【画像】野口五郎と嫁の馴れ初めは?息子にはスカウト殺到?若い頃イケメン!

野口五郎さんと妻・三井ゆりさんの出会いは、2000年放送の「ものまね王座決定戦」での共演がきっかけでした。

12歳の年の差を超えて心を通わせ、わずか7ヶ月の交際で結婚に至ったスピード婚。きっかけは、野口さんが年齢差を気にして尋ねた際、三井さんが「その時は私がスプーンを口元に持っていって、寸前でポッと落とせばいいでしょ?」と笑わせた一言。このお茶目な返答に「この人となら幸せになれる」と確信したそうです。

以来、20年以上にわたり円満な結婚生活を送っています。2016年の「ハッピーローズ・アワード」授賞式では、野口さんが妻の前で「僕をまだ愛せるなら」を熱唱。変わらぬ愛情をステージ上で届ける姿は、多くのファンの心を打ちました。互いを尊重し、笑いと音楽に包まれた夫婦関係こそ、長年愛され続ける理由といえるでしょう。

この記事でわかること

  • 野口五郎と三井ゆりの馴れ初めと結婚の決め手
  • 年の差を感じさせない夫婦円満エピソード
  • 息子・佑都さんへのスカウト話と学歴情報
  • 娘・文音さんの音楽活動と親子共演の様子
  • 夫婦と家族を支える野口五郎の温かな家庭観
目次

【画像】野口五郎の嫁との馴れ初めは?

野口五郎さんの奥様はタレント・歌手の三井ゆりさんです。三井ゆりさんはその飾らないおっとした性格からお嫁さんにしたいたタレントNO.1に輝いたこともあるとても素敵な女性です。

そんな三井ゆりさんとの出会いは、2000年フジテレビ系列で放送された「ものまね王座決定戦」で共演したことでした。2人はこの共演で意気投合して、すぐに交際が始まったそうです。

野口五郎さん
引用元:スポニチ
野口五郎さん
引用元:サンスポ

2人の夫婦円満は確かもので、2016年野口五郎さんが60代の時に生き生きと活躍されている著名人に贈られる「ハッピーローズ・アワード」を受賞され、その授賞式でサプライズで三井ゆりさんが登壇されました。その場で自身の楽曲僕をまだ愛せるならを熱唱し三井ゆりさんへの変わらぬ愛情を伝えました。とても素敵なエピソードですよね!

ギモンくん

野口五郎さんの、12歳年の離れた三井ゆりさんとの結婚の決め手は何だったのかな?

カイケツさん

それは、野口五郎さんが三井ゆりさんに交際に発展しようとしていた時に、年齢が一回り離れているから大丈夫か確認したんだって。そうしたら三井ゆりさんが、「その時は食べるものを私がスプーンを口元に持っていって…寸前でポッと落とせばいいでしょ?」とお茶目に応じたそうで、その時に「ああ、この人にしよう!」と強く思ったみたいだよ。それから交際7ヵ月で結婚に至ったんだって!

野口五郎の息子はスカウト殺到のイケメン?

野口五郎さんには、佑都(ゆうと)さんという20歳(2024年現在)になる息子さんがいらっしゃいます。残念ながら顔正面の写真を見つけることは出来なかったのですが、長女文音(あやね)さんの成人式に同行した際に後ろ姿の写真が投稿されていました。身長は180㎝を超えており、また後ろ姿からとてもスタイルがいいですよね!

引用元:野口五郎公式Instagram

野口五郎さんは2017年「メレンゲの気持ち」に出演した際に、「息子は学校の帰り道に名刺や手紙を沢山貰って帰ってくる、いろいろなスカウトの方がずっと追いかけてくる」と語っていました。

野口五郎さん
引用元:サンスポ

息子さんは2024年現在大学生で立教新座高校に以前通っていたことから、立教大学にエスカレーター式で進んだ説が濃厚といわれております。イケメンな上にとても秀才で流石野口五郎さんの息子さんですよね!

ギモンくん

野口五郎さんには娘の文音さんは2024年現在何しているのかな?

カイケツさん

2024年現在22歳で、文音さんは小さい頃からピアノを習っていたから2021年のBS朝日「人生、歌がある」という番組で親子共演を果たしているよ。音楽の道に進んだのも、野口五郎さんの影響だよね。素敵な親子関係と言えると思うよ!

【画像】野口五郎は若い頃イケメン!

野口五郎さんの“イケメン”は、①整った目鼻立ちと長い骨格ライン②10代から漂う大人びた色気と品のある所作③歌唱力・ギターで視線を奪う圧倒的スター性――この三拍子が揃う点にあります。

11歳でのど自慢優勝、15歳デビュー後に演歌からポップスへ転向し「青いりんご」「オレンジの雨」「君が美しすぎて」で脚光、17歳に紅白、19歳「私鉄沿線」で各賞を受賞し、西城秀樹さん・郷ひろみさんと“新御三家”としてトップアイドルとなります。

映画やドラマでは歌と感情が自然にリンクし「完璧なアイドルで完璧な歌手」と評されました。ギターを抱えた姿のシルエットも抜群で、映像やスチルに残る落ち着いた眼差しと端正な横顔が際立ちます。

少年期から既に漂う成熟感まで含め、顔立ち+所作+存在感で「若い頃から圧倒的にイケメン」。新御三家の並びでも光を集める“見栄え”が決定打で、当時の女性ファンを強く惹きつけました。

10代(1966年〜1976年)

野口五郎さんが、歌手を目指したのは1966年(当時11歳)『日清ちびっこのどじまん』で優勝し、中部日本放送の『どんぐり音楽会』で1位になったことがきっかけでした。下の動画はその時のものです。

引用元:TikTok

司会者だった大村崑さんの「出たい人!」の呼びかけに周りが一斉に手を挙げ、野口さんも精一杯手を伸ばし、指されてステージに上がったそうです。11歳でこのギター演奏と歌唱力!優勝も納得です。

美空ひばりさんの『りんご追分』の作曲者・米山正夫さん門下生になるため、約2年間米山さんの関わるオーディションを受け続け、ついに声がかかり中学2年生の時に上京しました。

ご両親はともに歌手を目指して1歩手前まで行ったほどの実力者で、野口さんが歌手になることへの反対はなかったそうです。

引用元:X

野口五郎さんは、1971年(当時15歳)『博多みれん』で演歌歌手としてデビューしましたが、全く売れなかったそうです。2曲目『青いりんご』から路線をポップス歌手に転向したことでヒットし、若い女性ファンの人気を獲得するようになりました。

1973年4月(当時17歳)、『オレンジの雨』がオリコン週間チャートで初のベストテン入りを果たしました。同年発売の『君が美しすぎて』は第3位にランクインし、『第24回NHK紅白歌合戦』も同曲で出場しました。

同世代だった西城秀樹さん郷ひろみさんと共に『新御三家』と呼ばれ、一躍トップアイドルの仲間入りを果たすことになります。

『新御三家』とは橋幸夫さん舟木一夫さん西郷輝彦さんを『御三家』と呼んでいたことに倣った呼称で、男性アイドルの先駆けは『新御三家』からだと言われています。

上の画像はその頃のものです。3人とも面影があり、10代とは思えない大人っぽい色気がありますよね!

1975年2月(当時19歳)、野口五郎さんの15枚目シングル『私鉄沿線』が有線放送をきっかけに大ヒットしました。実兄である佐藤寛さん作曲による作品でした。前曲『甘い生活』から2作品連続してオリコン週間チャート第1位の獲得でした。

佐藤寛さんは、野口さんの14枚目のシングル『甘い生活』がオリコンチャート1位になったことがプレッシャーとなり『私鉄沿線』が発売された直後は十二指腸潰瘍で入院されていたそうです。

上の画像は1975年(当時19歳)の時のものです。第8回日本有線大賞グランプリ第17回日本レコード大賞歌唱賞第6回日本歌謡大賞・放送音楽賞など、数々の音楽賞を受賞し『第26回NHK紅白歌合戦』も同曲で出場されました。野口さんが音楽を始めるきっかけになった兄との共作は、兄弟の絆が生んだ名曲になりました。

ギモンくん

幼い頃から素晴らしい歌声を披露してきたんだね。
小学生の頃にはすでにビブラートがかけられるようになっていたんだって!

カイケツさん

そんな野口五郎さんにもライバルがいたのよ。
ちびっこのど自慢大会にいくつも参加する中で、特に一目置いていたのは『天童よしみさん』だったんですって。

20代(1976年〜1986年)

1976年(当時20歳)野口五郎さんは、『GORO&HIROSHI / 通りすぎたものたち』というオリジナルアルバムをリリースします。佐藤寛さんとの『兄弟アルバム』でした。野口さんは歌唱、作曲、ギター演奏と3役をこなしました。

この年にはロサンゼルスで海外レコーディングをし、野口さんがギターの神様と呼ぶラリー・カールトンさんと共演し、「ギターにサインまでもらっちゃった」と喜んでいました。

野口五郎さん
引用元:スカパー!

上の画像は1977年(当時21歳)映画『季節風』に出演した時のものです。

特に歌唱シーンは絶品と言われ、「圧倒的な歌唱力が役の心情や場面とリンクし、筆舌に尽くしがたいシーンとなっている。ルックスはいい、演技もできる、しかし基盤は歌手。多くの才能を有しながらも、歌ってこそその真価が表れる」と評されています。

全てを兼ね備えた野口さんは完璧なアイドルで完璧な歌手だったということですね!

大いなる朝
引用元:TBSチャンネルX

1979年(当時23歳)特別企画ドラマ 『大いなる朝』では、主人公山田耕筰の青年期役に大抜擢され話題になりました。上の画像1枚目はそのワンシーンです。

日本歌曲の父と謳われた音楽家・山田耕筰と後に連合艦隊司令長官となる軍人・山本五十六という対照的な2人の生涯を軸に、激動の時代に生きた人々を描いた壮大な物語でした。

上の画像2枚目は、1980年(当時24歳)『デビュー10周年記念リサイタル』の頃のものです。N.Yのスタジオ・ミュージシャンたちを呼んで行われたコンサートだったそうです。音楽仲間に囲まれて幸せそうな笑顔です。

そして、ここまで順風満帆だった野口五郎さんでしたが、1981年(当時25歳)の時には急性肝炎で1カ月の入院を経験しました。空港で倒れての緊急入院だったそうです。

新御三家の西城秀樹さんが、グアム帰りの真っ黒に日焼けした姿にわざと白い服を着て、「元気?」といいながら見舞いに来たそうです。親友ならではのエピソードですよね。

引用元:XX

1983年(当時27歳)帝国劇場で『ロミオとジュリエット’83主演ロミオ役を演じました。この頃から、俳優としてのお芝居の仕事が増えてきました。

42回という長い公演中、ズボンのファスナーが開きっぱなしで出てしまったことや、格闘シーンではズボンのお尻が20cmほど破けてしまったこと、動いてはいけないシーンで出演者がセリフを間違え、笑いを堪えるのに体がゆらゆら揺れてしまったことなどをファンクラブの会報でお話しされています。

上の画像は1983年ドラマ『誰かが私を愛してる』の時のものです。野口さんが歌った主題歌『19:00の街』は1978年(当時22歳)発売の『グッドラック』以来の久々の15万枚を超えるヒットになりました。

ギモンくん

野口五郎さんは、歌手や俳優のイメージが強いけれど、実はギタリストとしての活動が1番長いんだよね?

カイケツさん

小学校3年生の時に『ザ・ベンチャーズに』衝撃を受けたことがきっかけで、お兄さんからエレキギターをプレゼントされて本格的にギターを弾き始めたんですって!
中学生の時からキャバレーなどで演奏する『ハコバン』に在籍して、当時のエレキギターコンテストにも多数出演していたそうよ。
現在(2025年2月時点)はベーシストとしても活動して、主に演歌のレコーディングにスタジオミュージシャンとして参加されているわ。

30代(1986年〜1996年)

野口五郎さんは、21歳頃から始めたゴルフの魅力に取り憑かれ、20代後半にはゴルフに熱中し、暇さえあれば練習場に行っていたそうです。

プロゴルファーの杉本英世さんにプロになる事を勧められたほどの腕前だそうで、30歳代にはティーチングプロの資格も取得されました。「ゴルフは心の栄養」と心からゴルフを楽しまれています。

野口五郎さん
野口五郎さん
引用元:東宝株式会社

上の画像は1987年(当時31歳)『レ・ミゼラブル日本初演の初日のものです。

初日は当時の皇太子ご夫妻と浩宮さま(現在の上皇上皇后両陛下、天皇陛下)が御一家揃ってご覧になられたそうです。政界、財界はじめ、各界のVIPもたくさん詰めかけるほど注目されたミュージカルでした。

野口五郎さんは、素晴らしい演技力と歌唱力でミュージカル俳優としても名を残されていたんですね。

引用元:XX

1990年(当時34歳)には歌手デビュー20周年を迎え、5月1日のデビュー日を挟んでライブが行われ、翌年には『20周年記念アルバム』が発売されました。上の画像はそのジャケット写真です。

アンコールの時には前列のファン達が「20周年おめでとう。いつまでも歌い続けてくださいネ。五郎こそ我が青春」というメッセージを掲げ、盛大にクラッカーが鳴ったそうです。

野口五郎さんは、自宅のスタジオでパソコンを使って音楽制作をしており、ギター、ドラム、キーボードをご自身で演奏されるそうです。やり始めると寝食を忘れて、長時間没頭してしまうこともあり、24時間以上やり続ける事もあるのだとか。

1995年(当時38歳)NHKの大河ドラマ『八代将軍吉宗』の時のものです。吉宗の兄・頼職の17歳から33歳までを演じました。線の細かった野口さんが、30代になって貫禄が出てきましたよね!

ギモンくん

野口五郎さんは凝り性で、1度気にいると続けてしまうんだってね!

カイケツさん

まさにゴルフもその1つで、ティーチングプロの資格まで取ってしまうほどのめり込んでしまって、どこまで行けるかと挑戦したんだそうよ。
パチンコにハマった時期は、前日に台をチェックして、近所のホテルに泊まって朝から打ったんですって。他にも10代ではコーラを1日1ダース飲んだとか、20代ではコーヒーを1日数ポット飲んでいたなんて話もあるのよ。

40代以上(1996年〜)

40代では、1999年(当時43歳)刑事ドラマ『ケイゾク』に出演されました。早乙女仁という捜査一課の管理官という役でしたが、物語の重要人物となり、物語が進むにつれて野口さんの怪演に称賛の声が続出しました。下記がその時の出演シーンです。

警視庁捜査一課のキャリア管理官・早乙女仁役で、物腰は柔らかい一方でプライドが高く傲慢という二面性が強い役どころで、物語終盤では“本物の早乙女は既に殺害され、朝倉裕人が整形して成り代わっていた”という大きな仕掛けの中心人物という設定でした。冷徹さと狂気を行き来する表情・所作が話題となりました。

50代では、2012年5月6日(当時56歳)には、『GOROの日』ということで、1956年生まれ56歳になる野口五郎さんのシングル発売イベントが行われました。

野口五郎さん
引用元:BARKS

応募者から56組、ファンクラブ会員から56人が招待され、新曲の歌唱が行われました。プレゼントやトーク、食事もあり、特別なイベントになったようです。

野口五郎さん
時代遅れのRock'n'Roll Band
引用元:サンスポ ORICON NEWS

2016年(当時60歳)には芸能生活45周年と還暦を迎え「エンターテインメントの世界をもっと生き生きさせたい」と宣言されました。上の画像は同年に開催された還暦のバースデーイベントの時のものです。

『歌い続ける』ことは一生の課題。僕がこの世に生まれてきた意味は歌うこと」と話されています。

2022年5月(当時66歳)には桑田佳祐さんの声掛けで集まった、ギターを抱えた5人の同級生親父バンドを結成し、新曲『時代遅れのRock'n'Roll Band 』が発売されました。

桑田さん自ら同級生たちに手紙を書き、会いに行って直々にオファーしたそうです。オリコン週間デジタルシングルランキング1位と話題になり、同年紅白歌合戦特別枠にて5人揃って出演されました。

上の画像2枚目は親父バンドの時のものです。左から野口五郎さん佐野元春さん桑田佳祐さん世良公則さんCharさんです。豪華すぎる66歳の同級生の方々ですよね!みなさんびっくりするほど若々しくてかっこいいです!

ギモンくん

2025年はデビュー55周年だね!何かイベントはあるのかな?

野口五郎さん
引用元:GOROーNET
カイケツさん

野口五郎自伝 僕は何者が2025年2月21日に発売されるわ!
1971年のデビュー以来、55年にもわたり第一線で活躍を続ける野口五郎さんの、これまでの人生を赤裸々に語る初となる自伝になるんですって!

野口五郎のプロフィール・SNS

  • 名前:野口 五郎(のぐち ごろう)
  • 本名: 佐藤 靖(さとう やすし)
  • 生年月日:1956年2月23日
  • 年齢:69歳 (2025年10月現在)
  • 出身地:岐阜県美濃市
  • 血液型:A型
  • 特技:ギター
  • 所属事務所:オフィス・ジー
野口五郎さん
引用元:野口五郎オフィシャルブログ

SNS

ギモンくん

野口五郎さんが会社を設立したって本当なのかな?

カイケツさん

野口五郎さんは、2014年にQRコードをスマートフォンに読み込ませ、
音楽コンサート・ライブの映像などをデジタル配信するサービス『テイクアウトライブ』を発案をし、株式会社「ティーオーエア」を設立したんだって!事業家の側面もあり本当に能力がある人だと感じるよね!

野口五郎と三井ゆりの馴れ初めと家族エピソードまとめ

  • 野口五郎の妻はタレントで歌手の三井ゆりである
  • 出会いは2000年の「ものまね王座決定戦」での共演だった
  • 番組共演をきっかけに意気投合し、交際7か月で結婚に至った
  • 年齢差12歳を越えた結婚は話題となり、三井の明るい性格が決め手だった
  • 「食べる時にスプーンを落とせばいい」と笑わせた返答に惹かれたという
  • 夫婦は長年円満で、2016年に野口がハッピーローズ・アワードを受賞
  • 授賞式では野口が「僕をまだ愛せるなら」を歌い、妻への愛を表現した
  • 長男の佑都さんは180cmを超える高身長で、スカウトから声がかかるほど
  • 息子は立教新座高校出身で、立教大学へ進学した可能性が高いとされている
  • 娘の文音さんはピアノを学び、2021年に父と音楽番組で共演した
  • 家族4人で仲が良く、芸能と音楽の両面で支え合っている様子がうかがえる
  • 野口は妻と子供の存在を「自分の人生の宝」と語っている
  • 芸能生活55年を迎える今も、家庭と音楽の両立を続けている
  • 歌手・俳優・ギタリスト・実業家として多才に活動している
  • 家族愛と音楽への情熱が野口五郎の生き方の根底にある
  • 今後も家族と共に新たな挑戦を重ねていく姿に注目が集まる
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