大塚寧々さんの現在の夫は俳優の田辺誠一さんです。1994年の日産CMでの共演をきっかけに友情を育み、前夫との離婚後に交際へ、2002年に再婚しました。
息子は前夫・三代目・魚武濱田成夫さんとのお子さんで、本名田邊成虎さん。芸名SHIGETORAとして俳優活動中で、2022年に劇団「鹿殺し」合格→2023年に舞台デビューと着実に実績を積んでいます。
若い頃の大塚さんは写真学科出身のモデル起点で女優へ転身し、『いつかまた逢える』で助演女優賞を受賞、清楚さと芯の強さを併せ持つ“かわいい”存在感で90年代を代表する女優の一人に。
現在は太極拳や山の家での畑づくりなど、心身を整える暮らしを大切にしながら女優業を続けています。本記事では再婚の経緯、息子さんの現在、そして若い頃から今に至るまでの歩みを画像とともにわかりやすく解説します。
この記事でわかること
- 大塚寧々さんと田辺誠一さんの出会い〜2002年再婚までの流れ
- 息子・田邊成虎(SHIGETORA)さんのプロフィールと現在の出演実績
- 大塚寧々さんの若い頃の経歴(モデル起点〜女優転身・主な受賞)
- 話題になったCM・ドラマ・映画など代表作と見どころ
- 近年のライフスタイル(太極拳・山の家での畑)と美容・健康習慣
【画像】大塚寧々と再婚した旦那はだれ?息子の現在は?
再婚した旦那はだれ?
引用元:スポニチ
引用元:読売新聞
大塚寧々さんの現在の夫は、俳優の田辺誠一さんです。
おふたりの出会いは1994年(当時26歳)、日産のCMでの共演がきっかけでした。当時から爽やかで柔らかい雰囲気の田辺さんと、自然体で飾らない大塚さんは現場でも気が合い、撮影後も友人として交流が続いていたそうです。
すぐに恋愛関係に発展したわけではなく、しばらくは“なんでも話せる仲間”のような距離感で、お互いに信頼を育んでいきました。
その後、2002年(当時34歳)に大塚さんの離婚が成立。しばらくしてから田辺誠一さんとの交際が始まりました。すでに大塚さんには前の夫との間に息子さんがいましたが、田辺誠一さんはそれを自然に受け入れ、まるで家族のように寄り添ってくれたといいます。
大塚さんは後のインタビューで、「誠実で穏やかな人柄に惹かれた」と語っており、特に印象的だったのは、息子さんが体調を崩して入院したときのこと。田辺誠一さんは仕事の合間を縫って病院に通い、献身的に看病してくれたそうで、その優しさに「この人となら安心して一緒にいられる」と感じたといいます。
やがて二人は2002年に結婚。結婚後も公私ともに支え合い、芸能界きってのおしどり夫婦として知られるようになりました。家庭では互いの仕事を尊重しながらも、時間を見つけて一緒に過ごすことを大切にしているそうです。
田辺誠一さんがSNSで見せる独特のイラストや温かみのある投稿にも、大塚さんの影響が感じられるとファンの間でも話題になっています。
そして2023年(当時45歳)には、「いい夫婦 パートナー・オブ・ザ・イヤー」に選出。お互いを尊重し合い、信頼と愛情に満ちた関係を築いてきたお二人の姿は、多くの人々にとって理想の夫婦像として支持されています。
ギモンくん大塚寧々さんは、夫婦円満のコツは何だったのかな?
カイケツさんそれは、夫でもあり、友達でもあり、時には親子のような関係を築くという理由から、年を重ねても小さなことで笑って過ごせるような日常を作ることだと常に思っているみたいよ!
息子の現在は?
引用元:ザ・テレビジョン
引用元:株式会社enchante
大塚寧々さんの息子さんは、芸名「SHIGETORA(しげとら)」として俳優活動をされています。
本名は田邊成虎(たなべ しげとら)さん。大塚寧々さんと、詩人・パフォーマーとして知られる三代目・魚武濱田成夫(ぎょぶ はまだ しげお)さんとの間に誕生したお子さんで、2025年3月時点で26歳を迎えています。
幼少期から表現することが好きで、映画や演劇など芸術全般に強い関心を持っていた成虎さん。母である大塚寧々さんが俳優として多忙な中でも、家庭では「好きなことを見つけて打ち込むことの大切さ」を大切に伝えていたそうです。
その影響もあってか、成虎さんは学生時代から映画鑑賞を趣味とし、なんと年間300本以上の作品を観るほどの“映画通”。ジャンルを問わず名作から最新作まで幅広く研究しており、俳優としての表現力を磨く糧にしているといいます。
本格的に俳優を志したのは20代に入ってから。2022年には、個性派俳優を多く輩出している劇団「鹿殺し」のオーディションに挑戦し、見事合格を果たしました。劇団の厳しいレッスンを経て、翌2023年には舞台『ダリとガラ』で俳優デビュー。初舞台ながらも堂々とした演技で注目を集め、観客からも「独特の存在感がある」と高い評価を受けました。
成虎さんは、母・大塚寧々さんの柔らかい雰囲気と、父・魚武濱田成夫さんのアーティスティックな感性を受け継いでおり、芸術家としての血筋を感じさせる俳優です。今後は舞台のみならず、映画やドラマなど活動の幅を広げ、次世代を担う個性派俳優としての活躍が期待されています。
ギモンくん子供の頃の成虎さんはどんな子だったのかな?
カイケツさんそれは、寧々さんが旅行好きということもあって、キャンプやスキー・シュノーケリングと色々なことが得意になったみたいよ!
【画像】大塚寧々は若い頃かわいい!
10代・20代(1978年~1998年)

大塚寧々さんは、東京都出身で1人っ子でした。両親は関西人ですが、子供の頃からお正月の雑煮は関東風だったそうです。子どもの頃は節分の日が、本気で嫌だったそうで、父親が変装した鬼が本気で怖すぎて、大泣きしていたそうです。可愛らしいエピソードですね!
中学から高校時代はフィギュアスケート部に所属していましたが、高校を卒業後、日本大学芸術学部写真学科に入学してからは、ひたすら写真を撮る日々を送り写真家になる事を真剣に考えていました。
ですが、1988年(当時20歳)に「週刊朝日」の女子大生シリーズで表紙を飾り、モデルデビューとなりました。上の画像は「週刊朝日」の表紙を飾った時のものです。モデルとして初めての撮影でしたが、大人っぽく素敵な表紙です。
ギモンくん大塚寧々さんは、どうして写真学科を選んだのかな?
カイケツさんそれは、父親がカメラ好きで、当時家に古いカメラがたくさんあったみたいよ!

大塚寧々さんは、1992年(当時24歳)の時に、ドラマ「君のためにできること」で女優デビューを果たし、その後、1993年(当時25歳)初の連続ドラマ「スキャンダル」に出演し、難しい役柄を見事に演じ話題となりました。上の画像はその時のもので、25歳で初の連続ドラマ出演となりました。
翌年(当時26歳)には、欽ちゃんのシネマジャックが公開され、その1編の映画「やさしい嵐」に出演し映画デビューもしております。

大塚寧々さんは、1995年(当時27歳)の時に、フジテレビ系毎週月曜日の21:00~の「月9」枠で放送されていた
ドラマ「いつかまた逢える」に出演しました。上の画像はその時のもので、大人気だった「東京ラブストーリー」と酷似していると当時は話題になりました。
主演・福山雅治さんをはじめ、お笑い芸人の今田耕司さんも出演して話題となりました。同じ故の男女5人が東京で再開をした事をきっかけに、すれ違いの恋が切ないラブ・ストーリーです。
この時大塚寧々さんは、このドラマで第6回ザテレビジョンドラマアカデミー賞・助演女優賞を受賞しました。

大塚寧々さんは、1996年(当時28歳)の時に、靴メーカー「ホーキンス」の広告でのセミヌードが話題になりました。このポスターの手ブラのポーズがグラビア界で話題となり、影響を与えたといわれています。
この時大塚寧々さんは、オファーをもらって「やってみたい!」と、挑戦されたそうです。当時清楚なイメージがあった寧々さんは、新たなイメージに挑戦してみたかったのかもしれませんね。上の画像は
上の画像はその時のホーキンスのポスターです。清楚なイメージからは一転、スタイル抜群でかっこ良い大人の女性です。
ギモンくん大塚寧々さんは、どうしてモデルとしてデビューだったのかな?
カイケツさんそれは、寧々さんのお母さんが応募して、当時から可愛かったみたいよ!
30代(1998年~2008年)
引用元:Amazon music
大塚寧々さんは、1998年(当時30歳)の時に、詩人・音楽家の三代目・魚武濱田成夫さんと結婚しました。お2人は男児を授かりましたが、2001年に離婚しました。
その後、2002年(当時34歳)には俳優の田辺誠一さんと再婚をしました。
この時大塚寧々さんは、再婚した田辺さんについて「誠実な人柄に惹かれた」とお話しされており、離婚したのち急速に距離が縮まったことが確認できます。
上の画像は三代目・魚武濱田成夫さんが1998年にアルバムを出されたの時のものです。
引用元:株式会社ワコー
大塚寧々さんは、2002年(当時34歳)の時に、映画「笑う蛙」に出演をしました。
元銀行マンが会社の金を横領し、指名手配され逃げた別荘で妻と再会するという。寧々さんは長塚京三さん演じる倉沢逸平の妻役を演じました。
この時大塚寧々さんは、映画のタイトルの提案者であり「お箸の袋に書いて出したのに、決まると思わなかった」と話されており、チームワークの良さが確認できます。
上の画像は2002年・34歳・映画「笑う蛙」の時のものです。難しい役柄に挑戦した作品でした。
ギモンくん大塚寧々さんは、どうして三代目魚武濱田成夫さんと結婚したのかな?
カイケツさんそれは、寧々さんが「この人の子供を産みたい」という理由から、かなり惚れ込んでいたみたい。そして結婚をし、男児を出産したみたいよ!
40代以上(2008年~)
引用元:女性セブンポスト
大塚寧々さんは、2015年(当時47歳)の時に、太極拳を始めました。きっかけは家族旅行をしたときに、寧々さんの当時腰の怪我で歩くこともやっとだったお母さんがホテルの太極拳教室へ参加したことだったそうです。
太極拳をたった1度体験しただけで改善した、母親の姿を見て「杖をついてしか歩けなかった人が、杖を使わずホテルのエントランスまで一人小走りをしていた」と、太極拳のすごさを目の当たりにしたそうです。
上の画像は2021年(当時53歳)の時に出版されたエッセイ「ネネノクラシ」の時のものです。これをきっかけに自宅で太極拳の簡単な動きや、剣を使った32式をやったりしています。
引用元:女性セブンポスト
大塚寧々さんは、2020年(当時52歳)の時に、山の家で畑で野菜作りを始めました。
この時大塚寧々さんは、「無知な私は、そのまま野菜の種を蒔けばいいと思っていた」とお話しされており、お隣の農業を営む方に1から教えてもらい、土壌改良をしたり、肥料を蒔いたりと楽しんで畑仕事をしたそうです。
上の画像は2023年(当時55歳)大塚さんが所有する山の家の畑です。3週間も放置すれば雑草がぼうぼうになってしまったり、野生の動物が畑を荒らしに来たりと色々なハプニングがあるものの、ゆったりと山の家での生活を満喫しているのでした。
ギモンくん大塚寧々さんは、どうして畑作りを始めたのかな?
カイケツさんそれは、自分で育てた野菜を使って安心安全な食を家族に提供したいという理由から、できる範囲で美味しく体に良いものを使って食事ができるようにと思ったみたいよ!
大塚寧々のプロフィール・SNS
引用元:スポーツ報知
プロフィール
- 名前:大塚寧々(おおつかねね)
- 本名: 田辺寧々
- 生年月日:1968年6月14日
- 年齢:57歳(2024年9月現在)
- 出身地:東京都
- 血液型:B型
- 趣味:写真、旅行
- 特技:料理
- 所属事務所:アストラル
受賞作品
- 1995年:第6回ザテレビジョンドラマアカデミー賞 助演女優賞 「いつかまた逢える」
- 2002年:第57回毎日映画コンクール 女優主演賞 「笑う蛙」「うつつ」「歩く、人」
- 2002年:第24回ヨコハマ映画祭 助演女優賞 「笑う蛙」「うつつ」
ギモンくん大塚寧々さんが旅行が好きになったきっかけって何なのかな?
カイケツさん家族との時間を楽しく過ごしたいから、たくさん旅行に行っているみたいだね!寧々さんは自分で旅行のスケジュールをたてるのが好きみたいだよ!









