パパイヤ鈴木さんは“元ジャニーズ”ではありません。高校時代の同級生に少年隊の錦織一清さんらがいたことや、当時の端正なルックスから誤解が広がりましたが、本人はダンサーとして実力を磨き、振付師・タレント・俳優として道を切り開いてきました。
体重が最大110kgに達した2007年前後を機に、夜7時以降は食べない・階段利用・自転車通勤など生活習慣を徹底し、約3年で33kgの減量に成功。目的を“痩せること”ではなく“健康になること”に置いたことが継続の鍵でした。
若い頃は東京ディズニーランドのショーダンサーやレコードデビューの経験を経て、のちにAKB48「恋するフォーチュンクッキー」の大ヒット振付で国民的認知に。
2023年には高校の盟友・錦織さんとFunky Diamond18を結成し、今も第一線で“踊って楽しむ”文化を届けています。本記事では、誤解の背景、減量メソッド、若い頃の経歴と現在の活動までを一気に整理します。
この記事でわかること
- 「元ジャニーズ」誤解の理由と、実際の高校時代エピソード
- 最大110kgから−33kgへ──続いた“健康主体”の減量ルール
- 若い頃の経歴(TDLショーダンサー/レコードデビュー)と転機
- 代表作「恋するフォーチュンクッキー」誕生秘話と影響
- 近年の活動(Funky Diamond18など)と現在の立ち位置
【画像】パパイヤ鈴木は元ジャニーズ?現在激やせのダイエット方法は?
ダンサーで振付師のパパイヤ鈴木さんは、かつて「元ジャニーズでは?」と話題になったほどのイケメン。実際にはジャニーズ事務所に所属していたことはありませんが、高校時代に少年隊の錦織一清さんと同級生だったことから、その誤解が生まれたようです。デビュー当初は歌手として活動するも売れず、その後ダンサーとして独自の道を開拓。
さらに一時期は体重110kgまで太っていたものの、健康を目的とした生活習慣の見直しによって3年間で33kgの減量に成功。現在では“激やせ”した姿が注目され、ダイエット本まで出版するなど、見た目も中身も大きく変化を遂げています。
パパイヤ鈴木は元ジャニーズ?
パパイヤ鈴木さんがジャニーズ事務所に所属していた事実はありません。しかし、高校時代には多くのジャニーズタレントが在籍しており、同級生には「少年隊」の錦織一清さんもいたそうです。

引用元:Xジオウ劇場版観た若い特撮ファン達、パパイヤ鈴木、昔はイケメンだったんだぞ。 pic.twitter.com/B5DNIqKf9b
— ピーキー・オヤナギ (@kenthekiller) August 1, 2019
2025年8月に出演したフジテレビ系「ぽかぽか」では、当時を振り返り「錦織は身体能力がオバケで、映画『フラッシュダンス』を見た翌日には、背中で回っていた」と驚きのエピソードを披露。「どうやったらできるんだ」と話していた自分の前で、錦織さんがあっさり実演していたことに「ダメだ、こりゃ」と苦笑いを浮かべていました。
パパイヤさん自身も当時からイケメンで、ジャニーズ系の友人たちに囲まれていたことから「元ジャニーズでは?」と誤解された可能性が高いようです。実際はダンサーとしての才能を磨き、独自の道を切り開いていった努力家です。
ギモンくんパパイヤ鈴木さんは、どうしてジャニーズに入らなかったのかな?
カイケツさんそれは、17歳のときにレコードデビューをしたものの全く売れなかったという理由から、「西城秀樹にはなれない」と悟ったみたいよ!
パパイヤ鈴木の現在激やせのダイエット方法は?
パパイヤ鈴木さんが人生で1番太っていたのが、2007年(当時41歳)頃で体重は110キロでした。
ダイエットのきっかけになったのは、NHK大河ドラマの出演が決まった時のことです。撮影中に、まともに走れなかったり・走ったら足が腫れてしまい、「これでは役者もできない!」とダイエットを決意しました。

パパイヤ鈴木さんは「健康になること!」をダイエットの目的にし、夜7時以降は食べない・階段を使う・自転車通勤に変える、など日常的にできることを当たり前にしてしまうダイエット方法でみごと3年間で33キロのダイエットに成功されました。
上の画像1枚目は、ダイエット成功後の2010年(当時44歳)頃にダイエット本「デブでした。」を発売した当時のものです。
ギモンくんパパイヤ鈴木さんは、どうしてダイエットを続けてこれたのかな?
カイケツさんそれは、ダイエット=ガマンという考え方を変えて、ダイエットの為にガマンするのではなく、健康の為にと考えていたからダイエットを続けてこれたみたいよ!
【画像】パパイヤ鈴木は若い頃イケメン!
パパイヤ鈴木さんの若い頃は、細身の58kgで整った顔立ちの“ジャニーズ系イケメン”。東京都東久留米市の音楽一家に育ち、小5で器楽部を立ち上げるほど音楽漬け。16歳でダンサー活動を始め、明大中野(定時制)では錦織一清さんら少年隊と同級生。
18歳で東京ディズニーランドのショーに合格(約2000人中2名)し、圧倒的な存在感と笑顔でステージを沸かせました。この経験が20歳での振付師デビューへとつながり、後の多彩な活躍の原点となりました。
10代(1976年~1986年)
パパイヤ鈴木さんは、東京都東久留米市出身で、ラテン音楽グループのメンバーだった父とダンサー歴のある母と2歳上の姉がいます。

実家が下宿屋をやっていて、小さい頃は下宿していた学生のお兄ちゃんと遊んだり、近所の悪ガキと外遊びをすることが多かったそうです。この頃から音楽が身近にあり、小学5年生の時にトランペットを吹いていましたが、小学校にはブラスバンド部はなかった為、器楽部を作り部員4名で演奏を楽しんでいました。
16歳からダンサーとして活動し、17歳の時にはディズニーランドでもダンサーとして踊っていました。その後20歳で振付師となり、数多くアーティストの振り付けをし、タレント・俳優として幅広い活躍をしています。
上の画像は10代の時のものです。当時パパイヤ鈴木さんは体重58キロでジャニーズ系のルックスでイケメンですよね!

パパイヤ鈴木さんは、1982年(当時16歳)の時に、明治大学付属中野高校(定時制)に入学しました。
この時パパイヤ鈴木さんは、「少年隊やシブがき隊が同級生で、一緒のクラスで勉強していた」とお話しされており、錦織一清さんや植草克秀さんとは鈴木つるむ「悪友」で学校に遊びに来る不真面目グループであったそうです。
そんな中でも東山紀之さんは頭がよく勉強ができるグループだったそうです。素敵な仲間に囲まれた青春時代だったことが確認できます。上の画像は1984年頃18歳の時のものです。当時少年隊の植草さん・東山さんよりモテていたそうです。

パパイヤ鈴木さんは、1984年(当時18歳)の時に、東京ディズニーランドでショーのダンサーとして活躍をしていました。上の画像はその時のものです。スタイル抜群で素敵な笑顔で、ディズニーランドでのショーでもひと際目立っていたことでしょう。
この時パパイヤ鈴木さんは、「当時は、スモールワールドの時計の下にショーをやるステージがあったんです。そこで、1日5回ミュージカルショーをやっていた」とお話しされており、当時からダンスの才能はすごく、ショーダンサーのオーディションでは、2000人の中から2人選ばれたうちの1人であったらしいですよ!
ギモンくんパパイヤ鈴木さんは、どうしてダンサーになろうと思ったのかな?
カイケツさんそれは、西城秀樹さんのようになりたかったという理由から、歌手志望だったそうよ。
でも父のススメでダンサーの活動をし始めてダンサーになったみたいよ!
20代(1986年~1996年)
パパイヤさんは、1986年(当時20歳)の時に、歌手になるためCBS・ソニーへ入りました。
この時パパイヤ鈴木さんは、「歌手になるために入ったがCDを出すも、鳴かず飛ばずで・・・」とお話しされており、そこで「振り付けをやってみないか?」と言われたのが、パパイヤ鈴木さんが振付師になるきっかけでした。
引用元:X7”★ラヴ&サムシング/ダンシングゼネレーション~パパイヤ鈴木 http://t.co/T2H9mzjiQe #ヤフオク
— エレクトレコード (@erectrecord) September 17, 2014
あの人は昔・・・④赤いのがパパイヤ鈴木。 pic.twitter.com/cmHhydutkO
上の画像は「ダンシングゼネレーション」でレコードデビューをした時のものです。
その後、パパイヤ鈴木さんは、1992年(当時26歳)の時に、振り付けをはじめ、いろいろな裏方業を経験をしました。
この時「20代後半は、寝る間も惜しんで、がむしゃらに働いていた」とお話しされており、ダンスだけではなく、音響や照明・マニピュレータ・カラオケデータの制作・デパートでの着ぐるみショーもやっていて、当時は1日2~3時間睡眠が当たり前だったといいます。
そんな中、一生懸命に取り組んでいたら担当者から「お前に賭けるよ」と言ってもらえるようになり、その時に得た仕事での技術や知識がその後役立ったと語られていました。
パパイヤ鈴木さんは、1995年(当時29歳)の時に、松任谷由美さんのコンサートスタッフをしました。この時パパイヤ鈴木さんは「初めてビックなアーティストの方のダンス部門をやらせてもらえて、すごく感動でした」とお話しされており、主にダンサーの振り付けやマネージメントをしていたそうです。
その後、パパイヤ鈴木さんは、松任谷由美さんの舞台で一緒にデュエットできたそうで、あの日コンサートスタッフで参加していなければなかった事で、大きな転機だったことが伺えますね。
この頃から松任谷由美さんのコンサートで各地の美味しいものを毎日のように食べて太りだした時期と思われます。
ギモンくんパパイヤ鈴木さんは、どうやって振り付けを考えているのかな?
カイケツさんそれは、始めの頃は家でメモ帳を片手に考えていたけれど、うまくいかず、スタジオで衣装に着替えて振り付けを考えるスタイルにしたらうまくいったみたいよ!
30代(1996年~2006年)
パパイヤ鈴木さんは、1998年(当時32歳)の時に「おやじダンサーズ」を結成しました。
この時パパイヤ鈴木さんは、「ダンスには見て楽しむものと、やって楽しむものの2つがあります、僕が目指しているものは後者の方で」とお話しされていました。
立派なものではなく飽きないものを作りたい!という強い思いから、おやじダンサーズは観客を飽きさせない!なぜなら誰かがどこかで何かをやらかす!失敗しても楽しむことがモットーだったようです。

上の画像は「おやじダンサーズ」のデビューの時のものです。おやじのかわいさとカッコ良さをルックスで表現できた写真です。なぜか応援したくなる魅力的なおやじダンサーズです。

パパイヤ鈴木さんは、2000年(当時34歳)の時に、テレビ東京系列の「元祖!でぶや」に出演をしました。
この時パパイヤ鈴木さんは、「でぶやをやっているときは100キロありましたからね!ちょっとキツかったですよ~(笑)」とお話しされており、打ち合わせでパパイヤ鈴木の体型を見たプロデューサーに気に入られて、その場でスカウトされたそうです。
上の画像はその時のものです。確かにたくさん食べそうな体型でした。ゲストに内山信二さんや森三中さんなどふくよかなタレントがよく出ていたので、この頃からデブタレが広まっていったのです。
ギモンくんパパイヤ鈴木さんは、「元祖!でぶや」の番組内でおいしものを食べたときにどうして「まいう~」と言ったのかな?
カイケツさんそれは、出演者の女の子が言い出したそうで、言葉自体は昔からあったそうだけど、パパイヤ鈴木さんがおいしそうに食べてから毎回「まいう~」と言うので流行みたいよ!
40代以上(2006年~)
2013年(当時40歳)にパパイヤ鈴木さんが振り付けを手がけたAKB48の「恋するフォーチュンクッキー」の振り付けが大人気になりました。

この時パパイヤ鈴木さんは、「この曲全部ソウルのステップで、昔のものと今のものがよく混ざり合っていいものになった」とお話しされており、サビの部分のおにぎりダンスは日本中で大流行しました。
上の画像は「恋するフォーチュンクッキー」のミュージックビデオです。この撮影には、多くの人が参加したそうで、DJやダンサー・鼓笛隊・ゆるキャラなどがみんなでパパイヤ鈴木の振り付けを踊っていました。
パパイヤ鈴木さんも参加し「このダンスは、キビキビやるというよりは、ゆったりとした気持ちで力を抜いてやる」とダンスのコツをレクチャーしていました。

パパイヤ鈴木さんは、2023年(当時57歳)の時に、錦織一清さんといけてるおやじユニット「Funky Diamond18」を結成しました。
この時パパイヤ鈴木さんは、「(錦織さんとの)共通の師匠から、2人とも踊ったり歌ったりできるんだから!2人でオリジナル曲を作って何かやりなよ。と言われたので、うちの(事務所の)社長がやるんだったたら動くよ!と言ってくれて急に実現することになった」とお話しされていました。
元々お互い高校からの付き合いで音楽は好きだし、お互いの好みを知っていたから、大好きなディスコミュージックをみんなで踊れたらいいなと思ってはじまったことがきっかけだったそうです。
上の画像は2023年(当時57歳)に行われた東京公演の時のものです。大好きな仲間が集まってできたことにパパイヤ鈴木さんは「感謝しかありません。」と自身のインスタグラムにのせています。
ギモンくんパパイヤ鈴木さんは、どうして錦織さんとコンビを組んだのかな?
カイケツさんそれは、お互いに気心知れていて、好みも理解しているという理由から、振り付けでは「恋するフォーチュンクッキー」がヒットしたから、歌では錦織さんと一緒にFunky Diamond18でヒット曲を出したかったみたいよ!
パパイヤ鈴木のプロフィール・SNS
- 名前:パパイヤ鈴木(パパイヤすずき)
- 本名: 鈴木 寛(すずき ひろし)
- 生年月日:1966年6月29日
- 年齢:59歳(2025年11月現在)
- 出身地:東京都
- 血液型:O型
- 趣味:PC、タップダンス
- 特技:ダンス全般
- 所属事務所:プランチャイム

SNS
- X(旧Twitter) URL:https://x.com/papayasuzuki?mx=2
今日はMVの撮影でした!
— Papaya Suzuki (@papayasuzuki) June 15, 2023
楽しかった〜#FunkyDiamond18 pic.twitter.com/anwZ7SR0iU
- TikTok URL:https://www.tiktok.com/@papayasuzuki
- YouTube URL:PLAN CHIME Official Channel - YouTube
- 公式ブログ URL:https://ameblo.jp/papaiya-suzuki/

ギモンくんパパイヤ鈴木さんの趣味のタップダンスのきっかけって何なのかな?
カイケツさん幼少期の頃、父親のラテン音楽を聴いて踊りを始め、20代の頃にタップダンスのインストラクターをしていた事があったからみたいだね!
パパイヤ鈴木のジャニーズ説と激やせダイエット、若い頃まとめ
- ジャニーズ事務所所属の事実はなく高校の同級生に少年隊らがいたことから誤解が生じたとされる
- 高校時代の同級生だった錦織一清の卓越した身体能力をテレビ番組で証言している
- 自身も当時はイケメンでジャニーズ系に見られがちだったと受け止められる描写がある
- 17歳でレコードデビューするも売れず西城秀樹にはなれないと悟ったとの心境が語られている
- 2007年頃の最重量は約110キロとされる
- 大河ドラマ出演を機に走れないなどの支障から減量を決意している
- 夜7時以降は食べない階段を使う自転車通勤など日常習慣の改善で減量を進めた
- 約3年で33キロの減量に成功し2010年にダイエット本「デブでした」を刊行している
- 減量の目的を健康に置きガマン発想を改めたことが継続の要因と述べている
- 東京都東久留米市出身で音楽やダンスに親しむ家庭環境で育ったとされる
- 16歳でダンサー活動を開始し17歳で東京ディズニーランドのショーダンサーとして出演している
- 20歳で振付師となりアーティストの振付や裏方業で経験を積んでいる
- 1998年におやじダンサーズを結成し観客を飽きさせないパフォーマンスを志向している
- 2000年に「元祖!でぶや」に出演し体型を生かしたキャラクターとまいう〜の流行で注目を集めた
- 2013年にAKB48「恋するフォーチュンクッキー」の振付が大ヒットしおにぎりダンスが全国的に浸透した
- 2023年に錦織一清とFunky Diamond18を結成しディスコミュージックでの活動を展開している
- 総括としてダンサー振付師タレントとしての幅広い実績に加え健康志向の減量と継続力で現在も第一線を保っている
