ルートです。
また“大やけど”は1991年の深夜バラエティ企画(ロケット花火)で起きた事故が原因で、長期リハビリを経て復帰。若い頃は八王子の暴走族に在籍していた時期もあり、波瀾の青春からお笑い・DIY・アウトドアへと活躍の場を広げてきました。
本記事では〈場所・料金・予約の現状〉〈事故の経緯〉〈若い頃の背景〉を要点だけでわかりやすく解説します。
この記事でわかること
- ヒロミのキャンプ場の場所(山梨・河口湖西側)と想定設備の全体像
- 料金・予約方法の公開状況と最新情報の追い方(公式/YouTubeなど)
- 1991年の“大やけど”事故の経緯と復帰までの流れ
- 若い頃の暴走族時代~芸能界入りまでの略歴ポイント
- 家族でも楽しめるキャンプ場づくりのコンセプトの要点
【画像】ヒロミのキャンプ場の場所・料金・予約方法は?大やけどの原因は?
ヒロミさんが手掛けるキャンプ場は、山梨・河口湖の西側に位置し、広大な約2000坪の敷地にテントエリアやバーベキュー場、カフェ、ログハウスなど多彩な設備が並ぶ予定です。
現在はまだオープン前のため料金や予約方法は未公開ですが、本人のYouTubeでは2025年の開業を目指していると明かされています。また、ヒロミさんは“キャンプを心から愛する人材”の採用にも意欲的で、今後詳細が発表される見込みです。
本記事ではキャンプ場の場所・設備・採用の有無に加え、過去に起きた大やけど事故の背景までわかりやすく解説します。
ヒロミのキャンプ場の場所・料金・予約方法は?
ヒロミさんのキャンプ場は、山梨県の河口湖西側にできるとされています。まだオープンしていないため詳しい料金や予約方法は明らかにされていませんが、ヒロミさんのYouTubeでは2025年のオープンを目指していると発表されました。
引用元:ORICON NEWS
引用元:entax
キャンプ場の面積は約2000坪。手作りのテントエリアやバーベキューエリア・カフェ・ログハウスなどさまざまな設備があり、子どもから大人まで幅広い世代が楽しめる場所となりそうです。
ギモンくんヒロミさんのキャンプ場で働きたいって人も多そうだけど、募集しているのかな?
カイケツさんヒロミさんは「キャンプを心から愛する人材の採用」を目指しているんだって。詳しい募集要項はわからないけど、積極的に採用活動を進めているみたいだよ。
ヒロミの大やけどの原因は?
ヒロミさんが大やけどを負ったのは、1991年(当時26歳)。レギュラー出演していたフジテレビ深夜のバラエティー番組「1or8(ワンオアエイト)」での出来事でした。
『ヒロミがロケット花火をたくさん背負ってTBSの秋山さんみたいに宇宙へ行く企画!!』 pic.twitter.com/eZpBa3wXBm
— Hopegenki (@Hopegenki1) November 12, 2022
B21スペシャルがさまざまな企画に挑戦する番組で、ヒロミさんは「その時のディレクターが4歳上の30歳の人で、プロデューサーの許可も得ずにいろんな企画をやっていた」と振り返るほど。その中の一つが「ヒロミがロケット花火をたくさん背負って宇宙へ行く!!」というものでした。
1万本のロケット花火を背負って宇宙に行くという無謀な企画で、ヒロミさんは、ロケット花火を使って人間ロケットに挑戦。少しだけ宙に浮いたものの、花火が引火し全治2ヶ月半・生死をさまようほどの大やけどを負いました。
ギモンくんヒロミさんは大やけどのあとまたテレビに出られたの?
カイケツさん事故が起きた番組は打ち切りになってしまったけど、ヒロミさんは壮絶なリハビリに耐えて2か月半後に芸能界に復帰したよ。
【画像】ヒロミは若い頃暴走族?
ヒロミさんは、少年時代はおとなしい性格ながら、中高生の頃には地元・八王子の暴走族「八王子スペクター」に所属していた“元不良”です。その後、自動車事故で生死をさまよう大ケガを負い、「好きなことをしなさい」という母の言葉をきっかけに芸人を志望。ホストクラブ勤務を経てB21スペシャルを結成し、おしゃれなビジュアルと毒舌キャラで一気にブレイクしました。
30代で一度芸能界から離れますが、経営者経験を経て40代以降に復帰。現在はDIYや八王子リフォーム、YouTubeなど、多彩なジャンルで活躍し続けています。
10代(1975年~1985年)
1965年2月。東京都・八王子で工務店を営む家庭に生まれたヒロミさん。少年時代は、照れ屋でとてもおとなしい性格だったそう。ところが、兄が不良だったこともあり、中高生の頃には地元・八王子を拠点に活動する暴走族「八王子スペクター」の一員となりました。
上の画像は、ヒロミさんがYouTubeで16歳の時に初めて買った思い出のバイクを青春仕様にカスタムし、八王子を走る動画を切り取ったものです。当時のヒロミさんは、インパクトのある特攻服とパンチパーマ。少年時代はおとなしい性格だったとは思えないビジュアルだったそうです。
引用元:X
ヒロミさんは高校卒業後、日産自動車のセールスマンをしていたそう。しかし、1983年(当時18歳)の夏に、友人2人を乗せた自動車で大事故を起こしてしまいます。内臓破裂による一時重体で生死の境をさまよいました。家族は医者から「もう諦めてください」と伝えられたと言いますが、長時間に及ぶ手術の末に一命を取り留めました。
この時ヒロミさんは、母から「あなたは長生きできないかもしれないから、好きなことをしなさい」と言われたそう。本人も「好きなことをしようと決意した」とお話しされており、人生の大きな転機であったことがうかがえます。
上の画像は、ヒロミさんが暴走族時代のエピソードを語っている記事です。ユーモアを交えて話していますが、事故で生死をさまよった時には、こんなエピソードを話せる時が来るなんて誰も思っていなかったでしょう。
ギモンくんヒロミさんのセールスマン時代ってどんな感じだったのかな?
カイケツさん仕事ができる優秀な社員で、成績はいつもトップクラスだったみたい!当時から、人を惹きつけるトークセンスがあったんだね。
20代(1985年~1995年)
好きなことをしようと決意したヒロミさんが目指したのは、お笑い芸人。入院中にバラエティ番組を見て“自分でもやれる”と確信したのだそう。
1985年(当時20歳)に、トークセンスをさらに磨くため都内のホストクラブに勤務。同僚の中からルックスが良く、アイドル志望だった伊藤努(デビット伊藤)さんとミュージカル役者&ダンサー志望だった三宅康敏(ミスターちん)さんを口説き落とし、お笑いの道へと引き込みました。

1986年(当時21歳)コントグループ「B21スペシャル」を結成した3人。おしゃれ感のない当時の若手芸人と区別するため「衣装はDCブランドにしよう」と提案したのはヒロミさんだったと言います。
上の画像は、1986年のデビュー当時のB21スペシャルです。お笑い芸人とは思えないようなファッションで、瞬く間に人気が出たと言うのも納得です。ヒロミさんの提案は、B21スペシャルをブレイクさせる1つの要因となったでしょう。
引用元:X
B21スペシャルとして活躍するヒロミさん。デビュー当時は、父が工務店を営んでいたことから「カーペンター・ヒロ」という芸名を使っていたそう。1988年(当時23歳)頃から巻き起こったお笑い第三世代ブームに乗り、西のダウンタウン・東のウッチャンナンチャンと並ぶほど人気のお笑いトリオとなりました。
B21スペシャルは下積み経験がほとんどありませんでしたが、アイドルのようなビジュアルとテンポの良いコントで評価されます。ヒロミさんは一度死にかけた経験から怖いもの知らずであったため、先輩にも毒舌を繰り出し、強気のツッコミでさらに人気を集めていきました。
上の画像は、B21スペシャルがテレビ出演していた当時のものです。3人ともルックスが良く、このビジュアルで毒舌や鋭いツッコミを繰り出されたら、そのギャップについファンになってしまうでしょう。
引用元:ザ!世界仰天ニュース
多くのレギュラー番組や冠番組を抱え、飛ぶ鳥を落とす勢いのヒロミさんたちB21スペシャルでしたが、1991年(当時26歳)の時に、バラエティ番組内で大事故が起こりました。
この事故については後段で詳しくご紹介しますが、病院に運ばれて意識の戻ったヒロミさんが最初に発した言葉は「ドッキリ」だったそう。なぜ自分が病院にいるのか、記憶が途切れていたと言います。
上の画像は、ヒロミさんの退院が決まった時のものです。入院中には、のちの妻となる松本伊代さんや、木梨憲武さん・藤井フミヤさんが忙しい合間を縫って足しげく通い支えてくれていたそうです。
ギモンくんヒロミさんはこの時、芸能界を引退することを考えなかったのかな?
カイケツさんリハビリ中は「まともに歩けもしない。もうテレビには残れないだろう」と考えて、芸能界を引退してハワイでコーディネーターになろうと思っていたみたい。でもその決断が逆に、気持ちをラクにしてリハビリを進めてくれたんだって。
引用元:X
ヒロミさんは、1993年(当時28歳)交際していた松本伊代さんと結婚。交際のきっかけは番組での共演でしたが、結婚に至ったのは伊代さんの猛アタックだったそう。
当時のことについてヒロミさんは、お笑い芸人とアイドルの結婚でしたが「(伊代さんの事務所の)社長が俺のことをよく思っていて。『ヒロミだったらいいじゃない』って好かれてて大丈夫だった」と話しています。
上の画像は、結婚会見の時のものです。会見に来た記者たちには「小僧この野郎」と思われていただろうと話すヒロミさんですが、長年連れ添う伊代さんとの仲の良さが伝わってきますね。
30代(1995年~2005年)
1995年(当時30歳)の時に、第一子が誕生。その後も、ヒロミさん個人であらゆる方面で活躍していましたが、2004年(当時39歳)に放送された27時間テレビのコーナー「生・笑わず嫌い王決定戦」で10数年ぶりにB21スペシャルとして復活しコントを披露しました。
引用元:東洋経済オンライン
しかし、これと同時期にヒロミさんは芸能界から姿を消してしまいます。この大きな理由として「親友だった吉野晃章さんの病死でショックを受けたこと」と後に話されています。
上の画像は、芸能界を離れていた当時のことを語るヒロミさんです。B21スペシャル・タレントとしての顔とは違い、経営者のような雰囲気を感じますよね。
当時ヒロミさんは、芸能界を離れて「毎日飽きるまで遊んでやろう」と思って実行したそうですが、「6~7年でいい加減飽きた」と言います。ただ、その期間に加圧トレーニングジムや岩盤浴の経営など新たなジャンルに挑戦し、芸能界に対する見方も変わったため「ちょっと休んで正解だった」と語っていました。
ギモンくん芸能活動を休んでいる間、ヒロミさんは芸能界に戻れるか不安はなかったのかな?
カイケツさんその時は、もう芸能界に戻るという気持ちはなかったみたい。視聴者としてテレビを見ていたと言うし、会社を経営したり新しいことにチャレンジしていたから、復帰したことのほうがヒロミさん自身意外だったのかもしれないね。
40代以上(2005年~)
ヒロミさんは、2014年(当時54歳)頃に、芸能界に復帰。以前は「100%とか120%で仕事をやろうとしていた」そうですが、復帰後は「80%くらい」で取り組んでいるのだとか。これは芸能界から離れて会社を経営している時に思っていたことで、「70・80%くらいでやった方が力が出せる・うまくいく」と仕事への向き合い方が変化したと話していました。
引用元:八王子市
復帰後は、射撃やDIY・ゴルフ・アウトドアなど以前とは違った顔をテレビで見せることも多くなりました。多趣味と言われるヒロミさんですが、実はその趣味の多くは大やけどのリハビリのために始めたと言われています。
上の画像は、多方面で活躍するヒロミさんが地元・八王子市出身の建築家と対談した時のものです。八王子リフォームのロゴがデザインされたファッションが、近年のヒロミさんらしいですよね。
引用元:PR TIMES
上の画像は、2024年(当時64歳)にファミレスチェーンで販売された「ヒロミDIYメニュー」の発表会見です。タレントとしてだけでなく、コラボ・プロデュース商品の開発やMC・コメンテーターなど幅広いジャンルで活躍されて続けているヒロミさんの才能を感じますよね。
この時ヒロミさんは、2019年に本格化させたYouTubeの始動背景を「普段自分がやっていておもしろいと思ったことを撮ったのがきっかけ」とお話しされており、バズるのを狙っているのではなく自然体な姿がファンにウケるのだろうと感じました。
ギモンくんヒロミさんはYouTubeにどんなこと
を載せているの?
カイケツさん八王子リホームのことや家族のこと、車、アウトドアなどいろいろなジャンルの内容を載せているみたい。八王子会の芸能人とのコラボもあって面白いよ。
ヒロミのプロフィール・SNS
- 名前:ヒロミ
- 本名: 小園浩己(こぞのひろみ)
- 生年月日:1965年2月13日
- 年齢:60歳(2025年11月現在)
- 出身地:東京都 八王子市
- 血液型:A型
- 趣味:車、バイク、DIY、アウトドアスポーツ
- 特技:アウトドアスポーツ
- 所属事務所:株式会社ビィー・カンパニー
引用元:ENCOUNT
SNS
- X(旧Twitter) URL:https://x.com/hiromi_kozono
- Instagram URL:https://www.instagram.com/hiromi515_official
- 公式ブログ URL:https://ameblo.jp/hiromi515/
ギモンくんヒロミさんってなんで多趣味なんだろう?
カイケツさんヒロミさんは「常に青春でいること」に憧れがあって、“遊び”にとことんこだわっているうちに趣味が増えたみたいだね!
岩城滉一さんはヒロミさんの「遊びの師匠」なんだって。
ヒロミのキャンプ場と大やけど・若い頃の経歴まとめ
- ヒロミのキャンプ場は山梨県・河口湖の西側に整備が進められている
- 敷地は約2000坪でテントサイトやバーベキューエリア、カフェ、ログハウスなど家族で楽しめる設備が想定されている
- キャンプ場はまだプレオープン前で正式な料金や予約方法は公表されていない
- 本人のYouTubeなどでは2025年のオープンを目標に準備が進んでいると紹介されている
- ヒロミは「キャンプを心から愛する人材」の採用を目指しているとされ、今後の募集情報にも注目が集まっている
- 大やけどは1991年放送のフジテレビ深夜番組「1or8」のロケット花火企画中に起きた事故が原因である
- 1万本のロケット花火を背負って人間ロケットに挑戦する無謀な企画で全治2か月半の大やけどを負った
- 事故後に番組は打ち切りとなったが、壮絶なリハビリを経てヒロミは約2か月半で芸能界に復帰している
- 少年時代はおとなしい性格だったが、中高生の頃に地元・八王子の暴走族「八王子スペクター」に所属していたと語られている
- 高校卒業後は日産自動車のセールスマンとして働き、営業成績がトップクラスの優秀な社員だったとされている
- 友人2人を乗せた自動車事故で内臓破裂の重傷を負い、生死の境をさまよう大事故を経験している
- この事故の際に母から「好きなことをしなさい」と言われたことがきっかけでお笑い芸人を志したと明かしている
- ホストクラブ勤務を経てB21スペシャルを結成し、おしゃれなビジュアルと毒舌キャラでお笑い第三世代ブームの一角を担った
- 30代で芸能界から距離を置き、加圧トレーニングジムや岩盤浴の経営などに挑戦したことで仕事観が大きく変化したとされる
- 40代以降はDIYや八王子リフォーム、ゴルフ、アウトドア、YouTubeなど多趣味ぶりを生かして再ブレイクを果たしている
- 波瀾万丈な青春時代と事故を乗り越えた経験を土台に、現在はキャンプ場づくりを含め「遊び」と仕事を両立させながら活躍を続けている







