デーブ・ロバーツさんは「母は沖縄出身の日本人」「妻はワインとデザインの事業を手がける実業家」というルーツと家族に支えられ、俊足外野手から名将へと駆け上がった人物です。
UCLAで盗塁記録を樹立し、04年レッドソックスで“あの盗塁”を決めて86年ぶりの世界一へ導いた後、闘病を乗り越えて指導者に転身。16年にドジャース監督へ就任すると、選手に寄り添うコミュニケーションと緻密な采配で地区連覇を重ね、20年には監督として世界一を達成しました。
妻のトリシアさんとは高校時代に出会い、現在はワインブランド「Red Stitch Wines」をともに運営。母・栄子さんへの深い敬愛と沖縄への誇りを胸に、今も大谷翔平選手らスターを束ねるリーダーとしてチームを前進させています。
本記事では「母は日本人」「妻は実業家」「若い頃イケメン」の各テーマを時系列・証拠ベースで読み解き、人物像の核に迫ります。
この記事でわかること
- 沖縄出身の母・栄子さんとのエピソードと家族観
- 妻トリシアさんの事業(デザイン会社/Red Stitch Wines)の概要
- UCLA〜MLB時代の俊足伝説と「04年の決定的盗塁」
- 闘病からの復帰とドジャース監督就任〜世界一までの道のり
- 現在のロバーツさんと選手たちの関係性・采配スタイル
【画像】デーブ・ロバーツの母は日本人!妻は美人経営者!
デーブ・ロバーツさんの母・エイコさんは沖縄出身の日本人です。米軍基地勤務の父と出会い結婚し、当初反対していた祖父母も孫の誕生で対応が一転します。現在はパーキンソン病と向き合いながら、毎日ロバーツさんと電話を交わすほどの親子の絆があります。
一方、妻のトリシアさんは認定ワインスペシャリストでデザイン会社の経営者。高校時代に出会い1997年に結婚、ワイナリー「Red Stitch Wines」も夫婦で運営しています。
デーブ・ロバーツの母は日本人!
デーブ・ロバーツさんの母親の名前はエイコ・ロバーツさんです。エイコ・ロバーツさんは日本人で沖縄出身であり、そこで夫と出会いました。エイコ・ロバーツさんとデーブ・ロバーツさんはよく冗談を言い合ったりからかい合ったりするほどの親しい仲です。
引用元:スポニチ
引用元:Rafu Shimpo
夫のウェイモン・ロバーツさんと栄子(エイコ・ロバーツ)さんは、沖縄で海兵隊員として米軍基地に勤務していたことから知り合いとなり、結婚をしました。
当初は、栄子さんのご両親は外国人との結婚に反対だったそうですが、息子のロバーツさんが産まれて一気に自慢の娘の旦那だと自慢するほどになったそうです!お子さんの存在は、色んなことを繋ぎ合わせるのですね。
2024年現在、エイコ・ロバーツさんはパーキンソン病を患っており、サンディエゴのパーキンソン教会からサポートを受けています。また、カールスバッドにある「Tri-City Wellness and Fitness Center」で運動療法のクラスに参加しており、これが病状に役立っていると話しています。
しかし、夫が亡くなって以来、エイコ・ロバーツさんにとっての最大の支えは息子であるデーブ・ロバーツさんとなり、毎日電話で話しているそうです。
ギモンくん母親のエイコ・ロバーツさんは、デーブ・ロバーツさんが監督になってからどんな風に思っていたのかな?
カイケツさんそれは、チームが勝つと、もてはやされるけど、負けると罵声を浴びることもあったみたい。チームが低迷すると解雇もあるということから、「親として覚悟している。勝ち負けがつくスポーツはそういうもの。気にしていると、やってられない。野球の勝敗は、人生そのもの。いい時もあれば、悪い時もある」と言い聞かせていたみたいよ!
デーブ・ロバーツの妻は美人経営者!
デーブ・ロバーツさんの奥さんの名前はトリシア・ロバーツさんです。
トリシア・ロバーツさんは、認定ワインスペシャリストとして活躍する一方で、全米にサービスを提供するインテリアデザイン会社の「Tricia Roberts Design」を運営しています。
引用元:x.comDave Roberts’ Wife Tricia Roberts https://t.co/dY4Jy9Bwzc pic.twitter.com/JKwFV2DZIA
— Player Wives (@playerwives) March 14, 2017
引用元:Instagram
また、トリシア・ロバーツさんはデーブ・ロバーツさんと共に、「Red Stitch Wines」の共同オーナーの1人でもあります。
ギモンくんデーブ・ロバーツさんとトリシア・ロバーツさんは、どうして知り合ったのかな?
引用元:Instagram
カイケツさんサンディエゴの高校で出会って、恋愛関係が始まり、1997年に結婚したそうよ!2024年時点で20年以上連れ添っているみたい。2024年現在も一緒に会社を経営していたりして、素敵な夫婦よね。
【画像】デーブ・ロバーツは若い頃イケメン!
ロバーツさんは沖縄・那覇生まれ、幼少期に米国へ。5歳で野球を始め、UCLAでは通算109盗塁の記録を樹立しました。
1994年にMLB入り後、インディアンス~ドジャースで俊足外野手として台頭し、2004年レッドソックスでは“運命の盗塁”で世界一に貢献し、パドレスでは三塁打13で球団記録、ジャイアンツでも31盗塁。
2009年に引退後は闘病を経て指導者へ転身し、ドジャース監督として20年世界一、24年もリーグ制覇に導くなど、若い頃の精悍さとスピードが今の名将ぶりへとつながっています。
幼少期・10代・20代(1972年~2002年)
デーブ・ロバーツさんは、1972年に沖縄県那覇市生まれで、海兵隊に所属していたアフリカ系アメリカ人のお父様・ウェイモン・ロバーツさんと日本人のお母様・栄子さんのもとに生まれ、生後3ヶ月を過ぎた頃、家族でカリフォルニア州サンディエゴに移住されました。

デーブ・ロバーツさんが野球を始めたのは5歳の頃でした。その頃から口癖のように「絶対プロ野球選手になる」と宣言していたそうです。幼い頃から運動神経が良かったロバーツ監督は学生時代、野球の他にバスケットボールやアメリカンフットボールなど様々なスポーツを経験しますが、大学入学前には野球1本に絞りました。
大学はUCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)に進学し、野球部に所属していました。在学中の盗塁回数109回は、現在もUCLA野球部の歴代記録となっているのだとか。
大学卒業後の1994年(当時22歳)の時、MLBドラフトでデトロイト・タイガースに全体の781位で指名され、プロ入りを果たします。プロ契約を勝ち取り、1998年(当時26歳)にはトレードでクリーブランド・インディアンスに移籍し、翌年デビルレイズ戦でメジャーデビューしますが、ここまで大きな活躍や結果は残せずにいました。
上の画像は1999年のインディアンスでの現役時代の画像です。
ギモンくんデーブ・ロバーツ監督といえばご家族ととても仲が良いよね?
カイケツさんロバーツ監督は家族への愛情深い方で、特に母・栄子さんに対しては「母は僕の全て。僕が尊敬される人間になるように全てを尽くし育ててくれた。母への最高のプレゼントは世界一になること。そのために僕は最善を尽くす。」と話していたそうよ。2024年現在は同居されていて家族と過ごす時間をとても大切にされているようね!
30代(2002年~2012年)
2002年(当時30歳)にはロサンゼルス・ドジャースに移籍し、1年目からチーム最多の45盗塁を記録しました。ドジャースへの移籍は出身地である沖縄県でも大きく報じられ、島全体に知れ渡りました。
引用元:琉球新報デジタル
同年、ロバーツさんは北米沖縄県人会の招待を受けて沖縄を訪れています。上の画像はバザーに参加した時のものです。その際、沖縄県民間大使にも任命されており、ご両親や県人会の会員と祝杯を挙げたのだそうです。
ロバーツさんは「日本語は話せないが、沖縄は第二の故郷。日本ということでなく沖縄生まれであることを誇りに感じている」と話しています。
ちなみに、ロバーツさんはお母様・栄子さんが日本人であることもあって幼い頃から日本食に馴染みがあり、この時食べた沖縄そばを「1日3食、食べてもいい」と言うくらい気に入ったそうです。
引用元:週刊ベースボールONLINE
デーブ・ロバーツさんが選手として名前を世に広く知られるようになったのは、2004年のシーズン途中にトレードでボストン・レッドソックスに移籍してからでした。
当時ドジャースとレッドソックスの両チームで41回中38回の盗塁に成功し、盗塁の成功率はなんと驚異の92.7%という成績を残し、走塁のスペシャリストとしても活躍をします。
ポストシーズンを勝ち進んだレッドソックスはアメリカンリーグチャンピオンシップリーグ4戦目でヤンキースと対戦しました。当時のヤンキースは松井秀喜選手など数多くの有力選手が所属しており、レッドソックスの永遠のライバルと並び称されていました。
レッドソックスが1点ビハインドで迎えた9回、アウトになれば負けが決まってしまう状況でロバーツさんは代走で、見事に盗塁を成功させます。勢いづいたレッドソックスはヤンキースに勝利し、その後の4試合でも勝利します。
その勢いのまま迎えたワールドシリーズでも勝ち続け、レッドソックスは86年ぶりのワールドチャンピオンとなりました。上の画像はワールドチャンピオンとなった時(当時32歳)のものです。
危機的戦況から見事に盗塁を成功させ、チームをワールドシリーズ優勝に導いたロバーツさんは「バンビーノの呪い」を打ち破ったとして当時話題になりました。
引用元:左:NumberWeb、右:YAHOO!ニュース
2005年(当時33歳)にはサンディエゴ・パドレスに移籍します。上の画像はパドレス在籍時のものです。
パドレス移籍後、ロバーツさんは守備の際にフェンスに激突するなど、度重なる怪我に苦しめられ故障者リスト(医師に怪我や病気で出場困難と診断された選手リスト)に入ってしまい、休養を挟みながらのプレーを余儀なくされました。しかしそんな中でも13回の三塁打で球団記録になるなど、選手として努力を惜しまないデーブ・ロバーツさん。
翌年(2006年・当時34歳)にはサンフランシスコ・ジャイアンツに移籍します。怪我による休養期間もありながらチーム最多となる31回の盗塁を成功させ、10年ぶりに球団記録を塗り替えました。
ジャイアンツで約3年間活躍したロバーツさんは、2009年(当時37歳)に現役引退を発表し、プレイヤーから指導者への道に進みます。
ギモンくんデーブ・ロバーツさんは2009年に引退を発表してから2011年にコーチとして復帰するまで2年弱の空白があるよね。その期間何をしていたのかな?
カイケツさん2009年の引退後はパドレスで特別補佐役をしていたんだけれど、2010年(当時38歳)に血液がんを発症して闘病していたんだって!なんとか1年で克服して2011年にコーチとして復帰したみたいね。
40代(2012年~2022年)
闘病生活を経てパドレスのコーチとして復帰を果たしたロバーツさん。2015年6月(当時43歳)に行われたオークランド・アスレチック戦で、代理監督を務めMLB史上初の日本出身監督となりました。
引用元:U.S.FrontLine
同年11月には古巣であるロサンゼルス・ドジャースの新監督に就任します。上の画像は監督就任記者会見の時のものです。ご家族と共にとても嬉しそうな表情で素敵ですね!
「エキサイティング。人生がひと回りしたような感じだ」
デーブ・ロバーツ監督はドジャースが選考した9人の監督候補から選ばれました。当時はまだ人種の壁が存在していた監督という立場で初の非白人監督となったロバーツ監督は、記者会見でオファーを受けた当初「どれだけ大きなことか考えていなかった」と話しながらもドジャースを率いていく責任を「決して軽くはとらえていない。一生背負っていくものだと思う」と語ったそうです。
引用元:日刊スポーツ
ロバーツ監督は、ドジャース監督就任後1年目から地区優勝をするなど好成績を残し、最優秀監督賞を受賞しました。上の画像は2016年に撮影されたものです。
しかし好調だった1年目から一転、2017年、2018年はワールドシリーズ敗退という結果になり、当時アメリカ合衆国大統領だったドナルド・トランプさんから選手交代に関して「大きなミスだ!」批判を受けたこともありました。
「彼は野球には詳しくないと思うし、それは単なる1人の意見に過ぎないからね」
トランプ大統領の批判に対しても冷静に対応していたロバーツ監督。
一部の情報から様々な意見が生まれる世間の声に対して、選手の状況や戦況など全ての情報を考慮して試合に勝てるように常に努めているため「すべての批判に取り合うだけの余力はない」「それは騒音に過ぎない」と発言されていました。選手としても監督としても勝ちにこだわり続けてきたロバーツ監督だからこその厳しい言葉だと思います。
引用元:スポニチ
その後も地区優勝を重ねるもワールドシリーズでは一歩及ばず惜しくも敗退してしまいます。
思うように戦績が振るわない中、2020年(当時48歳)には2年ぶりにドジャース監督としてワールドシリーズに出場し悲願の優勝を果たします。上の画像は優勝を決めチームメンバーと抱き合うロバーツ監督です。
「どんなにタフな状況に置かれても常にポジティブな姿勢は崩さない。だからこそ今の自分がいる」
ドジャースの監督就任で初の非白人監督となったロバーツさんは、このワールドシリーズ優勝によって黒人監督としては2人目、日系人監督・アジア人監督としては初の世界一となりました。
この優勝はロサンゼルス・ドジャースとしても32年ぶりの優勝(ワールドシリーズ制覇)となりました。
ギモンくんそういえばデーブ・ロバーツ監督は”ド軍監督”と呼ばれることもあるけれど”ド軍”ってなに?
カイケツさん”ド軍”とはロサンゼルス・ドジャースのこと!"LAD"と略されることもあるけれど、日本では”ド軍”と呼ばれることが多いわね!
他にもニューヨーク・ヤンキースは”ヤ軍”と呼ばれたりするよ!
50代以上(2022年~)
2023年(当時51歳)オフにはロサンゼルス・ドジャースに大谷翔平選手が入団しました。画像は大谷選手の入団会見後一緒に写真撮影に応じた時のものです。ロバーツ監督は大谷選手の入団会見を最前列でいつもより穏やかな表情で見守っていたそうです。
引用元:NumberWeb
大谷選手の入団に対してロバーツ監督は「ドジャース野球の歴史にとってすばらしい一日になった。我々はスポーツ界の中心にいる」とお話しされていたそうで、大谷選手への期待感が感じられますね!
実は、大谷選手の入団交渉が解禁となった時、交渉に関しての情報は徹底管理され、世間に情報が漏れることは一切ありませんでした。そんな中ロバーツ監督は「ウソはつきたくない。いずれ分かることだから」と大谷選手とスタジアムで直接交渉したことをメディアに公開しました。
機密情報を公開したことでロバーツ監督には批判の声も上がりましたが、大谷選手にとってその発言はマイナスにはならず、逆に真っ直ぐなロバーツ監督の言動は好印象だったのだとか。
大谷選手の入団に伴い、喜びの声があがるとともに、今後のロバーツ監督の采配にも注目が集まりました。
引用元:女性自身
ロバーツ監督は数多くの有力選手を有するドジャースで、監督として選手に慕われ、愛されていることでしばしば話題になることがありますが、2023年(当時52歳)には大谷選手にポルシェのミニカーをプレゼントされたというほっこりエピソードを明かしていました。上の画像は囲み取材の時のものです。
「昨日ギフトをもらったんだ」
そう言って記者たちにポルシェのミニカーを披露するロバーツ監督。実はこの囲み取材は試合後、大谷選手に対して行われたもので、ロバーツ監督はそこに突如乱入したのだとか。ロバーツ監督らしいおちゃめなエピソードですよね!
引用元:instagram
引用元:スポニチ
2024年(当時52歳)にロバーツ監督率いるロサンゼルス・ドジャースは、ナ・リーグ優勝を果たし、4年ぶりのワールドシリーズ進出を決めました。上の画像はドジャース公式instagramに投稿されたはシャンパンファイト中の様子、下の画像はその際大谷選手とロバーツ監督がシャンパンをかけ合った時の写真です。
今後も大谷選手をはじめドジャースの選手たちの活躍とデーブ・ロバーツ監督の采配に注目ですね!
ギモンくんデーブ・ロバーツ監督はどうしてここまで選手に慕われているの?
カイケツさんロバーツ監督は選手との些細なコミュニケーションをとても大切にしているらしく「現代の野球界、スポーツ界では、監督が親しみやすく接することで選手の潜在能力をさらに引き出すことができると信じている」と発言していたよ!大谷選手も「選手に寄り添うタイプの監督」と言っていて、いい関係を築くことに重きを置いているからこそ選手もロバーツ監督についていくんだね。
デーブ・ロバーツのプロフィール・SNS
- 名前:Dave Roberts(デーブ・ロバーツ)
- 本名: David Ray Roberts(デビッド・レイ・ロバーツ)
- 生年月日:1972年5月31日
- 年齢:53歳(2025年11月現在)
- 出身地:沖縄県
- 所属事務所:ロサンゼルス・ドジャース
引用元:スポニチ
SNS
選手歴
- ビスタ高等学校
- ランチョ・ビスタ高等学校
- カリフォルニア大学ロサンゼルス校
- クリーブランド・インディアンス (1999 - 2001)
- ロサンゼルス・ドジャース (2002 - 2004)
- ボストン・レッドソックス (2004)
- サンディエゴ・パドレス (2005 - 2006)
- サンフランシスコ・ジャイアンツ (2007 - 2008)
監督・コーチ歴
- サンディエゴ・パドレス (2011 - 2015)
- ロサンゼルス・ドジャース (2016 - )
最優秀監督賞(2016年)、ワールドシリーズ制覇(2024年)
ギモンくんデーブ・ロバーツさんと奥さんのトリシア・ロバーツさんの運営しているRed Stitch Winesはどんなワインなのかな?
カイケツさん現在販売しているのは、赤ワインのカベルネ・ソーヴィニョン、ピノノワールみたい!
デーブ・ロバーツさんとトリシア・ロバーツさんだけでなく、ご友人とパートナーシップを結んで経営しているみたいね。
また大谷翔平選手が30歳の誕生日にデーブ・ロバーツ監督が贈ったそうよ!ナパバレー産のカベルネ・ソーヴィニョンだったみたい。素敵なプレゼントよね!
デーブ・ロバーツの母・妻・若い頃まとめ
- デーブ・ロバーツは1972年生まれの沖縄県那覇市出身で、生後3ヶ月で家族とカリフォルニア州サンディエゴに移住している
- 母の栄子(エイコ)さんは沖縄出身の日本人で、米軍基地で海兵隊員だった父ウェイモンさんと出会い結婚している
- 当初は祖父母が国際結婚に反対していたが、ロバーツ誕生をきっかけに一転して婿を自慢するようになったとされている
- 栄子さんはパーキンソン病と向き合いながら教会やフィットネスセンターで運動療法を続け、現在もロバーツと毎日電話で連絡を取り合う存在である
- ロバーツは「母は僕の全て」と語り、母が自分を尊敬される人間に育て上げてくれたと繰り返し感謝を示している
- 妻のトリシア・ロバーツは高校時代に出会ったパートナーで、1997年に結婚して以来20年以上連れ添っている
- トリシアさんは認定ワインスペシャリストであり、全米にサービスを提供するインテリアデザイン会社「Tricia Roberts Design」を経営している
- 夫婦は友人たちと共にワインブランド「Red Stitch Wines」を運営しており、カベルネ・ソーヴィニョンやピノ・ノワールなどを手がけている
- ロバーツは5歳で野球を始め、学生時代は複数競技を経験しつつ「絶対プロ野球選手になる」と公言し続け、最終的に野球1本に絞ってUCLAで通算109盗塁の記録を樹立している
- MLBではインディアンス、ドジャース、レッドソックス、パドレス、ジャイアンツで俊足外野手として活躍し、特に2004年レッドソックス時代の決定的な盗塁で「バンビーノの呪い」を破った立役者として知られている
- パドレスとジャイアンツ在籍時には度重なる故障に悩まされながらも、三塁打や盗塁で球団記録を更新するなど走塁のスペシャリストとして存在感を示している
- 2009年の現役引退後にパドレス特別補佐を務めていたが、2010年に血液がんを発症し闘病を経て克服し、2011年にコーチとして復帰している
- 2015年にはパドレスの代理監督としてMLB史上初の日本出身監督となり、その年のオフにドジャースの新監督に就任した初の非白人監督である
- ドジャース監督就任後は地区優勝を重ね、最優秀監督賞受賞やワールドシリーズ制覇など結果を残しつつ、批判や雑音を「騒音」と切り捨てて勝利に集中する姿勢を貫いている
- ロバーツは現代野球では監督の親しみやすさが選手の潜在能力を引き出すと考え、日頃から細やかなコミュニケーションを大切にすることで、選手たちに「寄り添うタイプの監督」と慕われている
- 大谷翔平の入団交渉では「ウソはつきたくない」としてスタジアムで直接会った事実を自ら明かし、30歳の誕生日には自らのワインを贈るなど、信頼関係とユーモアでスター選手とも良好な関係を築いている
- 沖縄出身の母と実業家の妻に支えられ、俊足外野手から日系人監督として世界一を経験したデーブ・ロバーツは、今もドジャースの指揮官としてチームと選手の可能性を引き出し続けている















