【画像】三田佳子の息子は現在なにしてる?旦那との馴れ初めは?若い頃かわいい!

三田佳子さんの家族事情を最初に整理します。長男の森宮隆さん(1975年生まれ・本名:高橋洋介)は、2025年現在も俳優・声優として活動中。海外ドラマや映画の吹き替えでも実績を重ね、私生活では2008年に結婚し、二児の父として家庭と仕事を両立しています。

一方、次男の高橋祐也さん(1979年生まれ)は覚醒剤事件での有罪判決が2024年に確定。2025年時点で実刑部分の服役確定後の公的な活動再開は未公表です。夫の高橋康夫さんとの馴れ初めは、1973年のNHK大河『国盗り物語』の現場。制作側プロデューサーと主演級女優として出会い、約2か月で結婚を決意し、1974年に発表。

挙式は当時としては珍しいタヒチでの海外挙式でした。若い頃は“第二東映”期に主役級で多作に出演し、『太閤記』や『いのち』『花の乱』などで存在感を確立。家族の今と、女優としての軌跡がこの記事で一望できます。

この記事でわかること

  • 長男・森宮隆さんの現在(俳優・声優の活動/結婚・子ども)
  • 次男・高橋祐也さんの2025年時点の状況(判決確定後の動静)
  • 夫・高橋康夫さんとの出会い~結婚・タヒチ挙式の経緯
  • 三田佳子さんの若い頃~大河・映画でのブレイク年表
  • プロフィール・公式サイト/ブログの基本情報
目次

【画像】三田佳子の息子は現在なにしてる?旦那との馴れ初めは?

三田佳子の息子は現在なにしてる?

森宮隆さん
引用元:oricon news

三田佳子さんには、俳優として活動している長男・森宮隆さん(50)がいます(上画像)。本名は高橋洋介さんで、1975年1月19日生まれ。現在は俳優・声優として幅広く活躍されています。

大学は日本大学芸術学部映画学科に在学していましたが、芸能界入りのために中退し、俳優業のほか、海外ドラマや映画の吹き替え声優としても多くの作品に出演しています。

2008年には、元タレントの女性と知人の紹介で出会い、結婚しました。現在は二児の父親でもあり、三田佳子さんは2人の孫を持つおばあちゃんという一面もあります。家庭と仕事の両立を図りながら、地道に芸能活動を続ける森宮隆さんは華やかな芸能一家の中で、静かに確かな存在感を示しています。

高橋祐也さん
引用元:スポーツ報知

三田佳子さんの次男・高橋祐也さん(45/上画像)は、1979年12月9日生まれ、かつて俳優・歌手として活動していました。1998年、高校3年生(当時18歳)のときに覚醒剤取締法違反で初めて逮捕され、以降も2000年、2007年、2018年、2022年と、覚醒剤に関する逮捕は計5回におよびます。

2019年には内縁の妻に脅迫メッセージを送ったとして逮捕されるも、この件に関しては不起訴となりました。

2000年、2007年の逮捕時には三田さんは記者会見を開き「全ては、夫婦の責任です」と謝罪しています。2018年の逮捕時、三田佳子さんは書面で次のようにコメントを発表しています。

「親としては、もう力及ばずの心境です。本人も40手前ですし、自らの責任と覚悟を持って受け止め、そして罪をつぐなって生き抜いてもらいたい

引用元スポーツ報知

芸能界で長年にわたり輝かしいキャリアを築いてきた三田さんにとって、母親としての苦悩と葛藤は計り知れないものだったことでしょう。彼女は度重なる騒動にも沈黙せず、親としての立場を率直に表明し続けてきました。度重なる事件は、三田佳子さんにとって母としての最も大きな試練となりました。

2025年現在は、2023年に「懲役2年(うち4か月を2年間の保護観察付き一部執行猶予)」の判決を受け、2024年5月に控訴が棄却されて判決が確定しました。これにより“実刑部分”の服役が確定し、その後の公的な活動再開の発表は出ていません。

2025年現在、公式に確認できるのは「実刑部分の役確定以降の動静は非公表」で、芸能活動の復帰情報も見当たりません(仮釈放の可能性は制度上あるものの、公開ソースでは未確認)。

けん

親御さんとしてはつらいだろうね。これまで支援とかもしているよね?

のぞみ

その支援が手厚すぎて、返って批判されたりもするのよね。親子関係って難しいわね。

三田佳子と旦那の馴れ初めは?

三田佳子さん
引用元:スポニチ

三田佳子さんと夫・高橋康夫さんの出会いは、1973年のNHK大河ドラマ『国盗り物語』の撮影現場でのことといわれています。当時、高橋康夫さんはNHKのプロデューサーとして制作に関わっており、三田佳子さんは主演クラスの俳優として出演。撮影を通じて、お互いの仕事ぶりや人柄に惹かれ合う機会が増えていきました。

出会ってから約2か月で、三田さんは高橋さんとの結婚を意識するようになり、1974年9月に結婚発表。お互い34歳同士で、当時としては比較的晩婚でした。結婚後は、公私ともに互いを支えながら、家庭と芸能活動を両立させる道を選んでいます。

けん

2か月とは超スピードだったんだね。結婚式はしたのかな?

のぞみ

当時としては非常に珍しい海外挙式で式が行われたのは、南国の楽園・タヒチだったんですって!ロマンティックよね!

【画像】三田佳子は若い頃かわいい!

10代・20代(1951年~1971年)

三田佳子さん
引用元:amazon

三田佳子さんは1941年、大阪府に生まれ、後に東京都へと移り住みました。中学3年生のときに児童劇団「ちどり」に所属し、すでにその頃からテレビやラジオに多数出演するなど、早くから芸能界に足を踏み入れていました。

高校在学中には週刊誌の表紙を飾るほどの注目を集め、複数の映画会社からスカウトを受けていたものの、すべてを断り学業を優先します。そして高校卒業後の1960年春、東映ではなく“第二東映”へ入社し、同年映画『殺られてたまるか』(上画像)で見事女優デビューを果たしました。

18歳という若さながらも、落ち着いた演技と清楚な雰囲気で一躍注目の新人女優となったのです。

三田佳子さん
引用元:Wikipedia

三田佳子さんは女優デビュー当初から主役級での起用が続き、すぐに頭角を現しました。やがて、佐久間良子さんと並ぶ東映の看板女優としての地位を確立し、東映東京撮影所では「三田派」と「佐久間派」ができるほどの人気だったといいます。

入社当時は、いわゆる“第二東映”による映画の粗製乱造時代で、三田さんは1961年には15本、翌1962年に14本、1963年に13本と次々と出演作が制作されました。撮影は毎日のように早朝から翌朝まで続き、自宅に帰る時間すらなく、撮影所近くの旅館に寝泊まりしていたという過酷なエピソードも残っています。

それでも、凛とした姿勢と確かな演技力で作品に命を吹き込み、多くのファンの心をつかんでいった三田佳子さん。そのひたむきさこそが、後の大女優への道を切り拓いたのでしょう。

上の画像は1962年当時21歳の三田佳子さんです。看板女優らしいオーラが漂っていますね!

三田佳子さん
引用元:NHKアーカイブス

三田佳子さんは1965年(当時24)には、NHK大河ドラマ『太閤記』で淀殿役(上画像)を演じ、大河初出演ながら気品と情念を併せ持つ演技が高く評価されます。この出演をきっかけに、テレビ界でも存在感を発揮していきました。

1967年に東映を退社し、フリーの女優として活動を開始しました。ところが、1967年の松竹映画『夜のひとで』では、本人に無断でヌードのすげ替えシーンが挿入されるという事件が発生します。これに対して毅然と抗議した結果、一時的に映画界から“干されかける”という困難に見舞われました。

それでも三田さんは決して挫けることなく、以降はテレビドラマや舞台を中心に活動を継続していきます。その確かな演技力と凛としたたたずまいで再び評価され、女優としての地位を着実に築き直していきました。

この時期の経験は、彼女の信念とプロ意識、そして女優としての本物の強さを物語っています。

けん

太閤記」って伝説の大河ドラマだよね?

のぞみ

太閤記」なのに織田信長役の高橋幸治さんが大人気で「信長を殺さないで」という投書が山のようにきたそうよ。おかげで本能寺の変が10月まで伸びてしまって太閤秀吉の場面が2か月弱に短くなってしまったという伝説があるそうよ!

30代・40代(1971年~1991年)

引用元:X

1973年には、三田佳子さん(当時31)は大河ドラマ黄金期の名作『国盗り物語』に出演し、斎藤道三の側室・深芳野役を務めました(上画像右)。艶やかで複雑な女性像を見事に表現し、女優としての幅広さを印象づけました。

三田さんは共演した平幹二朗さん(斎藤道三役)との思い出や稽古や撮影について語り、三田さん自身、“女性も男性と伍して行かなければならない”という意識を持ちながら、深芳野という女性を演じていたと述懐しています。

引用元:X

1984年、三田佳子さん(当時43)は映画『Wの悲劇』に出演し(上画像)、主演・薬師丸ひろ子さん演じる新人女優をスキャンダルに巻き込むベテラン舞台女優・羽鳥翔を熱演しました。冷静さと狂気を併せ持つ難役を見事に演じ切り、その迫真の演技は圧巻と高い評価を受けました。

本作は三田さんにとっても転機となり、ブルーリボン賞助演女優賞をはじめ、数々の映画賞を薬師丸さんとともに受賞し女優としての評価を不動のものにします。

三田さんはこの映画を2016年に改めて見返した際、「いまだにすごい映画と言われているので見たら、本当にすごいんです。こんな自分がいたんだって、もうビックリ。2度とできない」と語り、自身のキャリアの中でも特別な作品であることを明かしています。

このコメントからも、当時の演技がどれほど自身の限界を超えたものであったかが伝わってきますね!

三田佳子さん
引用元:NHKアーカイブス

1986年、三田佳子さん(当時43)は橋田壽賀子脚本のNHK大河ドラマ『いのち』に主演します(上画像)。平均視聴率29.3%を記録し、その名を“国民的女優として不動のものにしました。

脚本を手がけた橋田壽賀子さんは、三田さんの演技力を以前から高く評価しており、本作での抜擢も納得のキャスティングでした。三田さんは、戦後日本を生き抜く女医・未希役を通じて、庶民の目線で時代を体現しました。

三田さんは「私は主演でしたので、作品の90%に出ていて、1年3か月もの間、作品の収録に全力を注ぎ、ボロボロになるまで作品と向き合ったことを覚えています」と全力で役と向き合っていたことを語っています。

けん

「国民的女優」になった三田さんは他にはどんなお仕事をしていたのかな?

のぞみ

映画で1989年「極道の妻たち」で三代目姐を演じたり、1989年、1990年と続けて紅白歌合戦の紅組司会を務めたりしているわよ!

50代・60代(1991年~2011年)

三田佳子さん
引用元:ヤフオク

1992年、三田佳子さん(当時51)は神山征二郎監督の映画『遠き落日』(上画像)に出演し、世界的な医学者・野口英世の母、シカの生涯を演じました。

なんとその役柄は、16歳から亡くなる66歳までという壮大な年齢幅に渡る難役で、三田さんは「16歳から亡くなるまでを演じるという、女優として滅多に出会えないこの役柄を演じられることがとても嬉しくて、絶対に演じたかった。」と語っています。

この作品では、若き日の母の純粋さから、老いと向き合う晩年の姿まで、人生の重みを表現しきったその演技が高く評価され、日本アカデミー賞主演女優賞をはじめとする多数の映画賞を受賞しました。

三田佳子さん
引用元:amazon

1994年、三田佳子さん(当時53)はNHK大河ドラマ『花の乱』(上画像)で日野富子を演じ、2本目の大河ドラマ主演を果たしました。日野富子は「希代の悪女」とも称される人物で、夫・足利義政との確執を軸に、やがて応仁の乱へと突き進んでいく激動の時代を描いた作品です。夫・義政を演じたのは故・市川團十郎さんでした。

「團十郎さんは以前からファンで、ご一緒したいと思っていたんですよ。共演させていただき、親しくさせていただきうれしかったですね。作品全体を通して、あらゆることを覚えてすぐに対応していくことが求められた作品でしたが、役者としてこうした作品に出演できたことは忘れられません。」

引用元:NHKアーカイブス

政治の渦中に翻弄されながらも、強かに生き抜いた日野富子を、三田さんは繊細さと力強さを併せ持った演技で体現しました。『いのち』とはまた異なる“歴史に生きる女性像”を見事に演じ、キャリアにおけるもう一つの大きな頂点となりました。

三田佳子さん
引用元:三田佳子オフィシャルブログ

1996年、三田佳子さん(当時55)は子宮がんと診断され、静かに闘病生活を送っていたことが明らかになりました。当時はまだ“病気を公表する”ことが現在ほど一般的ではない時代で、三田さんは女優業を一時的に休止し、治療に専念します。大きく報道されることもなく、落ち着いた対応で病に向き合い、その後、見事に回復して再び第一線に復帰しました。

病気を経た後の三田さんは、より一層深みのある演技を見せ、命の尊さや人間の強さを体現するような役柄にも積極的に挑戦し、女優としての新たなステージへとつながっていきます。

2004年、三田佳子さん(当時63)は森田芳光監督の映画『海猫』に出演します(上画像)。驚くことに、森田監督からのオファーは“おばあちゃんの役”でした。若い頃から華やかな役を演じ続けてきた三田さんにとって、意外とも思えるキャスティングでしたが、彼女はこの挑戦を前向きに受け入れます。

監督の意を汲み、果敢にそれに応えた三田さんは、年齢を重ねた女性としての存在感と内面の深みをしっかりと表現し、見事に映画界への本格復帰を果たしました。この作品は、三田佳子さんが単なる美貌の女優にとどまらず、成熟した演技者として幅広い役柄をこなせることを証明した一作となりました。

けん

「海猫」が映画への本格復帰第一弾だったのかな?

のぞみ

2003年に映画評論家の水野晴郎さんに誘われて「シベリア超特急3」に出演して、これが復帰のきっかけになったそうよ!

70代以上(2011年~)

三田佳子さん
引用元:タレメキャスティング

2014年春、三田佳子さん(当時72)は旭日小綬章を受章しました。これは、長年にわたる芸能活動を通じて、日本の文化・芸術の発展に多大な貢献をしてきた功績が認められたものです。

女優としてテレビ・映画・舞台の第一線で活躍し続けた三田さんにとって、この受章はまさに女優人生の勲章とも言える名誉です。若い頃から挑戦を恐れず、幅広い役柄を演じ続けてきた姿勢が、世代を超えて高く評価された証です。

芸能界だけでなく、日本の文化史にも確かな足跡を残した存在として、三田佳子さんはこれからも語り継がれていくでしょう。

三田佳子さん
引用元:oricon news

2023年、三田佳子さん(当時82)はテレビ朝日系連続ドラマ『ゆりあ先生の赤い糸』に出演しました(上画像)。同作の制作発表会見では、愛してやまないものとして「俳優という仕事」を挙げ、「最期まで女優、俳優の仕事をやりたい」と、変わらぬ情熱を力強く語りました。

80代を迎えた今もなお、現役女優”として作品に命を吹き込む三田佳子さん。その飽くなき好奇心と温かな存在感は、世代を超えて多くの視聴者の心を魅了し続けています。

けん

2025年は三田佳子さんはどんなお仕事をされているのかな?

のぞみ

2025年3月からドラマ「我が家は楽し」に出演して喫茶店の女主人を演じていらっしゃるわよ!

三田佳子のプロフィール・SNS

三田佳子さん
引用元:スポニチ

プロフィール

  • 名前:三田佳子(みた よしこ)
  • 本名: 高橋嘉子
  • 生年月日:1941年10月8日
  • 年齢:83歳(2025年9月現在)
  • 出身地:大阪府
  • 血液型:O型
  • 趣味:健康管理、ブログ発信、ジュエリーコレクション
  • 特技:エッセイ、書道
  • 所属事務所:プロダクション尾木

SNS

三田佳子さん
三田佳子さん
けん

三田さんはエッセイを執筆されるの?

のぞみ

1989年、三田さんは自身のエッセイ集『てとテと手』で 日本文芸大賞エッセイ賞を受賞されたのよ。とても達筆でいらっしゃるわ。ブログ発信でも素の自分や思いを伝えるために自分でタイトル案も考えているんですって!

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