大泉洋さんは、2006年の『救命病棟24時(第3シリーズ)』で出会い、2008年の『ロス:タイム:ライフ』で距離を縮めたフジテレビの名プロデューサー・中島久美子さんと交際に発展し、2009年に結婚しています。つまり「出会い→再会→私的な相談を機に交際→結婚」という自然な流れで結ばれた夫婦です。
さらに父・恒彦さんは若い頃に俳優を志した“表現者の卵”で、家庭の事情から教師の道を選択。結果的に、その未完の夢を息子の大泉さんが全国区の俳優として引き継いだ形です。
若い頃の大泉さんは、TEAM NACSや『水曜どうでしょう』で端正な顔立ちと独特のユーモアを兼ね備えた“爽やかイケメン”ぶりが際立ち、のちの大河・映画主演、紅白司会へと続く下地をこの時期に作りました。本記事では、この「馴れ初め」「父の来歴」「若い頃の魅力」を、作品年表や当時のエピソードとともに一気に把握できます。
この記事でわかること
- 大泉洋と中島久美子の「出会い→再会→交際→結婚」の時系列
- 妻・中島久美子(元フジP)の人物像と大泉起用の裏話
- 父・恒彦さんの俳優志望~教師転身と“夢の継承”エピソード
- 若い頃の大泉洋:TEAM NACS・『水曜どうでしょう』期の魅力
- 大河・映画・紅白司会へつながる代表作と評価の変遷
【画像】大泉洋と嫁・中島久美子の馴れ初めは?父親は元俳優志望!
俳優・大泉洋さんと、フジテレビの人気ドラマプロデューサーだった中島久美子さんは、2006年放送の『救命病棟24時(第3シリーズ)』で出会いました。仕事を通じて信頼関係を築き、2008年の『ロス:タイム:ライフ』で再会したことをきっかけに急接近。プライベートでも相談を重ねるうちに自然と交際に発展し、2009年に結婚されました。
中島さんは『水曜どうでしょう』のファンでもあり、仕事とファン心理が交わった“運命的な出会い”といえるでしょう。結婚後は一女に恵まれ、公私ともに支え合う理想的な夫婦として知られています。
大泉洋と嫁・中島久美子の馴れ初めは?
大泉洋さんの奥様は、元フジテレビのドラマプロデューサー・中島久美子さんです。
お2人の出会いは、2006年(当時33歳)放送のドラマ『救命病棟24時(第3シリーズ)』でした。その後、2008年(当時35歳)放送のドラマ『ロス:タイム:ライフ』で再会を果たし、プライベートで相談に乗っていたことがきっかけに親しくなり、交際に発展しました。
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そして、2009年(当時36歳)にご結婚されました。2011年(当時38歳)には第1子となる女の子が誕生し、大泉さんは良きパパとしての一面も見せています。
交際当初は、奥様が大泉さんをよく褒めていたそうですが、最近では「そんな時もあったね、どうかしてたわ」と冗談交じりに話しているとか。そんな夫婦のやりとりも、大泉さんらしいユーモアにあふれていますね!
ギモンくん奥様の中島久美子さんは、もともと大泉さんのことを知っていたのかな?
カイケツさん中島久美子さんは、もともと『水曜どうでしょう』の大ファンだったんだって! その影響もあって『救命病棟24時』に大泉さんを起用したらしいよ!でも、大泉さん曰く「結婚してから、まったく“どうでしょう”の話をしなくなった」みたい。思わず「どうでしょう好きだったんじゃないの!?」とツッコミたくなる、大泉さんらしいボヤキですね!
大泉洋の父親は元俳優志望でイケメン!
大泉洋さんの父・大泉恒彦さんは、もともと俳優を夢見ていました。中学・高校時代には舞台で成功し、日本大学芸術学部に進学したいと考えていたそうです。
伝説の恒彦ハーン https://t.co/d51IVOYpKJ
— 射的屋 (@syatekiya931) December 31, 2024
しかし、祖父である恒三さんから「東京に子供を出すには相当の金がかかる」と反対され、断念せざるを得ませんでした。代わりに北海道学芸大学旭川分校(現・北海道教育大学旭川校)に進学し、教師を目指すことになりました。
そこで出会ったのが、のちに妻となる正子さん。同じく教師としての道を歩み、やがてお2人は結婚されました。こうして、大泉洋さんの家族の歴史が始まったのです。俳優を夢見た父・恒彦さんの想いを、大泉洋さんが見事に受け継ぎ、全国区の人気俳優として活躍しているのは感慨深いものがあります。
きっとお父様も誇らしい気持ちで、息子さんの活躍を見守っていることでしょう。しかも、大泉さんは持ち前のユーモアと実力で、唯一無二の存在になっています。まさに、親子2代にわたる夢のつながりですね!
ギモンくん俳優として成功した大泉さんにお父さんはどんな言葉をかけたのかな?
カイケツさん大泉さんのお父さんは厳格な方だけど、涙ながらに「お前は本当にすごいな」と褒めてくれたそうよ。
この言葉は、大泉さんにとって非常に大きな意味を持つものであり、父親の誇りを感じた瞬間だったと語っているわ!
【画像】大泉洋は若い頃イケメン?
北海道の大学で演劇に目覚め、仲間とTEAM NACSを結成。20代はHTB『モザイクな夜V3』の“元気くん”や『水曜どうでしょう』の過酷旅で一躍ブレイク、深夜ながら高視聴率を記録します。
30代で『救命病棟24時』『ハケンの品格』と東京進出し、映画『探偵はBARにいる』で優秀主演男優賞。以降は大河『龍馬伝』『真田丸』『鎌倉殿の13人』、NHK『SONGS』や紅白司会でも存在感を発揮。端正な目元と柔らかな笑顔、長身でスリムな佇まいは若い頃から今も変わらぬ“イケメン”ぶりです。
20代(1993年~2003年)
大泉洋さんは、1973年北海道江別市で幼少期を過ごしました。その後札幌市に引っ越し、学生時代を過ごします。
高校卒業後は2年間の浪人生活を経て、北海学園大学に進学されました。当初は志望と違うと落ち込んでいて、2浪して大学に入ったので「年下からタメ口を叩かれるなんて経験がないし、馴染めなかった」そうです。

そんな大泉さんは、演劇研究会に入ったことで転機を迎えます。演劇研究会で森崎博之さんや安田顕さんらと出会い、1996年23歳の時「TEAM NACS」を結成しています。上の画像は学生時代の時のものです。
大学卒業後「TEAM NACS」は一旦解散したものの、1997年(当時24歳)に再結成され、現在も日本を代表する演劇ユニットとして活動を続けています。
さらに、大泉洋さんは、劇団イナダ組にも所属し、演技の基礎を学びました。大学時代から演劇の道を歩み始め、後の活躍へとつながっていきました。
大学在学中の1995年(当時22歳)、大泉洋さんは北海道テレビの深夜番組『モザイクな夜V3』に2代目「元気くん」として出演し、芸能活動をスタートされました。翌1996年(当時23歳)には同局新番組『水曜どうでしょう』(上画像)に出演し、北海道内での知名度を一気に高めました。
『水曜どうでしょう』は、大泉さんが俳優・鈴井貴之さんやディレクター陣とともに、過酷な旅をしながらも独特のユーモア(かなり無茶な旅の目標をたて、道中で起こるせこい小競り合い、罵り合いと、行き当たりばったりを楽しむ)で視聴者を魅了した番組です。
番組開始当初から「低予算」「低姿勢」「低カロリー」の「3低」をモットーに掲げ、限られた予算の中で企画を実現してきました。
予算が少ないため、10本分の予算をまとめて使い、長距離ロケを敢行するという独自のスタイルを確立しており、演出を抑えたリアルな旅が視聴者の人気を集めましたが、出演者にとってはバラエティというよりもドキュメンタリーそのものだったと言います。
こうした無計画かつ過酷な旅が逆に番組の魅力となり、視聴者の心をつかむ要因になりました。深夜枠にもかかわらず、1999年(当時26歳)には最高視聴率18.6%を記録し、全国放送も開始されるなど、絶大な人気を博しました。
大泉洋さんは『水曜どうでしょう』が楽しくて「もう少し続けよう」と思っていたものの、番組の人気がどんどん上がり、気づけば芸能活動が本業になったことで「今さら履歴書を書いて会社を回るのも恥ずかしい」と感じ、26歳のときに「これで食っていくしかない」と覚悟を決めたそうです。
こうして、大泉さんは本格的に芸能界の道を歩み始めました。
ギモンくん「水曜どうでしょう」は今でも観られるのかな?
カイケツさんAmazonプライム、Netflix、U-Next、YouTubeなど、様々な媒体で一部観ることができるわ!
DVDにもなっているし、未だに根強いファンがいるのよ!
30代(2003年~2013年)
2002年(当時29歳)に『水曜どうでしょう』のレギュラー放送が終了し、大泉洋さんは仕事を続けていけるか不安を感じるようになりました。さらに北海道での仕事に閉塞感を覚えたことや、映画の撮影で東京から来た俳優より格下に扱われたことにショックを受け、東京進出を決意されます。
この時、大泉さんは「下手に笑いで勝負して失敗したら、北海道の人をがっかりさせてしまう」「東京は怖い、すぐに消えてしまうかもしれない」という不安も抱えていましたが、鈴井貴之さんから「何かあればまた岸に戻ればいい」と励まされたそうです。
引用元:X、ORICONNEWS大泉洋を語る上では救命病棟24時は欠かせない、真面目なストーリーのはずなのに「大泉さんが医者の格好をしてる」という演出だけで終始ギャグシーンにしか見えなかったのが辛い。 pic.twitter.com/2AA7HOL2AF
— のんすけ(N/S) (@nonsuke_Ns) January 7, 2017
2005年、32歳のときに全国ネットの連続ドラマ『救命病棟24時』に看護師・佐倉亮太役で出演し、東京での本格的な俳優活動をスタートさせた大泉洋さん。持ち前の演技力と存在感で好評を博し、これをきっかけに次々とドラマ出演を重ねていきました。上のX投稿は、ドラマのワンシーンです。
この頃の大泉さんの出演作品で、特に注目を集めたのが2007年(当時29歳)の『ハケンの品格』でした。上の画像はその時の出演シーンです。
嫌味を言いながらもどこか憎めない正社員・東海林武を演じ、コミカルな演技で視聴者の心をつかみました。篠原涼子さん演じるスーパー派遣社員・大前春子との掛け合いも話題となり、ドラマは大ヒットとなりました。後に第2シリーズも制作されるなど、大泉さんの代表作のひとつとなりました。
こうして、大泉洋さんは東京でも確かな存在感を示し、俳優としての地位を確立していきました。
引用元:NHKアーカイブス MovieWalkerPress
2010年(当時37歳)、大泉洋さんはNHK大河ドラマ『龍馬伝』に近藤長次郎役で出演し、大河ドラマ初出演を果たしました。これまでのコミカルなイメージとは異なり、シリアスな演技を披露し、俳優としての幅を広げるきっかけとなりました。上の画像1枚目は大泉さんの出演シーンです。
そして、翌年には映画『探偵はBARにいる』で主演を務め、札幌・すすきのを舞台にしたハードボイルドな探偵役を熱演されました。これまでのユーモラスなキャラクターとは異なる、大人の魅力あふれる演技で観客を魅了しました。上の画像2枚目はその時のものです。
その実力が評価され、大泉さんは2012年(当時39歳)には第35回日本アカデミー賞優秀主演男優賞を受賞しました。さらに、シリーズ化された同作の第3作、2017年公開の『探偵はBARにいる3』でも、第41回日本アカデミー賞優秀主演男優賞を受賞しました。
この頃から、大泉洋さんはコメディだけでなく、シリアスな演技でも高く評価される俳優として認知されていきました。
ギモンくん大泉洋さんはコミカルなイメージが強かったけど、シリアスな役柄についてはどう考えているのかな?
カイケツさん大泉さんは「重い役柄は勇気がいるし、辛くなることもある」とおっしゃってるわ。でも「ある作品では重いだけではなく、特別な経験になった」ともおっしゃっていて、シリアスな演技にも真摯に向き合いながら挑戦を続けていることが伝わるわね!
40代以上(2013年~)
2015年(当時42歳)にNHK連続テレビ小説『まれ』で、ヒロインの父・津村徹役を演じた大泉洋さん。ダメ親父ながらも、どこか憎めないキャラクターで視聴者に愛されました。
もともと「いつか朝ドラに出たい」と思っていたそうで、出演後は「知名度が圧倒的に上がり、年配の方からも声をかけられるようになった」と、その影響力の大きさを実感したそうです。
引用元:NHKアーカイブス、NHKアーカイブス
また、2016年(当時43歳)に出演したNHK大河ドラマ『真田丸』では、真田信繁の兄・信幸役を熱演しました。
これまであまり演じたことのない堅実で実直な武将役に挑戦し、「実在する人物を演じる怖さを改めて感じた」と語っています。シリアスな役柄にも真摯に向き合い、俳優としての新たな一面を見せた作品となりました。
2022年(当時49歳)のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では、源頼朝役を演じた大泉さん。物語の前半において主役級の活躍を見せ、カリスマ性と狡猾さを併せ持つ頼朝を見事に表現し、俳優としてのさらなる実力を示す作品となりました。
2018年(当時45歳)からNHK総合の音楽番組『SONGS』に番組責任者として出演し、全国放送のテレビ番組では初のレギュラーを務めることになりました。上の画像1枚目は2020年放送の福山雅治さんゲスト回のものです。
これまで俳優として活躍してきた大泉さんですが、『SONGS』では音楽をテーマに、ゲストアーティストとのトークを展開し、持ち前のユーモアと深い洞察力で番組を盛り上げました。
俳優だけでなく、司会者としてアーティストの魅力を引き出す役割を果たすなど、そのマルチな才能で、幅広い活躍を見せる大泉洋さん。その多才ぶりがさらに際立つ番組となりました。
2020年(当時47歳)から2022年(当時49歳)にかけては『NHK紅白歌合戦』で司会を3年連続で務め、番組を明るく、時に温かいユーモアを交えて盛り上げました。上の画像2枚目は2021年(当時48歳)、紅白リハーサル後の記者会見の時のものです。
特にコロナ禍の中での放送した2020年は、特別な状況下だったものの大泉さんの落ち着いた進行や温かい言葉が視聴者に安心感を与えました。
ギモンくん大泉さんは歌を歌ったりしないのかな?
カイケツさん大泉洋さんは「大泉バンド」を結成して、自ら作詞作曲も手掛けるなど、音楽活動にも積極的に取り組んでいるわ。
2023年(当時50歳)の紅白では、ついに白組歌手として出場し、自身の音楽活動の集大成ともいえるステージを披露したわよ!
大泉洋のプロフィール・SNS
- 名前:大泉洋(おおいずみ よう)
- 生年月日:1973年4月3日
- 年齢:52歳(2025年11月現在)
- 出身地:北海道
- 血液型:B型
- 趣味:料理、ゴルフ
- 特技:物まね
- 所属事務所:CREATIVE OFFICE CUE(北海道)、株式会社アミューズ(業務提携)

SNS
- Instagram URL:https://www.instagram.com/team_nacs716/
- YouTube URL:https://www.youtube.com/user/CREATIVEOFFICECUE
- オフィシャルサイト URL:https://www.teamnacs.com/

ギモンくん大泉さんは個人ではSNSをやってないみたいだけど、ファンとの交流はあるのかな?
カイケツさん大泉洋さんは自身でSNSを運用していないけれど、映画・ドラマ・バラエティの公式アカウントやTEAM NACSのメンバーの投稿を通じて、ファンとの交流が生まれているわね。とても楽しそうに交流しているわよ!
大泉洋と中島久美子の馴れ初め・父の来歴と若い頃の魅力まとめ
- 2006年『救命病棟24時(第3シリーズ)』で出会い、2008年『ロス:タイム:ライフ』で再会
- プライベートの相談を機に距離が縮まり交際に発展
- 2009年に結婚し、2011年に第一子の女児が誕生
- 妻の中島久美子はフジテレビのドラマプロデューサー出身
- 中島は『水曜どうでしょう』のファンで大泉起用に関わったとされる(エピソード)
- 結婚後は番組の話題をしなくなったという大泉のユーモア発言がある
- 父・大泉恒彦は若い頃に俳優志望だったが家計の事情で教師の道を選択
- 北海道学芸大学旭川分校で学び、のちに教師となり母・正子と結婚
- 父は大泉の活躍に「お前は本当にすごいな」と称えたとされる(エピソード)
- 大泉は大学の演劇研究会に入り1996年にTEAM NACSを結成
- 1995年『モザイクな夜V3』の元気くんでテレビ出演を開始
- 1996年『水曜どうでしょう』でブレイクし1999年に最高視聴率18.6%を記録
- 2005年『救命病棟24時』で東京での俳優活動を本格化
- 『ハケンの品格』でコミカルな演技が評価され代表作の一つとなる
- 2010年大河『龍馬伝』、2011年映画『探偵はBARにいる』主演で俳優として幅を拡張
- 日本アカデミー賞優秀主演男優賞を2012年と2017年に受賞
- 2015年朝ドラ『まれ』、2016年大河『真田丸』、2022年大河『鎌倉殿の13人』で存在感を発揮
- 2018年からNHK『SONGS』で番組責任者、2020〜2022年は紅白司会、2023年は白組歌手として出場









