【画像】篠原ともえと旦那の馴れ初めは?台湾事件とは?若い頃カリスマ!

出会いは2018年9月の合同展示会「rooms EXPERIENCE」です。

篠原ともえさんが企画した原画展の実務・演出を担当したのが、のちに夫となるアートディレクター池澤 樹さんでした。打ち合わせの中で池澤さんが放った「このスケッチをさらに追求すると、もっと面白い世界が広がる」という一言が決定打となり、作品観が深く共鳴。創作を通じて信頼と尊敬が育ち、翌2019年に結婚することとなります。

「台湾事件」は2001年の台湾滞在中の騒動が地元紙で過熱報道された件で、篠原さんは会見で全面否定しました。真相は不明です。一方、“シノラー”現象から舞台・デザイン・天文普及、そしてスタジオ設立・国際賞受賞まで、自分発の表現を学びと行動で拡張し続ける姿勢が、今もなおカリスマ性の源泉となっています。

この記事でわかること

  • 2018年「rooms EXPERIENCE」での出会いと、交際〜2019年結婚までの流れ
  • 原画展の共同作業で価値観が重なった“決め手の一言”と関係深化のプロセス
  • 2001年の「台湾事件」の概要/本人の否定コメントと現在までの整理
  • “シノラー”期から現在まで続くカリスマ性の核(創造性×行動力×学び)
  • スタジオ設立・国際賞受賞など、近年の代表的トピックと意義
目次

【画像】篠原ともえと旦那の馴れ初めは?

篠原ともえさんと夫の池澤樹(いけざわ たつき)さんの出会いは、2018年9月に開催されたファッションとデザインの合同展示会「rooms EXPERIENCE」です。このイベントで、篠原さんが自身のアートワークを展示する原画展を企画しており、その展示を担当したのがデザイナーでありアートディレクターの池澤樹さんでした。

当時、篠原さんはタレント活動だけでなく、デザインやアートの分野にも力を入れ始めていた時期。アーティストとしての新しい表現を模索していた彼女にとって、池澤さんとの出会いは大きな転機だったといいます。

展示準備の打ち合わせを重ねるうちに、篠原さんが描いたスケッチに対して池澤さんがかけた「このスケッチを追求したらもっと面白い世界が広がると思う」という一言が、彼女の心を強く動かしました。

その言葉に篠原さんは「自分の作品を本質的に理解してくれる人が現れた」と感じ、「私が求めていた世界の理解者だ」と確信したと語っています。互いにデザインと表現に対する情熱を持ち、作品を通じて深く共鳴し合うことで、自然と信頼関係と絆が生まれていったのです。

仕事をきっかけに距離を縮めた2人は、プロジェクトが終わった後も連絡を取り合うようになり、アートに関する考えやインスピレーションを共有する時間を重ねていきました。やがて、クリエイティブな世界観だけでなく、人としての価値観や生き方にも共通点が多いことに気づき、交際がスタート。互いを尊敬し、支え合う関係を築いていきました。

そして2019年、出会いから約1年後に結婚を発表。篠原さんはインタビューで「一緒に作品を作るような感覚で、日常も創造的に過ごせる相手」と語っており、夫婦という枠を超えて“人生の共作者”として支え合う関係が続いています。芸能とデザインという異なるフィールドをつなぐ2人の馴れ初めは、まさに“アートが導いた縁”といえるでしょう

ギモンくん

お2人は、いつ結婚したのかな?

カイケツさん

翌年の2019年の1月には婚姻届を提出したみたいよ!

篠原ともえの台湾事件とは?

台湾事件とは、2001年(当時22歳)に篠原ともえさんがキャンペーンで訪れていた台湾のホテルで大騒ぎし、裸同然の姿で飛び出してきたと、地元の新聞に掲載されたことです。このことは、大きな話題となりました。

関係者の話では、裸にはなっていなかったが、「ホテルの廊下の壁や非常階段の扉を叩いたり、火災報知器のボタンを押したりなどしていた」「お酒を飲まないとあそこまで感情は爆発できないと思います」と話していたそうです。
その後、騒ぎを聞きつけた警察と消防が出動し、緊急病院へ運ばれました。

篠原ともえさんはその後行われた緊急会見で、台湾紙の報道を全面的に否定しています。会見では歯がなくなり、マスク姿だったことでも話題になりました。「差し歯がとれただけ」だと語っていましたが、その後、しばらくはメディアへの露出が減ってしまったようです。

残念ながら当時の写真は見つかりませんでした。上の映像は台湾事件を簡単にまとめた動画です。

ギモンくん

結局この事件の真相は、何なんだろう?

カイケツさん

今もまだわからないままのようよ。ホテルの従業員が篠原ともえさんの部屋に侵入して暴行しようとした、という説もあるようよ!

【画像】篠原ともえは若い頃カリスマ!

篠原ともえさんが“カリスマ”性が高いと言われる理由は、好奇心を核にした自分発の表現を一貫して形にし続け、人を巻き込む力にあります。

幼少期から「調べてやってみる」を重ね、10代で服や小物を自作し歌手デビューをしましたし、独自ファッションで“シノラー”現象を起こし、武道館無料ライブでは衣装も自ら手がけて共感を拡張したこともそうです。

その後も舞台・番組作詞作曲やコスチューム制作、天文普及や青ヶ島ライブ、さらにはスタジオ設立と国際賞受賞まで、分野横断で成果を出してきました。創造性×行動力×学び続ける姿勢が時代感覚と結びつき、唯一無二の求心力を生み出していますよね。これらのことの積み重ねでカリスマと言われていると言えるでしょうね。

幼少期・10代(1979年~1999年)

篠原ともえさんのマルチな活動の背景には、幼少期のころの個性を伸ばすような体験があるようです。

篠原ともえさん
引用元:キッズネット

上の画像は7歳の時のものです。このころに双眼鏡で観た星空に感動し、天体について図書館で調べるようになったそうです。ほかの分野に関しても、気になることがあったら図書館で調べたり、実際にやってみたりと様々なことにチャレンジしていたようです。

このことについて、「子どもが興味を持ったことを見守りつつも、あまり何でも助けようとしたりせず、ほどよくサポートしてくれる両親」のおかげであると語っています。


引用元:Instagram

篠原ともえさんは、10代の時にデザインに興味を持ち、人形の服や小物を自作するようになったそうです。また、中学1年生で軽音部に入り、中学3年生でソニー歌手オーデイションに合格し、デビューに向けてボイストレーニングのレッスンを受けていました。

上の画像は高校生の時のもので、絵を描くことが好きという思いから、1994年(当時15歳)に東京都立八王子工業高等学校(現:東京都立八王子桑志高等学校)に進学しました。

篠原ともえさん
引用元:MUUSEO

篠原ともえさんは、1995年(当時16歳)に、ディレクターに見出され歌手としてデビューしました。

この時、篠原ともえさんは、自分らしいファッションで表現活動をしたいという強い思いを持っており「自分のなかではつながっているんです。私が喜びを感じるのは、自分の思いやアイデアを形にすること。歌手も女優もデザイナーもその表現の手段で、自分の成長とともに自然と導かれたものなんです」と語っています。

上の画像は同年7月のものです。石野卓球さんのプロデュースにより「篠原ともえ+石野卓球」名義のシングル「チャイム」でデビューしました。

ギモンくん

篠原ともえさんは、テレビ出演などもしていたのかな?

カイケツさん

ハイテンションなキャラクターや個性的なファッションで人気を得て、数々のバラエティ番組にも出演していたよ!

20代(1999年~2009年)

篠原ともえさんは、1999年(当時20歳)の時に、日本武道館で「篠原ともえお誕生日会 IN しのドーム」と題した無料ライブを行いました。

この時篠原ともえさんは、20歳の誕生日記念として自身で全衣装のデザインを手がけ、無料ライブを行いました。

引用元:FACORY721

上の画像は「篠原ともえお誕生日会 IN しのドーム」で「20回目のバースデー・イブ」を披露している時のものです。「シノラー」ブームを起こした明るいキャラクターがこの写真でも伝わってきて人をひきつけるカリスマ性を感じますね!

引用元:X

篠原ともえさんは、2001年(当時22歳)の時に、文化女子大学短期大学部・服装学科を卒業しました。

上の画像は、篠原ともえさんが初めて出演・コスチュームデザイナーとして参加したミュージアム「ありがとうサボテン先生」の時のものです。これ以降、活動の場を舞台・ミュージカルへと変えていきました。

篠原ともえさん
引用元:ゲオ

篠原ともえさんは、2004年~2008年(当時25歳〜29歳)までの間、キッズステーションの教育番組『モンすたージオ』で歌のお姉さんとして出演しました。

この時、篠原ともえさんは、本人のコスチューム制作を担当したほか本人作詞・作曲による楽曲提供も行いました。
芸能活動にファッション、音楽とマルチに活躍していることが確認できます。

上の画像は2005年(当時26歳)に発売された『モンすたージオ』のベストアルバム『いっしょにうたおう 最新ベスト~青空のらくがき~』のジャケット写真です。篠原ともえさんの歌も含めた12曲が収録されています。

ギモンくん

篠原ともえさんの高校卒業後の進路はどんな感じなのかな?

カイケツさん

はじめは、推薦入試で戸板女子短期大学被服科に進学したみたいよ。
そのあと、より専門的な裁縫技術を学ぶために1年で戸板女子短期大学被服科に進学しなおしたのよ。

30代(2009年~2019年)

篠原ともえさんは、2010年(当時31歳)に、「篠原ともえデビュー15周年記念ライブ ULTRA RELAX DAY 2010」をリキッドルームで開催しました。また、東京都青ヶ島で無料ライブと本人による解説の星空観望会も開催しました。

同年には、学生時代に多忙のため取得できなかった色彩検定・カラーコーディネーター検定などを受け、合格しています。自分の好きなことで努力し続けているのがわかりますね。

篠原ともえさん
引用元:音楽ナタリー

上の画像は2010年の東京都青ヶ島での無料ライブ時のものです。
青ヶ島は篠原ともえさんの母方の故郷であり、この島でのライブは篠原ともえさんにとって長年の夢だったといいます。

篠原ともえさん
引用元:シネマトゥデイ

篠原ともえさんは、2014年(当時35歳)に、天文の普及による「宙(そら)ガール」としての活動が認められ、「小惑星Shinohara」(14555)が国際天文学連合で学術名として正式登録されました。

この時篠原ともえさんは、「私が見つけたわけではなく、小惑星を見つけたアマチュアの方が、私が宙ガールとして天体のことを盛り上げていることを知ってくれていて、その証として命名してくださったんです」とお話しされており、篠原ともえさんが真剣に天文を広げる活動に取り組んでいるのですね!

上の画像は同年公開の劇場版アニメ『宇宙兄弟#0(ナンバーゼロ)』の公開を記念した「宙(そら)ガール」限定の試写会つきトークイベントの時のものです。この時も自身のデザインした宇宙柄のドレスで出席しています。

ギモンくん

篠原ともえさんは、「宙(そら)ガール」としてどんな活動をしているのかな?

カイケツさん

天体観測を楽しむ姿を披露しているほか、インターネットや書籍など様々な媒体で天体の魅力について発信しているみたいよ。

40代以上(2019年~)

篠原ともえさんは、2020年(当時41歳)に、アートディレクターである池澤樹さんとクリエイティブスタジオ株式会社「STUDEO」(ストゥディオ)を設立しました。

この時篠原ともえさんは、「新たな挑戦となりますが、これからもデザインをはじめあらゆる表現活動において、学ぶ姿勢を大切に精進してまいります」とお話しされており、新たなチャレンジに向けた意気込みが感じられます。

篠原ともえさん
引用元:日テレNEWS

上の画像は「STUDEO」(ストゥディオ)の設立を発表した時のものです。40代になってもお綺麗なままですね。

引用元:WWD

篠原ともえさんは、2021年に、第101回ニューヨークADC賞「The ADC Annual Awards」で、シルバーキューブとブロンズキューブの二冠を達成しました。

「この作品は、日本の皮革産業を支える職人の方々の技術の賜物であり、そして、本プロジェクトに携わったクリエイティブチームの皆さまのご協力なしには到底なし得ませんでした。今回、すでに定年退職された職人さんにも、その方の優れた技巧が本作を作り上げるうえで必要不可欠ということでご参加いただいたのですが、この取り組みをきっかけに、その技術が再認識され、継承の流れが生まれたとお聞きしたときは、言葉になりませんでした。ものを形にするだけでなく、こうしたかけがえのない伝統の橋渡しをすることも、私たちデザイナーの責務だと思っております。今後もデザインやアートの力を信じ、世界へさまざまな魅力をお届けできるよう精進してまいります」

引用元:WWD

当時技術への熱い思いをお話しされていた篠原ともえさん。上の画像は受賞した作品である「ザ レザー スクラップ キモノ」と篠原ともえさんを一緒に写した写真です。シックで素敵な着物ですね。

ギモンくん

どうしてスクラップキモノという名前なのかな?

カイケツさん

この着物は、本来であれば廃棄される革の端の曲線を生かして仕立てられているからみたいよ!

篠原ともえのプロフィール・SNS

  • 名前:篠原 ともえ(しのはら ともえ)
  • 生年月日:1979年3月29日
  • 年齢:46歳(2025年10月現在)
  • 出身地:東京都
  • 血液型:AB型
  • 趣味:ファッション、デザイン
  • 特技:バレエ
  • 所属事務所:株式会社STUDEO
引用元:TFM

SNS

ギモンくん

篠原ともえさんのバレエのきっかけって何なのかな?

カイケツさん

小学4年生の時にやっていたことがきっかけみたいだね!バレエおかげで明るい性格になったみたいよ。

篠原ともえの馴れ初め・台湾事件・若い頃のカリスマ性まとめ

  • 夫の池澤樹と出会ったのは2018年9月の合同展示会「rooms EXPERIENCE」である
  • 同展示で篠原ともえの原画展を担当したのが池澤樹であり、作品への提案を通じて信頼関係が深まったとされる
  • スケッチを追求する提案の言葉に「求めていた世界の理解者」と感じたと語っている
  • プロジェクト後も創作観を共有し交際に発展し、互いを尊重し支え合う関係を築いた
  • 出会いから約1年の2019年に結婚を発表し、日常も創造的に過ごせる相手と述べている
  • 2001年の台湾事件は地元紙がホテルでの騒動と裸同然と報じた件である(報道)
  • 関係者は裸ではなかったとし、警察と消防が出動し緊急病院に搬送されたとしている(報道)
  • 本人は緊急会見で台湾紙の報道を全面否定し、差し歯が取れただけと説明している
  • 事件の真相については不明で、従業員侵入と暴行未遂の説もあるが確証はない(噂)
  • 幼少期から探究心が強く、星空体験を機に天文や工作に打ち込み両親の程よい支援があったと語る
  • 中学で音楽活動を始め、高校は東京都立八王子工業高等学校(現・東京都立八王子桑志高等学校)に進学している
  • 1995年に「篠原ともえ+石野卓球」名義の「チャイム」で歌手デビューし個性的な装いで注目を集めた
  • 1999年には日本武道館で無料ライブ「篠原ともえお誕生日会 IN しのドーム」を開催し全衣装を自作した
  • 2004年〜2008年に教育番組『モンすたージオ』で歌のお姉さんを務め、作詞作曲と衣装制作も担当している
  • 2010年にデビュー15周年ライブや青ヶ島無料ライブを開催し、色彩関連の資格にも合格している
  • 2014年には天文普及の活動が評価され小惑星「Shinohara」(14555)が学術名として登録された
  • 2020年に池澤樹とクリエイティブスタジオ「STUDEO」を設立し、デザイン分野での活動を本格化させた
  • 2021年にレザー端材を活用した「レザー・スクラップ・キモノ」でNY ADC賞のシルバーとブロンズを受賞している
  • 創造性と行動力を核に芸能とデザインを横断して成果を重ね、理解者である夫とともに表現の幅を広げ続けている
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