本記事では、大黒摩季さんの「離婚理由」「推定年収」「若い頃は老け顔?」の3点を一気に整理します。
離婚は不妊治療の末に募った“相手への負い目”を手放し、元夫の将来を応援するための前向きな決断。対立や不和ではなく、互いの幸福を優先した円満な別れでした。
年収については確証のある一次情報は見当たらず、印税・ライブ・タイアップ等の複線収入で幅が出るため、ネット上の金額は推測の域を出ません。
「若い頃が老け顔?」は、低年齢期からのクールな表情や力強い歌声、当時のメイク・衣装が大人びて見せたことによる印象差で、実際の写真をたどると可憐さと凛とした強さが同居。10代のバンド活動~作家期~歌手デビュー、病気治療による休止と復帰、現在の社会貢献や猫好きな素顔まで、人物像の核が立ち上がるように要点をわかりやすく解説します。
この記事でわかること
- 大黒摩季さんが離婚を選んだ実情と、元夫を思いやった前向きな背景
- 推定年収が「断定不可」である理由と、印税・ライブ・タイアップ等の主な収入源
- 「若い頃が老け顔?」と見られた要因(表情・歌唱イメージ・当時のメイク)と実像
- 10代の下積み~デビュー~ヒット、休止と復帰までのキャリア要点
- 現在の活動トピック(社会貢献や発信、プロフィール・SNSへの導線)
【画像】大黒摩季と旦那の離婚理由は何?推定年収は?
大黒摩季さんは2003年に一般男性と結婚しましたが、不妊治療を続けても子どもを授かることができませんでした。
夫は寄り添い続けてくれたものの、「彼の幸せを奪ってしまうのでは」という思いが募り、最終的に自ら離婚を決断。お互いの未来を尊重する円満な別れだったようです。その後、元夫には新しい家庭ができ、大黒さんも「彼に最大のプレゼントを贈れた」と語っています。
現在もアーティストとして活動する彼女の推定年収は明らかではありませんが、カラオケ印税やライブ、楽曲提供など複数の収入源から高額を得ていると考えられています。
大黒摩季と旦那の離婚理由は何?
引用元:Instagram
引用元:スポーツ報知
2003年(当時34歳)の時に、知り合いの紹介で出会った一般男性と結婚しました。大黒さんは、婦人科系疾患を患っていて、不妊治療を行っていましたが、子宝には恵まれませんでした。
元夫も諦めたつもりではいましたが、友達家族の子どもを抱っこしている表情を見て「この人こういう顔するんだなぁって。私は一生、この罪の意識と生きていくのかと。」と思ったそうです。
元夫はあくまでも共に生きようとしてくれていたそうですが、大黒さんは「消えない罪意識を背負いながら2人で生きていくよりも、1人になって彼の幸せを純粋に応援していく方が潔い、その方が私らしいと気づきました」と当時の心境を語っていました。説得を続けた結果、離婚に合意し別々の人生を歩むことになったそうです。
ギモンくんその後、2人は幸せになれたのかな?
カイケツさん元夫は、新しい恋をしてお子さんにも恵まれたそうだよ。
大黒さんは、それを聞いて「私は産めなかったけど、彼にあげたかった最大のプレゼントがそこだったから」とお話しされていて、お互いが望んだ未来になっていて幸せになれたのではないかな!
大黒摩季の推定年収は?
引用元:Amazon
引用元:AERA
大黒摩季さんを調べていると、”年収”と出てきていました。90年代を牽引してきたトップアーティストの年収は、やはりみなさん気になるようですね。
2025年現在の推定年収は「3,000万〜6,000万円」や「2億円」など金額の幅も大きく、また確証のある話や他の記事も見つけることはできませんでした。90年代の全盛期には3億円稼いでいたというような話もありましたが、あくまで憶測や噂に過ぎないです。
アーティストですから、CD売上、ライブ収益、印税などさまざまな収入源があるため、相当な金額を稼いでいるのではないのでしょうか。
ギモンくん収入源がたくさんある中で、どの割合が多いのかな?
カイケツさん現在だとストリーミング再生やカラオケで歌われたりする印税収入が多いんじゃないかな!
【画像】大黒摩季は若い頃老け顔?
「若い頃は老け顔?」と語られるのは、笑顔を抑えたクールな表情やソウルに傾倒した歌い回し、当時のメイク・衣装、ライブ写真のライティングが大人びて映したため。実際は、幼少期はピアノに没頭する可憐さ、10代は札幌のアマチュア界隈で知られる一方で校則に揺れた等身大の姿が同居。
20代は作家・コーラスで力を蓄えデビュー後に連続ヒット、病気治療による休止と復帰まで一貫して芯の強さが際立ちます。
幼少期/10代(1969年~1989年)
引用元:大黒摩季 25TH ANNIVERSARY
1972年(当時3歳)の時に、「女の子だったらピアノをやらせたい」という母の夢から、誕生日にアップライトピアノを買ってもらったことで、クラシックピアノを始めました。
内向的な性格だった大黒さんは、外で遊ぶよりもピアノがおもちゃだったそうです。母といる時はクラシック、留守番の時はレコードのロック、祖父母が来た時は演歌、テレビでは歌謡曲が流れるというように音楽に囲まれて育ちました。
当時ピンクレディーや石川さゆりさんなどの音楽がテレビで流れているのがきっかけでテレビっ子になり、小学生の頃にはヒット曲をコピーして弾き語りをしたり、作曲を始めたそうです。
上の画像は、アップライトピアノの前に座っている幼少期の大黒さんです。母の夢から強引に始めたピアノですが、クラシック音楽やピアノに触れていたことが大きな影響となり、小学生の頃から「歌手になりたい」と思っていたそうです。
引用元:Instagram
(当時15歳)の時にジャケ買いしたアレサ・フランクリンのレコードを聴いて、ソウルミュージックに惹かれました。中学終わりの頃からは、休日に様々なバンドのボーカルをはじめ、札幌のアマチュアバンド界隈では知られる存在となりました。
大黒さんの通っていた中高一貫の私立藤女子中学校・高等学校は校則が厳しく、内緒でバンド活動を行なっていましたが、停学処分になってしまったこともあるそうです。
上の画像は、アマチュアバンドのライブで歌っている時の写真です。中学生の可愛さもありながら、大人っぽい雰囲気も纏っていますね。
引用元:大黒摩季 25TH ANNIVERSARY
大黒さんは、高校卒業後は音楽大学に進学することを考えていましたが、実家の収入が年によって波があるため、母から「短大にしてほしい」と頼まれ、「それだったらいっそのこと東京でプロを目指して音楽の勉強をしよう」と2年間だけの約束で上京しました。
上京後は、東京近郊にある叔母の家で暮らし、バイトをしながらオーディションを受けたり、カバー曲や自作曲を含めた歌唱をレコード会社に送っていたそうです。
上の画像はデビュー前の大黒さんです。子供の頃から笑わない子だったらしく、可愛い表情の写真がないとお話しされていました。上の画像もお洋服は丸襟で可愛らしい感じですが、表情は大人っぽいクールな印象を受けますね。
ギモンくん幼少期からいろんな音楽に触れてきていたんだね。ずっと音楽しかやっていなかったのかな?
カイケツさん学校ではバレー部に所属していたよ!成績が悪くても卒業する条件として部活動をちゃんとやるということがあったから、部活動にはしっかり顔を出していたみたい。
20代(1989年~1999年)
引用元:日刊スポーツ
大黒さんは、1989年(当時20歳)の時に、テープを送っていたビーイングのオーディション「第3回BADオーディション」に合格しましたが、そこでコーラスをするように言われました。
同時期にはソニーやビクターのオーディションに合格しており、特にソニーからは「すぐにデビューしよう」という話があったそうです。ですが大黒さんは「歌手になりたいけど、今はもっと色々吸収して曲作りを学びたい」と思い、ビーイングでの下積みを選択しました。
バイトをしながら曲作りをはじめ、B'zやZARD、TUBEなどのコーラスを担当し下積み生活を送りました。
上の画像は、ZARDのデビューシングルのレコーディングをしている時の写真で、奥に写っているのが大黒さんです。ZARDのボーカルである坂井さんとは下の名前で呼び合い、姉と慕うほど仲が良かったそうです。
引用元:BARKS
1991年(当時22歳)の時にSILK(大森絹子さん)のアルバム収録曲「ジョン・レノンが聴こえる夜」で作曲家デビューを果たすも、歌手デビューがなかなかできないため、会社を辞めてアメリカに旅に出ました。
同年12月に発売されたSILKのアルバム「FACE」に収録された「STOP MOTION」で大黒さんは作詞・作曲を担当し注目を浴びました。これがきっかけで「歌手デビューの話が進んでいる」と社長から連絡を受け、帰国し会社に復帰して活動を再開しました。
引用元:大黒摩季 公式 WEB SITE
1992年5月(当時23歳)の時「STOP MOTION」で念願の歌手デビューを果たしました。ドラマ主題歌という大型のタイアップだったのですが、セールスはイマイチでした。
同年9月にCMのタイアップがついた2ndシングル「DA・KA・RA」で初のミリオンセラーを記録し、第34回日本レコード大賞で新人賞を受賞しました。
その後、アニメ「SLAM DUNK」のエンディングテーマ曲にしようされた「あなただけ見つめてる」や「夏が来る」、ドラマ「味いちもんめ」の主題歌となった「ら・ら・ら」など次々と大ヒットを記録しました。
ギモンくんミリオンセラーアーティストになって
メディアに引っ張りだこだったんじゃない?
カイケツさんそれが、デビューしてから数年は、メディア出演やライブ活動を一切することがなく、「謎のカリスマ歌姫」と言われていたそうだよ。
「大黒摩季というアーティストは実在せず、歌担当、ビジュアル担当が別々にいる」とか、「ニューヨークに住んでいて音楽活動する時だけ来日する」などという都市伝説まであったみたい。
30代(1999年~2009年)
引用元:大黒摩季 25TH ANNIVERSARY
2004年(当時35歳)の時に、キーボードの武部聡志さん、ギターの土屋公平さん、ドラムの真矢さん、ベースの恩田快人さんとコピーバンド「大黒摩季とフレンズ」を結成し、80年代に曲をコピーしたアルバム「COPY BAND GENERATION VOL.1」を発表しました。
「大黒摩季とフレンズ ONE NIGHT STAND」というライブツアーも行い、大黒摩季というアーティストの枠をさらに拡げました。
上の画像はライブツアーの時の写真です。カバーではなく完全コピーをするなど、プロのアーティストとしてはなかなかない、遊び心溢れるプロジェクトですよね。
引用元:四国新聞
2007年(当時38歳)の時に北海道登別明日(のぼりべつあけび)中等教育学校の教頭が大黒さんのファンであったため、校歌の作詞作曲を依頼されて3ヶ月かけて作成しました。
登別明日中等教育学校の開校式にサプライズゲストとして登場し、ノーギャラで作詞・作曲をした校歌「明日(あけび)の空に」を生披露しました。
同年に北海道夕張市の地域再生を目指すプロジェクト「しあわせの桜ともみじ」で「桜ごころ」という曲を書き下ろしました。上の画像は、このプロジェクトの記念植樹会に参加した時のものです。
「ここの桜だけのために曲を作りました。たくさんの方を夕張に呼び戻したい」とコメントされ、新曲を初披露しました。この頃から大黒さんは、北海道での活動を積極的に取り組んでいきました。
ギモンくんコピーバンド「大黒摩季とフレンズ」は現在も活動しているのかな?
カイケツさん2007年に期間限定で再結成してライブツアーを行っていたよ!それからは、活動していないみたい。2004年に出したアルバム「COPY BAND GENERATION VOL.1」も”VOL.1”と付いているけど、現在も”VOL.2”は発売されていないよ。
40代以上(2009年~)
引用元:BARKS
2010年(当時41歳)の時に、子宮疾患の治療のために無期限活動休止をしました。10代から生理不順で、1997年頃には腹痛やむくみ、偏頭痛などの身体の異変を感じていたそうです。その後、婦人科を受診したところ子宮内膜症、子宮筋腫、子宮腺筋症を併発していたことが発覚しました。
医師には「放置すると子宮の全摘手術しか治療法がなくなる」と告げられ、すぐにホルモン治療を行いました。子宮内膜症の進行を抑えるため、女性ホルモンを減らしていたせいで高音が出なくなるなど活動に影響が出てしまい、一度治療を中断しました。
結婚後に不妊治療をとホルモン治療を交互に続けていきましたが、2010年に痛みが激しくなりさらに左卵巣腫を患い、医師から「悪い部分を切除しましょう」と告げられて、活動休止をせざるを得なくなってしまいました。
上の画像は、活動休止前に行ったライブの時の写真です。終始笑顔でパワフルなパフォーマンスを披露しました。
活動休止後、2度の手術を行ったことで肉体的ダメージは大きく「2度腹筋を切ったわけですから、大黒摩季は2度死んだようなもの」とお話されており、「復帰は無理かもしれないと鬱々とした時期もありました」と当時を振り返っていました。
引用元:ライブファンズ
2016年6月(当時47歳)のに、公式サイトで「長く私を痛ませていた病気も無事完治し、様々なリハビリや身体づくりも良い状態になって参りました故、アーティスト活動を再開することと致しました」と活動再開のコメントを発表し、同年8月に行われた北海道の音楽フェス「RISING SUN ROCK FESTIVAL 2016 in EZO」で本格的に活動を再開しました。
活動を休止してからは、校歌の提供や東日本大震災・熊本地震への復興支援活動のみ行なっており、本格的に歌手活動を行うのは約6年ぶりとなりました。
10月には復帰後初のワンマンライブを札幌のニトリ文化ホールで、復帰を待ち望んでいたファンを熱狂させました。上の画像はそのライブの時の写真です。
2017年(当時48歳)の時に「主婦や介護をしていると、家を空けられても三時間。大きな会場に泊まりで出向くなんて不可能だから、復帰のご挨拶は私が出向かないと!」と全国47都道府県ツアーを開催するなど、病気を完治してからますます精力的に活動を続けています。
ギモンくん大黒さんは10年以上も病気と戦っていたんだね。
カイケツさん当時27歳という若さで病気が発覚してしまい、子どもが好きだった大黒さんは「なんとしても子宮を守らなければ」と思ったそう。
だけど、歌手として声が出しづらくなり治療を中断して、鎮痛剤で乗り切っていたそうだよ。
大黒摩季のプロフィール・SNS
引用元:Instagram
プロフィール
- 名前:大黒摩季(おおぐろまき)
- 本名: 大黒摩紀
- 生年月日:1969年12月31日
- 年齢:55歳(2025年10月現在)
- 出身地:北海道
- 血液型:A型
- 趣味:サーフィン、ゴルフ、料理、ガーデニング、猫
- 所属事務所:B ZONE
SNS
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小牧市制70周年記念&小牧市市民会館リニューアルオープン
— 大黒摩季_公式 (@m_ohguro) March 31, 2025
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ギモンくん大黒さんの趣味に猫ってあるけど、猫好きなのかな?
カイケツさん大黒さんは、猫が好きで現在は6匹の猫を飼っているそうだよ。「心持ちが乱れたときに、柔らかで穏やかな自分に戻してくれる存在」だとお話しされていたよ。
YouTubeに「大黒家の猫たち」という名前で猫ちゃんたちの様子をライブ配信していたよ!















