三林京子さんは現在も未婚・独身。公表された結婚歴や熱愛報道も見当たりません。理由を明言はしていないものの、10代から舞台で鍛えられた女優業に加え、米朝一門初の女性落語家「桂すずめ」として高座に立つなど、芸の道を第一に歩み続けてきた生き方が背景にあると考えられます。
家族面では、実父は文楽人形遣いの人間国宝・二世桐竹勘十郎、弟は三世桐竹勘十郎で、甥(二世吉田簑太郎)やその子(桐竹勘吉)まで舞台の世界に連なる芸能一家。家名は弟筋が継いでおり、本人は女優・落語・教育活動に打ち込むことで、昭和・平成・令和をまたぐ朝ドラ最多級の出演実績など唯一無二のキャリアを築いてきました。
家族との交流はSNSや公的な場面からも豊かにうかがえ、独りの寂しさよりも創作と学びに満たされた暮らしを選び取ってきたことが伝わります。
この記事でわかること
- 三林京子さんが未婚・独身である現状と、その背景にある生き方
- 父(二世桐竹勘十郎)・弟(三世桐竹勘十郎)の肩書と文楽での活動
- 甥(二世吉田簑太郎)や「桐竹勘吉」へ続く芸能一家の系譜
- 米朝一門初の女性落語家「桂すずめ」としてのもう一つの顔
- 若い頃の経歴~朝ドラ多数出演までのハイライト
【画像】三林京子が結婚しない理由は?父や弟は何してる?
三林京子が結婚しない理由は?
引用元:テレ朝ポスト
引用元:三林京子Instagram
三林京子さんは、結婚しておらず独身です。今までの結婚履歴もなく、噂も上がっていないようです。
結婚しない理由などは話されておりませんが、幼い頃から芸の道を極めるたいという思いが強く、女優になってからもハードスケジュールだったこともあり、恋愛より優先したいことがあったのかもしれませんね。
弟さんが家名を継いでおり、お子さんもいらっしゃるので、家系のために結婚をする必要もなかったのかもしれませんね。ストイックに芸を追求してきたからこそ、今の三林京子さんがあるのでしょうね。
けん三林京子さんは、独身の暮らしはさみしくなかったのかな?
のぞみ三林京子さんの公式ホームページやInstagramには、甥っ子の簑太郎さんの結婚式の写真があったり、他にも弟の三世・勘十郎さんの写真もたくさんあり、家族としての時間や絆は十分にあったのが伝わるしさみしくなかったんじゃないかな!
三林京子の父や弟は何してる?
引用元:三林京子Instagram
引用元:致知出版社,三林京子Instagram
三林京子さんの実父は文楽の人形遣いで人間国宝の二世桐竹勘十郎さんです。
そして三林京子さんの弟さんは同じく人形遣いの三世桐竹勘十郎さんです。同二世吉田簑太郎さんは甥に当たります。2025年(当時74歳)の時に、弟の三世桐竹勘十郎さんのお孫さんも文楽に入門して「桐竹勘吉」として活動されています。
けん三林京子さんの弟の三世桐竹勘十郎さんは、お父さんに弟子入りしたのかな?
のぞみそれは、身内だと甘えが出てしまうという理由から、お父さんである二世桐竹勘十郎さんは自分の弟弟子である吉田簑助さんに預けたみたいよ!
【画像】三林京子は若い頃美人!
10代(1961年~1971年)
引用元:三林京子公式ホームページ 生涯現役
三林京子さんは、実父が文楽人形遣いの人間国宝の二世桐竹勘十郎さん、弟は同じく人形遣いの三世桐竹勘十郎(前名・吉田簑太郎)さん、同二世吉田簑太郎は甥に当たり、芸能一家で育っています。
三林京子さんは、「私が子どもの頃、家は貧乏でした。でも夢と希望があった。そやから生き生きとしていました。」とお話しされており、家が大変であった中でも姉弟で父の背中を追いかけていたことが確認できます。
子ども頃から利発で明るく美人だった三林京子さんは、子供時代にNHK大阪放送児童劇団に入団し、1965年(当時14歳)より、東宝所属の大物女優・山田五十鈴(いすず)さんに師事しています。
上の画像は、1970年3月(当時18歳)に東宝演劇部と契約したの時のものです。パワフルなエネルギーが溢れていてとても美人ですね。
引用元:三林京子公式ホームページ 生涯現役 女坂
三林京子さんは、1970年(当時19歳)の時に東宝の舞台『女坂』にて芸術座で初舞台に立ち、女優デビューをしました。上の画像は、当時のものです。すごく嬉しそうで目が生き生きされていますね。
「舞台女優になりたかった。映像は視聴者の反応がその場でわからない。舞台は直接わかる。それが魅力。」
三林京子さんはこの頃から舞台女優を夢見ていたようですね!
「冬の夜、山田さんのお供でであったことがあった。深夜遅くにお開きになり事務所に帰ると父親がいた。お母ちゃんからやって何や持ってきてくれた。たいしたものではなかったと思う。私が心配で様子を見に来てくれたんです。でも、こっちも照れ臭かったのでぶっきらぼうな対応しかできなかった。今思うと、寒い中いったい何時間待ってくれていたのかなあって。」
引用元:産経新聞 一聞百見
とお話しされていて、子ども想いのお父さんだったことが確認できます。
けん三林京子さんは、どうして人形遣いを継がず女優になったのかな?
のぞみそれは、「女性は人形遣いを継げなかったので、お父さんの跡を継ぎたいとは思っていなかった。中学校時代に歌舞伎の面白さに心をひかれた。それなら女優かな。」と思い、お父さんに相談し、それからお父さんのツテで大女優山田五十鈴さんの付き人になったになったみたいよ!
20代・30代(1971年~1991年)
引用元:NHKアーカイブス
三林京子さんは、1973年(当時22歳)の時に、『太陽にほえろ』第62話でテレビデビューし、1975年には『元禄太平記』でNHK大河ドラマ初出演をしています。
この時、三林京子さんは、『元禄太平記』では「舞うシーンや鼓を打つシーンの撮影が特に大変で、必死で汗だくになっていました。」とお話しされており、とても大変な撮影を必死で臨んでいたことが確認できます。
上の画像は、『元禄太平記』のワンシーンです。上品さと力強さを感じますね。同年、「第13回ゴールデン・アロー賞」放送新人賞、「日本映画・テレビ製作者協会賞」と受賞されています。
引用元:NHKアーカイブス
三林京子さんは、1977年(当時26歳)と時、NHKドラマ『鳴門秘帖』にスリの見返りお綱役で出演しています。
三林京子さんは、『鳴門秘帖』では「映画でそうそうたる方が演じてるので、お話しをいただいて撮影に入った時は緊張したが、ドラマの作り方がとても面白かった。」とお話しされています。
また、今だから言えるエピソードとして
「田村正和さんが主演だったが、動き少なく、出番少なく、セリフ少なくと注文されたので、なぜだかお綱の出番が増え、働き方改革なんてない時代なのでけっこうきつい撮影で、私は寝る時間もなくなって、弦之丞(田村正和さん演じる)に殺されそうでした(笑)。」
引用元:NHKアーカイブス
とお話しされており、きつい撮影で夜まで長い時間撮影されていたことが確認できます。
上の画像は、1977年(当時26歳)NHKドラマ『鳴門秘帖』にスリの見返りお綱役の時のものです。寝る時間もないとは思えない、迫力のある表情ですね。
翌年の1978年にフリーとなり30代は新歌舞伎座、明治座、前進座などの舞台を中心に、俳優としてのキャリアを積んでいったようです。他にも浄瑠璃、藤間流、山村流などの日本舞踊、狂言を修行をされたようです。
けん三林京子さんは、どうしてたくさんの事を修行されたのかな?
のぞみそれは、幼い頃から好奇心旺盛で、やるんだったらとことんと、熱心におけいこされていたみたいよ!
40代~(1991年~)
引用元:三林京子公式ホームページ 生涯現役
三林京子さんは、1997年(当時46歳)に3代目桂米朝さんに落語家として正式に入門しています。
従来は米朝さんは女性の弟子はとらなかったので、一門初の女性落語家となっています。翌年の1998年(当時47歳)、三代目桂すずめ(かつら すずめ)の名を許され、噺家としての初高座を踏んでいます。
この時、三林京子さんは、「落語家の皆さんは内弟子時代に日舞や長唄、鳴物を稽古して、舞台で芝居もする。それなのに女優の私が落語がでけへんのは悔しい、そう思ったんです。それで、思い切って師匠に『落語を教えてほしい』と頼み込んだんです。」とお話しされています。
また、「新人が最初に修業する「叩(たた)き」から始めた。「米朝師匠は私に音(ね)を上げさせようとしたんでしょう。でも、こっちも必死で食らいついて長い噺を覚えました」とお話されており、何事も真剣に挑む性格だったことが確認できます。
上の画像は、2013年(当時62歳)の時の桂すずめ独演会の時のものです。
三林京子さんは初の独演会で、「あっという間の15年でした。アカンだれで、1年に一つもネタをおろせていません。独演会なんておこがましい。」を話されていたようです。年齢を感じさせない、活躍ですね。
引用元:NHKアーカーイブス
三林京子さんは、2008年(当時57歳)の時に、NHK連続テレビ小説『だんだん』で主演のマナカナちゃん(三倉茉奈さん、三倉佳奈さん)と共演をしました。
この時三林京子さんは、「二人が小学生の時に朝ドラ『ふたりっ子』で共演しました。小さかった子が大人になって、また共演できたのは感慨深かったですね。」とお話しされており、共演者とも仲良しであったことが確認できます。
上の画像は2008年(当時57歳)、『だんだん』に出演されたの時のものです。朝ドラ最多出演の貫禄を感じます。
引用元:大阪芸術短期大学 TanTan‐Magazine Home
三林京子さんは、1992年(当時41歳)の時に、大阪市いちょう大学(大阪市の高齢者大学)初代学長に就任しています。1998年 (当時47歳)には大阪府教育委員も務めています。
そして2007年(当時56歳)の時に大阪芸術大学短期大学部広報学科 専任教授をされていて、講師としての活動もされています。
「舞台上では全てが丸見え。表情も身体も立ち振る舞いも、頭のてっぺんからつま先まで隠すことができない。その役者の人生や生き方、生活習慣までもが見えてしまう。だから恐ろしいんですよ」とお話しされており、普段の生活から自身にとっても厳しく、生活習慣から徹底していたことが確認できます。
上の画像は、2018年(当時68歳)の時のものです。教育の関してもとても熱心に、体当たりで臨んでいたのでしょうね。
引用元:NHKアーカイブス
三林京子さんは、2019年(当時68歳)の時に、連続テレビ小説『スカーレット』に大久保のぶ子役で出演しています。上の画像は、2019年(当時68歳)の時のものです。
ドラマでの「大久保さん」のイケズなほど容赦なく喜美子を鍛えた姿と心遣いが話題になり、ネット上には「泣ける」「最高」などの声があふれ、「大久保さん」がツイッタートレンドの1位にもなり、新たな代表作となっています。
「大久保さんは、ほぼ素の私やねん」「3時代(昭和、平成、令和)、8本もの連続テレビ小説に出していただける感謝の気持ちを込めて、しっかりと喜美子ちゃんを仕込みたいと思います」とお話しされています。
ご自身も若くから人間国宝や文化勲章をいただいた超一流から教えてもらっていた、その時の自分と重なりながら演じており、とても気合の入っていた事が確認できます。
2023年度後期放送の『ブギウギ』までNHK連続テレビ小説9作品に出演しており、最多出演者となったそうです。
けん三林京子さんは、どうして講師活動も熱心におこなっていたのかな?
「父は常々、私に「人生はできるだけまわりり道をしろ」と言ってきました。その影響でしょうか、私は「どうせまわり道をするなら徹底的にした方がよい」と思うようになりました。まっすぐ前を見て歩いただけでは決して見つからなかった多くのものを脇道で手に入れたい。こんな生き方、教育問題について話したい。」
引用元:講師派遣・オンライン講演なら株式会社システムブレーン
のぞみ三林京子さんは父親の教えを大切にしていたようで、それもあって教育活動に積極的になったみたいね!
三林京子のプロフィール・SNS
引用元:琉球新報
プロフィール
- 名前:三林 京子(みつばやしきょうこ)
- 本名: 宮永 佳代子(みやながかよこ)
- 生年月日:1951年7月17日
- 年齢:74歳(2025年10月現在)
- 出身地:大阪府住吉区(現在の住之江区)
- 血液型:A型
- 特技:日本舞踊、清元、三味線、鳴物、笛、フラメンコ、狂言
- 所属事務所:米朝事務所
SNS
- Instagram URL:https://www.instagram.com/kyoko_mitsubayashi/?hl=ja
- facebook URL:https://www.facebook.com/3bayashi
- YouTube URL:UCFKp8bsh5-FgXHfXmSa15jA
- オフィシャルサイト URL:https://3bayashi.com/

けん三林京子さんはInstagramで料理の写真もたくさん載せてるけど、料理をされるのも好きなのかな?
のぞみこだわたった食材を使われていたり、旅先や食事の席でのお料理もSNSでアップされていることが多いので、食べることも作ることもとても好きみたいだね!














