森永卓郎さんは2015年の番組企画を機にRIZAPへ挑戦し、約2カ月半で体重−20kg・ウエスト−23cmの減量に成功します。単なる話題づくりではなく、強い動機と継続力で結果を出した実例です。
その後は2023年末にがんを公表、原発不明がん(当初は膵臓がん疑い)として治療と仕事を並走し、2025年1月28日に67歳で逝去されました。
闘病中も病状を発信し続けた姿勢は、数字や政策だけでなく「生活者の目線」を最後まで貫いた証でもあります。若い頃からの優秀さは、海外公立校での適応経験で培った観察力・主体性、東京大学での学び直しとシンクタンク・官庁での実務、そして難解な経済を平易に翻訳する表現力が三位一体となって花開いた点にあります。
RIZAPで見せた「やり切る力」、庶民に寄り添う語り口、データで語る実証性――これらが一貫して森永さんの評価を支え、最後まで人々に勇気を与えました。
この記事でわかること
- RIZAP挑戦の経緯と減量実績(−20kg/−23cm)
- がん公表から2025年1月28日の訃報までの時系列と要点
- 闘病中も続けたメディア発信・仕事への向き合い方
- 若い頃から優秀と評される理由(適応力×主体性×実証力)
- 代表的な著作・社会への影響と評価の変遷
【画像】森永卓郎はライザップで激やせ!
ライザップのCMでおなじみになった森永卓郎さん。CMでも予告通り激やせしていましたね!
引用元:政経電論
引用元:毎日が発見ネット
ライザップに挑戦する機会となったのは2015年の「オールスター感謝祭」。そこでライザップのCM出演権をかけたコンテストがあり、視聴者投票で1位に選ばれたことがきっかけです。頑張って継続した結果、なんと2カ月半で、体重はー20kg、ウエストもー23cmまで減ったようです!さすがライザップですね、、、。
\結果にコミット/
ギモンくんそんな過酷なトレーニングになぜ諦めずに打ち込めたのかな?
カイケツさんこれまでの人生で、女性にお腹を撫でられたりして、「ああ男として見られてないんだ」って落ち込むことが多かったみたい。そんな中、「一度でいいから芸能人の女性とご飯を食べに行って、フライデーに撮影されてミヤネ屋で解説されたい」なんて思ったそうよ!
森永卓郎が亡くなった理由は?
引用元:日テレNEWS NNN
ミヤネ屋コメンテーターでもおなじみの経済アナリスト・森永卓郎さんが2023年12月、すい臓がんの「ステージ4」であることを公表しました。しかし、その後「原発不明がん」とされ、免疫療法薬による治療を行っていることを、後日、明かしていました。
引用元:Yahoo!ニュース
2025年1月現在のCTでの検査の結果は「腹部に播種っていう、がんのとびひみたいなのがあるんですけど、それが、大きくなって転移が始まっちゃったっていうのが、多分可能性としては一番高い。それで激痛が走ってたんですよ。」と、告白しています。
2025年1月現在の病状としては、「ただ今までよりは、ちょっと『危ない状態になってるな』っていうのは、間違いないので。」と説明しており、医療用の痛みを取る薬を飲んで『緩和ケア』をしていることを明かしていました。
追記(2025年1月28日)膵臓癌で死去
ステージ4の膵臓(すいぞう)がんで闘病中だった経済アナリスト森永卓郎(もりなが・たくろう)さんが28日午後1時33分、原発不明がんのため、自宅でなくなった。67歳だった。この日、所属事務所が発表した。葬儀は近親者のみの家族葬で執り行うという。
引用元:日刊スポーツ
息子で、経済アナリストの森永康平氏は
「父は2023年11月に癌の告知を受け、同時に余命宣告をされて以降、仕事をしながら闘病してきましたが、本日息を引き取りました。
闘病中は本当に多くの方から応援のメッセージをいただき、本人だけでなく私たち家族も勇気づけられていました。ありがとうございます。
余命宣告を受けてから、父は病状や体調、治療状況などについて、可能な限り皆様に共有しようとしていました。
まだ気持ちの整理が出来ていませんし、暫くは長男として母を支えつつ、様々な手続きなどの対応もしなくてはいけないのですが、時間が出来た段階で、余命宣告をされてから今日に至るまでの闘病の様子や、父の最期の様子なども、皆様にご報告させていただければと思います。それまでは温かく見守っていただけますと幸いです」
引用元:日刊スポーツ
とお話しされています。ご冥福をお祈り致します。
ギモンくんがんが見つかって、がんと闘おうと決意できたのは、なにが勇気を持たせてくれたのかな。
カイケツさんご自身で本を書いていたみたいで、死ぬ前にこれを完成させないといけないと思ったみたいよ。あと、レギュラーで出演しているラジオの仲間が、もしがんに打ち勝って治ったら『森卓歌謡ショー』をしてくれるという約束があるみたい!心強い仲間がいることが勇気を持たせてくれたのかもね!
【画像】森永卓郎は若い頃から優秀!
森永卓郎さんが若い頃から優秀だった理由は、早期から培った「多様な環境への適応力」と「自力で学び切る探究心」を核に、知を社会に役立てる実践力まで一貫して磨いたからです。
幼少期の海外公立校での試行錯誤とミニカー収集で観察眼と価値意識を養い、自由と自己責任の校風のもと主体性を確立。東大理Ⅱから経済学へ転じて基礎を固め、JT・政府機関・シンクタンクでデータに基づく分析を重ね、政策提言と分かりやすい発信へ接続。環境適応×主体性×実証力の三拍子が、若年期からの「使える賢さ」を支えました。
幼少時代~10代(1957年~1977年)
森永さんのお父様は毎日新聞の記者で、小学1年の時はボストン赴任だっそうです。そのあと小学4年でウィーンに赴任、小学5年でジュネーブに赴任になったそうです。
引用元:biglobeNEWS
学費の高い日本人学校ではなく、地域にある普通の公立学校へ入学。語学が堪能では無かったため、いじめを経験。ウィーンの時、ドイツ語が話せない中、ヨーロッパは黄色人種に対する差別もあって、引きこもりに。その際に、お父様が買ってくれたのがミニカーでした。
上記の写真は初めて買ったミニカーです。お父様からもらったミニカーが、森永さんの趣味の原点となりました。森永さんの人生における癒しやインスピレーションの源となります。また、当時の日本はオイルショックなどの影響で社会が混乱しており、物の価値や節約についての考えが育まれたのもこの頃です。
結局、帰国する頃にはミニカーは1000台になったそうです。
引用元:NEWSポストセブン
上の画像は1971年(13歳)中学2年生の時の写真です(新宿区立落合中学校)。かわいらしいですね。中学時代はバレーボール部や卓球部に在籍をしていましたが、いずれも補欠だったみたいです。
中学は厳しい校則があり、細かいルールで学校生活が縛られていたそうです。髪の毛を染めることも、長く伸ばすことも禁じられていたそうです。
ギモンくん森永さんは帰国後は、どういった学校生活を過ごしていたのかな?
カイケツさん森永さんは縛られるのが大嫌いな性格なので、中学時代は欲求不満の固まりになっていたそうよ。
だから、中学時代は荒れていたそうです。教諭にいちいち反抗し、廊下に立たされることは日常茶飯事だったみたい。
高校時代は何をやっても自由、でも結果はすべて自分に降りかかる、『自由と自己責任』が貫かれた学校だったからしょうにあっていたみたいね。
20・30・40代(1977年~2007年)
森永さんは1976年4月(当時18歳)の時に、東京大学教養学部理科二類に入学しました。転科して1980年3月、東京大学経済学部経済学科を卒業。その後1980年4月日本専売公社(現在の日本たばこ産業株式会社(JT))に入社しました。
引用元:日刊ゲンダイ
上の最初の画像は1980年4月(22歳)の時のものです。二段目の左から3番目が森永さんです。その後、日本経済研究センター、経済企画庁、三井情報開発総合研究所、三和総合研究所といった職場で、マクロ経済や労働経済の調査研究を続けてきました。経済企画庁に出向していた時期に、メディアにデビューするきっかけとなる雑誌への寄稿を始めました。
森永さんは1988年2月(30歳)、JTを退職し、三井情報開発株式会社総合研究所に正式に移籍。副主任研究員として、経済分析や社会政策の研究を本格的に開始しました。ここでの研究は、経済政策の実務的な知識を深めるだけでなく、データに基づいた客観的な分析力を磨く貴重な期間となりました。
2002年、三和総合研究所が東海総研と合併してUFJ総合研究所が誕生。森永さんは、同社の経済・社会政策部の部長兼主席研究員として活動を続けました。この時期には、企業の枠を超え、社会全体に向けた経済分析や政策提言を発信する機会が増え、後の経済評論家としての活躍につながる基礎が築かれました。
森永さんのキャリアは、研究職から始まり、評論家として広く社会に貢献するまでの道のりを描いており、その多彩な経験が現在のユニークな視点に繋がっています。
引用元:X森永卓郎さんって、テレビに出始めたとき、髪型がリーゼントだったよね?って、誰も知らない、憶えてない、横分け七三でしょ、と言われてきたが、ネット上には、リーゼント姿がしっかり残っていた。
— はる坊 (@harubou_room) September 24, 2024
正しくはポンパドールか?
最近は、がん闘病でニュースになられることが多いな…#髪型 pic.twitter.com/6hnJE7vs50
上の2つ目の画像は1997年(40歳)の時の画像です。森永さんのテレビ出演は、専門家としての知識だけでなく、視聴者との親近感を重視したスタイルが特徴です。森永さんの発言は、経済を難解に感じる人々にもわかりやすく伝わり、「庶民派経済評論家」としての地位を確立しました。
この時期のテレビ出演が、森永さんを全国的に有名な存在へと押し上げた重要な要因と言えるでしょう。また、放送メディアに出演し初めた40歳当時の髪型はリーゼントでした。
ギモンくんどうして当初はリーゼントにしていたのかな?
カイケツさんそれは、森永さんのユニークなキャラクターや個性的なスタイルを強調するためだったと考えられるわ。テレビ番組などで目立つためのパフォーマンス的な要素もあったと思われるね。
また、森永さんのような知識人が軽いタッチで親しみやすさを感じさせることで、視聴者により親近感を持ってもらう狙いもあったと思うわ!
50代(2007年~2016年)
下の画像は2008年(51歳)の時の森永さん(一番左)です。森永さんは50代になると、評論家として「格差社会」や「低所得層の暮らし」への問題提起をさらに深めました。森永さんの発言は特に庶民層や低所得層に向けられ、社会の不平等に鋭く切り込むものでした。
引用元:TVタックル
森永卓郎さんは、経済評論家という側面を持ちながらも、収入が低くても幸せに生きる方法を示し、「豊かさとは何か」という根本的な問いを投げかける内容で著書「年収300万円時代を生き抜く経済学(2008年/当時51歳の時)」を発売し、 給料半減が現実化する社会で「豊かな」ライフスタイルを確立する!方法論の提起を行いました。
引用元:森永卓郎オフィシャルサイト
物質的な豊かさを追い求めるのではなく、生活の工夫と価値観の転換によって心豊かに生きるための実践的なアドバイスが詰まっており、書籍は大ヒットしました。
引用元:まんたんWEB
引用元:AERA.dot
上の画像は2010年(53歳)の時の画像です。森永さんが館長を務め、菓子についた“おまけ”など約1万5000点を展示する博物館「ノベルティミュージアム」がオープンした時のです。しかしながら2011年3月11日に発生した東日本大震災で博物館施設も被災し休館状態となりそのまま閉館しました。
その後、2014年(57歳)に月に1日開館する宝の館として「B宝館」を開館。名称には「ビンボーでおバカだけど、ビューティフルな博物館」という意味が込められて2024年現在も開館しています。
ギモンくん森永さんの収集する力ってすごいね!ノベルティミュージアムもB宝館もどのような思いで出来たのかな?
カイケツさんそれは、森永さんは「価値は人それぞれの感じ方にある」という考えを持ち、「楽しさ」や「懐かしさ」を再発見する場として位置付けているのよ。
「物の背後にある時代背景や文化」を愛し、そこに価値を見出してきた森永さんの哲学を反映していると思うわ。
60代以上(2017年~)
下の画像は2020年12月16日(63歳)に発売されたARUHIマガジンの時のものです。左が息子の森永康平さんです。
引用元:ARUHIマガジン
この2年後、すい臓がんを患っていることを公表しました。このニュースは多くの人々に驚きと心配を与えましたが、森永さん自身はこれを前向きに受け止め、病気と向き合う姿勢を見せています。森永さんの経験は、病気の早期発見や治療の重要性について世間にメッセージを届けるきっかけとなりました。
引用元:オリコン
上の画像は2024年(67歳)の時のものです。森永さんは硬直的な経済理論だけでなく、生活者目線の温かみある視点が特徴です。「挑戦を恐れるな」と若者たちにエールを送る姿は、多くの人々に感動を与えていますね。
2024年現在も治療を続けながら、テレビやラジオ出演、執筆活動などを精力的に行っています。病気を抱えながらも、仕事を続けるという選択をした森永さんの姿勢は、「病気だからといって人生を止めない。」という強い意志を感じさせます。ユーモアを忘れずにメディアで発言を続ける姿勢は、多くの人々に勇気を与えています。
ギモンくん闘病生活のはずなのに生命力が凄く強いとわかる写真だよね。
カイケツさんがんを患ったことで、人生観が変わったことはなく、
「何一つ変わっていないですね。権力と戦い、とにかく前向きに死ぬということ。だから、(がんが判明しても)ゆっくり人生を過ごそうとは、みじんも思わなかったですね。休んでいる暇はない。行けるところまで行きますよ。」とおっしゃっているわ。
森永さんの姿は、病気と闘うだけでなく、それを通じて何を伝え、どう生きるかを示す模範であり、森永さんの生きる姿勢は今後も多くの人々に影響を与え続けるでしょうね!
森永卓郎のプロフィール・SNS
- 名前:森永 卓郎(もりなが たくろう)
- 生年月日:1957年7月12日
- 年齢:67歳没(2025年1月28日)
- 出身地:東京都
- 血液型:A型
- 趣味:ミニカー集め、コレクター
- 所属事務所:BellKiss Corporation
引用元:森永卓郎 オフィシャルサイト
SNS
- X(旧Twitter) URL:https://x.com/morinaga_takuro

- Instagram URL:森永卓郎ゼミ広報担当
- YouTube URL:https://www.youtube.com/watch?v=_GMX2hZQHsw
- オフィシャルサイト URL:https://morinaga-takuro.com/

- 公式ブログ URL:https://ameblo.jp/morinaga-takuro/

ギモンくん森永卓郎さんがミニカー集めに熱中したきっかけって何なのかな?
カイケツさん1970年台にトミカが登場したんだけど、その精密さと本格的なミニチュアカーのクオリティに惹かれたことが始まりだったみたいよ!
森永卓郎の激やせと死去理由、若い頃の優秀さまとめ
- ライザップのCM出演で激やせし、2カ月半で体重−20kg、ウエスト−23cmの減量に成功している
- 減量挑戦のきっかけは番組企画での視聴者投票1位で、継続の動機には自己イメージの刷新願望があったとされている
- 2023年12月に膵臓がんステージ4を公表し、その後は原発不明がんとされ免疫療法薬で治療している
- 2025年1月の検査では腹部播種が増大し転移の可能性が高いと説明し、激痛に対して緩和ケアを受けている
- 2025年1月28日に原発不明がんで死去し、67歳没と発表されている
- 闘病中も仕事を続け、病状や治療状況を積極的に共有する姿勢を示している
- 幼少期に記者の父の赴任で米欧の公立校に通い、言語や差別の壁を経験しつつ環境適応力を培っている
- ウィーン時代に始めたミニカー収集が観察眼と価値意識を養う契機となり、帰国時にはおよそ1000台に達している
- 中学では厳格な校則に反発が強かったが、高校では自由と自己責任の校風の中で主体性を確立している
- 東京大学理科二類から経済学部へ転じ、基礎を固めたうえで実学に接続している
- JTを経て日本経済研究センターや経済企画庁、三井情報開発総研、三和総研、UFJ総研でマクロや労働経済の調査研究を重ねている
- 寄稿やメディア出演を通じてデータに基づく分析を平易に伝え、庶民派の経済評論家として地位を確立している
- 1997年頃のテレビ露出では親近感のある語り口と個性的なスタイルが話題になっている
- 50代で格差や低所得層の暮らしに焦点を当て、『年収300万円時代を生き抜く経済学』がヒットしている
- 震災で閉館したノベルティ施設を踏まえ、2014年にB宝館を月1日開館の宝の館として再始動している
- 60代以降もテレビやラジオ、執筆を継続し、若者に挑戦を促すメッセージを発している
- 環境適応力と主体性、実証にもとづく発信力を一貫して磨いたことが、若い頃からの優秀さと社会的影響力を支えている














