作品内での“本当にキスしたの?”という疑問は、2013年ドラマ『スターマン・この星の恋』における演出上のキスシーンが発端。國村隼さんが演じる重田が、宇宙人の正体を隠すために有村架純さんの口を塞ぐ流れで行われたもので、テスト含め複数回撮影された事実があります。私的関係を示す情報はなく、あくまで物語上の必然として成立した印象的な場面です。
また、ものまね芸人・カルロス三好さんとは求人サービスのCMで共演が実現しており、否定どころか“公式の場で絡む”形になっているため、公認と受け取るのが自然でしょう。
若い頃については、映画『ガキ帝国』(1981)などで鋭い目元と精悍な輪郭が際立ち、いわゆる“イケメン不良役”の気配をまといながら存在感を拡張。のちに『ブラック・レイン』『ハードボイルド』『哭声/コクソン』へと活躍の場を広げ、現在は国際派の名バイプレーヤーとして第一線で輝き続けています。
この記事でわかること
- 有村架純さんとの“キス”が起きた作品名・シーンの位置づけ(演出上の処理)
- ものまね芸人・カルロス三好さんとのCM共演=実質的な公認といえる根拠
- 若い頃がイケメンと言われる理由(顔立ち・役柄・『ガキ帝国』など初期作)
- 国際派へ飛躍した主な転機『ブラック・レイン』『ハードボイルド』『哭声/コクソン』
- プロフィール要点と海外出演作のハイライト
【画像】國村隼は有村架純と本当にキスした?ものまね芸人は公認?
國村隼さんと有村架純さんの“キス”は、2013年の連ドラ『スターマン・この星の恋』で、正体を隠すために口を塞ぐ流れで生じた演出上のキス。私的な関係を示す情報は見当たりません。
一方、ものまね芸人・オキシジェンのカルロス三好さんは『水曜日のダウンタウン』企画で優勝後、Indeed PLUSの新CMで本人と共演。否定どころか公式の場でコラボが実現しており、実質“公認”と受け取れるでしょう。
話題のキスと“公認モノマネ”の両面から、國村さんの懐の深さとプロ意識がうかがえます。
國村隼は有村架純と本当にキスした?
引用元:X「RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語」(錦織良成監督,2010年)、「RAILWAYS 愛を伝えられない大人たちへ」(蔵方政俊監督,2011年)に続くシリーズ第3弾「かぞくいろ」(吉田康弘監督)で、有村架純、國村隼が共演するようだ。1月から撮影に入り2018年に公開される模様。(映画ナタリー) pic.twitter.com/q7WDE3sfcv
— cinepre (@cinepre) November 30, 2017
引用元:X國村隼さんと共演の多い
— りんりん@ピラティスやってます (@b7MszR4ayYmhFt7) July 31, 2021
有村架純さん。
YUKIさん「STARMANN」主題歌の
連ドラ『スターマン・この星の恋』
(フジテレビ2013年7月放送)では
キスシーンもありました。#ボクらの時代 pic.twitter.com/zCDMgaGdOI
國村隼さんと有村架純さんは2013年のドラマ『スターマン・この星の恋』の中でキスシーンがありました。國村さん演じる重田信三が宇宙人だとバレないように、咄嗟に有村さん演じる臼井祥子の口を塞ぐという演出でした。
有村さんにとってはデビュー3年目の、ドラマ初キスシーンだったそうですが、あまりキスシーンだと意識はしていなかったそうです。「國村さんもプロの役者さんなので、緊張などはありませんでした。とにかく観ている方にとって衝撃的なシーンになればいいなと思っていました」とお話しされています。
リハーサルやテストなどを含めて3回のキスをしたそうですが、37歳の歳の差と言うことで國村さんも「大丈夫かな、犯罪じゃないかな?」と冗談混じりにコメントされたそうです。
けん有村さんの言葉通り、放送後は2人のキスシーンが話題になったんだよね!
のぞみやっぱり「びっくりした!」とか「衝撃を受けた」とか、國村さんに対して「うらやましい」と言う声もあったわね。
國村隼はものまねを公認してる?
嘘みたいな話ですが、三好がIndeed PLUSさんの新CMで國村隼さんと共演してます。
— オキシジェン田中 (@tanaka624) November 10, 2024
ギャラ折半にしとけば良かったです。https://t.co/gfjutPoTDj pic.twitter.com/ev4NNGfZEI
オキシジェンのボケ担当カルロス三好さんが、國村隼さんのモノマネをされています。2023年4月放送の『水曜日のダウンタウン』30-1グランプリ2023では上のYouTubeのモノマネで優勝し、見事賞金30万円を獲得されました。
下のXは2024年11月の相方であるツッコミ担当の田中さんの投稿です。國村さんとモノマネをしたカルロス三好さんが共演するコミカルなCMになっているので、國村さんがモノマネを否定せず、共演することで公認していると受け取って良さそうです。
indeedの採用担当者へ、求人の応募数をどこまで増やせるかというCMで『このCMでは國村隼さんを増やせるかに挑戦しています』と國村さんに扮したカルロス三好さんが國村さんから分裂して登場。声が小さくて聞こえないネタをご本人の前で堂々と披露し「誰だ君?は?なんだって?」と國村さんに言わせるやりとりをされています。
國村さんがもしこのモノマネに嫌悪感を抱いていたら、CMのオファーも共演もなかったことでしょう。
けんこの相方の田中さんって、名探偵コナンの作者、青山剛昌先生と従兄弟なんだって!
「僕のいとこのお兄ちゃんが名探偵コナンを描いている青山剛昌先生で、北栄町にコナン探偵社という鳥取限定のコナングッズを扱っているお店があるんですけど、そこの社長がうちの親父です」
引用元:TBS NEWS DIG
のぞみ田中さんの父と青山先生の父が兄弟なんですってね。
田中さんは名探偵コナンの第6巻に犯人役として登場しているのよ。
【画像】國村隼は若い頃イケメン!
20代の國村隼さんは、井筒和幸監督『ガキ帝国』で映画デビュー。精悍な目元とシャープな輪郭、どこか不良然とした佇まいがスクリーンで映え、端役中心の時代でも強い存在感を放ちました。『必殺橋掛人』などで実力を積み、30代には『ブラック・レイン』で国際舞台へ。続く『ハードボイルド』でも印象を刻みます。
整った容姿に、無駄のない動きと低く艶のある声が重なり、若い頃から“硬派で色気のあるイケメン”として記憶される所以です。
20代(1975年〜1985年)
引用元:Xガキ帝国の國村隼、カッケー! pic.twitter.com/c4AhNiykgN
— M(ï)U*†aMũRⒶ (@fcmiu) August 29, 2013
國村隼さんは、小学4年生の頃近所のガソリンスタンドに停まっていたホンダS600を見た時から自動車に興味を持ち、小学生のときから愛読書が『モーターマガジン』だったそうです。エンジンの設計をしたいと大阪府立工業高等専門学校へ進みエンジニアを目指していましたが、向いていないと感じ、20歳の時に留年して、4年で中退してしまいました。
中退後、毎日やることがなくなって困っていた時に、小学校からの友人が劇団生募集の話を持ってきたそうです。國村さんは「暇つぶしに行ってみたら、たまたま通ってしまって」とお話しされ、大阪放送劇団付属研究所で約1年半レッスンを受けるうちに、徐々に演じる魅力に目覚めていったそうです。
上の画像は1981年(当時26歳)の時のものです。井筒和幸監督の映画『ガキ帝国』で映画デビューしました。この映画は低予算で許可申請ができないシーンも多かったそうで、警察から逃げたりしながらのゲリラ撮影だったそうです。この映画出演で「映画って大変だけど、すごく面白い世界」と、演じることに楽しさを感じたとお話しされています。
引用元:X#忍者の日
— 江戸のクロねこ@土・東“U”-44b(東7ホール) (@s_loveandtalk) February 22, 2024
必殺橋掛人「四谷の忍者寺を探ります」
【仕置され集36】國村隼https://t.co/MUvKIy9XrS#sm25609271#ニコニコ動画 pic.twitter.com/dq4rrgIKlA
國村さんは、映画出演後ドラマにも出演を重ねていきますが、脇役が多く、20代で名前が残るほどの当たり役には出会えませんでした。俳優として芽が出ない中でアルバイトをしながら生活をしていたそうです。
上の画像は1985年(当時29歳)ドラマ『必殺橋掛人』のものです。必殺シリーズの第24作で、主演は津川雅彦さんでした。タイトルの「橋掛」は「冥土(地獄)に渡す橋を掛ける」の意味があるそうです。
過去の必殺シリーズでも、新必殺仕事人で2話、必殺仕事人Ⅳで2話端役で出演されています。この頃は多くの時代劇を中心に作品にちょい役で参加し、役者としてのスキルを磨いていきました。
けん20代では、本名の『米村喜洋』名義で出演されている作品が多いんだよね。
のぞみ『米村嘉洋』と言う名義も使っていたみたいね。
芸名の『國村隼』はご自身が『國』と言う字が好きだから、という理由だそうよ。
30代(1985年〜1995年)
引用元:X1989年の國村隼 pic.twitter.com/m9qWnSGM1G
— 廣瀬 和好 nyantayomin (@kazbarque) July 31, 2021
1989年(当時34歳)國村さんは自身の転機となる、 リドリー・スコット監督の映画『ブラック・レイン』にオーディションを経て役を得ました。このハリウッド映画出演がきっかけとなり、香港映画、韓国映画など海外の作品にも多く携わり国際的に活躍していくことになります。
この時國村さんは、「ぼくは舞台からはじめた人間ですけど、あの映画に出て、はっきりと、映像のおもしろさを知り、自分は映像をやろうって決めたんです。」とお話しされており、自分が映像をやりたいのだとわからせてもらったそうです。
上の画像は『ブラック・レイン』のものです。共演した松田優作さんに可愛がってもらい、会話の中で心に残った言葉があるそうです。演技論のようなもので、役者としてのあり方を教わったとお話しされています。
「おまえが主役を張る日が来たら、何かしてやろうだなんて思うんじゃない。真ん中は、何にもするな。それは、まわりがやってくれる」
引用元:Xハード・ボイルド1992年 ジョン・ウー監督 冒頭のチョウ・ユンファと國村隼さんとの凄まじい銃撃戦は笑っちゃうぐらいスゴクて後世に語り継ぎたいほどの名シーン😊で超かっこいい pic.twitter.com/0bqD0xakik
— hirodora(ヒロどら・・・) (@HirodoraU5y649) May 3, 2019
1992年(当時37歳)香港映画『ハードボイルド/新・男たちの挽歌』には、ブラック・レインを見たジョン・ウー監督の推薦で國村さんの出演が抜擢されました。
上の画像は映画のワンシーンです。ジョン・ウー監督製作の映画の中でも、かなり火薬量の多い銃撃戦を展開しているこの作品は、海外からも高く評価されているそうです。國村さんはマシンガンを乱射する殺し屋を演じ、出番は少しながらも、強烈な印象を残しました。
國村さんは、他の香港映画の撮影のためしばらく香港に滞在した後、帰国前に「せっかく香港にいたんだから、ジョン・ウーと仕事したかったなぁ」という話をプロデューサーにしていたそうです。
帰国後に日本で映画の撮影準備に入っていたら、クランクインの1週間前に香港から電話が。「ジョン・ウーとチョウ・ユンファが映画を撮るそうなんだけど、明日来れますか?」またしてもザックリした香港マインドが炸裂したが、國村さんはすぐさま香港に飛び、そのまま1週間ほど昼夜逆転で映画を撮り続けた。
引用元:Real Sound
それが、この『ハード・ボイルド/新・男たちの挽歌』だったそうです。
引用元:X私の好きな俳優「國村隼」コレクション
— 我修院☆う”ぇらんだ (@VeronikaFolgore) October 9, 2020
『月はどっちに出ている』(崔洋一)(1993) pic.twitter.com/sQzWdPuji3
國村さんは、1993年(当時39歳)には崔洋一監督の映画『月はどっちに出ている』に出演されています。主人公である岸谷五朗さんの同僚のタクシー運転手役を演じられました。
「月はどっちに出ている」というのは方向音痴のドライバー(主人公の同僚)が、帰り道が分からなくなった時に本社や主人公に電話すると、相手が最初に聞く言葉でした。
この原作は梁石日さんの自伝的小説『タクシー狂躁曲』で、この10年後に制作された映画『血と骨』の主人公が成人した姿が『月はどっちに出ている』の主人公なのだそうです。
國村隼さんは、強面ながらもコミカルな演技や、ユーモラスな中に哀愁を感じられるような演技もこなす、器用なバイプレイヤーとして評価が高まって行きました。
けん國村隼さんにとって、松田優作さんとの出会いは特別だったみたいだね!
のぞみ松田さんが亡くなる前にも「お前、いっぺん遊びに来い」と言われて、夏頃一緒に飲みに行っていたそうよ。
病気のことも知らされず、「じゃあ、また」と別れたのが最後で、秋頃訃報を聞いた時は、狐につままれたようで現実感がなかったんですって。
ーー夏に「じゃあまた」と言って、秋に亡くなった松田さんは、もしかしたら後輩である國村さんに、役者としての可能性の種のようなものを託したかったのかもしれないですね。
引用元:文春オンライン
國村 まさに僕としては、優作さんは無意識だったんだろうけど、何者でもなかった僕に、種をまいてくれたような気がしています。僕は優作さんにもらったその種をちゃんと発芽させて、花を咲かせないといけない。ひょっとしたら、あの人がやりたかったかもしれないことで今の僕ができることがあれば、代わりにやらなあかんのやろなと思っています。
40代(1995年〜2005年)
引用元:X当時中学生の尾野真千子さんデビュー作『萌の朱雀』で尾野さんの父親役だった國村隼さん。
— きぬ (@nee1418) May 8, 2018
「わが子がどんどん育っていく、そのことを見ている親父みたいな感覚も」#カーネーション pic.twitter.com/HpgR72ETgW
1997年(当時42歳)映画『萌の朱雀』では國村さんにとって初の主演映画となりました。当時地元の中学生だった尾野真千子さんが監督から声をかけられ出演した女優デビューの作品としても知られています。しかも國村さん以外の出演者は演技未経験の素人ばかりでした。
スタッフも平均年齢が28歳と若く、監督である河瀨監督も20代半ばの初めての劇映画だったため、段取りが悪く現場に不協和音が響いていたそうです。この時國村さんも、「舵取りのない船に乗ってるみたいな気がする。どこにこの船が行くかわからないから非常に不安だ」と1度だけお話しされたそうです。
この『萌の朱雀』はカンヌ国際映画祭でカメラ・ドール(新人監督賞)を日本人で初めて河瀨直美監督にもたらした作品となりました。
引用元:X三谷作品でこんなかっこいい中村獅童さんが見れるまでけっこう長い道のりだった...#鎌倉殿の13人
— 爽 (@taiga__dragon) January 30, 2022
やっぱぼくの中ではHRの鷲尾くんが刺さってるんすよね。
ちな左上は大庭景親こと國村隼さん https://t.co/LXXJL4yfBy pic.twitter.com/QzE9tIbs7O
2003年(当時48歳)には、クエンティン・タランティーノ監督作品、映画『キル・ビルVol.1』に出演したことで、国際的な認知度がさら上がります。タランティーノ監督は、三池崇史監督の映画『殺し屋1』を見て國村隼さんに役をオファーしたそうです。
同年には脚本・総合演出・監督三谷幸喜さんのドラマ『HR』に出演されました。全23話の、夜間定時制高校を舞台に繰り広げられる、学園ドラマのシチュエーション・コメディでした。
三谷幸喜さんは國村さんに、「ニワトリの脳味噌程度の知能しかない大人のイメージで」と役柄のイメージを指導したそうです。その時は「何言ってはるのかな、この人」とチンプンカンプンだったそうですが、「三谷さんには僕がいつまでも成長しない大人であることを見抜かれていたのかも」と笑ってお話しされていました。
けんデビューからは映画の出演が多く、ドラマは端役が多かった國村さんが、1999年(当時44歳)に民放の連続ドラマにレギュラーとして初出演されてから、この頃になってやっと世間に認知されてきたと感じたみたい。
のぞみ少しずつ世間に知られていく過程で、よく『強面』と言われたそうなんだけど、自分の顔は毎日見ているので、「ごく普通の顔なのにな」と思っていたそうよ。
でも、最近は自分の実年齢よりも若く見られることが多くて、「そうか、老け顔は、逆に年を取らないんだ」とわかったそうなの。
「最近ようやく、この顔の使い方を心得てきました。」とお話しされているわ。
50代以上(2005年〜)
引用元:MAN TAN WEB X#芋たこなんきん
— さらら0904 ちっちゃなチェブ🎙🐥🐤🐤🍷✨ (@sarara0904) September 7, 2022
白い文鳥さんが死んでしまい、悲しむ健次郎さん……(´;ω;`)
國村隼さん演じる 直実さまが、息絶えたオウムちゃんを抱えて「我が子よー!」と哭くシーンを思い出しました。#平清盛 pic.twitter.com/cnRZxPCQPm
上の画像の2012年(当時57歳)NHK大河ドラマ『平清盛』では藤原忠実役で出演。初登場シーンは「本当に嫌味ったらしかった」という感想があったそうですが、「嫌みったらしくしようとは一切考えておらず、清盛サイドから見て、壁として存在しないといけない」と思っていたそうです。「忠実さんっていう人は妖怪っぽくてもいいかな」とニヤリとお話しされていました。
2013年(当時58歳)園子温監督の映画『地獄でなぜ悪い』ではヤクザの組長役で主演を演じました。ベネチア国際映画祭に招待されたときには周囲から「ジュン!」と声をかけられたそうです。
レッドカーペットを歩いていると、遠くの方で10人前後の若者が「ジュン、ジュン」と叫んでいる。「呼んでいるよ」と促されて、え、俺なの? と手を挙げたら、ドーッと盛り上がった。
「まさか自分のこととは思わないですからね。彼らのところまで行って、サインしたり写真を撮ったりしましたが、何でイタリアの人が僕のことを知っているんやろ、とずっと疑問に思っていた。後でいろんな人と話したら、それはそうだよって。ベネチアは北野武監督の映画はみんな絶対に見ているよ、って言うんです。考えてみたら『アウトレイジ』(2010年)で北野監督とやっているし、僕が来るというのであそこで待っていてくれた。
引用元:産経新聞
この経験が「映画というメディア自体、世界中をひとり歩きする」と強く実感したそうです。
引用元:X X#主役を食っちゃってるキャラがいる映画
— タクム・ラモーン (@TkmRamone) February 26, 2024
『哭声/コクソン』の國村隼。 pic.twitter.com/gIFucyd1rS哭声/コクソン ☆4.3
— メガロドン将軍 (@GeneralMadsen) June 9, 2024
田舎の村で突如起こったオカルトじみた連続一家惨殺事件、娘を呪いの標的にされた警察官が容疑者の謎の日本人を追う。災厄の元凶は一体誰なのか見終わった後も余韻と考察が続くナ・ホンジン監督の傑作韓国ホラー。怪演の二文字で済ますには余りに強い國村隼の演技の振れ幅は必見! pic.twitter.com/g4a3qTxn21
2016年韓国のサスペンス映画『哭声/コクソン』では、日本人で初の韓国のアカデミー賞・青龍映画賞で助演男優賞と人気スター賞を獲得しました。山の中を褌一枚で這い回る“よそ者”を演じられ、同映画賞37年の歴史のなかで、外国人俳優がノミネートされるのは全部門を通して史上2度目となり、受賞は初の快挙となったそうです。
特に人気スター賞は一般投票により選ばれるため、例年人気アイドルや大物俳優などが受賞することが多いものです。國村さんも受賞を聞いた時は「あの役で、どういうこと!?と驚きました」とお話しされていて、どれほどの人たちが國村さんの演技に魅せられたのかがよくわかります。
韓国の鬼才ナ・ホンジン監督は、韓国映画の中でも際立って厳しいと評判で、生傷の絶えない撮影に、さすがの國村さんも「もう無理」とストップをかけることもあったと言います。「僕、何回言いましたかね……『もう、あかん!体力的に無理』って、こっちでストップかけないと。『人間やから!機械やないねんから、こっちも』って(笑)。」
ほかの韓国の監督さんから「『哭声/コクソン』の現場を韓国のスタンダードだと思わないでくれ。ナ・ホンジンの現場が大変なだけだから!」と國村さんにお話しされていたそうです。想像以上に過酷な撮影だったことがうかがい知れますよね。
けん國村隼さんは色々な演技をされているけれど、アニメの声優もされているんだよね。
のぞみ最近だと2023年の宮崎駿監督10年ぶりの映画『君たちはどう生きるか』で、インコ大王の声を担当されたのよね。
國村隼のプロフィール・海外の出演映画
引用元:フジテレビ
プロフィール
- 名前:國村隼(くにむらじゅん)
- 本名: 米村喜洋
- 生年月日:1955年11月16日
- 年齢:69歳(2025年10月現在)
- 出身地:熊本県
- 血液型:A型
- 趣味・特技:渓流釣り、フライフィッシング、アーチェリー、サッカー、バイク、車
- 所属事務所:フリー
海外の出演映画
- ブラック・レイン(1989年、アメリカ、リドリー・スコット監督)
- The Blue JEAN MONSTER(1991年、香港)
- フルブラッド/花旗少林 Treasure Hunt(1994年、香港、ジェフ・ラウ監督)
- ハードボイルド/新・男たちの挽歌(1992年、香港、ジョン・ウー監督)
- さらば英雄 愛と銃撃の彼方に(1994年、香港、トニー・オウ監督)
- 野獣の瞳(1997年、香港、パトリック・ウォン監督)
- Color of pain 野狼(2001年、香港、サム・レオン監督)
- キル・ビル Vol.1(2003年、アメリカ、クエンティン・タランティーノ監督)
- シルク(2008年、五か国合作、フランソワ・ジラール監督)
- メモリーズ・コーナー(2011年、加仏合作、オドレイ・フーシェ監督)
- KOKORO(フランス語版)(2016年、ベルギー・フランス・カナダ ブースタープロジェクト)
- 哭声/コクソン(2016年、韓国、ナ・ホンジン監督)
- マンハント(2017年、中国、ジョン・ウー監督)
- ミッドウェイ(2019年11月8日、アメリカ)
- MINAMATA-ミナマタ-(2021年2月5日、アメリカ)
- 犯罪都市 NO WAY OUT(2023年、韓国、イ・サンヨン(朝鮮語版)監督)
- 東京カウボーイ(2024年6月7日公開、アメリカ)
けんこんなに多くの海外作品に出演されていたんだね!
のぞみ2年半ほど香港に拠点を置いて、俳優活動されていたこともあるのよ。
1本の香港映画の撮影が途中中断して、その間に誘われた他の作品も受けているうちに、5本の映画に出演されているわ。


