西川ヘレンさんはアイルランド系アメリカ人の父と日本人の母・百合さんのもとに生まれ、母ひとりに守られながら育った生い立ちが「強く優しいヘレン像」をつくりました。
若い頃は歌やダンスに秀で、17歳で吉本入りするとコテコテの関西弁芸で一躍人気者に。20歳で西川きよしさんへ逆プロポーズして結婚、以後は仕事と家族を第一線で支え続けます。
現在も“家族の食卓”を支える象徴が、毎朝引くヘレンだしを土台にした煮込みハンバーグ。子どもから大人まで虜にする味でレシピ本や連載でも高評価です。若い頃の端正な美貌はもちろん、逆境を糧にした生き方と台所から生まれる温かさこそ、ヘレンさんが長く愛される理由です。
この記事でわかること
- 父はアイルランド系米国人/母は日本人・百合さんという家族背景と幼少期の出来事
- 実父探しを巡るエピソードと、母の記憶を尊重した選択
- 毎朝の「ヘレンだし」と煮込みハンバーグが評判の理由・作り方の要点
- 17歳で吉本入り〜20歳で逆プロポーズまでの若い頃の軌跡と美貌
- 同居・多重介護・講演活動まで、家庭を支え続けた生き方の核心
【画像】西川ヘレンの父母はどんな人?現在はハンバーグレシピが好評?
西川ヘレンさんは、アイルランド系アメリカ人の父と日本人の母・百合さんのもとに生まれ、母子家庭で育ちました。偏見の強い時代に産み育てた母の覚悟を「かけがえのない愛」と語り、実父探しも「良い思い出のままに」と途中でやめたというエピソードが象徴的です。
現在は毎朝ひく“ヘレンだし”を土台にした煮込みハンバーグが大好評。レシピ本や連載でも支持される、家族を想う温かな味わいが魅力です。
西川ヘレンの父母はどんな人?

西川ヘレンさんはアメリカ人と日本人のハーフです。
父親はアイルランド系アメリカ人で、軍人として日本に駐屯している時に、西川ヘレンさんの母の百合さんと出会います。その後、百合さんは身ごもりますが、父親にはアメリカに家族がいたため西川ヘレンさんは母子家庭で育ちました。
西川ヘレンさんは、「母はほんまに強い人やったと思う。周囲の反対を押し切って私を産んだ母の強さこそかけがえのない愛情であったと、いまでは心から敬服し、感謝しています。」とお話されており、まだハーフの子に対して偏見のあった日本で、生まれる前から娘をしっかりと守る決意を母・百合さんが持っていたことが想像できます。
上の画像は、西川ヘレンさんの実母と義両親と同居していた時のものです。
ギモンくん西川ヘレンさんは、アメリカ人の父親と会ったことはあるのかな?
カイケツさんそれは、西川きよしさんが探しだそうとしたこともあったけど、母・百合さんのいい思い出のままにしておきたいという気持ちを尊重して、探すことは途中でやめたみたいよ!
西川ヘレンは現在ハンバーグレシピが好評?
引用元:Instagram

料理上手で有名な西川ヘレンさんは、長年、大家族の健康を支える料理を作ってきました。洋食より和食が好きということもあって、だしは毎朝手作りし、洋食や中華にも使っているそうです。
数あるレシピの中で、子どもから大人まで楽しめる煮込みハンバーグが美味しいと評判になっています。2002年(当時56歳)の時に、娘のかの子さんと出した雑誌の別冊レシピ本にも掲載されており、定番メニューになっているご家庭もあるほどです。秘伝のヘレンだしは、大好評のハンバーグソースにも使われています。
上の画像は、2021年(当時75歳)にインスタグラムに掲載されたお料理中の西川ヘレンさんと、ハンバーグレシピが掲載されているレシピ本です。愛情がこもった料理を楽しそうにつくられている姿が素敵ですね。
ギモンくん料理が苦手なんだけど、ヘレンさんのハンバーグをどうにかして食べることはできないかな?
カイケツさん西川ヘレンさんの次男が経営している博多の料亭で、母の味を思い出しながら完成させたハンバーグが食べられるみたいよ!
【画像】西川ヘレンは若い頃美人!
幼い頃から歌や踊り、英語、ピアノに親しんだ西川ヘレンさんは、その端正な美貌と堂々たる立ち姿で早くから注目の存在になります。偏見の強い時代に揺れながらも、17歳で吉本入りし「ヘレン杉本」として人気者に。
同じ事務所の西川きよしさんと出会い、体調不良で寄り添った看病を機に距離が縮まり、20歳で逆プロポーズして結婚へ。若き日の華やかさと芯の強さが写真からも伝わります。
幼少期・10代・20代(1946年~1976年)

西川ヘレンさんは、幼い頃から歌、踊り、英語、ピアノを習う多才な少女でした。上の画像は友だちと敬老会へ慰問した時のものです。色白の肌と端正な顔立ちが美しく、ひときわ目立っていますね!
しかし、外国人がまだめずらしかった時代で、アメリカ人と日本人のハーフである西川ヘレンさんは、外見から偏見の目で見られることもあったそうです。
時には他人から怒鳴りつけられたりすることもあり、母親に対して「なんで産んだの?」と恨めしく思うこともあるような苦労の多い幼少期を過ごされました。

西川ヘレンさんは、1963年(当時17歳)の時に華頂女子高等学校を中退し、シャンソン歌手やミュージカル女優を目指して、吉本興業に所属します。
この時は「ヘレン杉本」という名前で活動しており、西洋の顔立ちの美女から繰り出される「わたし外人やから、日本語、分かりませーん」と関西弁コテコテのセリフで、舞台に爆笑の渦を巻き起こしていました。売れっ子女優だった当時、同じ吉本興業の西川きよしさんと出会います。
2人の仲が急接近したのは、西川ヘレンさんが体調不良になった時に、西川きよしさんの実家で療養したことがきっかけでした。この時、西川きよしさんの家族のことを「みなさん本当に気さくで優しく、温かさに涙が出る思いだった」とお話しされており、家族ぐるみで親しくなっていった様子がうかがえます。
上の画像は西川きよしさんと西川ヘレンさんが同棲を経てから結婚する時のものです。素敵な着物がとても良くお似合いです!
引用元:Instagram
西川ヘレンさんは、1967年(当時20歳)の時に、同じ吉本興業の芸人だった西川きよしさんに逆プロポーズをして結婚しました。
この時のことを西川ヘレンさんは、「(職場結婚は禁止されていたので)やはりそれは口に出すことはいけないことだったと思いますけど、それより先に恋心の方が強く出てしまいましたんです」とお話しされており、周囲の反対に負けないほどの西川きよしさんを愛する気持ちが確認できます。
上の2枚目の画像はお2人の結婚当時のものです。西川ヘレンさんは有名女優でしたが、西川きよしさんはこの時はまだ収入もヘレンさんの10分の1程度しかない格差婚でした。
所属していた吉本興業には、「看板のヘレンが残って、駆け出しのきよしがやめろ」と言われましたが、西川ヘレンさんは「私が引退する」とスパッと仕事をやめたそうです。
ギモンくん西川ヘレンさんは、どういう言葉で逆プロポーズをしたのかな?
カイケツさんそれは、ハーフというだけで差別を受ける時代だったという理由から、「こんな(見た目の)私で良かったら、もらってください」という、言葉だったみたいよ!
30代〜60代(1976年~2016年)
西川ヘレンさんは、1979年(当時33歳)の時に、「約束」や、夫の西川きよしさんとのデュエット曲「ふたりの大阪」のレコードを発売しました。
この時西川ヘレンさんは、夫と子供、そして実母と義両親とも同居しており、家庭では娘と親と妻の役割を果たしながら、自分の仕事もこなしていたのです。上の映像はレコード発売当時のものです。ここでも西川きよしさんとの仲睦まじい姿が確認できます。

西川ヘレンさんは、1986年(当時40歳)の時に、『幸せの鐘がきこえる』という自伝を出版しました。
幼少期の貧乏生活、芸能界入り、西川きよしさんとの出会いと結婚や夫の不倫、そして夫が参議院議員選挙に当選するまでが綴られています。上の画像は『幸せの鐘がきこえる』の表紙の写真です。夫を支え続けてきた穏やかで凛々しい表情ですね。
じつは西川きよしさんが立候補の意思を伝えた時、西川ヘレンさんは夫が政治の道に進むことに反対したそうです。しかしその後、きよしさんが選挙に出馬したことから、夫の夢を応援する気持ちに変わったと考えられます。
3期18年の参議院議員活動を支えた西川ヘレンさんの内助の功は、多くの人にたたえられています。

西川ヘレンさんは、40代~60代の時に実母と義両親の多重介護生活を経験しました。
夫や子供の協力を得ながら、介護に奮闘する西川ヘレンさんは、同時に重い更年期障害にも悩まされました。
呼吸困難や動悸と手足のしびれなどの症状もある中で、3人の親のお世話をしていたのです。西川ヘレンさんは、その時を振り返り、「最後まで私に見させてほしいという気持ちは変わりませんでした」とお話しされています。
上の画像は著書『ヘレンのもう、いや!多重介護奮戦録』の表紙です。深い愛情を持って介護をやり遂げた西川ヘレンさんの素敵な笑顔です。
ギモンくん西川ヘレンさんは、介護と自分の体調不良で大変な時をどうやって乗り越えてきたのかな?
カイケツさんそれは、お香をたいたり、お花を生けたり、自分の気持ちを落ち着けるものを見つけて症状を改善する努力をしたみたいよ!
70代以上(2016年~)

西川ヘレンさんは2025年現在、ご自身の体験に基づいた介護や家族に関する講演会講師として活躍されています。
多重介護と更年期障害の経験をユーモアも交えて包み隠さずお話される講演は、命の尊さや家族の絆の大切さについて深く考えさせられる内容で、介護に直面している人たちだけでなくあらゆる年代の人におすすめです。
西川ヘレンさんは、介護を通じて「命の大切さを身に染みて感じることができます。」とお話されています。
上の画像は2018年(当時72歳)に日本精神神経学学術総会の市民公開講座での講演時のものです。70代になっても変わらず背筋がピンと伸びた素敵な女性ですね。

西川ヘレンさんは、毎日新聞にレシピを毎月連載するほどの料理上手で知られています。2018年(当時72歳)の時に、レシピ本『西川ヘレンのこれ食べてみて 絶品ヘレンだしでつくる家族のごはん』を出版しました。
「主人は本当に“食べ上手”。『ママの〇〇が食べたい』とうれしそうに言ってくれるから、笑顔が見たくてどんどん料理を作るようになったんです」とお話しされており、夫の西川きよしさんも西川ヘレンさんの料理ファンであることがが確認できます。
上の画像は2023年(当時77歳)に介護ポストセブンで、娘の西川かの子さんと「ヘレンだし」の秘伝レシピを公開した時のものです。西川ヘレンさんの味はしっかりと引き継がれているようです。
ギモンくん西川ヘレンさんは、だしの取り方をお母さんから教わったのかな?
カイケツさんそれは、西川ヘレンさんの伯母さんが作るだしを自分流にアレンジして完成させたみたいよ!うま味たっぷりで減塩にもつながる、家族の健康を考えた、だしになっているそうよ!
西川ヘレンのプロフィール・SNS

プロフィール
- 名前:西川 ヘレン(にしかわ へれん)
- 生年月日:1946年10月6日
- 年齢:79歳(2025年10月現在)
- 出身地:京都府
- 血液型:A型
- 特技:料理
- 所属事務所:株式会社西川事務所/株式会社オフィスミセン
SNS
ギモンくん西川ヘレンさんが料理が得意になったきっかけって何なのかな?
カイケツさん新婚時代のお金がないときは少ない材料で料理を作り、育児と介護をしているときは子供用、両親用、夫婦用の3種類の食事を作ったり、いつも工夫して料理をしている内にプロ級の腕になったみたいだね!
