仲村トオルさんの妻・鷲尾いさ子さんについては、2013年に「数年前から重い病を患っている」と報じられ、2016年には「原因不明で完治が難しく、歩行や会話が困難になる可能性がありリハビリ継続が必要」と伝えられました。
病名は現在も公式には明かされておらず、ALSや膠原病、パーキンソン病などの憶測は確証のない噂にとどまります。またネット上の「足切断」説も根拠が確認できません。
一方、長女・ミオさんは2019年にエビオス整腸薬のCMで芸能界デビューし、現在はモデルとして活動中。
仲村さん自身は『ビー・バップ・ハイスクール』『あぶない刑事』で一躍ブレイクし、以降も映画・ドラマで第一線を走り続ける存在です。本記事では“病名は非公表”“娘はモデルとして活動中”“若い頃から今に至る代表作と歩み”を、確かな情報と噂の線引きを明確にしながら整理します。
この記事でわかること
- 妻・鷲尾いさ子さんの病気に関する「公表情報」と「報道ベース」の整理(病名は非公表)
- 「ALSや足切断」などネット噂の真偽と、確認できる事実の線引き
- 長女・ミオさんの現在(モデル活動)とデビュー経緯(2019年CM)
- 仲村トオルさんの若い頃の代表作・転機(ビー・バップ、あぶ刑事 ほか)
- 家族を支えつつ第一線で活躍を続ける近年のトピックと受賞歴の要点
【画像】仲村トオルの嫁の病気は何?病状は?娘は何してる?
仲村トオルの嫁の病気は何?病状は?
引用元:NHK
引用元:デイリースポーツ
仲村トオルさんの嫁である鷲尾いさ子さんは、2013年に「数年前から重病を患っている」と報じられました。このことから2010年頃には難病の診断を受けていたのではないかと言われています。
2016年には「原因不明の、完治が難しいと言われる病気」であること「歩行や会話も困難になる可能性もあると言われ、リハビリ治療を続けなければいけない」と、仲村さんの知人がお話しされていたことが報じられました。
その病状から「ALS(筋萎縮性側索硬化症)」や「膠原病」「パーキソン病」など憶測が飛び交っていますが、詳しい病状や様子を目撃した人はおらず、現在も病名は公表されていません。
現在もメディアに出ていないことや病状についての報道もないため、現在も闘病中だと考えられます。
けん鷲尾いさ子さんを検索すると「足切断」って出てくるけど、本当なの?
のぞみ病状が報道された時に「歩行が困難になる可能性がある」という情報から車椅子生活なのではないかという噂もあり、そこから広がったと考えられるね。
噂されている「ALS」や「パーキンソン病」でも、進行すると筋力の衰えから歩行困難になり車椅子生活になることはあるかもしれないけど、足を切断する必要はないし、どこにも報道されていないことから、噂は嘘である可能性が高いよ。
仲村トオルの娘は何してる?
引用元:クランクイン!
引用元:Instagram
仲村トオルさんの娘で長女ミオさんは、2019年3月アサヒグループ食品の「エビオス整腸薬」のイメージキャラクターでCMに出演し、芸能界デビューを果たしました。
デビューのきっかけは仲村トオルさんのお知り合いのCM関係者からの紹介だったそうです。
2025年現在はモデルとして芸能活動をしています。
けん両親が芸能人だし、もっと早くデビューできたんじゃない?
のぞみ高校生までは、芸能活動禁止の学校に通っていたみたいだよ。
元々芸能界に入ることは考えていなかったみたいで、紹介してもらった後もどうするか考えていたみたい。
仲村さんの「挑戦してみたら?」という一言でCM出演を決めたんだって!
【画像】仲村トオルは若い頃イケメン!
幼少期(1965年~1985年)
仲村さんは、東京で生まれすぐに引っ越して3歳まで大阪で育ち、3歳からは川崎に引っ越して川崎の幼稚園に入りました。幼稚園に入る直前まで大阪で過ごしていたので、最初に覚えた言葉が関西弁でした。
幼稚園では唯一関西弁を話しており、異端児扱いされていたそうです。そのせいなのか、小学2年生くらいまでは自分のことが伝わらなく、うまくコミュニケーションが取れない子だったそうです。
小学3年生の時に千葉に引っ越し。当時から肩が強かったそうで、ある日誘われたドッチボールで活躍し、それからクラスの子に話しかけられるようになりコミュニケーションが取れるようになっていったとお話しされていました。
上の画像は仲村トオルさんの娘のミオさんの幼少期の写真です。残念ながら仲村トオルさんの幼少期の写真は見つけられなかったのですが、雰囲気がとても似ていて可愛らしいですね。きっと仲村さんも可愛らしい少年だったのではないのでしょうか。
引用元:マイナビニュース
幼少期はプロ野球選手になりたいと思っていた仲村さんは、中学2年生まで野球に打ち込む生活を送っていました。
小学校の時から学校で1番野球が上手いと言われていた友人に”いつか追いつく、そして追い抜く”と思っていましたが、中学に入ると差が開いているような気がしたそうです。
中学校の校舎がホームベースから80メートルくらいのところに立っており、校舎にあたればホームランという距離感で、仲村さんはバッティング練習でもたまにしか当たらなかったと言います。ところが友人は毎日2、3本当てていたそうです。「あいつを抜くのは無理かもなあ」と思っていた時期にあった練習試合で、他校のエースがその校舎の屋上をこえるホームランを打ち、「これは絶対に俺はプロ野球選手になれない」と悟ったとお話しされていました。
かなり自信を無くした仲村さんは、県立の学校で楽しい野球をやろうと考えましたが、プロ野球選手を諦めた途端に成績も落ち、受験に失敗してしまいました。
上の画像は2021年に放送された「八月は夜のバッティングセンターで。」の時の写真です。元プロ野球選手の役で企画の段階からとても乗り気だったそうです。俳優になってからも「野球を続ければよかったな」と何度も後悔したそうです。
引用元:X“大ヒット『ビーバップ・ハイスクール』でギンギンのツッパリを無理なく演じ、デビューを飾ったマジメ青年”
— 懐かしい昭和時代(女性) (@natsukashi__) July 29, 2018
週刊明星 1986年(昭和61年)5月29日号#仲村トオル#昭和 pic.twitter.com/fAEyKO9uFO
高校生になると、私立校に進んだことで学費が嵩んで申し訳ないという気持ちと、放課後に校庭で部活をやっている同級生を見るのがイヤで、すぐに帰ってビルの清掃や運送会社お手伝いなどアルバイトをしていました。
仲村さんは高校生時代を振り返って、「平均的なサラリーマンの次男で私立校ということで、少し負い目を感じていて『自分の服くらいは自分で稼いだお金で買わないとな』と感じていた」とお話しされていました。
上の画像はデビューして1年ほどの雑誌の写真です。残念ながら学生時代の写真を見つけることはできなかったのですが、若い頃の仲村さんもとてもかっこいいですね。
けん仲村トオルさんは、学生の頃からしっかりしてる人なんだね。
のぞみしっかりした大人っぽい人だという印象を受けるよね。
でも本人は、「出発点はどれも申し訳ないとか敗北感とか、そこら辺から来ていた気がします。」と言っていたよ。
負けてしまった気持ちをなんとか切り替えて活力に変えていったんだろうね。
20代(1985年~1995年)
引用元:ホミニス
大学入学直後に父親を亡くしてしまい、中退するまでに”就職につながる何か”を探していた仲村さんは、1985年(当時20歳)の時に書店で立ち読みした「ヤングマガジン」に掲載されていた、漫画「ビー・バップ・ハイスクール」の映画化に際し公募されていた主演オーディションの広告を見て「映画会社に履歴書を出せば就職のコネができるかも」思い、応募しました。
原作を知らないままオーディション開場に行くと、参加者のほとんどが不良やヤンキーばかりで場違いだと思ったそうですが、オーディションに見事合格し芸能界入りを果たしました。
上の画像は、不良役を演じている仲村さんです。合格した一因として役名と本名が似ていたことや、原作者のきうちかずひろさんが「自分の思い描く”中間徹”にイメージがぴったりだった」とお話しされていました。
撮影前の1ヶ月間で人を殴ったように見える殴り方や受け身などのアクション練習をしてから撮影に臨み、ドラマの撮影現場が面白かったことから俳優業に憧れるようになったそうです。
引用元:Real Sound
1986年(当時21歳)の時に「あぶない刑事」でドラマ初出演。上の画像は当時の写真です。「あぶない刑事」はシリーズ化され、スペシャルドラマや映画など38年間も制作される大ヒット作となりました。
当時一番下っ端だった仲村さんは、最初に撮るシーンで遅刻してしまったことがあるとお話しされていました。その時に舘ひろしさんがあえてスタッフの前で叱り『他のスタッフがそれ以上何も言わないように』と配慮してくれたそうです。
この時仲村さんはスタッフに、「トオル、ついてねぇな」と言われたそうで、「『ついてねぇな』っていうよりも、『よかったな、これでみんなお前のこと許したよ』っていうニュアンスだったんだな」と腑に落ちた様子でお話しされていました。
引用元:Amazon
仲村さんの憧れの俳優は、当時の所属事務所の先輩である松田優作さんでした。生前の松田優作さんも仲村さんを弟のように可愛がっていたそうです。
松田優作さんがアメリカ映画「ブラック・レイン」に出演したことで、海外作品もやってみたいという気持ちが芽生え、1994年(当時29歳)の時に、日米合作映画「刺青 BLUE TIGER」に出演しました。
上の画像はVHSのジャケット写真です。仲村さんの鍛え上げられた体に刺青が映えており、アクションなども盛り込まれ見応えのある作品となっています。
けん仲村さんは今も昔も筋肉がすごいよね。ずっと鍛えているのかな?
のぞみ若い頃からアクションが多かったから自然と筋肉がついていたのかもね。本格的に鍛え始めたのは、2005年に出演した「海猿」からみたい。主人公の先輩という役だったから、役作りのために鍛えたんだって!
30代(1995年~2005年)
引用元:スポニチ
1995年(当時30歳)の時に女優の鷲尾いさ子さんと結婚しました。
1998年に長女、2004年に次女と2人のお子さんに恵まれ、結婚後も仲村さんは一度も浮いた噂がなく理想の夫婦と言われていました。鷲尾さんは家事と子育て中心の生活でしたが、シャンプーのCMで夫婦共演し話題となりました。
上の画像は結婚会見の時の写真です。鷲尾さんが涙を流し、人々の感動を呼びました。
引用元:Amazon
仲村さんは、日本のドラマや映画で多くの作品に主演していた一方、香港映画や韓国映画、中国映画などにも出演し、活躍の幅を広げました。
1999年(当時34歳)、2000年(当時35歳)で出演した香港映画では、撮影シーンを前日や当日に知らされるそうで「せめて英語のセリフは絶対に前日までに欲しい」と話していたが、前日までにもらったことはほとんどなかったそうです。
いままでの撮影方法とはかなり違ったみたいですが、「とても楽しくて刺激的だった」と振り返っていました。
2002年(当時37歳)には、「ロスト・メモリーズ」という作品で、韓国のアカデミー賞と言われている大鐘賞(テジョンしょう)の助演男優賞を受賞、韓国人以外の受賞は初の快挙を成し遂げました。
上の画像は「ロスト・メモリーズ」のDVDのジャケット写真です。SFアクション作品で、2009年を舞台とした「2009 ロスト・メモリーズ」では製作費60億円と韓国史上最大のスケールで作成されました。
けん仲村さんは他にどんな賞を取っているのかな?
のぞみ1987年 第10回日本アカデミー賞 新人賞
(ビー・バップ・ハイスクール)
1987年 第41回毎日映画コンクール スポニチグランプリ新人賞
(ビー・バップ・ハイスクール)
1987年 第8回ヨコハマ映画祭 最優秀新人賞
(ビー・バップ・ハイスクール)
1987年 第25回ゴールデン・アロー賞 新人賞(映画)
1988年 エランドール賞 新人賞
過去には、数多くの新人賞を受賞していたよ!
40代以上(2005年~)
引用元:ORICONNEWS
2008年(当時43歳)の時に、ベスト・ファーザー イエローリボン賞を受賞しました。
不良高校生役でデビューし、不倫する夫役や犯人役など父親に相応しくない人物を演じてきた仲村さんは、授賞式で「人間頑張ってみるもんだと思った」と喜びを語っていました。
上の画像は授賞式の時のものです。「子育ては、今の生活の中で最も楽しいこと」とお話しされており、学校行事もほぼ皆勤賞で駆けつけていたそうです。まさしく理想の父親で素敵ですね。
引用元:シネマトゥデイ
2008年(当時43歳)から始まった「チーム・バチスタの栄光」で伊藤淳史さんとW主演し、最終回は視聴率が16.5%を記録する人気ドラマとなりシリーズ化されました。
伊藤さんもスタッフも含め初めて一緒にお仕事する方が多く「最初は探り探りだった」とお話しされていましたが、シーズン1の最初の撮影シーンからアドリブが入るなど、キャストとスタッフが現場で話し合いながら作り上げ、すぐに伊藤さんとの掛け合いのリズムが出来て手応えを感じたそうです。
上の画像は2014年(当時49歳)の時に公開された映画「チーム・バチスタFINAL ケルベロスの肖像」の時のものです。仲村さんが出演しているテレビ・シリーズが映画化したのは2度目で「そうそうあることではない、この幸運。ありがたいことです!頑張ります」とお話しされていました。
けん仲村さんはずっとかっこいいよね。何か意識していることがあるのかな?
のぞみ雑誌で見た舘ひろしさんのインタビュー記事で「なぜ舘さんはかっこいいのか」という文章に「かっこ悪いことをしないからだ」と答えていたみたい。
仲村さんはその言葉に感銘を受けて、僕もそういう人になりたいと思っているみたい。
仲村トオルのプロフィール・SNS
引用元:ORICONNEWS
プロフィール
- 名前:仲村トオル(なかむらとおる)
- 本名: 仲村亨
- 生年月日:1965年9月5日
- 年齢:60歳(2025年9月現在)
- 出身地:東京都
- 血液型:A型
- 趣味:読書、モノ作り、競馬、旅行、トレーニング、野球、
- 特技:乗馬、スキューバーダイビング
- 所属事務所:株式会社KITTO
SNS
- 公式ブログ URL:https://www.kitto-pro.co.jp/

けん仲村トオルさんは、もともと俳優になりたかったわけじゃないのに
どうしてここまで続けてこれたのかな?
のぞみそれは、「ビー・バップ・ハイスクール」や「あぶない刑事」など出演作が次々とヒットした後に出演した「新宿純愛物語」がヒットせず、「このまま負け戦で終わるわけにはいかない」と思い俳優を続けようと決めたみたいだよ。
「運が良かっただけ」とお話しされていたけど、向上心を保っていて実力があったからこそ、今でも活躍し続けているんだね。
仲村トオルの妻の病気報道と娘の活動・若い頃の軌跡まとめ
- 妻の鷲尾いさ子は2013年に数年前から重病と報じられたとされている
- 2016年には原因不明で完治が難しい病気と報道されリハビリ継続が必要とされた
- 歩行や会話が困難になる可能性があるとの証言が報じられたが病名は非公表である
- ALSや膠原病、パーキンソン病などの憶測はあるが確定情報はなく噂の域である
- 「足切断」の検索ワードは歩行困難の報から派生した噂とみられ報道確認はない
- 長女ミオは2019年にエビオス整腸薬CMで芸能界デビューを果たしている
- デビューのきっかけは父の知人のCM関係者からの紹介である
- 高校までは芸能活動禁止の学校に通い父の「挑戦してみたら?」で出演を決めたとされる
- 現在はモデルとして活動している
- 仲村は幼少期に大阪と川崎で育ち関西弁で異端視されるも小学生で交流が広がっていったと述懐している
- 中学まで野球に打ち込みプロ志望だったが実力差を痛感し断念したと語っている
- 1985年ビー・バップ・ハイスクールの主演オーディションに合格し芸能界入りしている
- 1986年あぶない刑事でドラマ初出演し長期シリーズとなる代表作になっている
- 1995年に鷲尾いさ子と結婚し1998年に長女2004年に次女が誕生している
- 海外作品にも挑戦し2002年ロスト・メモリーズで大鐘賞助演男優賞を受賞している
- 2008年ベスト・ファーザーを受賞しチーム・バチスタでは最終回16.5%の視聴率を記録している
- 総括として家族を支えつつ第一線で活躍を続ける俳優であり今後も成熟した演技に期待が高まる












