1980年代にチェッカーズのボーカルとして一世を風靡し、その後もソロで名曲を生み続ける藤井フミヤさん。家族については、長男の藤井弘輝さんがフジテレビのアナウンサーとして情報・バラエティ番組で活躍中で、2020年に同局アナと結婚、私生活も順調です。娘の杏奈さんもおり、公私ともにあたたかな家庭を築いています。
妻とは高校1年で出会い、上京を機に遠距離恋愛を乗り越えて1990年に久留米・水天宮で挙式。雪のホームで“東京行き”のブルートレインを見送りながら音楽の道を決めたという原点エピソードは、彼の人生の芯を物語ります。
国鉄勤務からバンド結成、84年の大ブレイク、そしてソロで「TRUE LOVE」へ──若い頃から現在まで、歌とアートで時代を彩ってきた“フミヤの軌跡”と、支え合う家族の今をこの記事でコンパクトに整理します。
この記事でわかること
- 長男・藤井弘輝さんの現在(フジテレビアナ)と結婚情報
- 家族構成(妻・長女)と親子エピソードの要点
- 妻との馴れ初め(高校時代→遠距離→1990年・水天宮挙式)
- 若い頃の歩み(国鉄→チェッカーズ結成→84年ブレイク)
- ソロ以降の代表トピック(「TRUE LOVE」ほかアート活動)
【画像】藤井フミヤの息子はなにしてる?奥さんとの馴れ初めは?
藤井フミヤの息子はなにしてる?
引用元:サンスポ
音楽やアートの分野で多彩な才能を発揮する藤井フミヤさん。実はその息子さんも、メディアの世界で注目を集めています。藤井フミヤさんの長男・藤井弘輝(ふじい ひろき)さん(33)は、現在フジテレビアナウンサーです(上画像)。慶應義塾大学を卒業後、2016年に同局へ入社しました(上画像)。
入社当初から情報番組やバラエティで活躍し、現在も幅広いジャンルで出演を続けています。穏やかで爽やかな語り口と、どこか父・フミヤさんを思わせる柔らかな表情が話題になることも。
また、フミヤさんと弘輝さんは過去に親子共演を果たしたこともあり、仲の良さが垣間見えるエピソードにファンもほっこりしています。藤井フミヤさんの表現力と情熱は、次世代へとしっかり受け継がれているようです。今後も親子それぞれの活躍に目が離せませんね!

長男の弘輝さんの他にお子さんは?弘輝さんは結婚してるのかな?

弘輝さんの妹の杏奈さんがいらっしゃるわ。弘輝さんは2020年に同局アナと結婚してるわよ!
藤井フミヤの奥さんとの馴れ初めは?
引用元:スポニチ
1990年6月29日、藤井フミヤさんは長年交際していた一般女性と地元・福岡県久留米市の「水天宮」で挙式、福岡と東京で披露宴を開催しました。
お相手は、高校1年生のときに出会った女性です。学校は別々でしたが、共通の友人を通じて知り合い、交際に発展したそう。ところが、付き合い始めてすぐに彼女は進学のために東京へ上京し、“遠距離恋愛”がスタートします。
当時、フミヤさんは国鉄職員として働いていましたが、ある雪の日に「東京行き」と書かれたブルートレインを見送ったとき、「彼女に会いたい」「このままでいいのか」と人生を見つめ直し、東京で音楽の道に進む決意を固めたそうです。
その後チェッカーズとして音楽活動で成功を収めた藤井さんは、プライベートでは変わらぬ愛を育み、27歳で結婚します。現在まで夫婦仲はとても良好で、テレビ番組では「手をつなぐのは普通のこと」と自然体で語る姿が印象的でした。
35年以上たった今も、変わらぬ愛情と信頼で結ばれているお二人は芸能界屈指の“純愛夫婦”として、今も多くのファンに愛され続けています。

藤井さんは奥様のどんなところが好きとか言ってるのかな?

「明るいとこ」なんですって。どんな時でも明るく“大丈夫、大丈夫”って全部プラス思考なところが好きって惚気ているわ!
【画像】藤井フミヤは若い頃イケメン!
10代・20代(1972年~1992年)
藤井フミヤさんは1962年、福岡県久留米市に生まれました。高校卒業後、父親をはじめ身近に国鉄職員が多かった影響で、自身も18歳で国鉄に就職します。佐賀県の鳥栖駅や長崎県の早岐駅で、貨車の連結や客車の取り扱いなど、現場で汗を流す日々を送っていました。
当時はバンド活動をしていても「音楽で食べていけるとは思わなかった」と振り返っていますが、ある日、雪のホームから見送った東京行きのブルートレインを見て、「東京に行きたい」と強く感じ、上京を決意したそうです。
1981年8月、藤井さん(当時19)は地元の仲間とともに結成したバンド「THE CHECKERS」として、ヤマハ主催のライト・ミュージック・コンテスト九州大会に出場し、ジュニア部門でグランプリを受賞します。その勢いのまま全国大会でも最優秀賞を獲得しました。すぐに音楽業界からスカウトがありプロデビューのために上京することになります。
1983年9月21日、藤井フミヤさん(当時21)含む7名はチェッカーズとして『ギザギザハートの子守唄』(上YouTube)でプロデビューします。しかしデビュー曲は期待されたほどのヒットには至りませんでした。
1984年、チェッカーズは一気に大ブレイクを果たします。当時22歳だった彼らは、1月に発売した2ndシングル『涙のリクエスト』が大ヒット。さらに5月には3rdシングル『哀しくてジェラシー』をリリースし、続けて7月には『星屑のステージ』を発表しました。
この3曲はいずれもヒットチャートを席巻し、同時期にオリコン週間ランキングや音楽番組のベスト10へランクインする快挙を達成。年間ランキングにもすべて名を連ね、その人気は音楽だけにとどまらず、ファッションや髪型にまで波及し、若者の憧れの象徴となりました。まさに社会現象と呼べるムーブメントを巻き起こしたのです。
さらに1984年末には『第35回NHK紅白歌合戦』に初出場。以降、解散する1992年まで9年連続で紅白の舞台に立ち続けました。藤井フミヤさんの魅力あふれる歌声と、メンバーとの息の合ったパフォーマンスは、今なお多くの人々の心に刻まれています。
引用元:ぴあ音楽
1984年の大ブレイクを経て、藤井フミヤさんのチェッカーズは1985年以降、さらなる進化を遂げていきます。ヒットメーカーとして確固たる地位を築きながら、音楽性の面でも変化と挑戦を続けました。
1985年には『あの娘とスキャンダル』『神様ヘルプ!』などのヒット曲を連発し、1986年には『NANA』『Song for U.S.A.』などでバンドとしての完成度をさらに高めます。この頃から、藤井フミヤさんや弟・尚之さんを中心に、メンバー自らが作詞・作曲を手がけるようになり、より「アーティスト志向」へと舵を切っていきました。
1987年の『WANDERER』、1988年の『Blue Rain』、1989年の『Room』などのアルバムでは、ロックやR&B、バラードなど幅広いジャンルに挑戦しています。チェッカーズは「アイドルバンド」という枠を超え、音楽的評価も高まっていきました。
1990年代に入っても『ミセスマーメイド』『Present for You』『夜明けのブレス』などの名曲を世に送り出し、第一線での人気をキープし続けましたが、1992年10月9日テレビ朝日「ミュージックステーション」内で正式に解散を発表し、第43回紅白歌合戦を最後に解散しました(上画像/当時29)。
約9年間にわたりトップを走り続けたチェッカーズは、多くのファンに惜しまれつつ、その幕を閉じました。

チェッカーズ解散の理由は何だったのかな?

チェッカーズは「メンバーそれぞれの個性を伸ばしていこうというバンドだったので、道が変わってきた」そうよ。20代を全力で駆け抜けて、それぞれ家庭を持って人生の新しい道を選んだのだと思うわ!
30代(1992年~2002年)
1992年末にチェッカーズを解散した後、翌1993年(当時30)、「藤井郁弥」から「藤井フミヤ」と改名し、ソロ活動を開始しました。ロサンゼルス在住の屋敷豪太さんの誘いを受け渡米し、同じくロス在住だった鈴木賢司さんに楽器選びを頼みました。
そこで出会ったギブソン「B‑25」というアコースティックギターを手にし、このギターで初めて作曲した楽曲があの名曲『TRUE LOVE』でした(上YouTube)。
藤井さん自身は「これまで作曲をしたことがなかった」と語っており、ソロとして独り立ちするなかで「作曲も覚えなければ」という強い思いがあったといいます。ギターもそこそこ程度、「知っているコードだけで作ったんです。難しいコードは使っていなくて、Fコードさえ押さえれば歌えた」と制作時の率直な心境を明かしています
『TRUE LOVE』は、1993年に放送されたフジテレビ系ドラマ『あすなろ白書』の主題歌に起用され、ドラマの人気とともに爆発的なヒットを記録しました。ダブルミリオンセラーを突破し、藤井フミヤさんのソロデビューを象徴する代表曲となりました。
この曲には、藤井さんの「歌で勝負する覚悟」が詰まっており、シンプルながらも心に響くメロディと、切ない歌詞が世代を超えて愛されています。
引用元:The Obsession Gallery
1993年、ソロアーティストとして新たな音楽活動をスタートさせた藤井フミヤさん。実はその裏で、もうひとつの表現世界「FUMIYART(フミヤート)」としての活動も始まっていました。
パソコンによるCGアート制作という、当時はまだ珍しかった手法をいち早く取り入れ、独自の感性でデジタルアートに挑戦します。音楽とはまた異なる緻密で幻想的なビジュアル表現で、国内外から高く評価されました。
1993年には初の個展『FUMIYART ~TAKE A BREAK~』を東京・渋谷パルコを皮切りに全国9都市で巡回開催します。「未来の宗教画」をテーマに、斬新なCG作品を発表して注目を集めました(当時31)。
1995年には初の海外展『FUMIYART 2 in New York』をソーホーで開催します。宇宙や建築構造をモチーフにした作品群は、アートの本場でも高い評価を受けました(当時33)。
さらに1997年には(当時35)、パリ・マレ地区での個展『FUMIYART 3 in Paris』を実現します。テーマは大胆にも「DIGITAL MASTURBATION」。その斬新な発想と表現力は、国際的なアートシーンにも強烈な印象を残しました。
デジタルとアナログ、技術と感性を自在に融合させるFUMIYARTの世界は、まさに藤井フミヤさんの「表現の第二章」です。音楽にとどまらないその多才ぶりと飽くなき探究心が、新たな芸術領域を切り拓いた貴重な時代だったといえるでしょう。
上の画像は2002年の作品で「楽園追放 妖精の崩壊」というタイトルのFUMIYARTです。
引用元:amazon
音楽・アート・デザインと多彩な表現を続ける藤井フミヤさん。1998年の長野オリンピックでは、開幕500日前から401日前までの「カウントダウンTシャツ」全100枚のデザイン(上画像)を担当しました(当時36)。
このTシャツは、毎日違うデザインが1日限定で販売されるという前代未聞のプロジェクトで、季節の移ろいや日本文化、オリンピック精神を融合させたビジュアルは、“視覚的なカウントダウン”として注目を集め、ファンの間ではコレクション対象にもなりました。
藤井さんにとってこの企画は、「アートで心を動かす」という信念が色濃く表れた、まさにクリエイターとしての原点ともいえる取り組みでした。
生まれ育った福岡県久留米市への想いも深く、2000年には母校・久留米南筑高校の制服デザイン、福岡放送のロゴマーク制作、地元球団・福岡ソフトバンクホークスの応援歌「勝利の空へ」の作曲も手がけています(当時38)。

藤井さんは地元福岡ソフトバンクのファンなのかな?

そのとおり!試合前にはPayPayドームを訪れて「勝利の空へ」を生歌唱することもあるそうよ!羨ましいわね!
40代(2002年~2012年)
引用元:愛 地球博
2005年藤井フミヤさん(当時43)は「愛・地球博(愛知万博)」で名古屋市パビリオン『大地の塔』(上画像)の総合プロデュースを務めました。塔内部には世界最大級の万華鏡を設置し、ギネスブックにも認定されるという快挙を成し遂げました。
藤井フミヤさんは、音楽だけにとどまらず、視覚芸術という新たなフィールドでも独自の世界を築くマルチアーティストとしてその探究心と創造力は、今もなお進化し続けています。
同年には、福岡・久留米市が周辺4町との合併によって「新久留米市」として誕生したのを機に、市民の親睦と誇りを育むための新しい市歌「ふるさとのささやき〜新久留米市の歌〜」を藤井さんが作曲しました。この市歌は、合併による新たな市の出発を象徴する一曲として、結婚式や卒業式、各種公的行事などで歌われています。
2007年藤井フミヤさん(当時45)は、日本の伝統と精神文化に深く関わる特別なプロジェクトにも携わりました。それが、第62回神宮式年遷宮(伊勢神宮の20年に一度の大祭)に向けた奉賛曲『鎮守の里』の作詞・作曲です(上YouTube)。
藤井さんはこの曲を作るため伊勢市に3日間滞在し、五十鈴川のほとり、宇治橋のそばの河原で自然と向き合いながら、静かにメロディを紡ぎ出したといいます。その場の“気”や自然のリズム、神宮の歴史的な重みが曲の中に込められています。
『鎮守の里』というタイトルには、神社や自然に囲まれた日本の“心のふるさと”への敬意と慈しみが込められています。和の情景と、静謐であたたかいメロディが融合したこの楽曲は、まさに“神宮に捧げる歌”にふさわしい、心を鎮めるような一曲です。
藤井フミヤさんはこの曲について、「人間の心の拠り所になるような存在に、音楽として寄り添いたい」という想いを語っており、伝統と現代の感性が見事に調和した作品として、多くの人々の心に静かに響いてきます。

藤井さんは日本文化が好きなんだね?

生まれ育った日本への強い愛情や世界平和を希求する思いを楽曲やパフォーマンスに込めることが多いわね。素敵だわ!
50代以上(2012年~)
2013年7月にリリースされた『青春』(上YouTube)は、これまでの藤井フミヤさんの歩みと、これからの決意を象徴するような一曲です(当時51)。タイトルの通り「青春」というキーワードを通して、過去の輝きや懐かしさ、そしてこれからも走り続けるという想いが込められた、瑞々しくもエモーショナルなナンバーになりました。
『青春』のリリースを皮切りに、藤井フミヤさんは2013年から2014年にかけて、全国規模のアニバーサリーツアーを実施します。ツアータイトルには明確に「チェッカーズ30周年」「ソロデビュー20周年」といった節目を打ち出し、往年の名曲から最新の楽曲まで、キャリアを総括するような贅沢なセットリストで構成されました。
ステージでは、チェッカーズ時代のファンも、ソロになってからのフミヤファンも一体となり、まさに“青春をもう一度体感する”ような空間が広がっていたと評されます。
また、当時のライブ演出には藤井さんのアート的な感性も存分に生かされ、映像・照明・音楽が融合したステージは、単なるコンサートを超えた「藤井フミヤの世界」を体現したショーとなっていました。
引用元:ナタリー
2023年9月、藤井フミヤさん(当時61)がついにデビュー40周年を迎えました。その節目を祝う大規模なライブツアー『FUMIYA FUJII 40th Anniversary Tour 2023-2024』が、同年9月23日の愛知県芸術劇場を皮切りにスタートします。
このツアーは全国47都道府県を巡る形で行われ、なんと60公演を開催し、まさに“ファンの元へフミヤが会いに行く”というコンセプト通り、日本全国が40周年の祝祭ムードに包まれました。
そして2024年6月9日、ツアーのグランドフィナーレとして東京・日本武道館で『40th Anniversary FINAL in 日本武道館』が開催されました(上画像)。キャリアの集大成とも言える圧巻のステージに、長年のファンはもちろん、新たにフミヤワールドに魅了された観客までもが感動に包まれました。

40周年、60代で全国ツアーをやれるとは凄いね!

日本武道館では2時間半歌いっぱなしで最後は燃え尽きたそうよ。それでも「また一緒に遊ぼうぜ!」で締めくくったんですって。次は50周年かしらね!?
藤井フミヤのプロフィール・SNS
引用元:FUMIYA FUJII Official Web
プロフィール
- 名前:藤井フミヤ(ふじい ふみや)
- 本名: 藤井郁弥
- 生年月日:1962年7月11日
- 年齢:63歳(2025年8月現在)
- 出身地:福岡県
- 血液型:A型
- 趣味:読書、鉄道、ファッション
- 特技:料理、作詞作曲、デザイン
- 所属事務所:株式会社FFM
SNS
- X(旧Twitter) URL:https://x.com/ff238_official
昨日ご来場くださった皆様方、本当にありがとうございました‼️🙇♀️
— GOTA (@gotayashiki) July 24, 2025
おかげさまでとても素敵なステージになりました。
演者の皆様も素晴らしいパフォーマンスで本当に感謝です!
そして何よりそれを支えてくれるスタッフの皆さんにお礼を申し上げます。
今日も精一杯頑張ります!#ちどりやロックス2025 pic.twitter.com/uHE3TPuHvb
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料理が趣味だなんて少し意外だね。

藤井さんは「料理男子」の先駆けよ!一時は調理師を目指そうと思ったこともあったそうよ。お料理が好きな男性って憧れるわ!