俳優として数々の名作に刻印を残し、写真家としても評価の高い永瀬正敏さん。私生活では歌手・中島美嘉さんとの約4年の真剣交際、そして女優・小泉今日子さんとの結婚と離婚が注目を集めました。
小泉さんとの離婚に至った主因は、当時伝えられた価値観の相違です。具体的には、家庭の在り方や子どもを持つか否かへの考えの違い、仕事最優先による生活リズムのズレ、さらに永瀬さんの徹底した役作りが日常にも及んだことなど、複合的なすれ違いが積み重なったことが決定打になったと言われています。
なお、双方は不倫を否定しており、互いを尊重した形での別離でした。本記事では、中島美嘉さんとの出会いから別れ、小泉今日子さんとの馴れ初めと離婚の詳しい経緯、そして若い頃のイケメンぶりから現在の活躍までを時系列で整理してお届けします。
この記事でわかること
- 小泉今日子さんとの離婚理由(価値観・家庭観・仕事観の相違)
- 2人の馴れ初めから結婚・別離までの流れ
- 中島美嘉さんとの交際の実情と破局背景
- 若い頃のイケメンぶりと俳優デビューの裏側
- 現在の出演作・写真家としての活動と受賞歴
【画像】永瀬正敏は中島美嘉と交際?小泉今日子との馴れ初めと離婚理由!
永瀬正敏は中島美嘉と付き合ってた?
引用元:Xこの頃の永瀬正敏と中島美嘉が好きなんだよ pic.twitter.com/UfQrSVYZE1
— シるシ (@shirushi701) January 11, 2021
— Pretty Vacant Jap (@PrettyVacantJap) December 27, 2024引用元:X
俳優の永瀬正敏さんと歌手の中島美嘉さん。ともに多くのファンを持つ実力派の2人が、かつて恋人関係にあったという噂がありました。実際に、2人は約4年間にわたって真剣交際していたことが複数のメディアによって報じられていました。
永瀬正敏さんと中島美嘉さんが出会ったのは、2002年に日本テレビ系で放送されたドラマ『私立探偵 濱マイク』での共演がきっかけで、永瀬さんが主演を務めたこの作品に中島さんがゲスト出演をされました。
当時の報道によると、2人は家族ぐるみの付き合いをしており、中島さんのご両親も永瀬さんと頻繁に会われ、公認の仲でした。2007年には“結婚間近”との報道も出たようです。
ところが、2008年春頃16歳差のビッグカップルは約4年間の交際に終止符を打ちました。原因は多忙によるすれ違いだとされています。それぞれが第一線で活躍していたため、時間を共有することが難しかったようです。特に中島さんは歌手としての活動が活発で、海外公演なども増えていた時期でした。

16歳という歳の差もありながら、中島さんのご両親も公認の中だったんだね。

永瀬さんは、毎日のように愛車のキャデラックで中島さんが父親と住んでいるマンションに訪れていたんですって。
2人で堂々としゃぶしゃぶ店や焼き鳥店、インテリアショップなどに訪れて、周囲に対してもオープンな交際をされていたみたい。
永瀬正敏と小泉今日子の馴れ初めと離婚理由!
俳優・永瀬正敏さんと女優・小泉今日子さんは1993年5月に女性誌『an・an』で行われた対談企画がきっかけで出会いました。対談の中で冒頭から「すごく私くらいの年齢の女の人って変に好きですよ、永瀬さんのこと。”普通”の好きと違う。語れないぐらい”好き”と言う感じの人が多い。」とお話しされ、これを機に距離が縮まったのではと言われているようです。
同年9月には、2人が車でコンビニに向かう姿が週刊誌にスクープされ交際が報じられ、1995年2月22日、『夫婦の日』に2人は婚姻届を提出されました。結婚式、披露宴、新婚旅行などは行わず、代わりに結婚会見をされた画廊で、写真の展示会を行い、形式にとらわれないお2人らしい結婚報告となりました。
結婚から4年後、永瀬さんが撮影の合間に1人で海外旅行に出かけたりすることで不倫を噂され、周囲に夫婦関係の悩みを相談していたなどの報道が流れました。お互いの価値観の違いから、2002年には別居状態になり、2004年2月22日9回目の結婚記念日には、離婚を発表されました。
永瀬さんは当時の公式サイトで、「夫婦というよりは血縁関係があるような、どこか従妹同士のような関係になっていた。お互いに裏切りはなかった」と不倫はきっぱり否定しています。さらに小泉さんも「家庭を築くという事を忘れがちだったかもしれません。夫婦の関係が、時に不自由にさせてしまったような気がします」とお話しされていました。

結局、価値観の違いってなんだったんだろうね。

結婚後は家庭に入りたかった小泉さんを永瀬さんは引き留めていたみたい。
さらに子供が欲しかった小泉さんと、望んでなかった永瀬さん。家族についての意見も合っていなかったそうよ。
それと、もしかしたら永瀬さんのストイックな役作りもきっかけの1つだったかも・・・
永瀬正敏は、離婚後に小泉今日子から「結婚したての頃なんか、役そのままで帰ってきて、そのたびにいろんな男の人が帰ってくるから大変だったわよ」と叱られたとか。永瀬は「まったく意識していませんでした、すみません」と応じたそうです。凄まじい集中力で役になりきる反面、目標を追うあまり見えなくなるものもあるタイプと言えます。
引用元:AERA DIGITAL
【画像】永瀬正敏は若い頃イケメン!
10代(1976年〜1986年)
引用元:X X【ションベンライダー】2/15~上映開始 『永瀬正敏特集』
— キネマ旬報シアター (@kinejun_theater) February 13, 2014
いつもいじめられているガキ大将が誘拐され、彼を追う三人の少年少女と中年男のヤクザの姿を描く。監督:「セーラー服と機関銃」の相米慎二監督 pic.twitter.com/SLJ1vDbf9c1983年
— 清田あぬすぬ「背番号1」𝕏 (@kitigai_emilyyy) February 11, 2025
ファーストシングル「スクール・デイズ」
※貼りは2ndシングル「夏のマドンナ」(1983年)
永瀬正敏 pic.twitter.com/Ucbbza1qvf
永瀬正敏さんは、1982年(当時16歳)高校1年生の時に約15000人の中からオーディションで選ばれ、1983年(当時17歳)公開の映画『ションベン・ライダー』で俳優デビューしました。さらにこの映画の挿入歌で歌手デビューも果たしています。
当時はとても厳しい学校に通っており、「大人と言われている人たちができないことを非暴力的に何かやってやろうと思った」と、たまたま新聞に載っていたオーディションに応募した理由をお話しされています。「”あんたら大人には、こんなことできないでしょ”ってことをやりたかった」そうで、応募した時点ですでに達成感があったそうです。
上の画像は1993年のものです。相米慎二監督の撮影は厳しく大変でしたが、最初はただ大人への反骨精神だけで応募した俳優業に、撮影後には魅せられてしまったそうです。クランクアップの時に「ここから離れたくないと思った」とお話しされています。
引用元:X新・翔んだカップル
— レトロ系 (@retoro_mode) September 18, 2014
1984年に放送。出演者:石川秀美、永瀬正敏 他。 pic.twitter.com/kRCYrd7PAp
永瀬正敏さんは、俳優デビュー後すぐに人気漫画の実写版『みゆき』にも主演されましたが、その後映画の仕事に縁がなく、5年ほど映画に出られない時期を過ごします。その期間はお金もなく、時間だけがある中で、何度も映画館に通い、満席の中階段で映画を見ていました。この頃は1日中いられる映画館が多かったそうです。
当時、ある女優さんから「『Stranger Than Paradise』っていうジム・ジャームッシュの映画、永瀬君は絶対好きだから観に行ってごらん」と言われ、何の予備知識もなく観に行って、衝撃を受けたそうです。
上の画像は1984年(当時18歳)の時のものです。1980年に放送されたテレビドラマ『翔んだカップル』のリメイク版として、フジテレビで放送されました。まだあどけない高校生らしい表情をされていますよね。

永瀬さんは10代の頃からパンクロックが好きだったんだって?

13歳〜14歳頃、学校の先輩がバンドを組んでいて、ラジオで流れた曲をテープに録音して一緒に聴いていたんですって。
ザ・クラッシュやセックス・ピストルズをリアルタイムで聴いていて、「うぉ、カッコ良い!」ってバンドを組み始めたきっかけになったそうよ。
ただ、当時はギターを弾いていたんだけど、下手すぎてクビになり、「お前は歌に専念しろ」ってギターを持たせてもらえなかったんですって。
20代(1986年〜1996年)
引用元:X若き日の永瀬正敏と工藤夕貴が主演を務める、1989年制作のジム・ジャームッシュ監督作品。
— Netflix Japan | ネットフリックス (@NetflixJP) April 7, 2025
エルヴィス・プレスリーに憧れるミツコと恋人のジュンがメンフィスのホテルで過ごす夜。
仏頂面の彼氏に"かまってちゃん”なミツコがとってもキュート💄#ミステリー・トレイン #MysteryTrain pic.twitter.com/PIoXAihLUy
1989年(当時23歳)永瀬正敏さんは、10代の頃に映画館で見て衝撃を受けた、ジム・ジャームッシュ監督の作品『ミステリー・トレイン』に出演されます。この映画は、メンフィスのダウンタウンを舞台にした、同じ夜に起こる3つの物語で構成されています。
最初の物語が、横浜出身の若い日本人カップル、ミツコとジュンがアメリカ横断旅行の途中でメンフィスへの巡礼にやって来る様子が描かれていました。
撮影時、ジャームッシュ監督と日本人俳優たちは英語をほとんど話せなかったそうですが、メンフィスのナイトクラブでは、監督が永瀬さんに女性客たちに声をかけさせ、演技指導をしたそうです。
上の画像は映画『ミステリー・トレイン』の時のものです。
日本公開初日、永瀬さんは「スチールを担当した鋤田正義さん(※デヴィッド・ボウイのポートレイトなどでも知られる世界的写真家)と一緒に劇場のロビーに1日中座って、観客の反応を見ていました」とお話しされていました。1989年のカンヌ国際映画祭最優秀芸術貢献賞を受賞しました。
引用元:X X#日本映画の隠れた名作を発掘しよう
— はる坊 (@harubou_room) December 21, 2024
『息子』(1991年)
山田洋次 監督
三國連太郎・永瀬正敏・和久井映見・田中邦衛 出演
父と息子の関係、妻を亡くした男の独居問題。そして、息子とろうあ者の恋愛・結婚問題。
歳を重ねるごとに見方が変わる作品だと思う。 pic.twitter.com/55GWkYyokF山田洋次監督『息子』(1991年)
— shinoblox (@BLOXstyle) January 15, 2022
永瀬正敏の役が、東北出身、次男、長男と比べ出来が悪い、とか(カッコ良さを除けばw)自分と共通点が多くw感情移入しまくりで、山田洋次作品では(男はつらいよを除けば)1番好きな映画。#息子#山田洋次#永瀬正敏#和久井映見 pic.twitter.com/2DsRGOjzig
『ミステリー・トレイン』出演後は、ジム・ジャームッシュ監督の映画に出演した若手俳優として注目され、映画を中心に活躍されるようになります。
1991年(当時25歳)には、山田洋次監督の映画『息子』に出演されました。椎名誠さんの小説『倉庫作業員』を原作とした、岩手県の山奥で暮らす父親と、都会でフリーターを続ける息子との葛藤と心の変化を描いた社会派ドラマでした。
この作品は日本アカデミー賞・ブルーリボン賞・キネマ旬報・日刊スポーツ映画大賞で助演男優賞、毎日映画コンクール・報知映画賞で主演男優賞をそれぞれ受賞しました。
永瀬さんは「当時まだ若く、怖いもの知らずでこの作品の撮影に挑みましたが、ラッシュを見て共演した三國連太郎さんの背中の芝居に圧倒され、芝居を勉強し直す良い機会になった」とお話しされています。
上の画像は映画『息子』のものです。親子2人の岩手弁などに「ほっこりした」と言うコメントや「温かみがある作品」とのレビューがありました。
引用元:X X林海象監督・脚本1994年の「我が人生最悪の時」(私立探偵 濱マイクシリーズ)を。天願大介共同脚本、永瀬正敏主演。物語自体にはほぼ乗れなかったが(脚本がイマイチだ)、和製フィルムノワールとして映像センス(モノクロ)を含め楽しんだ。役者陣は皆イイし、92分という尺もイイ。堪能した。 pic.twitter.com/rYGvpJvJC6
— Shinichi a_BEAR (@deckard_bear) November 29, 2023たくさん雑誌の処分中。anan 1994年の好きな男ランキング 永瀬正敏、織田裕二、本木雅弘、豊川悦司、木村拓哉、藤井フミヤ、萩原聖人、いしだ壱成、武田真治、筒井道隆、ビートたけし…時代を感じる pic.twitter.com/qpk1ANpqYy
— ♨️ (@roronne) March 28, 2015
永瀬正敏さんは、1994年(当時28歳)から1996年『私立探偵 濱マイク』シリーズの映画3本に出演され、その後2002年のドラマ版にも出演されています。タイトルはミッキー・スピレインのハードボイルド探偵小説『マイク・ハマー』シリーズをもじったもので、このドラマは永瀬さんの代表作としても知られています。
この設定を一新して制作されたドラマ『私立探偵濱マイク』は「伝説のドラマ」と呼ばれることが多く、俳優の高良健吾さんが本作を観て俳優を志したというエピソードはよく知られています。
「意味の“わからなさ”で魅せるドラマ」「ジェットコースターのような展開に惹かれた」「とにかくオシャレで雰囲気があるドラマ」と言われ今でも多くのファンがいる人気作です。
上の画像は1994年の時のものです。この年、雑誌『an・an』では『アンアン読者が選ぶ好きな男』ランキング1位に選ばれました。

この頃の永瀬さんは、ファッションにおいても同世代や上の人たちに憧れられていたんだよね。
「左右非対称のものとか。非常にシンプルな革ジャンとか、ライダースとかも好き」とお話しされていたよ。

メンズノンノなどファッション誌の表紙も飾っていたわよね。
何より、木村拓哉さんや浅野忠信さんらと並んで、同性から高い支持を受けているのがオシャレな証拠よね。
30歳(1996年〜2006年)
引用元:X日清食品 カップヌードルCM。[20世紀カップヌードル 1985年ペレストロイカ](1999)永瀬正敏、ミハイル・ゴルバチョフ(Mikhail Gorbachev)(ワーグナー(Wagner)『ニーベルングの指環〜ワルキューレの騎行(The Ring of the Nibelung〜Ride of the Valkyries』)@retoro_mode pic.twitter.com/KtTX2jOIMC
— minipops (@minipops5) July 1, 2021
上の画像は1999年に放送された日清カップヌードルのCMです。20世紀を象徴する出来事に、永瀬さんがデジタル合成して登場するCM「20世紀カップヌードル」が人気を博しました。
このCM出演については「映画的で不条理な空気が好き」と、俳優として好むスタイルでだったことをお話しされ、「童心に戻るようなワクワクする体験だった」と振り返っています。
永瀬正敏さんは1999年(当時33歳)から2001年(当時35歳)にかけてインデペンデント作品(自主制作映画)に多く出演され、「若い世代の人たちと作品作りをご一緒すると勉強になるんですよね」とお話しされていました。現場のスタッフが若い大学生や高校生だったことで、関わることで刺激を受けたそうです。
以前、園子温さんの作品で、現場のスタッフのほとんどが公募のボランティアだったことがあって、高校生の女の子がいたんです。その子が『映画を作りたいんです。出てほしいんです』と言うので、その場で『いいよ』って。どんな映画を作りたいのか? と聞いたら自分自身に置き換えて、母と娘の話を撮りたいと。それは実は僕自身、すごく興味のあるテーマでした。若いジェネレーションの子が、自分というフィルタを通して親子という関係をどのように見ていて、どう表現するのか? それ以外にも、大学のゼミの作品に呼んでもらったこともありましたけど、この子たちはどんな表現をするのか? という興味が勝ってしまうんですね(笑)。それで、実際にやってみると、僕のほうが受け取ること、勉強させてもらえることが多かったりするんです。そういう現場は楽しいですねぇ。
引用元:映画.com
撮影のインタビューの中でも「映画って、撮影するだけじゃ分からないものを知れる場だと思うんです」とお話しされています。
引用元:X【新入荷】ラブドガン(映画パンフレット)
— 古本道楽堂*映画パンフレット専門のオンラインショップ (@furuhondorakudo) May 22, 2017
2004年発行
監督:渡辺謙作
出演:永瀬正敏、宮崎あおい、新井浩文、岸部一徳
*監督+キャスト4人のインタビュー、キーワード集、鈴木卓爾レビューなどを掲載。https://t.co/jfn3ITYqdO pic.twitter.com/KXOxsJAKTs
永瀬正敏さんは、写真家としても活動をされています。幼い頃に最も影響を受けた祖父が、戦前に写真館を経営されており、戦時中は出張カメラマンをされていたそうです。戦後は家族を養うため買い戻すことを約束しお米に換えたところ、カメラを持ち逃げされてしまい、それ以降写真を撮れなくなってしまったということでした。
きっと写真を撮り続けていたかったであろう祖父のために、永瀬さんが代わってリベンジしてしているのだそうです。「じいちゃんと一緒に撮っているような感覚になることがあります。心の中で『じいちゃん、これでいいかなあ』と聞くこともあります」とお話しされています。
上の画像は2004年(当時38歳)の渡辺謙作監督の映画『ラブドガン』です。この年には、『渇いた花〜four by four equal one〜』で、初めて永瀬さん自身の脚本・監督作をDVD化されました。

おじいさんの意思を継いでカメラマンとしても活動されていて「DNAのリベンジ」とお話しされていてかっこいいね!

役者だから、撮られる方の気持ちも、カメラマンとして撮る方の気持ちもわかる。
どちらも表現をする職業だから、どちらもやることでバランスが取れているんですって。
一番の理想は、『思い』を撮ることなのだそうよ。
40代以上(2006年〜)
引用元:X「映画監督 河瀨直美」明日25日(水)6:30pmからは、永瀬正敏さん主演で、樹木希林さんの最後の主演作ともなった『あん』を上映。上映後には河瀨直美監督、浅田美代子さん(出演者)、秦 基博さん(主題歌)を迎えてのトークを開催します。ぜひご来場ください。https://t.co/BqIaVsYl8G pic.twitter.com/DjHb7hQeVS
— 国立映画アーカイブ (@NFAJ_PR) December 24, 2019
永瀬さんは、2013年(当時47歳)デビュー30年目を節目に撮り貯めた写真を一挙に掲載し、公式HPに特設ギャラリーページ『I meet you Project』を設置されました。これまでご自身が撮影した写真作品を多数公開し、12月には写真展を地元宮崎で開催しました。
カメラマンとして雑誌『warp MAGAZINE JAPAN』の表紙とカバーストーリーグラビアの撮影を2年間担当、写真展など数多く写真家としての仕事でも活躍されました。
上の画像は2015年(当時49歳)河瀬直美監督の映画『あん』です。ドリアン助川さん原作『あん』の実写映画で、日本・フランス・ドイツ合作の映画でした。この年の第7回TAMA映画賞 最優秀男優賞、第37回ヨコハマ映画祭 主演男優賞、全国映連賞 男優賞を受賞されました。
引用元:映画ナタリー スポニチアネックス
2024年(当時58歳)27年の時を経て石井岳龍監督の映画『箱男』が公開されました。石井監督は32年前に作家安部公房さんに直接会い、同名小説の映画化を約束されていました。1997年には永瀬さん主演で制作が決まっていたのですが、クランクイン前日に中止が決定し、映画化は頓挫してしまいました。
この当時30歳だった永瀬さんは、自宅や宿泊先でも箱に入って生活するほど役に入れ込んでいたようで“製作中止”が告げられた際は、ショックのあまり、俳優業復帰に数カ月を要してしまったそうです。
その思いは石井監督も同じで「私も2年くらい立ち直れなかった。でもその間もずっと諦めていなかった」とお話しされ、映画化への熱意を変わらずに持ち続けていました。
上の画像は映画『箱男』のジャパンプレミアの時のものです。第74回ベルリン国際映画祭の『ベルリナーレ・スペシャル』部門に正式招待され、これがワールドプレミアとなりました。招待された作品の中で、司会者から「今回のベルリナーレの出展作品の中で、もっともクレイジーな作品」と称されるなど、一際注目を集めた作品として話題を呼びました。

この『箱男』と言う小説は、20数か国で翻訳・出版されて、熱狂的な読者を持つ作品なんだよね。

テーマの難解さが理由で、映像化は困難と言われながらも熱望されていたのよね。
原作者の安部公房さん生誕100年の2024年についに映画を完成させた石井監督は「本当に夢のよう。まるでまだ私が箱の中に入って夢を見ているんじゃないかという気分です」と達成感をあらわにされていたわ。
永瀬正敏のプロフィール・SNS
引用元:毎日新聞
プロフィール
- 名前:永瀬正敏(ながせまさとし)
- 生年月日:1966年7月15日
- 年齢:59歳(2025年9月現在)
- 出身地:宮崎県
- 血液型:B型
- 趣味:写真
- 所属事務所:有限会社ロケットパンチ
SNS
- X(旧Twitter) URL:https://x.com/m_nagase_66
【映画『国宝』】
— 永瀬正敏 Masatoshi Nagase (@m_nagase_66) July 6, 2025
公開から1ヶ月が経ちました
皆さんありがとうございます
メインタイトルが出た後から
最後の舞を見るまで
ずっとずっと心が痛かった、苦しかったです
自分の世界から遠ざけよう、
カタギの世界に送り出そうと
思い巡らせていたのにも関わらず
結果… pic.twitter.com/QqXnnB9lQT
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永瀬さんはテレビドラマより映画出演がメインになっているよね。

そうね、映画俳優がメインのお仕事だけど、テレビドラマや舞台演劇の出演を否定したことはないのよ。
1988年に出演されたテレビドラマ『ママはアイドル』でも「コメディの空気を学べた」とお話しされているんだから。