加賀まりこさんが現在も演出家・清弘誠さんと「事実婚」の関係を続けているということです。ふたりは麻雀仲間としての長い交流を経て、清さんのご家族の事情に寄り添いながら関係を育み、法的な婚姻ではなく互いを支え合うパートナーシップを選択しました。
一方過去には、川端康成との親しい往来(本人は交際否定)、石坂浩二との交際・同棲説(諸説あり)、布施明にまつわる噂(裏付けなし)などが語られ、高田明侑さんとは1974年に結婚し1980年に離婚しています。
若い頃から「小悪魔」「和製ブリジット・バルドー」と評される抜群の存在感で、『月曜日のユカ』『泥の河』『花より男子』など数多の代表作を残し、80代となった今もドラマ出演で輝きを放っています。
本記事では、現在の事実婚の背景とこれまでの恋愛・結婚史、そして若き日の美貌とキャリア年表まで、一次情報の有無や噂の扱いを明記しながら整理して解説します。
この記事でわかること
- 清弘誠さんとの現在の「事実婚」の実情と選択理由
- 川端康成・石坂浩二・布施明に関する関係の真偽(噂・本人談の区別)
- 高田明侑さんとの結婚と離婚、年表での整理
- 若い頃のビジュアルと主要出演作(代表作・受賞歴)
- エピソード出典の扱い方(公式発言/報道/噂の線引き)
【画像】加賀まりこは旦那と事実婚!元カレ・元夫との恋愛遍歴は?
加賀まりこは旦那と事実婚!
引用元:X(エックス)#あのときSNSがあったらどれだけ荒れたのか総選挙
— まゆー (@degu_mayu) October 20, 2022
加賀まりこ、未婚の母に pic.twitter.com/6ue8cSpXey
加賀まりこさんは、1972年(当時21歳)の時に、未婚のまま女の子を妊娠し、シングルマザーとして育児をする決意を明らかにしていました。この時、父親に関しては「名は明かしません」とお話しされています。
しかし、出産予定日よりも2か月早く帝王切開をして生まれましたが、間もなく亡くなってしまいました。死因については公開されていません。
その2年後の1974年(当時31)の時に、フジテレビで勤務していた高田明侑さんと結婚しましたが、1980年(当時37歳)の時に離婚しました。
引用元:X(エックス)
加賀まりこさんは、2002年のころ(当時59歳)から、6歳年下の演出家である清弘誠さんと事実婚を続けています。
二人は長年の麻雀仲間だったそうです。加賀まりこさんが好きになったそうですが、最初は振り向いてもらえなかったそうです。そして、加賀まりこさんは5年間アタックを続けました。
当時から、清弘誠さんには自閉症の息子さんがいます。その時の状況について加賀まりこさんは、「若くして離婚して、お母さんに手伝ってもらいながら育ててきた息子が、自分が老いた後、どうやって生きていけばいいだろうかと彼は頭を悩ませてた」と語っています。その状況も理解しつつ、気長にアプローチを続けていたそうです。
清弘誠さんが振り向いてくれたのは、息子さんを預ける学園が見つかってからでした。
また、清弘誠さんには娘さんもいて加賀まりこさんとの関係も良好だそうです。
けん加賀まりこさんは、どうして事実婚を続けているのかな?
のぞみそれは息子さんのためではないかと言われているわ!
加賀まりこの恋愛遍歴は?
1人目:川端康成
引用元:X(エックス)加賀まりこを前に笑顔の川端康成(1965) pic.twitter.com/h35lPFthAN
— プリン人形 (@icjk2019) November 22, 2023
1人目は作家の川端康成さんです。22歳のころで、40歳以上の年の差がありました。2人で朝食を食べに行くこともあったそうです。しかし、加賀まりこさんは交際ではないと否定しています。
加賀まりこさんは、幼少期に母から「世間体を気にする生き方は最低」と教えられた影響で、「自分に正直」をモットーに行動しているということです。
そのため、好きな人には自分から積極的にアプローチをするとお話しされています。そんな加賀まりこさんには、今まで5人の恋人がいたことが噂されています。
2人目:石板浩二
引用元:X(エックス)石坂浩二 ドラマで元妻の浅丘ルリ子&元恋人の加賀まりこと共演: ざっくり言うと * 石坂浩二がドラマで元妻の浅丘ルリ子、元恋人の加賀まりこと共演する *… https://t.co/Ec1cNHUeHm #エンタメ #相互 pic.twitter.com/dTnh7gwa69
— キャンディーズ・アイドル相互 (@kaoritenko) June 30, 2016
2人目は俳優の石板浩二さんです。石坂浩二と加賀まりこは、1966年ころに舞台「泥棒たちの舞踏会」で共演したことをきっかけに、交際が始まったとする説があります。その後、2人が一時的に同棲していたとの記述も、加賀まりこさんのウィキペディア記事に見られました。
ただし、両者ともに明確な証拠を示した公的な発言は限られており、関係の詳しい期間や実態については一致した裏付けがありません。「交際は続いたが、互いの仕事の忙しさによって自然消滅した」との記録もあります。
このように、2人が交際していた可能性は否定できませんが、詳細な年月や性質については確定的ではありません。
3人目:布施明

3人目は歌謡歌手の布施明さんです。当時29歳でした。しかし、布施明さんとの交際は公表されていません。しかし、1972年に出産した際の相手なのではないかと噂されました。
加賀まりこさんと歌手・布施明さんとの関係については、確実な証拠が乏しく、あくまで噂の領域を出ないものです。布施明との交際が公に認められたことはなく、直接的な言明も確認されていません。
4人目:高田明侑
4人目はフジテレビプロデューサーの高田明侑さんです。加賀さんは1974年2月、高田さんと結婚しましたが、1980年3月に離婚しています。6年で離婚することとなりました。高田明侑さんは、2011年1月8日、埼玉県内の病院で心不全により75歳で逝去しています。メルカリ販売の週刊女性の2つ目に当時の写真があります。
5人目:清弘誠

5人目が現在事実婚状態の清弘誠さんです。加賀まりこさんは現在、清弘誠さんと事実婚のパートナー関係にあると公言しています。清さんはかつてTBSで演出・プロデューサーを務めてきた人物で、テレビドラマの現場で長く活躍していたことが報じられています。
加賀さん自身の語りによれば、彼らは長年「友人や麻雀仲間」として付き合いが続いてきており、55歳ごろから加賀さんが清さんに思いを寄せ始め、約5年のアプローチを経て「友達ではなく恋人になってほしい」と告白し、59歳ごろから事実婚関係になったと述べています。ただし、あくまで「事実婚」であり、法的には婚姻関係ではないです。
けん加賀まりこさんは、たくさんのうわさがあるんだね
のぞみ恋多き女性としても有名だったみたいよ!
【画像】加賀まりこは若い頃美人!
幼少期・10代(1943年~1963年)
引用元:X(エックス)加賀まりこ17歳 可愛すぎる!!#ダウンタウンDX pic.twitter.com/H9rOsc09SM
— どんぐり (@tMTN45NfIU9CkL2) September 15, 2022
加賀まりこさんは、1943年に生まれ、現在も映画会社大映のプロデューサーとして知られている加賀四郎が父親という芸能一家で育ちました。
明年星学園高等学校に在学中の1960年(当時17歳)の時に、神楽坂の路上で「今度僕らがとる映画にあなたに出てほしいんです」と、スカウトされました。そしてフジテレビ系ドラマ『東京タワーは知っている』でデビューしました。
上の画像は『ダウンタウンDX』で放送された17歳の時のものです。17歳とは思えないほど美人ですね!
引用元:X(エックス)#HBD
— 三久真空 (@mickmac70) December 11, 2024
加賀まりこ
『涙を、獅子のたて髪に』1962 pic.twitter.com/n5zh9BtYs3
加賀まりこさんは、1962年(当時19歳)の時に、『涙を、獅子のたて髪に』で映画デビューをしました。
この時加賀まりこさんは、松竹と5年契約を結んでいます。デビュー以来、奔放な言動でマスコミをにぎわせており、「小悪魔」や「和製ブリジット・バルドー」などと呼ばれていました。ブリジット・バルドーとは、フランスの女優です。
上の画像は『涙を、獅子のたて髪に』に出演している時のものです。ユキという少女を演じました。
けん加賀まりこさんは、芸名をどうして「まりこ」にしたのかな?
のぞみそれは、秋山庄太郎さんが「加賀だったら、『まりこ』が明るくていいじゃないか」と名付けたそうよ!
20代(1963年~1973年)
引用元:NIKKATSU
加賀まりこさんは、1964年3月(当時20歳)の時に、映画『月曜日のユカ』で主演を務めました。
この時加賀まりこさんは、中尾彬さん、山本陽子さんと共演しており代表作の一つとなっています。
この映画の後も数々の映画に出演し、小悪魔的なルックスと高い演技力で人気女優となりました。しかし、歯に衣を着せぬ発言や、強気な態度から「生意気」とレッテルを貼られていたようです。その言動が波紋を呼ぶこともありました。
上の画像は『月曜日のユカ』のポスターのものです。この映画では、心は純真な娼婦を演じました。
引用元:デイリー新潮
加賀まりこさんは、同じく1964年5月(当時20歳)の時に、半年先までの仕事のスケジュールもキャンセルして休職をしました。
この時加賀まりこさんは、「『加賀まりこ』というパッケージだけが独り歩きしているのに嫌気が差して」、「『女優なんかやめて転職しよう』と、本気で思っていた」とお話しされており、女優を楽しめていなかったことが確認できます。
この期間は、パリで生活をしていました。このころ、カジノでギャンブルを楽しまれたり、買い物をしたりでお金を使い切るという目的を持っていてそれを達成したそうです。
上の画像は20歳の時のものです。当初は映画祭などに参加していており、その時の写真です。
引用元:X(エックス)加賀まりこさんのオンディーヌ
— 九十九屋さんた(さかなや) (@tikutaku) February 17, 2023
割合昔にしっていて脚本もパンフレットも買ったんだけど、どこかに映像残ってないかとずっと思っている pic.twitter.com/DSWhV9xNiy
加賀まりこさんは、パリで過ごし始めて1年ほどたった1965年6月(当時21歳)の時に、日本へ帰国し劇団四季の舞台『オンディーヌ』に出演しました。
この時加賀まりこさんは、演出家の浅利慶太さんから電話がかかってきて出演しないかと聞かれたそうです。
そのことを姉に相談したところ、「あんたみたいなチンピラにできるような役じゃない」と言われむかついた、ということをお話しされています。そして、やってみてダメだったら仕事を変えられるとも考えていたそうです。
しかし、この舞台は大盛況となり、加賀まりこさんはこのことがきっかけで演技を学び女優になることを本気で決心したと語っています。
上の画像は『オンディーヌ』に出演していた時のものです。
けん加賀まりこさんは、どうしてお金を使い切りたかったのかな?
のぞみそれは、「こんなにお金持ちの20歳の女の子なんて普通じゃない」という居心地の悪さがあったみたいよ!
30代(1973年~1983年)
引用元:NHKアーカイブス
加賀まりこさんは、1977年(当時34歳)の時に、大河ドラマ『花神』に出演しました。加賀まりこさんはこの時が初の大河ドラマ主演でした。
この時演じた役について加賀まりこさんは、「夫の名声や出世におよそとらわれない女性だという点が、一番好きでした」とお話しされており、好きな気持ちを持って演じていたことが確認できます。
上の画像は『花神』のワンシーンのものです。主人公の妻を演じました。
引用元:X(エックス)「泥の河」の加賀まりこさんは本当に美しいよ pic.twitter.com/07hJYNQlYQ
— ピチ子 (@comomoda1) September 22, 2020
加賀まりこさんは、1981年(当時38歳)の時に、木村プロダクションによる自主制作の映画『泥の河』に出演しました。そして、第55回キネマ旬報ベスト・テンの助演女優賞を受賞しています。
この時加賀まりこさんは、多忙であったため東宝の撮影所に船を持ち込んで、6時間ですべての出演シーンの撮影を終えたそうです。衝撃の忙しさですね!
上の画像は『泥の河』出演時のものです。出演時間は長くくないものの、インパクトの強さで多くの人の記憶に残っているようです。
けん加賀まりこさんは、助演女優賞を受賞したんだね!
のぞみ2025年現在までで計7個の賞を受賞しているわ!
40代以上(1983年~)
「夜のヒットスタジオSUPER」1989年10月25日放送。オープニング↓の番組欄の翌週加賀まりこ司会2回目。初司会の苦情が200本だったそう(苦笑)月1回の90分放送も1989年12月で終了したり歌番組自体が難しい時代に入る。 https://t.co/MkqVAFcAv9 pic.twitter.com/PMvd20ZEs2
— キネコ (@kinekoV) November 2, 2021
加賀まりこさんは、1989年から1990年の間、古舘伊知郎さんとともにテレビ番組『夜のヒットスタジオ』の司会を務めました。この時加賀まりこさんは、司会者としても思っていることをはっきり言うところが注目を集めていたようです。上の画像は司会者を務めている時のものです。1枚目の右側にいるのが加賀まりこさんです。
引用元:X(エックス)平成17年 ドラマ 花より男子 加賀まりこさん pic.twitter.com/zVzAyjStnn
— Tayuki (@72tayuki) March 31, 2024
加賀まりこさんは、2005年から2007年にかけて放送されたテレビドラマ『花より男子』に出演しました。この出演により、若い世代から「道明寺のお母さん」として認知されるようになりました。
この時加賀まりこさんは、「鉄の女というか、血が通ってない役は似合わないと思って最初は断ったけど、クランクイン1週間ほど前にプロデューサーと演出家の方に口説かれ、その熱意に打たれて出演を決めた。反響が凄かったわ」とお話しされています。
上の画像は『花より男子』のワンシーンのものです。役で認知されるようになるとは、すごい存在感だったのですね!
引用元:クランクイン
加賀まりこさんは、2025年(当時81歳)の時に、桜井ユキさんが主演のドラマ『しあわせは食べて寝て待て』に出演しました。
この時加賀まりこさんは、原作漫画を読んで、「『マンガのジャンルって広いんだな』『こんなにヒューマンなものがあるんだ!』と驚きました。本当に心が温まる優しい物語で、これをちゃんと表現してお伝えしたいと思いました」とお話しされており、原作を大切にされていたことが確認できます。
また、自分の円いた役で人間性の部分で勉強になるところがあった、ということもお話しされていました。
上の画像は『しあわせは食べて寝て待て』のワンシーンのものです。ちょっぴりおせっかいな90歳の大家さんを演じました。白髪でもキュートな魅力がありますね!
けん加賀まりこさんは、90歳の役を演じたんだね?
のぞみファンからは「加賀まりこさんだったのか!」という驚きや、「おばあちゃん役でもかわいい」といった絶賛の声が多く出ました!
加賀まりこのプロフィール・SNS
引用元:クランクイン
プロフィール
- 名前:加賀まりこ(かが まりこ)
- 本名: 加賀 雅子
- 生年月日:1943年12月11日
- 年齢:81歳(2025年9月現在)
- 出身地:東京都
- 血液型:O型
- 趣味:スポーツ観戦
- 特技:フランス語
- 所属事務所:個人事務所
著書
けん加賀まりこさんはどのスポーツが好きなのかな?
のぞみ特に相撲や野球の感染が好きだったみたい!会場まで足を運んでいたそうよ
加賀まりこの事実婚と恋愛遍歴まとめ
- 現在のパートナーは演出家の清弘誠で、6歳年下の元TBSプロデューサーとされる
- 二人は麻雀仲間で、加賀が約5年間アプローチし関係が深まったと語っている
- 清の自閉症の息子の将来を案じる事情を理解し支えたことが事実婚継続の背景にあるとされる
- 息子を預ける学園が見つかった段階で交際へ進展し、清の娘とも良好な関係とされる
- 1972年に未婚のまま妊娠を公表し、シングルマザーとして育てる意思を示している
- 出産は予定より2か月早い帝王切開で女児誕生も間もなく死去、父親名は非公表
- 1974年にフジテレビの高田明侑と結婚し1980年に離婚している
- 高田明侑は2011年に心不全で逝去と報じられている
- 川端康成とは年の差で親しく朝食を共にしたが、加賀本人は交際を否定している
- 石坂浩二とは1966年の共演を機に交際・同棲説があるが詳細は未確定(噂)
- 布施明とは交際非公表で、1972年出産相手との噂はあるが裏付けはない(噂)
- 1960年にスカウトされ『東京タワーは知っている』で芸能界デビュー
- 1962年『涙を、獅子のたて髪に』で映画デビューし「小悪魔」「和製ブリジット・バルドー」と評された
- 『月曜日のユカ』主演後に休職しパリ滞在、1965年『オンディーヌ』出演を機に女優継続を決意している
- 1977年大河『花神』に出演、1981年『泥の河』でキネマ旬報助演女優賞を受賞し6時間で全シーン撮了の逸話がある
- 1989〜90年『夜のヒットスタジオ』司会、2005〜07年『花より男子』で道明寺母役が話題、2025年もドラマ出演を継続
- 総括:事実婚を公言しつつ独自の生き方と円熟した演技で現在も支持を集めている









