【画像】浅丘ルリ子と小林旭は事実婚?旦那との馴れ初めは?若い頃かわいい!

浅丘ルリ子さんと小林旭さんは1960年代に映画共演をきっかけに交際・同棲し、婚姻届を出さない“事実婚に近い関係”でしたが、その後は価値観や家族の事情などが重なり別々の道へ進みました

破局後も年に数回「元気?」と声を掛け合う程度の淡い交流は続き、一方で浅丘さんは1971年に石坂浩二さんとドラマ『2丁目3番地』での共演を機に結婚。女優業・歌手活動の両輪で『男はつらいよ』リリー役や「愛の化石」など数々の名作・ヒットを残し、受賞歴も豊富です。

本記事では、浅丘さんと小林さんの関係が事実婚と語られる理由、破局に至るまでの背景、石坂さんとの馴れ初めと離別、その後の噂や現在までの歩みを、当時の写真とともに分かりやすく整理します。若い頃の可憐な“ルリ子カット”から円熟期の名演まで、一気に振り返れます。

この記事でわかること

  • 浅丘ルリ子と小林旭が“事実婚”と語られる経緯と、結婚に至らなかった背景
  • 破局後も続いた「年に数回の連絡」など現在までの関係性の実像
  • 石坂浩二との馴れ初め(『2丁目3番地』共演)と、その後の結婚・離別の流れ
  • 若い頃の代表作・話題(ルリ子カット、日活アクション、「愛の化石」ほか)
  • 受賞歴や舞台・イベント出演など、昭和~令和にかけたキャリア要点
目次

【画像】浅丘ルリ子と小林旭は事実婚?旦那との馴れ初めは?

浅丘ルリ子と小林旭は事実婚?

浅丘ルリ子と小林旭
引用元:47NEWS

日本映画界がスター全盛の時代だった1960年代、若者たちの憧れの的だった浅丘ルリ子さんと交際し話題となっていたのが小林旭さんでした。

小林旭さんは、1950〜60年代の日活アクション映画で一世を風靡した俳優・歌手で、「渡り鳥」「流れ者」「銀座旋風児」の三大アクション・シリーズなどのヒット作で知られる昭和の大スターです。

浅丘さんと小林さんは、映画での共演をきっかけに親しくなり、1960年代に入ってから交際・同棲を始めたと言われています。お二人は戸籍上の結婚はしておらず、内縁関係(事実婚)の形をとっていました。

ところが、1960年代末頃には別々の道を歩むようになってしまいます。

小林旭さんは、浅丘さんの父親に結婚を申し込もうとしましたが、父娘同席の酒席で酔った父親が「娘を嫁にやるわけにはいかない!」と即答。小林さんは、浅丘さんの父親から結婚を反対されたことで心が折れてしまい、その直後から次第に疎遠になっていったのだそうです。

浅丘ルリ子と小林旭
引用元:東スポWEB

破局後はお互いに別々の道を歩みましたが、その後も年に数回、「元気?」と電話で声をかけ合う程度の関係が続いていたと小林旭さんは語っています。

現在では実際に会う機会はほとんどないとのことですが、断絶ではなく淡い繋がりは残っているようです。

けん

浅丘さんと小林さんが「事実婚」という形を選んだ理由は何だったのかな?

のぞみ

一部報道によると、小林さんは奔放な性格で「家庭向きではない」と周囲に思われていた部分もあり、浅丘さんの家族が将来を心配していたとの話があるわ!他にも、浅丘さんが当時女優としての仕事を優先したから、事実婚状態になっていたんじゃないかとも言われているのよ!

浅丘ルリ子と旦那の馴れ初めは?

浅丘ルリ子さん
引用元:スポニチ

浅丘ルリ子さんは、1971年10月(31歳)に俳優の石坂浩二さんと結婚しています。

お二人の出会いの馴れ初めは、1971年(31歳)に放送されたドラマ「2丁目3番地」での共演でした。この作品で浅丘さんと石坂さんは夫婦役を演じ、撮影を通じて親しくなりました。共演後すぐに交際に発展したと言われており、周囲もその距離の近さに驚いたそうです。

浅丘ルリ子さんと石坂浩二さんの結婚生活は約22年間にわたり、多くの注目を集めました。石坂浩二さんは、浅丘さんが女優業を続けることに対して非常に理解があり、家庭に閉じ込めようとはしませんでした。浅丘さんは「彼はとてもリベラルな人。女優として私を尊重してくれた」と語っています。

浅丘ルリ子さん
引用元:JIJI.COM

二人は約30年間の結婚生活を送りましたが、2000年(60歳)に離婚しています。

浅丘さんは、非常に社交的で明るい性格。友人を自宅に招いて賑やかな時間を好んだ一方で、石坂さんは「静かに本を読みたい」「一人でいたい」タイプだったといいます。石坂さんと浅丘さんが別の部屋で食事をとっていたというエピソードもあったのだそうです。

離婚理由については、石坂さん側は「母親の介護に専念するため」との理由を発表したものの、実際には別の女性との関係が背景にあると報道されています。実際に、石坂さんは浅丘さんとの離婚後わずか5日で劇団事務員だった22歳年下の女性(加藤真理さん)と再婚し、世間を驚かせています。

離婚後もお互いに連絡を取り合っていると報じられており、石坂さんはテレビ番組などで浅丘さんのことを「師匠」と仰ぎ、「演技について学ばせてもらった」とも語っています。

けん

石坂浩二さんとの離婚後、浅丘ルリ子さんに恋の噂はあったのかな?

のぞみ

2004年(64歳)に大衆演劇の座長で女形を務める20歳年下の松井誠さんと熱愛報道があったのよ!事実婚のような関係が噂されたんだけど、2012年に破局したんだって。
2013年(72歳の時)には38歳年下の俳優・金児憲史さんとの交際が報道されているわ!
年齢を重ねてもなお、若い男性からも魅力的だと慕われる存在だったのね!

【画像】浅丘ルリ子は若い頃かわいい!

幼少期・10代(1950年~1960年)

浅丘ルリ子さん
引用元:日本経済新聞

浅丘ルリ子さんは、旧・満州国の新京(現・中国の長春市)で生まれました。父親が満州国経済部の秘書官として赴任していたため、浅丘さんは満州国で幼少期を過ごしていました。

浅丘さんが5歳の時に第二次世界大戦が終戦し、家族で満州から日本へ逃げるようにして戻ることになります。その後は、茨城県の大洗港付近に住む親戚宅に身を寄せたり、千葉県館山の引き揚げ寮に入寮して暮らしていたのだそうです。

浅丘さんが小学校3年生の時、父親が代議士秘書の職を得たことを機に、東京都千代田区神田鍛冶町で暮らし始めました。

上の画像は、少女時代の浅丘さんです。大きな目がとてもかわいいですね!

浅丘ルリ子さん
引用元:シネマNAVI

浅丘ルリ子さんが14歳(中学2年生)だった1954年、読売新聞連載小説「緑はるかに」の映画化ヒロイン役オーディションに応募。約3,000人の応募者の中から主役に選ばれ、この小説の挿絵を担当していた画家の中原淳一さんの強力な推薦で主役を射止めました。

その後、1955年(15歳)に公開された映画「緑はるかに」でヒロイン・ルリ子役として銀幕デビューを飾ります。この映画で、中原淳一さんの挿絵から抜け出てきたようだと称される浅丘さんの美少女ぶりが話題となりました。

この映画で披露した「ルリ子カット」と呼ばれるショートヘアが女性たちの間で大流行し、浅丘さんは瞳の大きな美少女として一躍注目を浴びました。

上の画像は、1955年(15歳)に公開された映画「緑はるかに」に出演していた時のものです。爽やかなルリ子カットがとても似合っています!透き通った瞳がとてもかわいいですね!

浅丘ルリ子さん
引用元:日活

浅丘ルリ子さんは、1956年(16歳)に「愛情」「ジャズ・オン・パレード」などの映画に出演し、映画界での存在感を強めました。

1957年(17歳)にはコメディ映画「お転婆三人姉妹 踊る太陽」が公開されました。この映画は、明るく快活な三人姉妹がそれぞれの恋や夢を追いかけながら巻き起こす騒動と成長を描いた青春ミュージカル映画で、浅丘さんは三女・秋子役を演じました。

浅丘さんはこの映画で歌手活動も開始。主題歌「三人姉妹マンボ」を歌い、歌手デビューも果たしました。

上の画像は、1957年(17歳)に公開された映画「お転婆三人姉妹 踊る太陽」の時のもので、一番左が浅丘ルリ子さんです。メガネ姿も新鮮でかわいいですね!知的さとチャーミングさが絶妙にミックスされた、とても印象的なスタイルです!

また、1958年(18歳)には日本映画製作者協会から新人賞を受賞し、浅丘さんの女優としての評価が高まりました。

けん

浅丘ルリ子さんはオーディションで合格して芸能界デビューしたんだね!オーディションの時の裏話はあるのかな?

のぞみ

浅丘さんはオーディションに合格したあとに長年伸ばしていた髪をバッサリ切ったんだって!ここから「ルリ子カット」が誕生したのね!
学校の友人から借りたセーラー服でオーディションを受験したらしいんだけど、その姿が逆に記憶に残る存在となったみたいよ!

20代(1960年~1970年)

浅丘ルリ子さん
引用元:Amazon

浅丘ルリ子さんは、19〜22歳頃にかけて、小林旭さんや石原裕次郎さん主演の数多くの映画やドラマでヒロイン役を務め、日活アクション映画の顔として大人気を博しました。

浅丘ルリ子さんは、1960年(20歳)に映画「海から来た流れ者」に出演しています。この映画は、流れ者の男(小林旭さん)が、港町で出会った女性(浅丘ルリ子さん)との交流を通じて、過去と向き合いながらも再び旅立つ姿を描いた物語です。

上の画像は、1960年(20歳)に映画「海から来た流れ者」に出演していた時のもの(左が浅丘ルリ子さん、右が小林旭さん)です。つややかで整った黒髪がとても美しいですね!

浅丘ルリ子さん
引用元:映画・チャンネルNECO

浅丘ルリ子さんは、1964年(25歳)に映画「赤いハンカチ」に出演しています。

この映画は、石原裕次郎さんとの代表的な共演作の一つで、ある事件で人を撃ち刑務所に入った恋人・大木(石原裕次郎さん)を迎えるために待ち続ける女性(浅丘ルリ子さん)の再会と別れを描いた、愛と贖罪の物語です。

上の画像は1964年(25歳)に映画「赤いハンカチ」に出演した時のもの(左が浅丘ルリ子さん、右が石原裕次郎さん)です。上品なトレンチコート姿に整えられた黒髪がまた美しいですね!都会的で洗練された雰囲気が演出されていますね!

浅丘ルリ子さん
引用元:Amazon

浅丘ルリ子さんは、20代後半には女優業と並行して歌手活動も活発に行っていました。

1969年(29歳)にリリースされた「愛の化石」は、オリコン最高2位を記録するヒット作になりました。この曲の台詞入りの歌詞と浅丘さんのしっとりとした歌声が話題となり、浅丘さんの幅広い才能が印象づけられました。また、この曲は語り中心の歌唱構成という独特のスタイルで、当時としては非常に斬新でした。

上の画像は、1969年(29歳)にリリースされた「愛の化石」のジャケット写真です。透明感のあるメイクと凛とした目元がとても美しいですね!

けん

浅丘ルリ子さんはどの写真もとっても美しくてつい見惚れてしまうよね!

のぞみ

誰が見ても素晴らしい美貌の持ち主なんだけど、浅丘さん自身は「26歳頃までは自分の話し方も不格好に感じ、体型や顔もぽちゃぽちゃと感じて好きじゃなかった」と語っていたんだって!誰もが羨む美貌と成功を持ちながらも、自分を高く評価せず、常に向上心を忘れない姿勢が滲み出ているわね!

30代(1970年~1980年)

浅丘ルリ子さん
引用元:松竹株式会社

浅丘ルリ子さんは、1973年(33歳)からスタートした山田洋次監督の映画「男はつらいよ」シリーズで、クラブ歌手・松岡リリー役を4度にわたり演じました。この映画は、気ままに旅をしながらも人情味あふれる寅次郎(渥美清さん)が、さまざまな人々との出会いと別れを通じて織りなす心温まる人間ドラマです。

特に、1975年(35歳)に公開された映画「男はつらいよ 寅次郎相合い傘」では、浅丘さんの演技力が高く評価され、キネマ旬報主演女優賞、ブルーリボン賞、毎日映画コンクール女優演技賞など多数の賞を受賞しました。

上の画像は、1973年(33歳)に映画「男はつらいよ 寅次郎忘れな草」に出演した時のもの(左が浅丘ルリ子さん、右が渥美清さん)です。ゆるやかなパーマ風のウェーブがかかったスタイルがとてもよく似合っていますね!

浅丘ルリ子さん
引用元:Discogs

浅丘ルリ子さんは、1976年(36歳)にセバスチアン・ジャプリゾさん原作のドラマ「新車の中の女」で主演を務めました。

このドラマは、35歳のタイピスト・金剛水江(浅丘ルリ子さん)が、かつての恋人との別れ後に仕事と友情に揺れながら、社長の高級車フォード・サンダーバードを預かって無謀で謎めいたドライブに出ることで、殺人事件の罠に巻き込まれていくロマン・サスペンスです。

浅丘さんは、このドラマの主題歌「白い旅」を歌い、独特のボサノバ風ムードを演出しました。

上の画像は、1976年(36歳)にリリースされた「白い旅」のジャケット写真です。清楚で上品な雰囲気が漂っていてとても素敵ですね!白い衣装や背景が浅丘さんの透明感や純粋さを強調していますよね!

浅丘ルリ子さん
引用元:NHKアーカイブス

浅丘ルリ子さんは、1977年(37歳)、NHK大河ドラマ「花神」に出演していました。

このドラマは、幕末から明治維新にかけて日本陸軍創設の礎を築いた長州藩の医師・村田蔵六(後の大村益次郎)の波乱に満ちた生涯を描いた歴史ドラマで、浅丘さんは村田蔵六と心を通わせる女性・お琴役を演じています。

浅丘さんにとっては久々の本格的な歴史ドラマ出演であり、時代劇でも現代劇でも対応できる柔軟な演技力が高く評価されました。実在の偉人を演じるため、浅丘さんは医学用語や所作にも丁寧に取り組んだのだそうです。

上の画像は、1977年(37歳)にNHK大河ドラマ「花神」に出演していた時のものです。清楚で上品な着物姿もとてもよくお似合いですね!

けん

浅丘ルリ子さんはたくさんのドラマに出演されていたんだね!撮影現場ではどんな印象の方だったのかな?

のぞみ

浅丘さんは、撮影の日には朝早くに現場に到着して準備するほど真面目だったそうよ!でも先輩俳優の石原裕次郎さんや小林旭さんは、頻繁に深夜まで酒席に出かけて翌日の撮影に遅刻してくることが多くて、怒った浅丘さんが現場で「いい加減にしてよね!私だって6時に起きてやってるんです!」と先輩俳優相手に声を上げたこともあるんだって!浅丘さんのプロとしての品格や人間的な芯の強さが感じられるわね!

40代以上(1980年~)

浅丘ルリ子さん
引用元:TBS

浅丘ルリ子さんは、1988年(48歳)にNHKドラマ「忠臣蔵・いのちの刻」に出演しました。

このドラマは、赤穂浪士たちが主君の仇討ちを果たすため、命をかけて決意と絆を深めていく物語で、浅丘さんは大石内蔵助の妻・りく役を演じ、歴史ドラマでの重厚な演技が光った作品となりました。

上の画像は、1988年(48歳)にドラマ「忠臣蔵・いのちの刻」に出演した時のものです。このドラマでも黒髪をまとめた和装姿を披露している浅丘さん、落ち着いた雰囲気を引き立てていてとても印象に残りますよね!

浅丘ルリ子さん
引用元:FOD

浅丘ルリ子さんは、1995年(55歳)に映画「男はつらいよ 寅次郎紅の花」に出演しました。

この作品は、男はつらいよシリーズの最終作で、浅丘さんは再びリリー役を演じました。この映画で浅丘さんの演技が評価され、第9回日刊スポーツ映画大賞主演女優賞を受賞しました。

上の写真は、1995年(55歳)に映画「男はつらいよ 寅次郎紅の花」に出演した時のものです。自然なウェーブがかかったショートヘアが、リラックスした雰囲気を醸し出していて素敵ですね!

浅丘ルリ子さん
引用元:チケットぴあ

40代以降に本格的に舞台に出演するようになった浅丘ルリ子さん。2012年(72歳)に舞台「桜の園」に出演しました。

この舞台は、アントン・チェーホフさん原作の「桜の園」を三谷幸喜監督が喜劇として演出したもので、没落貴族の女主人ラネーフスカヤ(浅丘ルリ子さん)が、放蕩生活の末に帰国し、祖先伝来の「桜の園」が競売にかけられる中で、家族や使用人たちがそれぞれの価値観と葛藤しながらも新たな時代に向かって歩き出す姿が描かれています。

上の画像は、2012年(72歳)に舞台「桜の園」の会見に出席した時のものです。ロシア貴族の気品と優雅さを感じさせる衣装が、浅丘さんの美しさと品格に完璧にマッチしていますよね!

けん

浅丘ルリ子さんは本当にたくさんの作品に出演していたんだね!自由な時間はほとんどなかったんじゃないかな?

のぞみ

浅丘さんは、2024年(83歳)に開催されたトーク&シネマイベントで、「自分の時間が全くなかったが、観客が新作を待ってくれていた」という喜びを素直に表現していたんだって!40代以降も自分を研ぎ澄ませ続ける演技への姿勢とキャリアへの深い敬意がにじみ出ているわね!

浅丘ルリ子のプロフィール・SNS

浅丘ルリ子さん
引用元:スポーツ報知

プロフィール

  • 名前:浅丘 ルリ子(あさおか るりこ)
  • 本名: 浅井 信子(あさい のぶこ)
  • 生年月日:1940年7月2日
  • 年齢:85歳(2025年9月現在)
  • 出身地:満州国・新京
  • 血液型:A型
  • 趣味:絵画鑑賞、舞台・音楽鑑賞、スワロフスキービーズ細工
  • 特技:料理、クラシックバレエ
  • 所属事務所:舞プロモーション

受賞歴

  • 日本映画製作者協会 新人賞(1958年)
  • ゴールデンアロー賞 大賞(1968年)および グラフ賞(1969年)
  • ブルーリボン賞 主演女優賞(1975年)
  • キネマ旬報ベスト・テン 主演女優賞(1976年)
  • 毎日映画コンクール 女優演技賞(1976年)
  • ギャラクシー賞 テレビ大賞 優秀個人賞(1983年)
  • 日本アカデミー賞 優秀主演女優賞(1987年)
  • 日刊スポーツ映画大賞 主演女優賞(1996年)
  • 田中絹代賞(毎日映画コンクール/1996年)
  • 菊田一夫演劇賞(1999年)
  • 名古屋演劇ペンクラブ 年間賞(1999年)
  • 紫綬褒章(2002年)
  • 旭日小綬章(2011年)
  • 山路ふみ子映画賞 功労賞(2011年)
  • 日本映画批評家大賞 ダイヤモンド大賞(2012年)
けん

浅丘ルリ子さんは80代になっても風邪をほとんどひかず健康なんだって!元気の秘訣は何なのかな?

のぞみ

古い歌を歌うことが浅丘さんの健康法らしいわよ!歌うこと自体が元気の源というほどなんだって!メイクもすべて自分で行っていて、特にアイメイクには強いこだわりがあるんだって!年齢を重ねても常にプロとしての意識を忘れない姿勢がとても素敵ね!

浅丘ルリ子と小林旭の事実婚説と石坂浩二との馴れ初めまとめ

  • 1960年代に浅丘ルリ子と小林旭が交際し同棲していたとされ内縁関係とされている
  • 映画での共演が親交のきっかけである
  • 1960年代末頃に疎遠となり別々の道を歩むようになったとされる
  • 破局後も年に数回「元気」と電話を交わす程度の関係が続いたとされる
  • 事実婚の背景には小林の奔放さや家族の懸念に加え浅丘が仕事を優先したとの報道や噂がある
  • 1971年に石坂浩二と結婚しドラマ「2丁目3番地」の共演が馴れ初めである
  • 結婚生活は約22年間で2000年に離婚している
  • 離婚直後に石坂が22歳年下の劇団事務員と再婚したと報じられている
  • 離婚後も連絡は取り合い石坂が浅丘を師匠と仰いだエピソードが伝えられている
  • 2004年に松井誠との熱愛が報道され2012年に破局したとされている
  • 2013年には俳優の金児憲史との交際報道があった
  • 1940年生まれで満州で幼少期を過ごし戦後に日本へ戻っている
  • 1955年に映画「緑はるかに」でデビューしルリ子カットが流行した
  • 1960年代は「海から来た流れ者」「赤いハンカチ」などでヒロインとして人気を確立している
  • 1969年の「愛の化石」はオリコン最高2位を記録している
  • 1970年代は「男はつらいよ」のリリー役で主要映画賞を受賞し以後もドラマ舞台で存在感を示している
  • 近年もイベント出演が伝えられ歌うことやセルフメイクを続ける姿勢が元気の源と語られている
  • 昭和から令和にかけ第一線で活躍し人間関係の機微とともに名作と歩んだ軌跡が今後も語り継がれていく
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