藤田弓子さんは、1990年代から拠点を移した静岡県伊豆の国市で暮らしながら、現在も東京と行き来して女優活動を続けています。地域では夫の放送作家・河野洋さんと立ち上げた市民劇団「いず夢」の座長として文化振興に尽力。公私ともに“現役”で、近年のドラマ・映画にも出演を重ねる一方、講演では自らの人生観「育自(自分を育て続ける)」を発信しています。
家庭では実子はおらず、河野さんの二人の連れ子とは“母親”ではなく“良き友人”として距離感を大切にしてきたのが藤田さんらしいところ。80歳となった今も自然体の明るさと機敏さで、おばあちゃん役から重厚な役どころまで幅広くこなす名バイプレーヤーです。
この記事では、現在の拠点と仕事、夫婦のエピソード、子どもとの関係、そして若い頃からの主な転機までを一気に整理します。
この記事でわかること
- 現在の拠点(伊豆の国市)と、市民劇団「いず夢」での座長としての活動
- 静岡と東京を往復しながら続ける女優業の近況と代表的な出演歴
- 夫・河野洋さんとの関係性(生前葬エピソードや日常の過ごし方)
- 実子はおらず、二人の連れ子と“友人”として築いた距離感ある関係
- 人生観「育自(自分を育て続ける)」が仕事と暮らしに与えた影響
【画像】藤田弓子は現在どこで何してる?子供・夫との関係は?
女優・藤田弓子さんは現在、静岡県伊豆の国市を拠点に東京と行き来しながら映画やドラマへ出演しつつ、市民劇団「いず夢」の座長として地域文化にも尽力しています。
夫は放送作家の河野洋さん(1984年結婚)。実子はいませんが、二人の連れ子とは“良き友人”の距離感で良好な関係を築いてきました。80歳の今も前向きに「自分を育て続ける」を合言葉に活動中。本記事では最新の活動拠点と仕事、夫婦のエピソードや家族観、生前葬が話題になった背景までわかりやすく解説します。
藤田弓子は現在どこで何してる?
藤田さんは、1990年頃の約30年前から静岡県伊豆の国市(旧韮山町)に拠点を移し、現在もこの地で暮らしています。自宅は富士山を望む高台にあり、自然に囲まれた静かな環境で、夫の河野洋さんとともに生活しています。東京で生まれ育った藤田さんですが、母親の「富士山が見えるところがいい」という希望を受けてこの地を選びました。
引用元:いず夢公式X9月12日は座長birthday!
— 伊豆の国市 劇団いず夢 (@gekidan_izm) September 2, 2022
ちょっと早いですが、今日の稽古でお誕生日をお祝いしました😊
ネックレスと花束💐
座長、いつもありがとうございます🙏 pic.twitter.com/fXbKcWWaGB
藤田さんは、伊豆の国市に移住後、地域の文化振興に貢献するため、夫とともに市民劇団「いず夢」を立ち上げました。
劇団設立のきっかけは、町の文化センター(韮山時代劇場)のこけら落としで町民オペラに参加したことでした。その後、「何か続けて町のためにやってほしい」との声を受け、劇団を創設します。現在では伊豆の国市の付属劇団として、アマチュア劇団員とプロの指導者が共に活動する全国的にも珍しい形態をとっています。
藤田さん自身は東京生まれでふるさとがないと感じているため、「ふるさとを分けていただいたお礼に、少しでも役に立てることを」と座長を引き受け、日々奮闘しているそうです。
上の画像は劇団の公式SNSです。藤田さんにバースデープレゼントを渡しています。アットホームな劇団でいいですね!
引用元:新宿野戦病院公式インスタグラム
藤田さんは2025年現在、80歳を迎えてなお、静岡県と東京を行き来しながら、現役女優として精力的に活動しています。
「私は昔からドラマも映画も、仕事はすべてオーディションだと思ってやっています」と語り、「撮影が終わったあと、監督や共演者の方に『またね』って握手していただけると合格。知り合いだからまた次も呼んでもらえるという甘い世界ではないんです」という考えのもと、常に新鮮な気持ちで仕事に臨む姿勢を保っています。
これが生涯現役への強い意志となり、今に繋がっているのでしょう。
2021年の映画『老後の資金がありません!』では波子役を演じ、天海祐希さん主演のこのコメディ映画では篤子の母親役として出演しました。この作品では72歳の設定で夫と共にサーフィンを始めた、大らかで天真爛漫な性格の役を演じ、その自然体の演技が多くの観客に愛されました。
2023年に公開された、松山ケンイチさんと長澤まさみさんが初共演を果たした社会派サスペンス映画『ロストケア』へも出演しました。この作品では大友加代役を演じ、介護問題という現代社会が直面する重要なテーマを扱った重厚な作品に華を添えています。
他にも映画には一年に一本ずつのペースで出演し、テレビドラマでも『三匹のおっさん』など継続的に出演しています。こうして藤田さんは息の長い、名バイプレーヤーとして、存在感を発揮しています。
上の画像は『新宿野戦病院』に出演した際の藤田さんです。きれいなおばあちゃんですね!
けん今はおばあちゃん役が多いんだね!
のぞみそうね!おばあちゃん役にも筋力は必要、と笑いながら答えていたわ。
藤田弓子と子供・夫との関係は?
藤田さんは1984年、当時39歳で放送作家の河野洋さんと結婚しました。藤田さんとの夫婦関係は、互いを尊重し合い、人生を共に楽しむパートナーシップが特徴です。日常では、夕食を「ちょっとしたイベント」として話しており、何気ない会話や趣味(釣りやゴルフなど)を通じて絆を深めています。
引用元:テレ朝POST
また、夫婦喧嘩もよくするそうですが、それも含めて自然体の関係性を築いていると語られています。藤田さんは夫に敬語で話すこともあり、適度な距離感と礼儀を大切にしている様子がうかがえます。
藤田さんの実子はいません。結婚当初、河野洋さんにはすでに高校生だった二人の連れ子がいました。藤田さんはこの二人に「母親」としてではなく、「仲が良い友達」として接することを心がけたそうです。このスタンスは、血縁にこだわらず、相手の人生や自立を尊重する藤田さんらしい姿勢です。
上の画像は2020年に徹子の部屋に夫婦で出演した際のものです。仲のよさが伝わってきますね。
引用元:婦人公論
2019年、74歳の時に藤田さんは夫・河野洋さんの80歳の誕生日に合わせて生前葬と銘打ったパーティーを開催し、話題となりました。照れ屋な河野さんのために企画されたこのイベントには、70名もの人が集まりました。
友人たちに「もうこれで、いつ逝ってもいいですね」「なんなら、霊柩車呼びましょうか?」と会話が弾んだそうで、老いも洒落にして楽しい時間を過ごしたと語っています。「好奇心旺盛に、これからも過ごしていくための終活」として、前向きな老いへの向き合い方を示しました。
世間からは「ユニークな発想」「老いを楽しむ理想的な夫婦」として注目され、高齢者の新しいライフスタイルの提案として話題となりました。
上の画像は夫の生前葬について語る藤田弓子さんです。
藤田さんの人生観として、「自分を育て続けたい」という前向きな姿勢があり、家族の形にとらわれず、夫婦や周囲の人々とのつながりを大切にしていることがわかります。
けん自分を育てるって面白い発想だね!
のぞみ自分を育ててくれた人が次々になくなって、
「そうだ、自分で自分を育ててやろう」と思ったんですって。
「只今、育自中!」と言っているそうよ。
【画像】藤田弓子は若い頃かわいい!
藤田弓子さんの「若い頃」は、素朴さと華やかさが同居した唯一無二の魅力が光ります。10代はラジオドラマや『まぼろし探偵』で澄んだ声と大きな瞳が印象に残り、20代で朝ドラ『あしたこそ』のヒロインに抜擢され全国的な人気に。
ベビーフェイス×通る声、自然体の笑顔、凛とした所作——この3要素が“かわいい”と記憶される決定打でした。本文では年代ごとの代表作と当時のエピソード、写真とともに魅力を深掘りします。
10代(1955年~1964年)
藤田弓子さんは1945年9月12日に東京都目黒区自由が丘で生まれました。不二サッシ創業者の息子という裕福な家庭に生まれながら、3歳で父親を亡くし、母親の手ひとつで育てられました。おとなしくて人見知りなお子さんだったそうですが、朗読が上手だったそうです。
引用元:HMV&BOOKS ONLINE
1957年12歳のことでした。母親に似て好奇心旺盛だった藤田さんは小学校5年生で当時大流行していたラジオドラマの子役オーデションを受けました。オーデションに、後に大女優になる吉永百合子さんがいたため、「これはもうだめだね」と帰ろうしたところ、藤田さんの声がラジオと相性がよかったため、呼び止められ合格したそうです。
ここで三年間出演し、表現の面白さを学びました。
番組が終わると、ラジオドラマの関係者に今後の進路をきかれましたが、このときは高校に入って大学に入って、と考えていたそうです。ラジオドラマに吉永小百合さんも出演しており、当時から吉永小百合さんはだったため自分はそれほどじゃない、と感じ選んだ進路でした。
母親は会社員として働きながら女手一つで藤田さんを育て、仕事が終わるとすぐに家に帰って来てくれました。藤田さんは後に「お母さんと一緒にご飯を食べることが何より好きだでした」と語っています。母親との生活について、「二人暮らしでも寂しいと思ったことはなく、むしろ毎日がとても楽しかったのです」と回想しています。
上の画像はラジオドラマ撮影後、同じスタッフで撮影された『まぼろし探偵』のものです。1959年当時14歳でした。
けん藤田さんはお父さんのこと、覚えているのかな?
のぞみ声だけは覚えているんですって。すごい記憶力よね!
20代(1965年~1974年)
1968年4月から放送されたNHK連続テレビ小説『あしたこそ』で、藤田さんはヒロイン役に抜擢されました。この作品は連続テレビ小説で初めてのカラー放送であり、橋田壽賀子さん初の朝ドラ脚本としても話題となりました。
引用元:NHK
オーディションについて藤田さんは「私は何故だか選ばれる自信がありました」と語っています。その理由として「苦労を掛けた母に良い演技を見せたいという強い気持ちがあることでした」と述べています。
『あしたこそ』は驚異的な高視聴率を記録し、平均視聴率44.9%、最高視聴率55.5%という数字を叩き出しました。この成功により、藤田さんは一躍全国的な人気女優となります。
非常に人気があったため昭和天皇がスタジオ見学に訪れたこともあるそうで、「摂ちゃん」と役名で声をかけたいただいたのが思い出、と語っています。
番組終了後、藤田さんは「演じる事が大好きで競争意識など無かった私ですが、朝ドラヒロインを経験する中で、周りの期待に応えたいというプロ意識が芽生えていきました」と振り返っています。
上の画像は『あしたこそ』でのワンシーンです。アップがよく似合ってますね。
引用元:NEWSポストセブン
28歳になる1973年、藤田さんはフジテレビ系の人気番組『小川宏(ひろし)ショー』のサブ司会者を務め、朝の顔として多くの視聴者に親しまれました。
すでに映画やテレビで成功を収めていましたが、ベビーフェイスと高い声で、幼い役でしか声がかからず、大人の役がやりたかった藤田さんは悩んでいたそうです。そこでこの依頼が来た時に、「一旦演技から離れてみよう」と思ったそうです。
なんにでも興味がわく藤田さんにはうってつけだったそうで、学ぶことが多かったようです。生放送のCMでライバル会社の名前を出してしまい、笑いながら「放送事故になってしまいました」と語りますが、藤田さんのキャラクターのおかげか、クビにもならず、契約延長の話まで出たそうです。
藤田さんの心の中では30歳からは女優に本腰を入れると決めていたそうで、延長の話は断っています。
上の画像は1970年当時25歳で撮影されたポスターです。大阪万博にあわせて発売されたカメラのストロボの広告で、『あしたこそ』と『小川宏(ひろし)ショー』の間で撮られたものです。
けんサブ司会は2年間しかしなかったんだね。
のぞみそうよ!ほがらかで明るい藤田さんの印象は
とっても強かったみたい。うらやましいわね。
30代(1975年~1984年)
1975年30歳になったころ、藤田さんは佐藤純彌監督による大作アクション映画『新幹線大爆破』に秋山医師役で出演しました。高倉健、宇津井健らオールスター・キャストの中で、医師という専門職の役柄を演じることで、これまでの家庭的な女性役から一歩踏み出した演技を見せました。
引用元:Xまーだ #新幹線大爆破 のハナシしていやがるよ俺。ここで言いたいのは…女医さん役の藤田弓子さん。失礼承知で、可愛い!なんだやっぱさすが女優じゃん~と思ったこと。なお劇中出てきたレストランポポロは現在無くなってる模様。#藤田弓子 #新幹線大爆破 pic.twitter.com/rQ7bjsI2u0
— PON【公式】@ゆうれい立入禁止!人間の世界まであと少し (@ponett2020) May 19, 2020
「このような大作で医師という責任ある役を演じられたことは、女優として大きな糧になりました」と語っています。
世間からは「朝ドラのヒロインから、本格的な映画女優へと成長した」「医師役の凛とした演技が印象的」と評価され、藤田さんの演技の幅広さが認知されるきっかけとなりました。この作品はキネマ旬報ベストテンにもランクインし、藤田さんの映画女優としての確固たる地位を築いた記念すべき作品となりました。
上の画像は新幹線大爆破の時のものです。念願の大人の女を演じました。
引用元:ディスクユニオン
1976年、『三日月情話』に出演します。藤田さんが30歳の時に主演を務めた伝説的な昼ドラマです。藤田弓子さんは主人公・神崎克子役を演じました。克子は30歳で6ヶ月前に幸せな結婚をしており、現在妊娠3ヶ月という設定でした。
本作品が特に話題となったのは、男女2人が全裸でもつれ合い転がるオープニング映像でした。これは当時の昼ドラマとしては極めて大胆な演出で、「まだまだおばさんにはなりきっていなかった藤田弓子さんがヌードを堂々とこなしていたのが印象的だった」と視聴者の記憶に残っています。
藤田さんは主演だけでなく、主題歌『ためらいの明日』も歌いました。「歌は藤田弓子、画像は埴輪と裸という、なんとも言えないインパクト」と評されるほどでした。
上の画像は主題歌のCDです。このエピソードを知ると、美しいだけでなく、女優魂を感じますね。
引用元:NHK
1979年、藤田さんは34歳にしてNHK連続テレビ小説『マー姉ちゃん』で主人公の母・磯野はる役を演じました。
長谷川町子の自伝エッセイ漫画『サザエさんうちあけ話』を原作とし、熊谷真実演じる長女マリ子、田中裕子演じる次女マチ子(後のサザエさん作者)の母親として、一家の大黒柱を支える明るくたくましい女性を演じました。
本人は当時を振り返って「母親役は正直年齢差が心配でしたが、『このお母さんはすごく面白いキャラクターだから、新しい見せ方をしたい』という作り手の思いが強く、いかにも"お母さん然"とした人ではなく私を選んだそうです」と語っています。
この作品は平均視聴率42.8%、最高視聴率49.9%という驚異的な数字を記録し藤田さんの演じる破天荒で前向きな母親像は大きな話題となりました。世間からは「従来の母親像を覆す新しいキャラクター」「朗らかな狂気を感じさせる演技力」として注目されました。これ以降、母親役が増えていきました。
2021年の再放送では「なかなかの毒親」「演技力がすごい」とSNSで話題になるほど印象的な役柄でした。
上の画像は『マー姉ちゃん』の時のものです。藤田さんの顔立ちの良さが際立つ髪型ですね。
1981年以降、藤田さんは小栗康平監督の『泥の河』と根岸吉太郎監督の『遠雷』、若松孝二の『水のないプール』など後に映画史に残る名作に相次いで出演しました。どの作品も藤田さんの演技派女優としての評価を決定づけました。
けんこのころの藤田さんは結婚もしていないし、お子さんもいないよね。
34歳のお母さん役、は難しくなかったのかな。
のぞみ私もそう思うわ。
藤田さんはいろいろ工夫したみたい。
たとえば、共演者の人たちとよく食事をしたんですって。
そうすると何も言わなくても
家族の雰囲気が出るそうよ。
他にも座るときはなるべく大きく見えるように立ち位置や
座り方を考えて演じたみたい。
40代(1985年~1994年)
1985年公開の大林宣彦監督『さびしんぼう』で、藤田さんは主人公・井上ヒロキ(尾美としのりさん)の母親・井上タツ子役を演じ、第59回キネマ旬報ベスト・テン助演女優賞を受賞しました。この受賞は藤田さんのキャリアにおいて最も重要な節目の一つとなりました。
引用元:X大林宣彦監督の傑作【さびしんぼう】(1985)…10代だった尾美としのり・富田靖子。
— ヘルベルト•フォン•スダヤン (@suda_yan) June 6, 2020
そして藤田弓子と尾美としのりが親子役というのが(顔立ちが少し似ていて)ぴったり。この映画でショパン「別れの曲」を知った人も多いw
ただ逆にクラシックファンの中には「歌詞をつけると台無し」という人も
>RT pic.twitter.com/dwm9qSzoWz
本人は「結婚したばかりで、母性というものを深く考える時期でもあり、息子への愛情を自然に表現できました」と語っています。劇中でショパンの『別れの曲』を息子に教える場面では、「音楽を通じて親子の絆を描く美しいシーンで、撮影中も感動していました」と回想しています。
上の画像は映画『さびしんぼう』のものです。右側2枚に映っている女性が藤田さんです。美人なお母さんですね。
引用元:NHK
藤田弓子さんは1988年43歳から最終回まで3年間、NHK総合テレビの人気クイズ番組『連想ゲーム』で6代目紅組キャプテンを務めました。相手の白組キャプテンは長年番組の顔として親しまれた漫画家の加藤芳郎氏が務めていました。
『連想ゲーム』は1969年4月から1991年3月まで22年間にわたって放送された国民的番組で、男女の解答者がそれぞれ「白・紅」2チームに分かれて競い合う形式で、藤田さんは紅組の最後のキャプテンでした。
特に加藤芳郎さんと藤田さんのコンビは、正解がなかなか出てこず行き詰まったりすると、意図的に違反ヒントを言い、観客や解答者を笑わせて会場を盛り上げるのがお約束だったそうです。
藤田さんは当時を振り返って「常に笑顔でいること、チームを明るくまとめることを心がけました」と語っています。また、「頭の回転の速い出演者の方々についていくのに必死でしたが、おかげで自分も頭が柔らかくなりました」とも述べています。
上の画像は連想ゲームの時のものです。このころからショートカットが定番になっていますね。
けん連想ゲームってどんなものだったの?
のぞみキャプテンがだすヒントから、連想される言葉を当てるクイズ番組で、
正解したら得点が入るの。もちろん得点が高い方が勝ちよ。
ヒントは単語じゃなきゃダメだったんだけど、
藤田さんはよく文章でヒントを出して、みんなを笑わせてたの。
50代以上(1995年~)
50代以降は静岡に拠点を置き、東京都と行ったり来たりの日々を過ごします。このころから『育自(いくじ)』をテーマにした講演活動開始します。これは「自分を育てる」という意味で、藤田さんが考案した造語です。
引用元:サンフロント21懇話会
「年をとることによって、物事をマイナスに考えがちになりますが、自分を育てていく気持ちでどんどん『育自』していこうという考えを持つべきです」と語っています。世間からは「前向きな人生観」「高齢化社会へのメッセージ」として高く評価され、講演依頼が殺到するようになりました。
上の画像は2010年に講演会でマイクを握る藤田さんです。
2007年、62歳になった藤田さんは阪本順治監督の『魂萌え!』と北野武監督の『監督・ばんざい!』という対照的な作品に出演しました。
本人は「『魂萌え!』では、年齢を重ねた女性の心の動きを丁寧に描いていて、自分の年齢と重ね合わせながら演ました」と語り、「『監督・ばんざい!』は全く違うアプローチの作品で、新しい挑戦でした」と述べています。
2010年、藤田さんは山崎貴監督の木村拓哉さん主演の大作SF映画『SPACE BATTLESHIP ヤマト』に斉藤始の母役で出演しました。65歳にして大作映画への出演は、藤田さんの変わらぬ存在感を示すものでした。
本人は「まさかこの年齢で『ヤマト』に出演できるとは」と語り、「宇宙戦艦という壮大な設定の中での母親役は初めての経験でした」と述べています。
引用元:日本喜劇人協会
2013年、藤田さんは社団法人日本喜劇人協会の副会長に就任しました。これは藤田さんの業界での地位と信頼の証であり、68歳にして新たな責任を担うことになりました。
本人は「日本の喜劇文化の発展に少しでも貢献できればと思い、お引き受けしました」と語っています。
上の画像は、副会長に就任した時の写真です。このころは、今は亡き小松政夫さんが会長を務めていました。
引用元:CoRich舞台芸術
2015年から、藤田さんは岡野雄一原作の舞台『ペコロスの母に会いに行く』でペコロスの母・ミツエ役を演じ始めました。認知症を発症した母と息子の心温まる物語を通じて、社会問題である介護問題に演劇で取り組む意義深い作品です。
本人は「原作の温かい雰囲気を壊さないように演じたい」と語り、70歳という年齢にして新たな社会的テーマに挑戦する意欲を見せました。
世間からは「社会問題に正面から取り組む姿勢」「認知症への理解を深める貴重な作品」として高く評価され、厚生労働省の推薦も受けるなど、単なる娯楽を超えた意義のある舞台として各地で公演が続けられています。
上の舞台は舞台『ペコロスの母に会いに行く』のポスターです。人物紹介の最上段右から2人目が藤田さんです。
藤田弓子のプロフィール・SNS
- 名前:藤田弓子(ふじたゆみこ)
- 生年月日:1945年9月12日
- 年齢:80歳(2025年11月現在)
- 出身地:東京都
- 血液型:A型
- 趣味:俳句・絵・釣り・ゴルフ・お酒・旅・読書
- 所属事務所:株式会社エム・ケイ・ツー
引用元:株式会社エム・ケイ・ツー
けん藤田弓子さんはSNSはやってないのかな?
のぞみええ。調べたけどなかったわ。
映画や番組の公式SNSに出ていることがあるわ。
藤田弓子の現在の活動と家族関係まとめ
- 1990年代から静岡県伊豆の国市に拠点を移し現在も同地で暮らしている
- 静岡と東京を往復しながら映画やドラマに出演する現役女優である
- 夫の放送作家・河野洋と市民劇団「いず夢」を立ち上げ座長として地域文化に尽力している
- 「いず夢」は伊豆の国市の付属劇団としてアマチュアとプロが協働する形態である
- ふるさとを分けてもらったお礼として町のために役立ちたいという動機で座長を引き受けている
- 仕事は常にオーディションだという姿勢で臨み現場での握手を合格の基準と捉えている
- 2021年の映画『老後の資金がありません!』に出演している
- 2023年の映画『ロストケア』にも出演している
- テレビドラマでは『三匹のおっさん』などに継続的に出演している
- 1984年に河野洋と結婚し実子はいない
- 夫の二人の連れ子とは母親ではなく良き友人としての距離感で関係を築いてきた
- 夫婦の日常では夕食を小さなイベントとして楽しみ趣味を共有しつつ敬語で話す場面もある
- 2019年に夫の80歳の誕生日に合わせて生前葬パーティーを開催し約70名が集まったとされる
- 人生観として「育自(自分を育て続ける)」を掲げ講演で発信している
- 若い頃は朝ドラ『あしたこそ』のヒロインで全国的な人気を得ている
- 『新幹線大爆破』の医師役や『マー姉ちゃん』の母役などで演技の幅を広げ評価を高めている
- 『連想ゲーム』では紅組キャプテンを務めた経歴がある
- 総括として伊豆の国市を拠点に女優と地域活動を両立し前向きな人生観で現在も活躍を続けている












