世界的アクションスター、ジャッキー・チェンさんのキャリアを語るうえで外せない事実は、2014年に長男ジェイシー・チャンさんが大麻関連で逮捕された出来事です。父であるジャッキーさんは情に流されず「法を順守させる」と公言し、世間の目より“息子の更生”を優先する姿勢を示しました。
一方で本人は60代以降、体当たりのスタントに頼らない人物ドラマへと軸足を広げ、『ザ・フォーリナー』などで新境地を確立。70代の現在も『Ride On』『Hidden Strike』と話題作が続き、今後も新作公開や映画祭での顕彰が予定されるなど第一線に立ち続けています。
若い頃に京劇学校で鍛えた身体表現と、コメディ×武術で築いた“ジャッキースタイル”は円熟味を増し、家族の試練を乗り越えた今も、俳優・映画人としてアップデートをやめないーーこれが本記事の要点です。
この記事でわかること
- 長男ジェイシー・チャンの逮捕経緯と、その時のジャッキーの対応・発言
- 60〜70代の代表作と“アクション一辺倒から演技重視”への転換点
- 近年の受賞・映画祭トピックや今後の出演予定作品
- 若い頃の経歴(京劇学校・七小福・初期主演)と“ジャッキースタイル”誕生
- 結婚・恋愛エピソードなど家族に関する主要トピックの要点
【画像】ジャッキー・チェンの息子が逮捕されていた?現在の活動は?
2014年、長男ジェイシーさんが北京の自宅で大麻の使用・所持容疑により拘束。ジャッキー・チェンさんは減刑工作を否定し、弁護士の口添えも断って「甘やかさない」姿勢を貫きました。厳しい修業時代を踏まえ、今回を更生の契機にと語り、将来の啓発活動にも触れています。
一方本人は60代以降『ザ・フォーリナー』『Ride On』『Hidden Strike』などで表現の幅を拡大。2016年のアカデミー名誉賞、2025年のロカルノ映画祭顕彰予定とともに、現在も第一線で活躍中です。
ジャッキー・チェンの息子が逮捕されていた?
引用元:シネマトゥデイ
引用元:AFP BB News
2014年(当時60歳)の時に、長男のジェイシーさんが一緒に暮らしていた北京のアパートでマリファナ使用が発覚し、他に100g以上の所持も報じられ、警察に逮捕されました。
この時、ジャッキーさんは「驚きとショック、そして恥ずかしさ」を感じたと率直に述べ、「映画の撮影中だけは忘れられるが、家に帰ると息子のことばかり考えていた」と心情を明かしました。
また、「減刑のために奔走している」という一部報道については完全否定しています。「もし1週間で釈放されたら、世間はどう思う? 息子のためにも法を順守させなければ」と述べ、知人の弁護士からの介入もすべて断っていたことを明かしています。
カンフー修行時代の自身の過酷な経験と比較しつつ、「今回の経験が過去の悪習を正す機会となり、新しい人間になってほしい」と期待を込め、「将来は薬物撲滅大使として若者に経験を伝えるのもいい」と語っていました。
けんジャッキー・チェンさんは歌手活動もしているんだよね?
のぞみうん。ジャッキー・チェンさんは1980年から歌手としても活動し、100曲以上を中国語・広東語・日本語・英語など多言語で歌っているの。
映画の主題歌を自ら歌うことも多く、代表曲には『英雄故事』(『ポリス・ストーリー』主題歌)、『東方的威風 』(『プロジェクトA』のテーマ) などがあるわ。
2024年にはアルバム『SHABANA Best Collection 2024』をリリースし、歌手としても第一線を走り続けているの。
ジャッキー・チェンの現在の活動は?
ジャッキー・チェンさんの現在の活動として、60代と70代についてまとめました。
ジャッキーさんは2017年(当時63歳)の時に、映画『ザ・フォーリナー(The Foreigner)』で、テロ事件で娘を失った父親役を演じました。
今まではアクション一辺倒でしたが、そのイメージを一新し、静かな怒りと悲しみをたたえた表情で、多くの観客の心を打ちました。この時、ジャッキーさんは、「怪我には慣れすぎているんです」「でも、映画を作り続けたいなら、自分も変わらなければならないんです」とお話しされています。
また、何故この作品への出演を決めた理由ついては、このように語っています。
簡単に言うと、もう若くないんです。(笑)もし映画を作り続けたいなら、80歳になっても俳優として活躍できるアジアのデ・ニーロ、ダスティン・ホフマン、クリント・イーストウッドのような人間にならなければなりません。考えてみれば、日本、香港、中国、アメリカにはたくさんのアクションスターがいますが、今ではその多くが引退しています。
だから、私は変わらなければならないと言っているんです。何十年も経った今、きっと皆さんも理解してくれると思いますが、私は常に変化し、良い物語を探し求めてきました。これから何年も経てば、観客もジャッキー・チェンが俳優であり、もはや単なるアクションスターではなく、単なるカンフースターであることを理解してくれると信じています。だから、今も私はアクションの世界で仕事をしています。簡単ではありませんが、映画を作り続けたいのであれば、変わらなければなりません。
引用元:Entertainment WEEKLY
他に60代の代表作品としては、『カンフー・ヨガ』(2017)、『ナイト・オブ・シャドー 魔法拳』(2019)、『プロジェクトV(Vanguard)』(2020)があります。
また、2016年(当時62歳)の時に、長年の映画界への貢献と慈善活動が評価され、正式にアカデミー名誉賞を受賞し、映画史にその名を残しました
ジャッキー・チェンさんは2023年(当時69歳)の時に、映画『Ride On(ライド・オン)』でスタントマンの引退後を描く主人公を熱演しました。
この時、ジャッキー・チェンさんは「最初は、自分についての映画は面白くならないと思っていたんだ。でも脚本家で監督のラリー・ヤンが熱意を込めて再訪してくれて、その情熱に感動して涙が出た」とお話しされており、作品が”世界中のスタントマンへの敬意”として描かれたことに強く共鳴したことが確認できます。
さらに、「本来なら自分はこうした自伝的映画には出ない。でも、今こそ新たな役柄に挑戦する時期だと思った」「失敗してもいい。チャレンジを続けていきたい」という姿勢を語っており、年齢にとらわれず“新しい挑戦”に飛び込む姿が印象的です。
70代の代表作品としては、『Hidden Strike』(2023年)、『ミュータント・タートルズ:ミュータント・パニック!』(2023年)、今後の出演作品予定は、『A LEGEND 伝説』、『The Karate Kid: Legends』(2025年)
また、2025年にロカルノ映画祭で名誉あるパルド・アッラ・カリエラ賞を受賞する予定です。
けんジャッキー・チェンさんに憧れている 日本芸能人は?
のぞみそれは、内村光良さん(ウッチャンナンチャン)でテレビでも度々ジャッキーネタを披露しているわ。
武田鉄矢さんは、ジャッキーの髪型をまねるほど熱狂的なファンなの。中川翔子さん(しょこたん)は中川翔子さんは、16歳の誕生日に香港で偶然ジャッキー・チェンさんに出会い、誕生日を祝ってもらったことに感激し、「ありがとうと言える人になりたい」と芸能界を志すきっかけとなるほど、ジャッキーさんを敬愛しているの。
染谷将太さんは、ジャッキー・チェンに憧れて役者になったと公言しており、共演を夢見ているみたいよ。
池内博之さんは、ジャッキー・チェン主演の映画『鉄道飛虎』(2016年)で共演を果たし、「子どもの頃から憧れていた」と喜びを語っているわ!
【画像】ジャッキー・チェンは若い頃イケメン!
幼少期から京劇学校で鍛え上げた身体能力と表現力は、十代の子役・スタント経験を経て開花。二十代で『蛇拳』『酔拳』によりコメディ×武術の“ジャッキースタイル”を確立し、監督業にも踏み出します。
私生活ではジョアン・リンさんと極秘結婚。三十代は『ポリス・ストーリー』で命懸けのスタントを敢行、四十代に『紅番区』『ラッシュアワー』で世界的スターへ。端正なルックスに大胆な身体技、職人肌の創作姿勢が重なって唯一無二の魅力を形づくりました。京劇学校の精鋭「七小福」でサモ・ハンさん、ユン・ピョウさんと切磋琢磨した土台も大きいです。
10代(1964年~1974年)
引用元:Record Chaina
ジャッキー・チェンさんは、旧香港植民地のヴィクトリアピークにて、国共内戦からの難民であったチャールズ・チャンさんとリー・リー・チャンさんの間に「チャン・コンサン(陳港生)」として誕生しました。
体重は12ポンド(約5.4キログラム)と非常に大きく、生まれた直後から「パオパオ(砲弾の意)」というあだ名がつけられたそうです。
ジャッキーさんは香港のナホア小学校に通うも1年生で落第し、両親の判断で退学しました。生活環境はフランス領事館の敷地内という特殊なもので、外交官エリアの中で幼少期を過ごされていたことが確認できます。
上の画像はの幼少期の時のものです。母親に似ている気がします。
引用元:Record Chaina
ジャッキー・チェンさんは、1960年(当時6歳)の時に、父親がオーストラリア・キャンベラのアメリカ大使館で料理長として勤務することになり、本人は香港に残り、中国戯劇学院(京劇学校)に入学されました。
この時、ジャッキーさんは京劇の名師・于錦淵(ユウ・ジンユエン)師匠のもとで、約10年間にわたって武術・アクロバット・歌・演技を厳しく鍛えられました。
ジャッキー・チェンさんは1962年(当時8歳)の時に、グレードAピクチャーズ製作の広東語映画『Big and Little Wong Tin Bar』(邦題例:『大と小の黄天霸』)で映画デビューしました。
この時、まだ子役としてスクリーンに登場したジャッキーさんは、実は京劇学院に在籍中の“エキストラ出演”であり、後にブルース・リー作品にも繋がる演技人生の一歩を踏み出したことが確認できます
上の画像は中国戯劇学院に所属していた幼少期の時のものです。ポーズが決まっていてカッコいいですね。
ジャッキー・チェンさんは1971年(当時17歳)の時に、芸名「チャン・ユンロン」で映画『怒りの鉄拳』『燃えよドラゴン』にスタントマンとして出演しました。
1973年(当時19歳)の時には、『タイガー・プロジェクト/廣東小老虎』で初主演を果たし、スタントマンとしても頭角を現して来たことが確認できます。
上の動画は1973年(当時19歳)の時に『タイガー・プロジェクト/廣東小老虎』時の初出演した時のものです。19歳でこのアクションはやはり中国戯劇学院でとても優秀だったことが改めて分かりますね。
けんジャッキー・チェンって、子どもの頃から優秀だったの?
のぞみうん。ジャッキーさんは、中国戯劇学院(京劇学校)で特に優秀な生徒だけが入れる「七小福(セブン・リトル・フォーチュンズ)」というグループに所属していて、「ユン・ロー」という芸名で活動していたの。
サモ・ハン・キンポーさん、ユン・ピョウさんと「三兄弟(三龍)」と呼ばれるほど親交も深かったみたいよ!
20代(1974年~1984年)
引用元:映画ナタリー、ソニー・ピクチャーズ
ジャッキー・チェンさんは、1978年(当時24歳)の時に、『蛇拳』で主演を務め、これまでの武術映画とは異なるコミカルかつ軽快なアクションで注目を集められました。
また、ジャッキー・チェンさんは1979年(当時25歳)の時に『酔拳』で主演を務め、“酔えば酔うほど強くなる”という独創的なカンフースタイルを確立されました。
この時、ジャッキー・チェンさんはこのようにお話しされています。
「僕も最初は『酔拳』に出演するとは思ってなかったんだ。あの頃は、以前契約していた会社で、僕の望む映画ではない映画に出ていてね。すべて監督の言いなりだった。あの頃は、『蛇鶴八拳』や『少林寺木人拳』を撮ってて、スタッフもみんな若かったからいろいろ悩んで試行錯誤していた。それで、いろいろな拳法をやったんだ。『五形拳』や『蛇拳』なんかもね。『蛇拳』が注目されたおかげで、次の『酔拳』が撮れたんだ」
「そうだね。あの作品のために、色々したよ。劇中同様、毎日お酒を飲んで、ずっとほろ酔い状態でいようとしたんだ。演技もきっとよくなると思ってね。皆が撮影のセッティングをしてる時に、少し飲んで、また飲んで、人がいなくなったらまた飲んで、夜食のあとにね。酒はすぐに酔わず、徐々に来るだろ? 本当にほろ酔い状態で酔拳を撮りたかったんだけど、それはできなかったよ。都合よくほろ酔いにはなれないね」
“酔拳”の動きがあまりにリアルで本当に酔っているように観えるが、「芝居も良くなると思って、ほろ酔い状態で撮影したかったんだけど、それはできなかったよ」と残念そうに当時を振り返るジャッキー。さらに「暑い日に1日80カット近く撮影していたから、全身汗だくで大変だった。あのとき苦労したおかげで、今の僕がいるんだと思う」と自分を褒めてあげたい心境を語った。
引用元:マイナビニュース、シネマトゥデイ
このことからさまざまな拳法に挑戦する中で模索を重ねていたことが確認できます。
上の1枚目の画像は、1978年(当時24歳)の時に『蛇拳』に、2枚目の画像は、1979年(当時25歳)の時に『酔拳』に出演した時のものです。武術アクションにコメディー要素も加わってジャッキースタイルの誕生ですね。
引用元:映画ナタリー
ジャッキー・チェンさんは、1979年(当時25歳)『少林寺木人拳』の時にで初めて監督兼主演を兼任し、自身の作品に全面的に関わる映画作家の第一歩を踏み出されました。
このことについて直接的に本人が語られている内容はありませんでしたが、この時、監督を務めることにより「俳優」から「クリエイター」へと領域を広げ、自らのアクション作品に持続性と独自性を持たせる重要な転機となったことが確認できます。
上の画像は1979年(当時25歳)『少林寺木人拳』の時にの時のものです。これでご自身がやりたいことや思いを自分の手で形にすることが出来たのですね。
引用元:共にDIAMOND ONLINE
ジャッキー・チェンさんは1982年(当時28歳)の時に、台湾の人気女優ジョアン・リン(林鳳嬌)さんとの間に子どもを授かり、1983年(当時29歳)の時にロサンゼルスで極秘結婚されました。前年の1982年(当時27歳)の時に香港の歌手のジェイシー・チャンが長男として誕生しました。
この時、ジャッキーさんは「ジョアンとの関係が世間に知られることで、彼女やファンに悪影響が及ぶのではないか」と強く心配されており、実際に日本のメディアが“結婚済み”と報じたことで2人の日本人女性ファンが自ら命を絶つという衝撃的な出来事もあったそうです。
妊娠を知った時のジョアンさんは「あなたのためにも、この子を産むわ」と穏やかに伝え、人気絶頂の中で全ての仕事を断りアメリカへ渡航しました。また、撮影中だったため、マネージャーだけを同行させたという静かな覚悟が確認できます。
出産が近づいた頃、ジャッキーさんはようやく時間を作って現地に向かい、現地のカフェの個室で簡易的な結婚式を挙げたといいます。「式はおざなりだったが、あの瞬間は確かだった」と、当時の心情を素直に綴っています。
その夜、妻は入院し、間もなく長男が誕生しました。「ジェイシー・チャン(房祖名)」という名前は、ジャッキー・チェンの頭文字“J”と“C”に由来しており、父としての思いと遊び心が込められています。
上の1枚目の画像は、1983年(当時29歳)ジョアン・リンさんと結婚した時のものです。本当に素敵なラブラブ振りですね。
けんジャッキー・チェンさんの有名な恋人は誰?
のぞみ1970年代末、ジャッキーさんは台湾の歌姫テレサ・テンさんと交際していたの。
アメリカ滞在中に偶然向かいの家に住んでいたことがきっかけで親しくなり、交際へと発展したそうよ。
しかし、香港に戻るとジャッキーさんの周囲には常に“兄弟分”がいて、次第に2人の距離は離れていってしまったみたい。
後年、ジャッキーさんは「自分がロマンを理解できない人間だった」と語っており、それが破局の一因だったと振り返っているの。
さらに、兄弟分たちのアドバイスに従い、最終的にはテレサさんではなく、現在の妻であるジョアン・リンさんとの人生を選ぶ決断を下したことを明かしているわ!
30代(1984年~1994年)
ジャッキー・チェンさんは1985年(当時31歳)の時に、『ポリス・ストーリー/香港国際警察』でショッピングモールの光の柱を滑り降りる危険なスタントを自ら実行しました。
この作品は全7作品で構成されており、1985年に公開されてから、最新作は2017年までにリリースされましたジャッキー・チェンさんの出演作の中でファンに最も支持を集めた作品でもあります。
代表的な7作品は、『ポリス・ストーリー/香港国際警察』(1985年)、『ポリス・ストーリー2 九龍の眼』(1988年)、『ポリス・ストーリー3』(1992年)、『ファイナル・プロジェクト』(1996年)、『香港国際警察 NEW POLICE STORY』(2004年)、『ポリス・ストーリー/レジェンド』(2013年)、『ポリス・ストーリー REBORN』(2017年)です。
この時、ジャッキー・チェンさんは「電気の熱で柱がすごく熱くなり、火傷を負った」と語っており、手に熱傷を負いながらも完遂した命懸けの覚悟が確認できます。
上の画像は、1985年(当時31歳)の時に出演した『ポリス・ストーリー/香港国際警察』の時のものです。正に体を張って命がけで挑んだ作品なので手に汗握るハラハラドキドキアクションですよね。
けんジャッキー・チェンさんが理想とする俳優像は?そして憧れの俳優は?
のぞみジャッキーさんの理想は、アクションだけでなく、喜劇も悲劇も演じられる“万能な俳優”で、さらに、監督・脚本・編集までこなせる存在を目指しているそうよ。
ジャッキーさんの“マイ・アイドル”は、なんと日本の俳優・小林旭さんです。インタビューで「今一番ほしいものは?」と聞かれた際、「アキラ・コバヤシのサインがほしい」と即答するほどの大ファン。
「小林旭を基準にアクションを考えてきた」と語っており、小林作品で見られる階層を使った立体的なアクションや、コミカルな演出に大きな影響を受けています。10代の頃に観た『渡り鳥』『流れ者』シリーズのインパクトは、ジャッキーの映画づくりにも色濃く反映されているみたいよ!
40代以上(1994年~)

ジャッキー・チェンさんは、1995年(当時41歳)の時に『紅番区(Rumble in the Bronx)』で北米進出を果たしました。ジャッキーさんはこの作品で全米興行収入初登場第異1位を獲得し、MTV映画賞にもノミネートされるなど大きな注目を集めました 。
ジャッキー・チェンさんは、1998年(当時44歳)は『ラッシュアワー』(Rush Hour)』で世界的名声獲得しました。こちらの作品もシリーズ化しており、『ラッシュアワー』(1998)、『ラッシュアワー2』(2001)、『ラッシュアワー3』(2007年)の三部作です。
2007年(当時53歳)の時に『ラッシュアワー3』で真田広之さんと初共演しました。
この時、ジャッキー・チェンさんは「真田さんとのファイトシーンで『彼はこんなにスゴイんだ』と改めて知った」と語られており、アクション俳優としての真田さんの力量に感服された様子が確認できます。
また、撮影前にはパリのロケ地を何度も下見するなど、舞台裏でも準備に余念がありませんでした。
ジャッキー・チェンさんは、2017年(当時63歳)の時に『ラッシュアワー4』制作にゴーサインを発表しました。この時、ジャッキーさんは「この7年間、ずっと脚本にダメ出ししてきたけれど、ようやく納得できる内容になった。何も問題がなければ来年には撮影に入ると思う。ただし、クリス・タッカーが出演するならね」と語っています。
このことから長年の相棒との再共演に意欲を見せていたことが確認できます。
上の1枚目の画像は1995年(41歳)の時に出演した『紅番区(Rumble in the Bronx)』の時のものです。全米の指示も集め、世界のジャッキー・チェンに君臨しましたね。
2枚目の動画は、1998年(当時44歳)の時に『ラッシュアワー』(Rush Hour)』に出演した時のものです。アクションも尚のことですが、お二人の息がぴったりで本当に面白い作品です。
引用元:映画.com
ジャッキー・チェンさんは、2004年(当時50歳)の時にに出演した『ニュー・ポリス・ストーリー』では、これまでのイメージを覆すダークで重厚な作風に挑戦されました。
この時、ジャッキー・チェンさんは、現場では「遊ぶ時は遊ぶ、遊んじゃいけない時は絶対遊ばせない」と語るなど、長年の経験に基づいた厳格な現場指導で撮影を牽引されました。
また、「映画はギャンブル。良いと思っても結果は分からない」としつつ、「本当に“そういうこと”が起こった気持ちで演じた」と語るなど、感情を押し殺した誕生日シーンでは2日間も気持ちが滅入るほどの入魂の演技を披露しました。
「失敗ではなく、まだ成功していないだけ」と若者へのメッセージも語られており、人生観とともに役に真摯に向き合っていたことが確認できます。
上の画像は、2004年(当時50歳)の時にに出演した『ニュー・ポリス・ストーリー』の時のものです。もう、パンフレットだけでも興味をそそられますよね。
ジャッキー・チェンさんは2010年(当時56歳)の時に公開された『ベスト・キッド(The Karate Kid)』で、初めてカンフーの師匠“ミスター・ハン”を演じました。
この時、ジャッキー・チェンさんは、「ずいぶん年を取ったもんだな」と語りつつも、「この作品で誰かがカンフーを始めてくれたら本望」と武術の精神を伝える意義を強調されました。
ウィル・スミスからのオファーには当初戸惑いがあったものの、「戦うだけでなく相手をリスペクトする精神が描かれていた」と脚本に感銘を受け、出演を快諾したそうです。
共演したジェイデン・スミスさんについては「彼を見守るだけで、師匠って楽だなと思った」「若い頃の自分を見るようだった」と語り、現場では信頼に満ちた関係が築かれていたことが確認できます。
上の画像は、2010年(当時56歳)の時に公開された『ベスト・キッド(The Karate Kid)』の時のものです。ジェイデン・スミスさんとのやり取りはまるで親子のような雰囲気で、今までの作品とはまた異なる魅力があります。
けんジャッキー・チェンさんは、不倫をしていたことがあるんだよね?
のぞみうん。1990年に「ミス・アジア」でグランプリを獲得した元女優のエレーン・ン(呉綺莉)さんと、ジャッキーさんとの間に“秘密の関係”があったと報じられたの。
エレーン・ンさんは、当時実業家ジョージ・イップ氏と交際中でしたが、ジャッキーさんと密かに恋愛関係になっており、彼女は影響力のあるイップ家との関係を断ち切れず、“二重生活”を送っていたとされているわ。
1998年にジョージ氏が事故死し、翌年エレーンさんはテレビでジャッキーさんの子を妊娠していると告白したの。
ジャッキーさんは「全世界の男性が犯す過ちを自分もした」と関係を認め、「ただの色遊びだった」と発言し批判を浴びたの。
その後、娘が誕生したんだけど、ジャッキーさんは「誰にでも過ちはある。彼女が一人で生きていくなら、それでいい。自分から関わることはない」と語り、関係を完全に断つ姿勢を示したみたいよ!
ジャッキー・チェンのプロフィール・SNS
引用元:hauteliving
プロフィール
- 名前:成龍(セン・ロン)日本では「ジャッキー・チェン」を俳優名としている。
- 本名:陳 港生
- 生年月日:1954年4月7日
- 年齢:71歳(2025年10月現在)
- 出身地:香港
- 趣味:サッカー観戦、ビリヤード、歌
- 特技:アクロバット、武術、語学力
SNS
- Instagram URL:https://www.instagram.com/p/DKd74Zvywlz/?img_index=1
- facebook URL:https://www.facebook.com/jackie
- オフィシャルサイト URL:https://www.jackiechan.com/news/

けんジャッキーさんの趣味や特技っていっぱいあるよね?
のぞみ趣味は身体を動かすこと全般で、長年続けているアクションやスタントは“筋肉の記憶”として体に刻まれているほどなの。
完全に体に染み込んだ“筋肉の記憶”で、71歳でもスタントを続ける姿勢を明言しているわ!











