【画像】新納慎也は結婚してないけど息子がいる?おねえ疑惑?若い頃うたのおにいさん!

俳優でありミュージカル界の異端児とも称される新納慎也さん。50歳を迎えた現在も独身で、結婚歴や子供の存在は確認されていません。にもかかわらず「息子がいる」という噂が流れたのは、俳優・小越勇輝さんを実の息子のように可愛がっていることからでした

また、宮沢エマさんとはNHK大河『鎌倉殿の13人』で夫婦役を演じ、その仲の良さから結婚の噂が出たことも。

さらに、長年にわたり女装役を演じてきたことから“おねえ疑惑”もささやかれましたが、それは役者としての高い表現力の賜物です。若い頃はNHK‐BS『にこにこぷんがやってきた!』で“うたのおにいさん”として活躍しており、その後は舞台・音楽・演出と多彩な才能を発揮し続けています。

この記事でわかること

  • 新納慎也さんが結婚していない理由と息子の噂の真相
  • 宮沢エマさんとの関係や「ぜんみい夫婦」と呼ばれた背景
  • おねえ疑惑が浮上した舞台作品とその理由
  • 若い頃に“うたのおにいさん”を務めていた意外な経歴
  • 俳優・音楽家・演出家としての多才な活動の軌跡

目次

【画像】新納慎也は結婚してないけど息子がいる?

新納慎也さんは、2025年5月現在結婚はされておらず、離婚歴も子供の存在も確認できていません。

なぜこのような噂が立つようになったのでしょうか。それは、新納さんの演技力と息子のように可愛がっている後輩俳優さんとのやりとりが原因のようです。

新納慎也さん
引用元:CREA X

まず、結婚相手と噂されている宮沢エマさんとは2022年NHKの大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で夫婦役を演じられました。新納さんは阿野全成(あのぜんじょう)、宮沢さんはその妻の実衣(みい)役で、視聴者からは『ぜんみい夫婦』と呼ばれストーリーの中の癒し夫婦として話題になりました。

お似合いだった夫婦役と、現実でもお互いにXでドラマの感想を送り合うなどの仲の良い関係を受けて、視聴者やファンなどが「実際に結婚してほしい」と願った結果、噂になってしまったようでした。

新納慎也さん
引用元:アメブロ X

そして、新納さんが可愛がっている”息子”と呼ばれているのが俳優の小越勇輝さんです。

2008年に『仮面ライダーキバ』で共演した際、14歳だった小越さんのお父さんが33歳で、新納さんと同い年ということがわかり「お父さん」と慕うようになったそうです。

勇輝は15歳。中学3年生。

なのにご両親は俺と同い年というショッキングな事実を持つお友達。

15歳の子をお友達と言ってしまう俺もどうかと思うけど、撮影時はお友達だと思って一緒にキャッキャ言って遊んでた・・。

ご両親と同い年と知ってからは俺は父親の気分・・

「宿題しろよ!」とか「恋しろよ!!」

とか言ってみたりしてる・・。

引用元:アメブロ

慕ってくれる若い友達に、「養子にするぞっ!!」とまで発言していました。

2014年には2年ぶりに会え、「20歳になったから、飲みに行こう!」とか誘われて、感慨深い・・・。と喜びをブログに綴っていました。

ことあるごとにお互いの舞台やライブなどを観劇し、感想を送り合い、新納さんは小越さんの稽古場に「勇輝がお世話になってますぅ」と差し入れを入れたりと親しい関係を続けています。

けん

新納さんは仲良くなったら、家族のように相手を大事にするんだね。

のぞみ

新野さんの友人には20歳以上年上の女性もいて、さらに各年代に親友がいて、とてもボーダーレスなんですって。
あまり年齢という概念が欠落しているみたいで、後輩であろうが、年下であろうが、その人のことが好き!って思ったら仲良くなる。それが上であろうが。男女も関係ないし、っていう感覚」とお話しされているわ。

新納慎也はおねえ疑惑がある?

新納慎也さんは、1999年から出演されていたミュージカル『ラ・カージュ・オ・フォール 』に2018年まで約20年間同じ役で出演され続けてきました。

舞台劇『Mr.レディ Mr.マダム』を基にしたコメディミュージカルで、新納さんの演じたシャンタルという役はラ・カージュというナイトクラブ(オカマバー)で働く踊り子役です。

20年間も同じ役をされてきた新納さんなので、役柄のイメージはかなりついてしまったのではないかと思われます。

さらに2016年舞台『BENT』でも厚化粧にドレス姿で女装のママ役を演じられました。第2次世界大戦直前のドイツを舞台に、セクシャルマイノリティ-の人々が受けた想像を絶する弾圧と、その中で育まれた究極の愛が描かれた作品です。

新納慎也さん
新納慎也さん
引用元:アメブロ アメブロ
引用元:アメブロ PARCO STAGE

この舞台の前に大河ドラマ『真田丸』で豊臣秀次を演じていた新納さんは、囲み取材で「どっちかというとこういう役の方が多いので、通常運行に戻っただけです」とお話しされて、主演の佐々木蔵之介さんから「振り幅がすごい」と驚かれていました。

けん

女装やオネエ役をするなら、やっぱり美しさは必要だよね。
新納さんの姿に説得力があったから疑惑になったんじゃないかな。

のぞみ

しかも歌と踊りができるスタイル抜群の新納さんに演技力が加わったら、役そのままを信じてしまいそうよね。

【画像】新納慎也は若い頃うたのおにいさん!

新納慎也さんは1997年(当時22歳)から約2年間、NHK‐BSの子ども番組『にこにこぷんがやってきた!』で“うたのおにいさん”を務めました。

全国のホールを巡回して生放送する形式で、歌やトークを通じて子どもたちと触れ合う番組でした。当初は事務所の勧めで受けたオーディションでしたが、寝坊して遅刻しながらも即興で「寒いね、最近は…」と語りかけ『北風小僧の寒太郎』を歌ったことが採用の決め手となったそうです。

子どもとの接し方や童謡の難しさに苦戦しつつも、現場経験を重ねる中で観客の前で表現する喜びを実感。この“うたのおにいさん”時代が、のちに俳優・ミュージカル俳優としての基礎を培う貴重な経験となりました。彼にとっては、表現者としての転機ともいえる期間でした。

10代(1985年〜1995年)

新納慎也さんが芸能界デビューしたきっかけは、高校1年生の5月ごろ。地元神戸でたまたま街を歩いていたところ『モデルになりませんか?』とスカウトされたことがきっかけでした。

中学生時代にハンドボール部だった新納さんは、当時神戸の公立中学校はどんな部活にもかかわらず男子は全員丸刈りという規則があったそうです。

高校生になり髪型は丸刈りの伸びかけで、「日焼けして真っ黒ないがぐり坊主だったのになぜ?」と思いながらも「バイト感覚でいいから」という誘い文句に乗せられて始めてしまったそうです。

新納慎也さん
引用元:大阪芸術大学

上の画像はファッションモデルを始めた頃のものです。髪が伸び、目鼻立ちがはっきりした綺麗な顔をされていますよね!きっと坊主頭でも目を惹いたのだと思います。

新納慎也さん
引用元:大阪芸術大学

新納さんは両親には内緒で、バイトのつもりでモデルの仕事をしながらも、ショーや雑誌、広告などのモデルとして売れっ子になってしまいました。学校の前にマネージャーが迎えに来るほどに忙しくなってしまったそうです。

この時のことを、「当時はもっとバンドもしたいし、ダンスもしたいし、恋もしたい。高校生なので、部活もしていてやりたいことがいっぱいあるのに、モデルの仕事にひっぱり回されているのは苦痛で、みんなと遊びたい!ってことのほうが優先されてましたね」とお話しされています。

上の画像はモデル時代のコンポジと呼ばれるプロフィール・宣材写真です。180cmの長身で顔が小さく、まさにモデル体型だったのですね。

ご両親から「大学には進みなさい」と言われ、高校卒業後進路に選んだのが大阪芸術大学の演技演出コースでした。

授業で演技・舞台の基本を学び、学園祭では自主的にミュージカルを上映して、自由な校風で表現したい意欲に溢れた学生たちが多かったそうです。

新納さんは、映画俳優の演技を勉強するつもりで入学したそうですが、学ぶのは演劇だと思い直したそうです。

「まわりの友人たちと舞台を観に行く機会が増えたら、どんどん心を奪われていきました。モデルの仕事より、一人の人生を演じているほうが、血がたぎるぐらい楽しかったです」

引用元:livedoor News

ところがこの当時、大学に4年間在籍することは売れ残りと思われていたそうで、「早くプロとしてスタートを切りたい。卒業まで待てない」と焦りがあったそうです。

なんとしてでも「東京に行かねばならぬ」と思い込み、東京の劇団に応募し合格、退学して即上京されました。

けん

そもそもモデルをされていた新納さんが演技に興味を持ったきっかけって何かあるのかな?

のぞみ

あるコレクションでモデルとしてトップバッターを勤めた時に、洋服、音楽、証明を考慮して自分で考えたポーズが演出家に否定されたことがきっかけだったそうよ。
今ならその意図もすごく良くわかるけど、自分は溢れ出る表現をしたいと気づいてしまったみたい。
もっと自由に動いて自由に表現したい!」と役者の道を進むことにしたんですって。

20代(1995年〜2005年)

1995年(当時20歳)大学を中退して上京した当時は、それがステータスだと感じていたそうですが、かなり苦労したそうです。

なんと、入団した劇団のレッスンがどうしても納得いかず指導者と大喧嘩してしまいました。

新納さんは、「こんなことやっているより、公園で人間ウォッチングやってるほうがよっぽど芝居の勉強になりますわ!と言って辞めました」と上京後3週間で劇団を離れたとお話しされています。

引用元:Instagram

上の画像は20歳の時のものです。「大学も辞めて、3週間で劇団も辞めてどないしよう」と不安に思っていたそうです。

引用元:X

1997年(当時22歳)から2年間、新納さんはNHKーBSの子ども番組『にこにこぷんがやってきた!』でうたのおにいさんとして出演されました。

全国のホールを回って、お子さんの前で実際にやったものを中継している番組でした。当時は演劇やミュージカルで役をもらうためにチャンスが欲しくて、「まず、うたのおにいさんという経歴を通過しよう」と当時所属していた事務所の意向でオーディションを受けたそうです。

この頃について新納さんは、「子どもにどう話し掛ければいいかわからなかったし、童謡を歌う難しさもありましたし。子どもを呼び捨てにして怒られたこともあります」と懐かしそうにお話しされています。

上の画像はうたのおにいさんの時のものです。オーディションでは寝坊して大遅刻するというアクシデントがあったそうです。

「フリートークをおねえさんとしてから1曲歌ってくださいってオーディションで、やけくそになってたんで“寒いね、最近は。おにいさんは寒くて布団から出られなかったよ。『北風小僧の寒太郎』”って歌いだしたんですけど、それで受かったんです」

引用元:スポニチアネックス
引用元:Instagram X

1999年(当時24歳)からは本格的に舞台やミュージカルの俳優として活動をしていきます。特にこの年から出演し続けたミュージカル『ラ・カージュ・オ・フォール 』はその後20年間同じ役を演じ続けました。

2000年(当時25歳)ミュージカル『エリザベート』で初代トートダンサー(黒天使)として出演されます。世界各地で上演されドイツ語ミュージカルとして史上最大のヒット作となったものでした。

1996年から宝塚歌劇団が上演を行なってきましたが、宝塚版とウイーン版の折衷版として2000年に東宝版が初演されました。

上の画像は2000年の『エリザベート』初演のものです。画像の通り、当時はNÎRO(ニイロ)名義で活動されていましたが、2003年12月から芸名を改め、本名である新納慎也で活動を開始しました。

けん

モデルからスタートして、うたのおにいさんを経てとうとうミュージカル俳優になったんだね!

のぞみ

この頃はまだ主役級までは行けていないけれど、エリザベートのトートダンサー役(黄泉の帝王トートの分身)では、圧倒的な人気を集めたそうよ。
今ではミュージカルの枠を超えたその個性的な存在感から「ミュージカル界の異端児」とまで呼ばれているのよ。

30代(2005年〜2015年)

2007年(当時32歳)新納さんの人生で、大きな転機となる脚本家三谷幸喜さんとの出会いがありました。

当時、演劇界にはこんな都市伝説があったという。

「三谷さんは劇場で観て自分がいいと思った役者を使うという都市伝説があって、『今日は三谷幸喜が来てるらしいよ』と噂が広まると、みんな浮き足立つんです。でも誰の楽屋にも現われなくて肩を落とすという(笑)。

引用元:livedoor News

新納さんはある日、劇場の楽屋で三谷さんに突然訪問され、「こんにちは、三谷幸喜です」「新納さん、僕と一緒に芝居をしませんか」と声をかけられ即座に「ぜひお願いします!」と答えられました。

本当だった!都市伝説!」と思われたそうです。

新納慎也さん
引用元:X アメブロ

翌日には事務所に三谷さん脚本の舞台『恐れを知らぬ川上音二郎一座』のオファーが届き、のちのNHK大河ドラマ『真田丸』(2016年)への出演につながっていきます。

上の画像は2008年(当時33歳)『仮面ライダーキバ』の時のものです。戦闘時の決め台詞は「絶滅せよ」と言い、仮面ライダーキバの敵で、キングという名の変身するとダークキバになる役でした。

あの濃いキングを演じたのは新納さんですよね?濃かった!いや~濃かった!」と未だに言われるほど、視聴者の記憶に残る役だったそうです。

新納慎也さん
新納慎也さん
引用元:アメブロ アメブロ

2009年11月(当時34歳)新納さんは三谷幸喜さん演出、香取慎吾さん主演のミュージカル『TALK LIKE SINGING』に香取さんの親友役で出演し、念願のオフブロードウェイデビューを果たしました。

ブロードウェイはニューヨーク市マンハッタンにあるブロードウェイ周辺の劇場をさし、オフブロードウェイは、ブロードウェイに対して比較的小さな劇場で上映されるプロの演劇を指します。

この作品は英語と日本語を織り交ぜたミュージカル・コメディで、言葉の超越を目指した三谷幸喜さんの意欲作でした。

上の画像はニューヨーク滞在時のものです。プレビュー公演を含み13回の公演と、本場のミュージカルをいくつも観劇して、現地在住の友人たちと会い、山のように買い物をして、プライベートもとても楽しんで過ごされているのがよくわかりますよね。

けん

新納さんは、仕事が続けてもらえていた30歳の頃に、「絶対に人前に立ちたくない」と半年ほど休養を申し出たことがあったんだって?

のぞみ

お芝居のために感情を動かし続けて、心が磨耗して精神をすり減らしていったせいで、何も感じなくなってしまったんですって。
そんな精神状態に危機感を抱いて、仕事を空けてもらったんだけど、2ヶ月ほどでお金がなくなり仕事を再開したそうよ。
でも、その2ヶ月がいい充電期間になって、「やるしかない」と前向きになれたんですって。

40代以上(2015年〜)

新納さんは、俳優として活動と並行して音楽ライブ『NIROCK!』も開催されており、2015年(当時40歳)音楽活動10周年を記念してCDアルバムをリリースしました。

1年に1曲ずつ書き下ろされてきた楽曲が10曲になる、10年目にして初のオリジナルアルバム発売となったそうです。

10年の間に『NIROCK!』のサポートをしてきたバンド10人が全員参加し、『NIROCK!』を愛した全ての人が支え創りあげた渾身のアルバムになりました。

新納慎也さん
引用元:VICTOR ENTERTAINMENT

上の画像はアルバムのジャケット写真です。新納さんは全曲の中で全ての作詞と5曲の作曲を手掛けました。11月26日のイイニイロの日に発売され、ファンも大喜びしたそうです。

新納慎也さん
引用元:SPICE

新納さんは2021年(当時46歳)高橋惠子さん主演のミュージカル『HOPE』で演出家デビューを果たします。俳優として仕事に専念しながらも、学生時代に学んでいた「いつかは演出を・・・」と考えていたそうです。

過去にも何度かお話はあったそうですが実現されず、今回とうとう夢のひとつが叶うことになったとお話しされています。

韓国で初演され国内外で高い評価を得た実話を基にしたミュージカル作品で、新納さんは演出・上演台本・訳詞の3役を務めました。

上の画像は『HOPE』初演の時のものです。この時期はコロナ禍も相まって、「不要普及」という言葉がよく聞かれる頃でした。色々なものの存在意義が問われ、新納さんも俳優として無力を感じていたそうです。

この作品のに出会い、舞台を演出することで再発見があり、やはり人間は心を動かすことを自粛してはいけないと強く感じられたそうです。

けん

演出家も経験して、「演出と俳優どちらが好きですか?」と何度も聞かれたとお話しされていたけど、どっちなんだろう?

のぞみ

また演出はやりたいそうよ。でも「俳優をやめて演出家だけになることは、今のところないと思います」と答えているわ。むしろ俳優として多くのことを学べたそうよ。

新納慎也のプロフィール・SNS

  • 名前:新納慎也(にいろしんや)
  • 生年月日:1975年4月21日
  • 年齢:50歳(2025年10月現在)
  • 出身地:兵庫県
  • 血液型:A型
  • 趣味:運転・サーフィン・ドラマ鑑賞(国内・海外)
  • 特技:歌・ダンス・ハンドボール
  • 所属事務所:ワタナベエンターテイメント
新納慎也さん
引用元:ザテレビジョン

SNS

けん

新納さんは島津氏の家臣だった新納忠元の末裔なんだって!!

引用元:X
のぞみ

新納忠元は小柄ながら豪胆な人物で、島津忠良から「看経所にその名を録し島津氏に無くてはならない四人の一人として残そう」とまで評された人物なのだそうよ。

新納慎也の結婚・息子・若い頃まとめ

  • 2025年5月時点で新納慎也は結婚しておらず、離婚歴や子供の存在も確認されていない
  • 息子がいるという噂は、後輩俳優の小越勇輝を「息子のように可愛がっている」ことが発端である
  • 小越勇輝とは2008年『仮面ライダーキバ』で共演し、父親のように接しているエピソードをブログでも語っている
  • 宮沢エマとは『鎌倉殿の13人』で夫婦役を演じたことから交際の噂が出たが、実際の関係は確認されていない
  • 舞台での共演やSNSでのやり取りが仲の良さとして話題になった
  • 新納慎也はミュージカル『ラ・カージュ・オ・フォール』で20年間同じ女装役を演じ続け、おねえ疑惑が広まった
  • また舞台『BENT』でも女装のママ役を演じ、ジェンダーを超えた演技力が高く評価されている
  • 真田丸出演時の取材で「こういう役の方が多い」と語り、柔軟な表現者としての姿勢を見せている
  • 1997年にはNHK‐BSの『にこにこぷんがやってきた!』で“うたのおにいさん”を担当していた
  • 寝坊して遅刻したオーディションで即興の童謡を披露し、合格したというエピソードがある
  • 高校時代に神戸でスカウトされモデルとして活動を開始し、大学では演技を学んだ
  • 大阪芸術大学在学中に演劇に魅了され、退学して上京後は俳優として活動を本格化させた
  • 1999年からミュージカル『ラ・カージュ・オ・フォール』に出演し、2000年『エリザベート』では初代トートダンサーを務めた
  • 2007年に脚本家三谷幸喜に見出され、『恐れを知らぬ川上音二郎一座』や『真田丸』などに出演した
  • 2009年には『TALK LIKE SINGING』でオフブロードウェイデビューを果たしている
  • 2015年には音楽活動10周年を迎え、自作曲を含むアルバムをリリースした
  • 2021年にはミュージカル『HOPE』で演出家デビューし、演出・上演台本・訳詞を担当した
  • 俳優としての活動を続けつつ、音楽や演出にも挑戦し多彩な表現力を発揮している
  • 新納慎也は演技・音楽・演出の三分野で才能を発揮し、柔軟な表現者として第一線で活躍を続けている
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