この記事では、中尾彬さんの「最初の結婚と離婚」「池波志乃さんとの出会いと夫婦のかたち」を一気に把握できます。
前妻・茅島成美さんとは1970年に結婚し、1975年に離婚。原因は当時報じられた元宝塚・眞帆志ぶきさんとの不倫で、離婚調停の末に中尾さんが約2000万円の慰謝料を支払い、息子さんの親権は茅島さんが持ちました。茅島さんはのちに一般男性と再婚し、現在は自宅隣のアパートの大家も務めています。
再婚相手の池波志乃さんとは“越乃寒梅”がきっかけで親交が深まり、1978年に歳の差婚。子どもは持たない選択を貫き、「干渉しない」「最初から合う相手を選ぶ」「毎晩の晩酌で会話」など独自の夫婦観で46年を並走し、2014年には「いい夫婦 パートナー・オブ・ザ・イヤー」を受賞。
若き日の端正なルックスから“ねじねじ”まで、仕事と私生活の変遷を具体的事実で整理して解説します。
この記事でわかること
- 前妻・茅島成美さんとの離婚理由/慰謝料・親権の行方
- 茅島成美さんのその後(再婚・現在の暮らし)
- 池波志乃さんとの馴れ初め(越乃寒梅)と結婚までの経緯
- 子どもを持たない選択と夫婦円満の秘訣(不干渉・晩酌・相性重視)
- 若い頃の出演作・端正なビジュアル~“ねじねじ”誕生までの変遷
【画像】中尾彬と前妻の離婚理由は?妻との馴れ初めは?
中尾彬と前妻の離婚理由は?
引用元:週刊女性PRIME
引用元:NHKアーカイブス
中尾彬さんの1回目のご結婚は1970年で、お相手は同い年の女優の茅島成美さんでした。茅島さんとの間には息子さんが1人生まれましたが、1975年に離婚しています。
離婚理由は元宝塚歌劇団の男役スター・眞帆志ぶきさんと中尾さんの不倫が発覚したことでした。若い頃の中尾さんは、吉永小百合さんや加賀まりこさんや藤田弓子さんなど数々の女優さんと噂になっていて、そのプレイボーイぶりは1回目の結婚後も変わらなかったようです。
中尾さんが家を出る形で別居が始まり、離婚調停で中尾さんが2000万円の慰謝料を支払うことで離婚が成立して、息子さんの親権は茅島さんが持つことになりました。
けん中尾さんは離婚後に再婚したけど、茅島成美さんはその後どうなったのかな?
のぞみ48歳の頃に一般男性と再婚されているよ!
今はご自宅の隣にアパートを建てて、大家さんもされているんだって。
中尾彬と妻(志乃)の馴れ初めは?
引用元:日刊スポーツ
引用元:産経新聞
中尾彬さんの2回目のご結婚は1978年で、お相手は女優の池波志乃さんです。
お2人はお酒が縁で親しくなったようです。1970年代のロケバスで中尾さんが幻の日本酒・越乃寒梅の知識を俳優仲間に披露しているところへ、池波さんが「そのお酒なら毎日飲んでますよ」と言って中尾さんを驚かせました。
そして池波さんが越乃寒梅をいつでも楽しめるお店と、迷った時のために自分の電話番号を教えたそうです。いざお店へ行こうとしたものの迷ってしまった中尾さんが池波さんに電話をし、後日そのお店にお2人で行ったのが初デートになったのだとか。
10歳以上離れた歳の差結婚なこともあり、結婚当初は周囲から「5年もたないだろう」と言われていましたが、実際は中尾さんが亡くなるまでの46年間を添い遂げ、2014年には「いい夫婦 パートナー・オブ・ザ・イヤー」を受賞されました。
お2人は子供を持たない選択をされましたが、それも「2人で過ごす時間がもっと欲しいから」という理由だったそうで、芸能界のおしどり夫婦として広く知られていたのも納得の仲良しぶりでした。
けん中尾さん達の夫婦円満の秘訣が知りたい!
のぞみお2人は「秘密があっても追及しない」「最初から自分に合った人を選ぶ」「毎晩晩酌して会話する」などを秘訣として語っているよ。
金婚式近くまで添い遂げた方々の言葉だと思うと、重みがあるね。
【画像】中尾彬は若い頃イケメン!
幼少期・10代・20代(1942年~1972年)
引用元:BS12
中尾彬さんは1942年に、千葉県木更津市の酒屋さんの長男として生まれました。
出身小学校は木更津市立木更津第2小学校で、その頃に映画をたくさん見たことで俳優に興味を持ち、小学校2年生の時にはお父さんに「将来は俳優になる」と宣言しました。作文にも「役者になりたい」と書いていたそうです。
中尾彬さんといえば絵画のイメージもあり、その才能が評価されだしたのもこの頃です。小学校4年生になると絵画コンクールで文部大臣賞を受賞し、翌年も別の賞を受賞されたのだとか。
その後は木更津市立木更津第2中学校、千葉県立木更津第1高校と進学します。中学時代の部活は陸上部で、高校では美術部とバレー部に所属されていました。高校卒業後は私立武蔵野美術大学に進学しましたが、中退されました。
上の画像は、1964年のデビュー作「月曜日のユカ」に出演されていた頃の中尾さんです。当時22歳です。こちらは中平康さん監督・加賀まりこさん主演の映画で、中尾さんはヒロインのユカのボーイフレンド役を演じました。
引用元:X中尾彬さん逝く。『魚住少尉命中』や映画『本陣殺人事件』の中尾さんが好きだった。『日本の黒幕』も。池波志乃さんとは干支一巡ぶん離れていたが可愛かったのだろうな。お二人が木挽町あたりの歩道に寄り添って立っているのをなぜか幾度かお見かけしたが、あだな雰囲気が揃っていてお似合い感漂ってい… pic.twitter.com/rq1DFIeF4D
— 樋口尚文=『大島渚全映画秘蔵資料集成』神保町「猫の本棚」 (@higuchism) May 22, 2024
中尾彬さんは高校卒業後の1961年(当時19歳)に日活ニューフェイスの第5期に合格し、「青い芽の素顔」と「どじょっこの歌」にノンクレジットでテスト出演した後に「真昼の誘拐」に出演されました。
絵画の道を捨てきれず翌年に日活を退社して、大学を中退してフランスへ留学しますが、留学期間を短縮し、1963年(当時21歳)に帰国します。そして劇団民藝に研究生として入団しました。
1963年のテレビドラマ「魚住少尉命中」では主役の魚住少尉役を演じ、これが中尾さんのドラマ初主演でした。上の画像はその頃のものです。この作品の舞台は沖縄戦に敗れ本土空襲が激しさを増していた敗戦間近の1945年7月で、アメリカ輸送船攻撃のため人間魚雷・回天特別攻撃隊が出撃します。
特攻隊員の魚住少尉は「本土攻撃をわずかでも防げれば」と自ら志願し、8月にアメリカの大型輸送船団に遭遇、魚住少尉の人間魚雷が発射される……というストーリーです。
特攻隊員の想いを通して「戦争とは何か」を問うドラマで、視聴者からは「いい意味でヘビーな作品」「若い中尾彬さんがイケメンすぎる」と好評でした。
引用元:日刊スポーツ
1971年(当時29歳)には民藝を離れてフリーとなり、映画「内海の輪」に出演されています。こちらは松本清張さんの小説が原作で、中尾彬さんは主人公の考古学者・江村宗三役を演じました。中山仁さんが病気のため代役として抜擢されました。
松本清張さんの作品の中では珍しく「女性心理」を露出させたことで注目を浴びたサスペンスで、冷え切った夫婦関係との決別を決めた女性と義理の弟との悲しい愛の物語となっています。
数多くの松本清張さん作品に取り組んできた松竹が「影の車」に次いで映画化しました。脚本は「戦争と人間」の山田信夫さんと「その人は女教師」の宮内婦貴子さんの共同執筆です。監督は「波止場女のブルース」の斎藤耕一さんで、撮影は「青春大全集」の竹村博さんがそれぞれ担当されています。
けん中尾彬さんって、幼い頃に戦争が終わったくらいの世代かな?
のぞみそうみたいだね。終戦を迎えたのが3歳の頃で、サイレンが鳴って防空壕に入った記憶がかすかにあるんだって。
30代(1972年~1982年)
引用元:MOVIE WALKER PRESS
1975年(当時33歳)には、横溝正史さんの長編推理小説が原作となった映画「本陣殺人事件」で主役の金田一耕助を演じました。中尾彬さんはヒッピー風のジーンズ姿で金田一耕助を演じ、後の横溝ブームの先駆けとなったとされています。
原作本が角川書店から出版されていたため、まだ映画を手掛ける前の角川春樹さんが本作の試写会を見に来ました。
当時社長だった角川さんは宣伝協力費として50万円出資し、文庫化していた原作シリーズを映画公開に併せて「横溝正史フェア」としてタイアップを行い、本作は配収1億円を突破しました。
引用元:スポーツ報知
その後は1977年(当時35歳)に、松本清張さんの長編推理小説が原作のテレビドラマ「砂の器」に出演されています。中尾彬さんは、若手文化人集団「ヌーボー・グループ」の1人で評論家の関川重雄役を演じました。
上の画像は、「砂の器」の制作発表に出席された時の中尾さんです。主人公・今西栄太郎役の仲代達矢さん(左)と和賀英良役の田村正和さん(中)と一緒に写っています。
こちらのドラマはフジテレビ系列で1977年10月1日から11月5日に「ゴールデンドラマシリーズ」枠で放送され、その後1985年2月22日に「金曜女のドラマスペシャル」枠で再編集版が放送されました。
1992年に松本清張さんが逝去した時にも追悼番組として放映され、全6回版がDVD化されています。
引用元:X暴れん坊将軍の初代宗春役は中尾彬さんだったwww予想通りの悪人顔で(´^д^`)ワロタwww pic.twitter.com/ylbWCSRDzv
— あれくさんどろす3世 (@AlexielXyz) November 18, 2016
中尾彬さんは時代劇でも活躍され、「暴れん坊将軍(1978年・当時36歳)」では徳川宗春を演じました。八代将軍の座を紀州徳川家の吉宗に奪われたことを恨んでライバル心むき出しの宗春は、事あるごとに吉宗の失脚を狙います。
質素倹約を心がける吉宗とギラギラして派手な宗春は対照的で、上の画像のようにアイシャドーを効果的に使ったこってりとしたメイクを施され、気持ちいいほどの敵役ぶりでした。
これが当たり役となり、1996年(当時54歳)の「暴れん坊将軍VII」まで出演されました。
けんこの頃は俳優のお仕事で忙しそうだけど、子供時代から好きだった絵画は続けられてたのかな?
のぞみ1978年(当時36歳)に絵画創作を再開して、その年に個展を2回開催したんだって。
フランスのル・サロン展で、1981年に「BUNRAKU・狂乱」が大賞、1982年に「COUNTRY・故郷」が国際賞を受賞しているよ。
40代(1982年~1992年)
引用元:X第三シリーズ
— onihei_hankacho (@OHankacho) May 5, 2021
第2話「剣客」
1991年12月
石坂太四郎 - 中尾彬
定七 - 石橋正次
松尾喜兵衛 - 丘路千
酒井祐介 - 勝野洋#鬼平犯科帳 pic.twitter.com/P39Mh8prhI
1991年(当時49歳)には、フジテレビ系列で1989年7月より放映されていたテレビ時代劇「鬼平犯科帳」に出演されました。火付盗賊改方長官・長谷川平蔵を主人公とする捕物帳で、あらゆる難事件を鬼の平蔵こと長谷川平蔵を中心に火付盗賊改方の役人と密偵たちが解決していくというストーリーです。
中尾彬さんは、第3シリーズ第2話「剣客」で、野見の勝平一味の抱える凄腕の用心棒・石坂太四郎を演じました。
引用元:X中尾彬さんを初めて意識したのは、高校1年の時に観た伊丹十三監督の『ミンボーの女』(1992年)だった。
— 中井かんいち (@ichikawakon) May 22, 2024
顔のアップが多い映画だったので、とにかく中尾さんの顔が強烈に印象に残った。この映画での中尾さんのヤクザは、『アウトレイジ ビヨンド』と違い、本当に怖かったです。
合掌。 pic.twitter.com/lsAbZLTXwd
中尾彬さんは強面なこともあって、数々の作品でヤクザの役に抜擢されたこともありました。1992年(当時49歳)には伊丹十三さん作の映画「ミンボーの女」で伊場木を演じています。
この映画の舞台はヤクザにゆすられ続けるホテル「ヨーロッパ」で、脅しに屈して簡単に金を出してしまうため日本中のヤクザが引っ切り無しに訪れていました。
この状況を打開すべく経理部とベルボーイのスタッフ2名にヤクザ対応を一任しますが、何の知識も無いため火に油を注いで状況が悪化し、とうとう外部からプロを雇う……というストーリーです。
顔のアップを多く使われた作品のためか、Xユーザーから「画面いっぱいに怖い顔怖い演技をこれでもか!ってくらい見せてくれる」と評判でした。
けん「ミンボー」って何だろう?
のぞみ「民事介入暴力」の略みたいだよ。
暴力団が民事紛争の当事者や代理人として介入して、不当に金品を得ようとする行為のことをそう言うんだって。
50代以上(1992年~)
引用元:BS11
1993年(当時51歳)には、「名探偵・金田一耕助の傑作推理」に出演されています。こちらのドラマは横溝正史さんの推理小説「金田一耕助シリーズ」を原作とする、古谷一行さん主演のテレビドラマシリーズです。
中尾彬さんは第10作「薔薇王」で日疋家当主の日疋源蔵を、第18作「迷路の花嫁」で心霊術師の建部多門を演じました。
上の画像は「迷路の花嫁」に出演されていた頃の中尾さんです。
引用元:スポーツ報知
中尾彬さんといえば、トレードマークの「ねじねじ」でも有名ですよね。中尾さんは俳優業で必要な時以外はネクタイを締めたくないくらいネクタイが嫌いで、マフラーやスカーフなどを首元からぐるぐると巻き降ろすスタイルを好んでいました。
これを「ねじねじ」と命名したのは奥さんの池波志乃さんで、巻くようになったきっかけは1990年代前半の海外ロケだったようです。
インドネシアの特産品である「バティック」という布地を大量購入し、帰りの飛行機を待っている間にねじっていたら取れなくなってそのままにしていました。それを共演者の神田正輝さんから「おしゃれだな」と褒められたことが始まりだったと語っています。
これが自他共に認めるトレードマークとなり、最終的にねじねじのコレクションは300本まで増えましたが、2018年の終活で200本を処分されたそうです。
けん終活を意識するようになったきっかけは何だったのかな?
のぞみ2007年に中尾さんが大きな病気をされたことがきっかけみたいだよ。
風邪が悪化して急性肺炎と横紋筋融解症を併発し、生死の境を彷徨ったことで「いつかは体が動かなくなる日が来る」と悟ったんだって。
中尾彬のプロフィール・受賞歴
引用元:東京新聞
プロフィール
- 名前:中尾 彬(なかお あきら)
- 生年月日:1942年8月11日
- 年齢:享年81歳(2024年5月16日逝去)
- 出身地:千葉県木更津市
- 血液型:O型
- 身長:175cm
- 趣味:万年筆収集・相撲観戦・野球観戦・俳句・釣り
- 特技:絵画
- 所属事務所:古舘プロジェクト
受賞歴
- 2015年:第25回東京スポーツ映画大賞・助演男優賞
- 2017年:スカパー!アダルト放送大賞・功労賞
- 2023年:第3回Men's Beauty アワード・Beautyライフスタイル部門
けん中尾彬さんって美食の分野でも有名だけど、甘い物だと何がお好きなんだろう?
のぞみガリガリ君とかハッピーターンとかの、庶民的なお菓子が意外と大好物なんだって!特にガリガリ君については「日本一おいしいスイーツ」と評しているよ。











