【画像】熊田曜子と旦那との離婚理由やポールダンスを始めたきっかけは?若い頃かわいい!

熊田曜子さんは2012年に同い年の会社員と結婚し、3人の娘に恵まれましたが、2021年に家庭内トラブルが表面化。夫は暴行を否認したものの、最終的に罰金20万円の有罪判決が確定し、その後は双方の訴え取り下げを経て、2023年4月21日に協議離婚が成立しました。現在は親として連携しながら子育てを続けています。

一方で、彼女がポールダンスを始めたのは2021年の自身のYouTube企画がきっかけ。世界王者・小源寺亮太さんの直接指導に触れ、その美しさと表現力に魅了され、本格的な練習を週3〜4回のペースで継続。2024年12月の世界大会では2位に入賞し、2025年2月の「K-1 AWARDS 2024」でもオープニングを飾るなど競技者としても存在感を発揮しています。

学生時代の大幅減量を経て看護学校から芸能界へ転身した“自己管理力”が、産後も体を磨き続ける現在の強さにつながっており、グラビア・テレビに加えてポールダンスという新領域でキャリアを再構築している点が最大の見どころです。

この記事でわかること

  • 2012年の結婚から2023年4月の離婚成立までの流れと現在の家族関係
  • ポールダンスを始めたきっかけ(2021年の企画・小源寺亮太さんの指導)と練習頻度
  • 主な実績(2024年世界大会2位、2025年「K-1 AWARDS 2024」出演)
  • 若い頃の体型変化〜大幅減量、看護学校から芸能デビューまでの略歴
  • 最新の活動・SNS発信の見どころと関連リンク
目次

【画像】熊田曜子の旦那との離婚理由は?ポールダンスを始めたきっかけは?

グラビアアイドルとして一時代を築いた熊田曜子さん。プライベートでは3児の母として家庭を支えていましたが、2021年に夫との間でDV・不倫疑惑など複雑なトラブルが報じられ、泥沼裁判に発展しました。最終的に2023年4月に離婚が成立し、現在は3人の娘とともに新たな生活をスタートさせています。

一方で、再出発の象徴ともいえるのが「ポールダンス」。YouTube企画をきっかけに本格的にのめり込み、世界大会2位という快挙も達成。彼女の姿からは、“逆境を力に変える女性の強さ”が感じられます。

熊田曜子の旦那との離婚理由は?

熊田さんは、2012年7月に、当時出演していた番組内で結婚と妊娠を発表しました。

熊田曜子さん
引用元:デイリー

夫は熊田さんと同い年で当時28歳の会社員男性、友人の紹介で知り合い交際期間は約1年間ですが、交際を始めた時点でお互い結婚を意識していたそうで、両親にもすぐに紹介、結婚まではとてもスムーズに進んだそうです。

その後2012年に長女、2015年に次女、2018年に3女と子宝にも恵まれ家庭円満かと思われていました。

ですが、2021年に熊田さんが夫からのDVを訴え警察に通報し、刑事事件に発展します。しかし夫は暴行を否定、さらには熊田さんの不倫の証拠を提出し、熊田さんと不倫相手とされる男性を相手に民事訴訟を起こし泥沼裁判となったのです。

裁判の末、熊田さんの夫に対しては罰金20万円の判決が下り、一方、熊田さんの不倫に関しては当の2人が一貫して否定したこともあり、その後熊田さんの夫が訴えを取り下げ、裁判は終了しました。

この結果に関しては、どこか腑に落ちない点が多く、裏で熊田さんと相手の男性が示談金を支払い示談に持ち込んだのではないかという噂も飛び交いました。

熊田さんは子供を連れて別居し、夫とは弁護士を交え話し合いを重ね、2023年4月21日に離婚が成立しました。

熊田さんは離婚について「この度、夫との協議がまとまり、円満な形で離婚が成立しました」とし、「裁判についてもすべての訴えが取り下げられ終了しています。今後は娘たちの親として、協力して子育てをしていきます」と円満な離婚になった事を発表しました。

けん

離婚後も家族揃っている所を頻繁に目撃されているそうだね。

のぞみ

そうみたい。元々、元夫は育児に積極的なタイプだったみたいで、離婚後も子供達とは定期的に会って交流しているみたいだよ。

離婚後に語っていた、今後も協力して子育てしていくという約束はきちんと守っているみたいだね。

熊田曜子がポールダンスを始めたきっかけ・理由

熊田曜子さんがポールダンスを始めたのは、2021年に自身のYouTubeチャンネルで行った企画がきっかけでした。

この企画で、世界大会チャンピオンの小源寺亮太さんに直接指導を受け、「美しい動き」「浮遊感のある世界観」に一気に魅了されたそうです。熊田さんはインタビューで「小源寺先生のSNSを見て“このポーズはどうなってるの?”と興味を持った」「初体験で楽しさにハマってしまった」と語っています。

また、授乳期後にデコルテが痩せた悩みから、上半身を美しく鍛えたいという思いもあったといわれています。
そのため、ポールダンスは“体づくり”と“表現力”の両面で理想的なトレーニングになったようです。

初体験後、熊田さんは2021年11月に都内のポールダンス専門スタジオPOWER SPOTへ入会。本格的な練習をスタートしました。その後は週3〜4回のペースでレッスンを受けており、朝8時台の早朝クラスにも参加。
仕事や育児と両立しながら、空き時間を活用して練習を続けているそうです。

熊田さんは「安全第一で練習している」と語り、汗で滑るリスクや体調管理にも配慮。高難度の技を習得するために、慎重に体を鍛えながら取り組んでいます。

また、熊田さんは趣味の枠を超えた“競技者”としても確かな成果を残しています。これまでに報じられた主な実績はこちらです。

年/時期実績・出来事
2024年12月ポールダンス世界大会で2位入賞
※詳細部門は非公表(報道による)
2025年2月K-1 AWARDS 2024にてオープニングパフォーマンスを披露
2023〜2024年各種イベント・撮影でパフォーマンスを公開し話題に

2024年12月に開催された世界大会で2位に入賞。初出場ながらの快挙として、各メディアで報道されました。

さらに2025年2月の「K-1 AWARDS 2024」では、オープニングでポールダンスパフォーマンスを披露。観客を魅了し、「挑戦し続ける女性」としての姿が話題になりました。

けん

熊田曜子さんの今後のポールダンスでの目標などはあるのかな?

のぞみ

今後もポールダンスを続け、「年齢を重ねても挑戦し続ける姿」を発信していくと語っているよ!今後は、身体の美しさだけでなく「内面からにじみ出る強さ」もテーマだそうよ!

【画像】熊田曜子は若い頃かわいい!

「若い頃かわいい」は本当でした。岐阜で育った10代は素朴な笑顔と部活に打ち込む健康的な可愛さ、16歳での大胆なダイエット成功を経て、看護学生時代にはコスプレ好きの明るい一面も。

20代はグラビアで一躍ブレイクし、振袖姿やイベント写真に“変わらぬ美”が刻まれます。30代は出産を挟みつつもスタイルを維持、40代はポールダンスで磨かれたしなやかなボディでアップデート。年代ごとの画像とエピソードから、可愛さの原点と現在地が一目でわかります。

10代(1992年~2002年)

熊田曜子さんは1982年5月13日、岐阜県岐阜市にて、4人家族の末っ子として生まれました。岐阜市立藍川小学生時代は学校の後に塾、そろばん、ピアノ、習字と習い事をいくつもしており、とても活発な子供だったそうです。

しかし、小学5年生の時に両親が離婚し、熊田さんは母親に引き取られました。以来、母子家庭で育ちました。

熊田曜子さん
引用元:Instagram

上の画像は1994年12歳ころの熊田さんです。海で撮られた写真でしょうか。まだ幼い感じですが、当時からとても可愛らしい女の子だった事が分かります。 この頃、母親に初めて、女の子用の下着を買ってもらったというエピソードを披露していました。

母親は専業主婦だったそうですが、離婚後は正社員となり、毎日遅くまで働く母親の背中を見て育った熊田さんは、中学生の時から料理や家事など、自分にできる事は手伝っていたのだそうです。

ちなみに岐阜市藍川北中学校時代は、ソフトボール部に所属し、この中学校の先輩には俳優の綾野剛さんもいたのだそうです。

中学生時代から、母親に手に職をつけた方がいいと言われていた熊田さんですが、当時から、同級生の男子達がよく見ていた雑誌のグラビアアイドルに憧れていたのです。

熊田曜子さん
引用元:Official blog

関商工高校時代はテニス部に所属し、毎日授業と部活に忙しい毎日を送っていました。

そんな熊田さんは、運動量が増えるとともに食欲も増えていき、1日5食に加え、授業中にお菓子、夕食後にはアイスクリームなどを食べる生活が定着していました。そして気づいた時には体重が60キロを超え、16歳の時にはあだ名が「ブタゴリラ」になっていたそうです。上の画像は16歳、高校2年生の頃のものです。

60キロという体重を叩き出し、ブタゴリラというあだ名まで付けられ、当時はとても悔しい思いをした

その頃広末涼子さんが大人気だった時期で、美容室で同じヘアスタイルをオーダーしたのですが、体型のせいか全く同じにならなかったそうです。そして、当時学校でアイドル級の人気だった綾野剛さんにも憧れており、見られても恥ずかしくない自分になる為ダイエットを決意、マッサージを取り入れたダイエットで見事15キロの減量に成功したそうです。

その後、母親の勧めでもあった看護師の道へ進むべく岐阜市看護専門学校に入学し、日々学業に専念していた熊田さんですが、やはりグラビアの夢が諦めきれず、雑誌で見つけた「2001年秋の特別オーディション」に応募、芸能事務所アーティストハウス・ピラミッドの目に留まり、見事合格したのです。

そして芸能界入りを反対していた母親も、「あなたの好きにしなさい」と容認、学校は半年で退学し、上京しました。

芸能界入りした熊田さんは、当時同じ事務所に所属していたメンバーと「P-GIRL」というグループでの活動を経て、2006年4月にシングル「Always / わたしだけの場所」ソロデビューを果たしました。このシングルのジャケット写真は、熊田さん自らがデザインした思い入れのある作品となっているそうです。

けん

小学生時代から運動神経が良さそうな熊田さんだけど、他にも得意なスポーツはあるの?

のぞみ

体を動かすのが好きだったみただけど、子供の頃に一輪車も得意だったみたいで、地元のテレビ番組に「一輪車少女」として出演した事もあるんだって。

20代(2002年~2012年)

下の画像は20歳の成人式の時のものです。当時同じ事務所に所属していた安田美沙子さんと共に映った写真です。

とても綺麗な熊田さんの振袖姿に、「昔も今も変わらず素敵ですね!」など賞賛のコメントが相次いでいました。

熊田曜子さん
引用元:スポニチ

今でもかなり細い熊田さんですが、この頃は1番痩せていたそうで「写真は16年前の私の成人式の時の写真だよ、人生で最も細い時」とコメント付きで投稿されていました。

熊田曜子さん
引用元:Instagram

上の画像も看護学生時代(当時20歳)の時のものです。看護学校に通っていた時に仲良くしていた友人が送ってくれた写真だそうです。

当時プリクラでコスプレするのが流行っていた頃で、バドワイザーのコスプレをしている写真ですが、「この頃からコスプレ好きだったんだね」と呟いていました。

この画像の他にも何枚か投稿されていたのですが、一緒に写っている友人へのコメントが相次ぎ、「曜子ちゃんの友達めちゃ美人じゃね? マジで紹介してもらいたい」「お友達も今はママになってるのかな? ちょっと気になってます」などのコメントが多数寄せられていました。

この友人の方は現在お子さんもいて、公認心理師の免許をとるために勉強しているそうです。

熊田曜子さん
引用元:ORICON NEWS

上の画像は2009年28歳の時、20代女子の恋愛観などを綴った書籍「Juicy Girl featuring 熊田曜子 Love Sex & Love Body」の刊行記念握手会イベントに出席した時の写真です。

本の中で、9年間のグラビア現場を生かした新感覚エクササイズ「グラビサイズ」も初公開しています。

握手会前に行った同誌の女性読者を招待したミニトークショーでは、読者からの質問に答え、効果的なブラジャーの着け方などを身振り手振りを交えつつ披露しました。

けん

成人式での写真で一緒だった安田美沙子さんとは同期で今も仲良しみたいだけど、他にも仲良くしている人はいるのかな?

のぞみ

他には、同年代のほしのあきさんも同じ時期に活躍していて、今も付き合いがあるみたいだよ。ママ友としても仲がいいみたいだね。

30代(2012年~2022年)

上の画像は2012年30歳ころ、妊娠8ヶ月頃の熊田さんです。

東京都内で開催された池田模範堂の乾皮症、角化症用クリームMUHI「リペアクト」の発表会に登場した熊田さんはお腹が隠れる膝丈のワンピースで登場しました。

熊田曜子さん
引用元:MANTANWEB

「子どもは女の子なんですよ。おなかがすごく動いて、元気。すくすく育っています」と報告し、「顔がきつかったけど、柔らかくなったねといわれる」とすでに母の顔で語っていました。

熊田曜子さん
引用元:ママスタ

上の画像は2014年、熊田曜子さんが32歳の時のものです。子育て情報のサイトでのインタビューに、夫との馴れ初めからママになった後の様々な心境の変化を語りました。

子育て中には鬱っぽくなり大変だったそうですが、中でも驚いたのは夫が赤ちゃん返りのようになった事だそうです。

夜、子供が寝ない事で口論となった際、夫が突然「なんで子供ばっかり!」と言い出したそうで、「あれ、ここにも大きな子どもがいる!」と思ってまず夫をなだめて、それから子どももなだめておさまった時に、肩をぽんぽんしながら、「ごめんね。さっき言いすぎたよね。疲れてたよね。」と言って仲直りしたそうです。

子供だけではなく大人も赤ちゃん返りする事があるとは、世のお母さん達の心労は計り知れないですね。

熊田曜子さん
引用元:中日スポーツ

上の画像は2021年、熊田曜子さんが39歳の時、京セラドーム大阪で開催されたファッションショー「KANSAI COLLECTION」に出演した時のものです。

黒のコートで登場した熊田さんは、コートを脱ぎ捨てると全身金色のビキニを披露しました。3児の母とは思えない抜群のスタイルを披露しました。

「スペシャルステージを作っていただいたので、制服でもある水着で出演させていただきたいと。色んな角度から見られるので、2週間くらいダイエットしました」

と、金色のビキニを選んだ理由を語り、「ジムやエステは行っていないです。子育てがエクササイズ。ベビーカーを押したり、抱っこしたり、公園遊びもなかなかの運動です」と笑って答えていました。

けん

熊田さんは素晴らしい体型を維持しているけれど、産後太りとかはなかったのかな。

のぞみ

素晴らしい体型を維持している熊田さんだけど、妊娠中は10キロ以上太ってしまった事もあったみたいだよ。そんな時に、ヘアメイクさんから「8時間ダイエット」というダイエット法を教えてもらったんだって。

内容は至ってシンプルで、1日24時間の間に8時間は好きなものを好きなだけ食べてもいいというもの。当時の熊田さんの生活スタイルにはとても合っていたそうで、半月で500グラム減って、その後も順調に体重は減っていったそうだよ。

それ以外の体型維持には、普段の子育て中にも、抱っこの時に片足をあげるなどの体幹トレーニングをしたり、子供と全力で遊ぶなどちょっとした事だけど毎日の積み重ねによって体型を維持しているみたいだよ。

40代以上(2022年~)

こちらは2022年40歳の時、40代初となるDVD「女神の体」の舞台裏の動画です。熊田さんは今までにも何本もDVDを出しているのですが、今回で67作目の作品という事になります。

今回は40代になってから初となる作品で、水着だけではなく、主張の強い衣装や体のラインを強調した衣装など、衣装にもこだわっているそうです。

40代になってからのDVDという事で、様々な意見があるようですが、熊田さんは「まだまだまだやりたいです。何枚というのは考えずに頑張って、70枚は確実に行きたいです。年齢関係なく見せられるような体であれば、あと見てくださる方がいたらぜひ出したいですね」とコメントしていました。

上の画像は2024年42歳の時、40冊目の写真集「Spinning」の発売イベントの時の動画です。

40冊目という事で、節目のメモリアル作品のテーマに選んだのはポールダンスだったそうです。そのテーマの通り、作品ではポールダンスで鍛え抜いた美しい腹筋などを惜しげもなく披露しています。

作品について熊田さんは「露出やポージング、そしてかなり体を張った撮影になったので、今まで見てくださった方はもちろん、最近、熊田曜子を知ってくださった方にも見ていただきたいです」と作品をアピールしていました。

けん

40代になっても、20代と変わらない素晴らしいスタイルをしているけれど、年齢とともに見せる事に対して抵抗は出てこないのかな。

のぞみ

そうだね。こんなに綺麗な体をしていたらいいけれど、できれば隠したくなってくるものだよね。

どこかの番組内で、今のアプリでなんでも加工してしまう事に対して質問された際に、熊田さんは「40代になると隠したいし、ボヤかしたいですね。だってちょっとしたら気になるところがなくなるんですよ。夢があると思いません?加工のなかに」と、持論を語っていたよ。

熊田曜子のプロフィール・SNS

  • 名前:熊田曜子(くまだようこ)
  • 生年月日:1982年5月13日
  • 年齢:43歳(2025年11月現在)
  • 出身地:岐阜県岐阜市
  • 血液型:O型
  • 趣味:ポールダンス カラオケ
  • 特技:ピアノ 簿記 一輪車
  • 所属事務所:アーティストハウス・ピラミッド
熊田曜子さん
引用元:yahoo!ニュース

SNS

熊田曜子の離婚理由とポールダンスのきっかけ・若い頃まとめ

  • 2012年に同い年の会社員と結婚し3人の娘に恵まれている
  • 2021年に家庭内トラブルが表面化し刑事と民事の争いに発展している
  • 夫は暴行を否認したが最終的に罰金20万円の有罪判決が確定している
  • 熊田曜子側の不倫疑惑は当事者が一貫して否定しその後夫が民事訴訟を取り下げている
  • 一連の経緯に示談金支払いの噂が流れたが確証は示されていない(噂)
  • 2023年4月21日に協議離婚が成立している
  • 離婚後は親として連携し子育てを継続している
  • 元夫は育児に積極的とされ離婚後も子どもと交流しているとされている
  • ポールダンスは2021年の自身のYouTube企画をきっかけに始めている
  • 世界王者の小源寺亮太から指導を受け美しさと表現力に魅了されたと語っている
  • 授乳期後のデコルテ痩せを機に上半身を鍛えたい思いが動機となっている
  • 都内スタジオに入会し週3〜4回のペースで安全第一の練習を継続している
  • 2024年12月の世界大会で2位入賞の成果を挙げている
  • 2025年2月のK-1 AWARDS 2024でオープニングパフォーマンスを務めている
  • 若い頃は16歳で約15キロの減量に成功している
  • 看護学校在学中の2001年特別オーディション合格を機に芸能界入りしている
  • 2006年にソロ歌手デビューしグラビアやテレビで活動の幅を広げている
  • 40代はDVD「女神の体」や写真集「Spinning」で鍛えた身体表現を提示している
  • 総括として離婚を経ても挑戦を続けポールダンスで新たな評価を確立している
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