ミュージカル界の歌姫・新妻聖子さんは、2017年に一般男性と結婚し、現在は二児の母として家庭と舞台の両立を続けています。夫は外資系企業に勤めるエリートサラリーマンで、スポーツマンタイプのハーフ男性。共通の友人を通じて出会い、約1年半の交際を経てゴールインしました。
互いに舞台や音楽を愛する感性が一致し、温かい家庭を築いています。一方、新妻さんは独学で身につけた圧倒的な歌唱力で知られ、2015年の「関ジャニ∞のTheモーツァルト」で初代カラオケ王に輝きました。5
オクターブの音域とミュージカル仕込みの表現力で視聴者を魅了し、テレビを通じて全国的な人気を獲得。現在も舞台や音楽活動を中心に、多方面で輝きを放っています。
この記事でわかること
- 新妻聖子さんと夫の出会い・馴れ初めのエピソード
- 夫の職業・経歴・人物像について
- 新妻聖子さんの独学による歌唱力のルーツ
- 「関ジャニ∞のTheモーツァルト」での優勝と反響
- 家庭と舞台を両立する現在の活動スタイル
【画像】新妻聖子の夫との馴れ初めは?職業は?
新妻聖子さんは、2017年6月15日に一般男性と結婚したことを発表しました。この男性の情報はありませんでした。結婚発表の際には公式ブログで「この名前に生まれついたので言わせてください…新妻になりました!」と、自身の名字にかけたユーモアのあるコメントを添え、喜びを表現しています。
結婚相手とは、共通の友人の紹介で知り合い、家族ぐるみで温かい時間を共有する中で自然な流れで結婚に至ったと語っています。交際期間は約1年半で、2015年末から2016年初頭にかけて交際が始まったと見られています。
引用元:帝国劇場
上の画像は2017年4月から5月にかけて再演されたミュージカル、王家の紋章のものです。この公演後に入籍したことになります。
引用元:Instagram
新妻聖子さんの夫は、当時39歳の年上の一般男性で、外資系企業に勤めるエリートサラリーマンとされています。スポーツマンタイプで、父親が日本人、母親がオランダ人のハーフだそうです。
学生時代はラグビーをしており、身長180cmを超える体格の持ち主です。高校時代は父親の仕事の関係でニューヨークで過ごし、帰国後は慶應義塾大学に進学したという国際的な経歴を持っています。
職業は外資系企業のサラリーマンで、収入も高いと噂されていますが、具体的な会社名や職種は公表されていません。また、ミュージカルや舞台が好きで、新妻さんの出演舞台を観劇するなど、趣味や価値観も合っているようです。
また、2018年、2025年にそれぞれ男の子を出産しており、SNSに成長の様子をアップしています。上の動画は全力で子守唄を歌う新妻聖子さんです。テレビでも話題になりましたね。
けん旦那さんはどんな人なんだろう?
のぞみサッカー選手の酒井高徳さんに似ているって言われているわ。
新妻聖子の歌唱力がすごい!
新妻聖子さんは独学で歌唱力を身に着けました。
新妻聖子さんの歌唱力は、音楽好きの両親の影響やタイのインターナショナルスクールでの音楽活動、独学での洋楽練習を通じてやしなわれ、それがミュージカル女優の基礎となりました。
2015年9月25日、テレビ朝日系「関ジャニ∞のTheモーツァルト 音楽王No.1決定戦」で新妻聖子さんは初代カラオケ王の座に輝きました。この番組は、プロ・アマ問わず実力派の歌手たちがカラオケ採点機能「精密採点」を使い、トーナメント形式でNo.1を競う内容で、初回から大きな注目を集めました。
新妻聖子さんはミュージカル女優として鍛え上げた圧倒的な歌唱力と表現力で、ジョン・健・ヌッツォさん、ダイアナ・ガーネットさん、リトル・グリー・モンスターの芹奈さん、リン・ユーチュンさんなど強豪を次々撃破しました。決勝では「Let It Go」など難曲を完璧に歌い上げ、見事初優勝を果たしました。
審査員や視聴者からは「ミュージカル仕込みの声量と安定感が桁違い」「高音も低音も美しく、表現力が圧倒的」と絶賛され、SNSでも「新妻聖子さんすごすぎる」「カラオケの域を超えている」と話題になりました。
この快挙は、ミュージカルファンだけでなく一般視聴者にも新妻聖子さんの実力を広く知らしめることになり、「テレビで初めて知ったけど感動した」「本物の歌声だった」といった声が多く寄せられました。以降、彼女は同番組で連覇を重ね、カラオケ王の代名詞的存在となります。
上の画像は番組内で歌ったと思われる新妻聖子さんの[Let It go]です。鳥肌が立つようなすごい歌声です。
この番組への出演がきっかけでミュージカルに馴染みのない視聴者からも5オクターブの歌姫としてその名が広まりました。本人は自身の声域について「高音が出るのは体質や訓練の積み重ねもあるが、何より歌うことが好きという気持ちが一番の原動力」と述べています。
上の動画は番組で歌った、白日の動画です。これもまた難曲を華麗に歌い上げています。
けん~オクターブの歌姫って、どこかで聞いたことあるよね。
のぞみ元々アメリカの歌手のマライア・キャリーさんが
「7オクターブの音域を持つ歌姫」ってキャッチフレーズで
デビューしたそうで、そこからかな?
実際には5オクターブ半の音域を持っていたそうだから、
どっちにしろすごいことよね!
【画像】新妻聖子は若い頃かわいい!
10代(1990年~1999年)
新妻聖子さんは愛知県稲沢市に生まれました。生徒会副会長を務めるなど活発に過ごしましたが、お父さんの仕事の都合で、1991年11歳でタイ・バンコクへ家族とともに移住することになります。小学5年生だった新妻聖子さんは引っ越しには強く抵抗したそうです。
しかし、バンコクの都会的な雰囲気や多様な文化に触れるうちに「来てよかった」と感じるようになりました。タイでは貧富の差や社会問題を目の当たりにし、のちの人生観や作品づくりにも大きな影響を与えています。
バンコクではインターナショナルスクールに通い、英語漬けの日々が始まります。最初は「ABCしか知らない」状態で、授業も宿題も英語。辞書を片手に苦労したそうです。
引用元:テレビ朝日
2年半は「もう一生英語が話せないかも」と思うほど苦しみましたが、ある日突然、先生の英語がすべて理解でき、自分の思いも英語で伝えられるようになったといいます。この経験から「一番つらいときは、一番ゴールに近いときだ」と学び、以後の人生の支えとなりました。
そんな彼女の本格的な音楽との出会いはピアノでした。お姉さんが習っていて、自分もと、3歳で両親にお願いしたそうです。これは転校する小学5年生まで続いたそうで、新妻聖子さんは「幼少期に音感を育てられたのは幸運だった」と語っています。
高校卒業後、新妻さんは日本に帰国し、上智大学法学部国際関係法学科に進学します。受験のため、バンコクから単身帰国し、東京・祖師谷大蔵の河合塾女子寮で3か月間猛勉強します。帰国生入試という短期間の勝負でしたが、見事合格を果たしました。
法学部を選んだ理由は「歌手か弁護士になりたかったから」で、実際に在学中はどちらの道に進むか悩みながらも、音楽活動への情熱が次第に強くなっていきました。
上の画像は9歳のころの写真です。このころから整ったお顔立ちですね!
けん家族全員、音楽好きななんだね!
のぞみそうよ。新妻聖子さんは自身の声を
「声質は母から、声量と音域は父から」と語っているわ。
ちなみにお姉さんはシンガーソングライターの新妻由紀子さんよ。
20代(2000年~2009年)
2002年22歳のころ、新妻聖子さんは上智大学在学中に芸能界デビューを果たします。もともと歌手志望であり、大学入学が決まってからは歌手のオーディションを積極的に受けていました。そんな中で舞い込んできたのが、TBSの情報バラエティ番組「王様のブランチ」のレポーターの仕事でした。
新妻聖子さんは「いただけたチャンスなので、まずタレントをやってみて、卒業までに歌手につながらなかったら、きっぱりやめて就職しようと思ってた」と語っています。「王様のブランチ」では、明るく親しみやすいキャラクターで人気を集め、視聴者からも“つまつま”の愛称で親しまれました。
引用元:XTBS 有田哲平の夢なら醒めないで@新妻聖子 pic.twitter.com/7e4VFW0dAo
— 城丸香織 (@tokyostory) November 6, 2018
リポーターを務めて半年が過ぎます。そのころには大学4年生になっていました。「大学を卒業したら親の世話にはならない、在学中に歌手になると決めていた」そうです。
上の画像は20代前半、王様のブランチでデビューした頃の新妻聖子さんです。いまだに昔この番組を見ていた人から「昔出てたよね?」と声をかけられることもあるそうで、とても喜んでいました。
引用元:X18年前の今日、2003年の7/6は帝劇「レ・ミゼラブル」プレビュー初日でした。私の初舞台🇫🇷
— 新妻聖子 (@seikoniizuma) July 6, 2021
キャスト表を確認したら日曜日で17時開演でした。懐かしいーー。開演と同時にオーバーチュアが鳴り響き、いよいよなんだと、上手奥の袖で身震いした事を鮮明に覚えている。 pic.twitter.com/j6vDzRa8pa
このタイミングで、レ・ミゼラブルオーデションに参加する機会が舞い込みます。
オーデション担当者が「歌が上手い子を探している」とランチで語った相手が新妻聖子さんの大学時代の先輩でした。新妻聖子さんが昔自己紹介でした3秒ほどの歌声をなぜか思い出したそうです。変わった名前だから覚えてると、「新妻聖子」と名前を検索したところ、本名でレポーター活動していることがわかりました。
同じような業界にいるなら声をかけてみようと、未経験の彼女に声がかかりました。この時のことを「何かに導かれる時は、こんなふうに収まるべき場所にスポッと収まるものなのだな」と感慨深そうでした。
当時の新妻聖子さんは、ミュージカルの知識がほとんどなく、「レ・ミゼラブル」という作品自体も知らなかったといいます。最初は母親役のファンティーヌでオーディションを受けましたが、年齢的に合わないと指摘され、現場で「君にもっと合ってる役があるから、この歌を明日までに練習してきて」とエポニーヌ役の課題曲とCDを渡されました。
新妻聖子さんは「歌詞なんて覚えなくていい。CDの人の真似していいから」と言われましたが、歌詞を一日で覚え、自分なりの解釈で立ち向かいます。「受かると思わなかったし、審査員の人たちの前で歌えるっていう喜びの方が強かった」と当時を振り返っています
オーディションの場自体を楽しみ、堂々と歌い上げたことで、その場で手ごたえを感じたようです。「私が楽しんでるから、審査員の人たちも楽しんで聴いてる。このオーディションの場が楽しかった」と回想しています。「怖いもの知らずだった」とも語っており、若さゆえの大胆さと純粋な音楽への情熱が、選出の大きな要因となりました
このオーディションは、5000倍ともいわれる非常に高い倍率で、当時の日本ミュージカル界でも大きな話題となりました。これがミュージカル女優として大きく飛躍するきっかけとなりました。
上の画像は新妻聖子さん初舞台の2003年の「レ・ミゼラブル」の様子です。歌声が聞こえてきそうですね。
引用元:X大阪公演無事に完走✨ありがとうございました☺️
— 新妻聖子 (@seikoniizuma) February 23, 2021
さて先日スパマロット最年少キャストの花菜(はな)ちゃんが、一枚の写真を見せてくれました。
「5歳の時の私と聖子さんです」
!!なんと!2004年帝劇「ミス・サイゴン」の時のだ!17年前!!
はなちゃん大きくなったね😭💕嬉しいサプライズでした! pic.twitter.com/LhTUat0KbW
エポニーヌ役を演じた後、新妻さんは2004年上演されるに『ミス・サイゴン』のキム役オーディションに挑みます。この役は、ベトナム戦争下で生き抜く少女という非常に重く、繊細な役どころです。新妻さんは「この役に呼ばれて、この世界に入りました」と語るほど、女優人生の原点となった役です。
オーディションでは、東南アジアで過ごした自身のバックグラウンドも活かしつつ、役に深く共感しながら挑みました。キム役は歌唱力だけでなく、強い母性や絶望、純粋な愛など複雑な感情表現が求められます。新妻さんは「台本を読んだ瞬間から強く惹かれ、私の人生観や経験がすべてこの役に注がれているような気がした」と語っています。
しかし、当時はまだミュージカル界での経験も浅く、専門的な声楽指導も受けていなかったため、体力的・精神的なプレッシャーは非常に大きかったようです。特に、長時間にわたる稽古や本番での声の維持、感情のコントロールには苦労が絶えませんでした。それでも「この役を演じ切ることで、女優としても人間としても大きく成長できた」と振り返っています。
上の画像は24歳、2004年の『ミス・サイゴン』のものです。この中での豊かな声量と表現力で高く評価され、ミュージカル女優としての地位を確立していきます。
引用元:新妻聖子オッフィシャルサイト
2006年、26歳の時に新妻聖子さんはミュージカル『マリー・アントワネット』のマルグリット・アルノー役に抜擢されました。この作品は、フランス革命期を舞台に、王妃マリー・アントワネットと民衆女性マルグリット・アルノーという対照的な二人の女性の人生を描いた壮大なミュージカルです。
新妻さんは若手実力派ミュージカル女優として注目されていました。その中で、世界初演となる『マリー・アントワネット』の主要キャストに選ばれたことは大きな飛躍でした。マルグリットは貧しい民衆の代表として、王妃と対峙しながらも、やがて彼女の人間性に触れ、複雑な感情の変化を体現する重要な役どころです。
新妻さんは「マルグリットの核に迫るため、心の旅をたどるように役作りに没頭した」と語っています。稽古中は「感情が崩壊する瞬間まで自分を追い込み、舞台を終えるたびに心身が消耗した」と振り返りつつも、「21世紀を生きる自分が彼女の人生を疑似体験するような感覚」を得たと述べています。
マルグリット役は、民衆の怒りを体現しつつ、複雑な心情変化を表現する難役であり、彼女の歌唱力と表現力が高く評価されました。この役で第61回文化庁芸術祭演劇部門新人賞を受賞し、「観客とスタッフの支えがあってこそ」と感謝を表明しました。
上の画像は2006年に上演された『マリー・アントワネット』の一幕です。力強さを感じさせる立ち姿ですね。
けんリポーターをしてたなんて、信じられないね!
のぞみそうね。当時の番組関係者は「ロケバスの中でいつも鼻歌を歌っていて、変わった人だった」って暴露してるわ!
30代(2010年~2019年)
2011年、31歳になっていた新妻聖子さんはミュージカル『レ・ミゼラブル』でファンティーヌ役に初挑戦しました。これまで彼女は同作でエポニーヌ役を長く務めてきましたが、新たな大役への抜擢は大きな話題となりました。
一方で、当時は並行して舞台『国民の映画』にも出演していたため、稽古期間が非常に短く、本人も「限られたけいこ時間だった」と振り返っています。それでも「理不尽に翻弄される女性の強さと哀しみを自分なりに表現したい」と意欲を語り、役作りに全力を注ぎました。
引用元:新妻聖子オフィシャルサイト
新妻聖子さんの築き上げたファンティーヌは、単に不幸な女性ではなく、どこかに強い意志や芯の強さが感じられると評されました。また、工場での強気な姿勢や、市長(バルジャン)に助けられる場面の指差しなど、細やかな演技も印象的で、従来のファンティーヌ像に新たな解釈を加えました。
上の画像は2011年に上演された『レ・ミゼラブル』の時のものです。座り込んだままでも圧倒的な声量と細やかな感情表現で歌う「夢やぶれて」は、ファンティーヌの苦しみや絶望を伝えました。
引用元:ステージナタリー
36歳になった2016年新妻聖子さんは、ミュージカル『王家の紋章』で主人公キャロル・リード役をWキャストで務めました。原作は1974年から連載が続く人気少女漫画で、エジプト考古学好きの現代の少女キャロルが古代エジプトにタイムスリップし、王メンフィスやヒッタイト王子イズミルとの運命的な恋と冒険を繰り広げる壮大な物語です。
新妻さんは原作の大ファンを公言しており、役作り30年と冗談交じりに語るほど思い入れの深い作品でした。出演が決まった際には「夢がかなった」と喜びを隠せず、原作の世界観やキャロルの心情を忠実に再現することに全力を注いだといいます。
共演の浦井健治さん(メンフィス役)や平方元基さん(イズミル役)らとの掛け合いも絶妙で、Wキャストならではの個性の違いも話題になりました。原作ファンからも「新妻キャロルは完全にキャロルが憑依している」と絶賛され、歌唱・芝居ともに細部まで神経が行き届いた役作りが高く評価されました。
上の画像は2016年初演の時のものです。左端か新妻聖子さん、浦井健治さん、宮澤佐江さんです。豪華絢爛ですね。
引用元:新妻聖子オフィシャルブログ
新妻聖子さんは2017年に結婚、翌年38歳で7月に第一子を出産します。産後7か月で早くも全国ツアーに復帰するなど、仕事と育児を両立しようと懸命に努力していました。しかし、夜間授乳による慢性的な寝不足や子どもの体調不良が自身にも影響し、無理を重ねた結果、声が出なくなるという深刻な事態に直面します。
本人は「体調がとても良かったので“いけるだろう”と思っていた」と語っていますが、実際には心身ともに限界を超えていたことに気づかず、気持ちの焦りから無理を続けてしまったと振り返っています。
声が出なくなったことで「このままでは本当に壊れてしまうかもしれない」と思い詰め、子どもをお風呂に入れながら涙が止まらなくなるほど精神的にも追い詰められていたそうです。
転機となったのは、ある日ふと「これが今の私なんだから、今できるベストをやればいい」と自分を受け入れた瞬間でした。「誰にどう思われてもいい。お疲れ、私!」と開き直ったことで、何をしても治らなかった声の不調が不思議と回復し始めたといいます。
この経験を通じて「体の声をきちんと聞くこと」「追い込みすぎず、自分を認めてあげること」の大切さを学びました。「大きな代償だったけれど、この経験がなければもっと大きな転び方をしていたかもしれない」と語っています。今は「家族で幸せに健康に」をモットーに、無理をせず自分と家族を大切にする生き方を選ぶようになったそうです。
上の画像は当時39歳2019年のツアー、新妻聖子コンサートツアー2019~See ya!~の控室でのスナップ写真です。アルバムタイトル、Colors of Lifeにちなんで色彩豊かな衣装を選んだそうです。
けん出産ってたいへんなんだね。
のぞみそうね!私たちも生んでくれたお母さんに感謝しなきゃね!
40代以上(2020年~)
2020年に新妻聖子さんが主演したミュージカル『ボディガード』のレイチェル・マロン役は、彼女のキャリアの中でも特に華やかで挑戦的な役どころとなりました。原作は1992年の映画『ボディガード』で、ホイットニー・ヒューストンが演じた伝説的な歌姫レイチェルを、ミュージカル界屈指の歌唱力と表現力で新妻さんが体現しました。
当時はコロナ禍で新妻聖子さんの公演は2回で終わってしまいますが、2022年、2024年に再演となります。2022年では「まるでブロードウェイのような盛り上がり」と新妻さん自身も語るほど、各地で熱狂的な反響がありました。
新妻聖子さんは「スーパースターであり母親でもあるレイチェルの複雑な感情や強さ、弱さを自分の人生と重ねながら演じた」と語っています。特に2022年以降は自身も母となった経験が役作りに大きく影響し、「息子を守りたいという感情がより自然に湧くようになった」と明かしています。
上の画像はホイットニー・ヒューストンの「アイ ウィル オールウェイズ ラヴ ユー」を歌う新妻聖子さんです。舞台では日本語バージョンだそうですが、有名な「エンダー」の部分は劇中でも残されているそうです。
引用元:新妻聖子オフィシャルサイト
2021年、ミュージカル『王家の紋章』の再演で新妻聖子さんはアイシス役を務め、大きな話題となりました。アイシス役への抜擢については、キャロル役で培った経験を活かしつつ「全く異なる立場の女性を演じることに大きな挑戦と魅力を感じた」と語っています。
新妻さんは役作りの過程で「アイシスの心の奥底にある孤独や哀しみを丁寧にすくい上げることを意識した」と語っています。また、キャロル役とアイシス役を両方経験したことで「物語の見え方が大きく変わり、王家の紋章という作品の奥深さを再認識した」とも述べています。
新妻さんのアイシスは、気品と威厳、そして愛憎入り混じる情念を圧倒的な歌唱力で表現し、観客を魅了しました。特にキャロル役からの転身に対して「4年前の純真な少女が、今や強く美しい女王を見事に演じ分けている」、「歌の上手さ、貫禄、切なさ、もう目が離せませんでした」と絶賛されました。
上の画像は2017年に公開された劇中の写真です。妖艶な雰囲気ですね。
けん新妻聖子さんは漫画の王家の紋章が好きなんだけ。
のぞみそうね!ブログでも王家の紋章の考察をまとめていたわ。
本当に好きなのね!
新妻聖子のプロフィール・SNS
- 名前:新妻聖子(にいづませいこ)
- 本名: 同上
- 生年月日:1980年10月8日
- 年齢:45歳(2025年10月現在)
- 出身地:愛知県
- 血液型:AB型
- 趣味:食べること
- 特技:英語
- 所属事務所:プロダクション尾木
引用元:読売新聞オンライン
SNS
- X(旧Twitter) URL:https://twitter.com/seikoniizuma/status/1920833294859436079
こんばんは!!私の大好きなハワイのタロイモドーナツ店「Holey Grail Donuts」が5/25まで都立明治公園に出店していて今日近場で仕事だったからやっと寄れた!最高!ほんっとに美味しいから皆今すぐ行って!私は嬉しすぎてキャップも買っちゃったからもはや店員さんと化した🧢https://t.co/kOaFw7GbZN pic.twitter.com/kdIQUty956
— 新妻聖子 (@seikoniizuma) May 9, 2025
- Instagram URL:https://www.instagram.com/seikoniizuma/?hl=ja
- オフィシャルサイト URL:https://www.seikoniizuma.com/

- 公式ブログ URL:https://ameblo.jp/seikoniizuma/

けん新妻聖子さんの趣味は食べることなの?
のぞみそうみたい。一日5食、食べることもあるんそうよ。
タイで生まれ育ったからタイ料理が大好きなんですって。
新妻聖子の夫との馴れ初めと歌唱力まとめ
- 2017年6月15日に一般男性との結婚を発表している
- 結婚報告では「新妻になりました!」とユーモアを交えたコメントを投稿した
- 夫とは共通の友人の紹介で出会い、1年半の交際を経て結婚に至った
- 当時39歳の外資系企業勤務のエリートサラリーマンとされている
- 父親が日本人・母親がオランダ人のハーフで身長180cm超のスポーツマンタイプ
- 学生時代はラグビー部に所属し、慶應義塾大学を卒業している
- ミュージカル好きで新妻聖子の舞台を観劇するなど価値観が合っている
- 2018年と2025年に男の子を出産し、育児と仕事を両立している
- 新妻聖子は音楽好きの家庭環境で育ち、独学で歌唱力を磨いた
- 2015年に「関ジャニ∞のTheモーツァルト」で初代カラオケ王に輝いた
- 難曲「Let It Go」や「白日」を完璧に歌い上げ話題となった
- 5オクターブの音域を誇り、「歌うことが好き」という情熱が原動力と語っている
- 圧倒的な声量と安定した高音が特徴で、審査員や視聴者からも絶賛された
- ミュージカル女優として培った表現力と声のコントロールが評価されている
- テレビ出演を機にミュージカル界以外でも人気を獲得した
- 夫婦ともに芸術や音楽を愛する感性を共有している
- 現在は家庭と仕事を両立しながら、舞台・音楽活動を続けている
- 今後も歌唱力と人間味で観客を魅了し続けることが期待される








