水前寺清子さんは2020年(75歳)に公私で支え合ってきた音楽家・小松明さんと離婚し、長年の結婚生活に区切りをつけました。現在は「老人ホームに入居」ではなく、自宅でガーデニングや食事を楽しむ日々です。
熊本のケアハウス「水清庵」は“名誉施設長”として出資のみで、経営には関与せず、その後の法人不正を機に名称変更・事実上解消され、本人との関係も断たれています。
離婚の背景には、2011年の転落骨折や脊柱管狭窄症などの体調不良を抱えつつも厳しいスケジュールが続いたこと、仲裁役だった実姉の逝去で夫婦間の溝が深まったことなどが重なったと報じられました。
子どもはおらず手続きは比較的スムーズに完了。現在もディナーショーや記念ライブで精力的にステージへ立ち、若い頃からのショートヘアと朗らかなキャラクターは健在です。
この記事でわかること
- 2020年の熟年離婚までの流れと報じられた背景
- 「現在は老人ホーム?」の真相(自宅での暮らし)
- 熊本のケアハウス「水清庵」の設立経緯とその後の関係
- 若い頃〜全盛期の代表的な活動・エピソード
- プロフィール・公式サイト/ブログの基本情報
【画像】水前寺清子は夫と熟年離婚!現在は老人ホーム?
水前寺清子は夫と熟年離婚!理由は?
引用元:スポニチ
引用元:水前寺清子オフィシャルウェブサイト
水前寺清子さんは、1989年(当時44歳)のときに結婚した小松明さんと2020年(当時75歳)のときに離婚しました。小松明さんは水前寺清子さんの個人事務所の社長を務めていましたが、離婚を境に退任しています。
公私ともにパートナーとなっていた2人の仲に亀裂が生じ始めたのは2011年頃だと言われています。
水前寺清子さんは2011年(当時66歳)のときにコンサートのセットから転落し、左膝を骨折しました。
その後、2014年(当時69歳)のときには軟骨や骨が変形して神経を圧迫してしまう脊柱管狭窄症を発症し、思うようにステージに立てない日々が続きました。
この頃のことを振り返ってふたりのことをよく知るレコード会社の関係者は「やはり小松氏は社長としてチータを稼働させたいから、どうしても厳しいスケジュールになってしまう。優しいチータだけど、夫と争う場面が以前より増えた」とお話しされています。
水前寺清子さんも、当時を振り返って「退院した翌日からはコルセットをして仕事をしました。」とお話しされており、ハードな働き方をしていたことが確認できます。
やがて、水前寺清子さんと小松明さんとの間で喧嘩など争うことが増えていったと言われており、テレビ局の関係者は以下のように証言しています。
平日は水前寺さんは小松さんと離れ、ホテルで寝泊まりしていました。だからか番組の放送直後、毎日のように小松さんからダメ出しの電話が鳴るんです。言い足りなければ翌日にまで持ち越される。水前寺さんは『本当につらいの』とこぼしていました
引用元:NEWSポストセブン
そうしたふたりの間に入って仲裁をしていたのが水前寺清子さんの姉の令子さんでした。
しかし、姉の令子さんは2017年に他界しました。間に入っていた姉が亡くなってからはふたりの仲が悪化する一方で、小松明さんが家を出て2人は別居を始めました。
そして2020年には離婚が成立しています。2人と親交の深い映画評論家の浜村淳さんは、このとき「水前寺さんが結局は耐えきれなかったのかな」とお話しされています。
水前寺清子さんは、離婚報道があった直後のブログに「今頃かい!! 朝から大笑い」と綴っており、明るく笑い飛ばしていたことが確認できます。
また、水前寺清子さんは離婚について「2人が合わなかったということ。性格とか相手のやることとか。いろいろあるのよ」とお話しされています。
水前寺清子さんは離婚当時75歳で、熟年離婚として注目を集めました。
けん水前寺清子さんにはお子さんはいるのかな?
のぞみ水前寺清子さんにはお子さんはいないよ!そういった点で、離婚の話はスムーズに進んだと言われているよ!
水前寺清子は現在は老人ホーム?場所は?
引用元:水前寺清子オフィシャルブログ
引用元:スポニチ
水前寺清子さんは、現在老人ホームではなく自宅で過ごしています。
上の画像1枚目のように、水前寺清子さんのオフィシャルブログでは自宅で食事やガーデニングを楽しんでいる写真などがたくさん掲載されています。上の画像の2枚目は自宅で餅つきを楽しんでいる写真です。
水前寺清子さんと老人ホームの関わりはというと、2000年(当時55歳)のときに故郷である熊本に老人向けのケアハウス「水清庵」を設立しています。
設立当時、夫だった小松明さんと合わせて約15億円を出資して設立されたケアハウスでしたが、小松明さんは「水前寺は名誉施設長の肩書でしたが経営にタッチすることはありません。」とお話しされています。あくまでも出資のみで、経営などに関わることはなかったようです。
「故郷に錦を飾りたい」という水前寺清子さんの想いが詰まったケアハウスでしたが、2012年に架空工事や水道料金の誤魔化しなど、20年以上にわたる不正がケアハウスを経営する社会福祉法人で発覚しました。その後、理事長の解任があり、ケアハウス「水清庵」も名称を変え、現在は事実上なくなっています。
水前寺清子さんは「私としては施設におられる人が楽しく過ごしてくれたら本望ですから……」とお話しされています。
けん水前寺清子さんと施設や社会福祉法人は、今はもう一切関わりがないのかな?
のぞみ施設の担当者が「うちと水前寺さんは一切関係がありません」とお話しされていて、今は一切関わりがないみたいだよ!
【画像】水前寺清子は若い頃かわいい!
10代・20代(1955年~1975年)
引用元:朝日新聞
幼い頃から歌うことが大好きだった水前寺清子さんは、1960年(当時15歳)のときに「コロムビア歌謡コンクール」に出場し2位となりました。このときに作詞家の星野哲郎さんが声をかけたことが、のちにデビューするきっかけとなりました。
水前寺清子さんはデビューするまでの間にレコーディングを11回行っており、当時を振り返って以下のようにお話しされています。
すぐにデビューできた訳ではなく、レコーディングを11回やってもダメだったんです。レコーディングできなくて悩んでいる方はたくさんいらっしゃるのに、11曲もなんて、たいへん幸せなことです。
引用元:サビーナ自然化粧品
でも、それは父が、「なんで娘はデビューできないんだ」って何度も掛け合ってくれたからかもしれません。今の私があるのは、父のおかげですね(笑)。
その後、水前寺清子さんは1964年(当時19歳)のときに「涙を抱いた渡り鳥」で歌手デビューを果たしました。
上の画像は「涙を抱いた渡り鳥」のジャケット写真です。爽やかなショートヘアが印象的ですよね!
引用元:NHKアーカイブス
1964年(当時19歳)のときに発売されたレコードは1965年(当時20歳)になってから爆発的にヒットし始めました。
1965年(当時20歳)のときに、日本雑誌協会の記者たちが有望な新人に贈るゴールデン・アロー賞新人賞を受賞し、勢いの止まらない水前寺清子さんは同年、紅白歌合戦に出場しました。
この時のことを水前寺清子さんは以下のようにお話しされています。
『紅白』は歌手にとって夢のまた夢のような番組だったので、初めて出演できると聞いた時は「まさか!うそだろ!」という思いの方が強かったです。うれしさは少し後からついてきた感じで、そこで初めてびっくりするくらいの喜びがこみ上げてきました。私もそうですが、それ以上に父と母が喜んでくれたことがうれしくて、親孝行が出来たかなと思ったことを覚えています。少し落ち着いてからは、せっかく出演できるのだからカッコ良くやらなければいけないな、なんてことも思いましたけどね。
引用元:NHKアーカイブス
上の画像は紅白歌合戦に出場したときのものです。デビュー曲の「涙を抱いた渡り鳥」を披露しました。
引用元:NHKアーカイブス
水前寺清子さんは、1968年(当時23歳)の時に、紅白歌合戦で司会を務めました。その後、水前寺清子さんは紅白歌合戦で司会を3回経験しています。
23歳という若さで司会を務めた水前寺清子さんは、「今振り返ると、あんなに若い歌手に司会まで任せてくださった。改めてすごいことを経験させていただいた番組だったなという思いをかみしめています。」とお話しされており、紅白歌合戦での経験が印象に残るものとなったことが確認できます。
上の画像は1973年(当時28歳)のときに紅白歌合戦で司会を務めた際の写真です。溌剌とした笑顔が素敵ですよね!
引用元:BS12
水前寺清子さんは1970年(当時25歳)のときにドラマ「ありがとう」で主演を務めました。水前寺清子さんの親しみやすいキャラクターなどが人気を呼び、民放ドラマ歴代最高の視聴率56.3%を記録する大ヒット作となりました。
水前寺清子さんは当時を振り返って「ドラマは毎回、リハーサルなしのぶっつけ本番でした。」とお話しされており、歌手活動で多忙を極めている中ドラマ撮影に挑んだことが確認できます。
上の画像はドラマ「ありがとう」でのワンシーンです。明るい笑顔がチャーミングですよね!
けん水前寺清子さんは、芸名だよね!どうしてその名前に決まったのかな?
のぞみ水前寺清子さんの出身地に「水前寺公園」という公園があるんだって!苗字はそこから名付けて、下の名前の清子は、水前寺清子さんの出身地の熊本の有名な武将である加藤清正から取って名付けられたんだって!
30代・40代(1975年~1995年)
引用元:レコチョク
水前寺清子さんは30代になってより歌手活動に専念するようになり、1977年(当時32歳)のときには全国横断公演を行いました。
1979年(当時34歳)のときには、当時の皇太子殿下と美智子妃殿下を福岡市民ホールにお迎えし開催されたステージで歌を披露しました。そして1981年(当時36歳)の時にリリースした「有明の海」で古賀政男記念音楽大賞と日本作詞大賞に入賞しました。
また、同年の紅白歌合戦では4回目の司会を務めました。このとき、水前寺清子さんは歌手としてよりも司会者としての仕事に重きを置こうと決意され、初出場で緊張している歌手に積極的に声をかけたりするなど表舞台だけでなく、見えない部分でも紅白歌合戦に貢献されていたことが確認できます。
1983年(当時38歳)で出場した紅白歌合戦では、本番の直前に水前寺清子さんの父親が亡くなり、司会を務めていた黒柳徹子さんが「天国のお父ちゃん、聞こえますか?」と曲紹介の際に語りかけていました。
1984年(当時39歳)のときには歌手生活20周年を迎え、梅田コマ劇場や東京歌舞伎座にて記念公演を開催しました。
さらに、20周年記念アルバム「やぁ!チータ」がリリースされました。このアルバムの作詞は、水前寺清子さんの恩師的な存在であり、戦後の歌謡界を代表する作詞家のひとりである星野哲郎さんが全て手掛けました。
上の画像は「有明の海」のジャケット写真です。ショートヘアが変わらずトレードマークですね。
引用元:NHKアーカイブス
水前寺清子さんは、1987年(当時42歳)の時に、ドラマ「まんが道 青春編」に出演しました。
当時を振り返って、水前寺清子さんは以下のようにお話しされています。
セリフ覚えは得意というか上手でした。うそみたいですけど、すぐに覚えることが出来ました。それは何でかなと思ったら、やはりドラマの現場は私が日ごろ過ごしている歌謡界とは違う。よそにおじゃましているのだから、間違えたりしたら失礼だという気持ちがあったのだと思います。「ごめんね」ですませてはいけない。もう一回やり直させていただくなんて申し訳ない。そんな意識が強かったんでしょうね。
引用元:NHKアーカイブス
上の画像はドラマ「まんが道 青春編」の時のものです。水前寺清子さんはこのときを思い返して「楽しくドラマに出演させていただくことが出来ました」とお話しされています。
同年の紅白歌合戦では、紅白改革が掲げられ、出場歌手の刷新や音楽ジャンルの拡大が行われました。それまでになかったクラシックやミュージカル、民謡、ジャズコーラスなど、幅広いジャンルから初出場の歌手が選出され話題となりました。
この改革に伴い、水前寺清子さんは22回出場していた紅白歌合戦に落選しました。紅白歌合戦側からは、「辞退した」ということにしていいと通達されていましたが、このとき水前寺清子さんは「結果を正面から受け入れようと思いました。辞退は逃げだと思います」とお話しされています。
また、紅白歌合戦について「若い歌手に是非出てほしい番組」とコメントされていました。いつでも前向きで素敵ですよね。
引用元:文春オンライン
水前寺清子さんは、1985年(当時40歳)の時に公演を通して出会った音楽家の小松明さんと交際を始めました。そして1989年(当時44歳)のときに結婚を発表しました。
小松明さんはサックス奏者などとして活動されており、1985年の水前寺清子さんの公演で、バックバンド兼指揮者として参加していました。ここでの出会いが交際へ繋がったようで、小松明さんからアタックしていたそうです。
小松明さんは水前寺清子さんよりも6歳年下で、結婚当時は38歳でした。
当時の2人を知るイベント関係者は以下のようにお話しされています。
当時、チータ(水前寺清子さんの愛称)は公演で全国を回っていてね。小松さんはバックバンドとして彼女とよく組んでいた。演歌界では歌手と演奏者が地方回りすると恋愛関係になることも多い。小松さんは物腰が柔らかくてモテる人だったけど、あのときは小松さんがチータに惚れた
引用元:文春オンライン
水前寺清子さんは結婚した年に歌手デビュー25周年を迎え、新宿厚生年金ホールや大阪厚生年金ホールで記念リサイタルを開催しました。
1992年(当時47歳)のときには、「新春香港ツアー」を開催したり「上海国際交流フェスティバル’92」に出場するなど日本国内のみならず海外での活動も行っていました。
そして水前寺清子さんは1994年(当時49歳)のときに歌手デビュー30周年を迎えました。このときは東京プリンスホテルにて「ありがとう30年謝恩パーティ」が開催されました。
さらに、30周年を記念したアルバム発売や、全国横断ツアーなどが催され、イベントで目白押しの一年となりました。
また「94イスタンブール ジャパンフェティバル」に参加し、当時日本人歌手としては初めてトルコのイスタンブールでコンサートを開催しました。
上の画像は結婚発表会見の時のものです。幸せなオーラが溢れていますよね。
けん水前寺清子さんは、どうして「チータ」と呼ばれているのかな?
のぞみ作詞家の星野哲郎さんが小柄な水前寺清子さんのことを「ちいさなたみちゃん」(水前寺清子さんの本名は林田民子さん)と呼んでいたことが由来となって「チータ」と呼ばれるようになったみたい!
50代(1995年~2005年)
引用元:NHKアーカイブス
水前寺清子さんは、1996年(当時51歳)の時に、音楽番組「ふたりのビッグショー」に出演しました。
この頃の水前寺清子さんは、司会など番組の仕切り役を務めることも多く同年にはワイドショー番組「ワイドスクランブル」のメインキャスターにも就任しています。
上の画像は「ふたりのビッグショー」に出演したの時のものです。左の女性は歌手の青江三奈さんです。
水前寺清子さんと青江三奈さんは親しい間柄だったようで、当時を振り返って水前寺清子さんは「青江さんは先輩でしたが、本当に仲が良くて親友であり姉妹のような間柄でした。」とお話しされています。
引用元:NHKアーカイブス
水前寺清子さんは、1998年(当時53歳)の時に、音楽番組「BS 日本のうた」に出演しました。
日本のスタンダード・ナンバーとされている歌をフルコーラスで歌うというコンセプトのこの番組について、水前寺清子さんは以下のようにお話しされています。
スペシャルステージと題して9曲をノンストップ、あるいはジャズナンバーなど、絶対にこれまでの私では歌う機会のないものばかり。今回はどんなテーマでどんな歌を歌わせてくれるんだろう。その場にお客さんもいらしたので反応もすぐわかる。イメージが違うから「あら」と思われた方もいたかもしれないけれど、それすらも楽しみでした。だからこの番組のお話はすごくうれしかったですね。
引用元:NHKアーカイブス
上の画像は「BS 日本のうた」に出演していたの時のものです。楽しそうに歌っている姿が印象的ですね。
水前寺清子さんは2000年(当時55歳)のときに、故郷である熊本に老人向けのケアハウス「水清庵」を設立しました。
この時のことを当時の夫だった小松明さんは以下のようにお話しされています。
彼女は故郷に錦を飾るようなことをやりたかったんです。“いろいろあったけれど、熊本に貢献したい”と話してもいた。そんな中でたまたま知り合ったのが、地元で社会福祉法人を運営している理事長でした。我々は素人だったので、寄付をしてケアハウスの運営をお願いすることになったのです。建設費用を捻出するために、東京・世田谷にある土地を売り、現金も3億円ほど出しました
引用元:デイリー新潮
夫婦で総額およそ15億円を寄付し、設立されました。すごいですよね!
けん水前寺清子さんは、もともと社会福祉活動などに興味があったのかな?
のぞみ水前寺清子さんは、自身の両親の介護の経験などから社会福祉活動に関心を持つようになったみたい!両親への介護を通して、高齢者福祉の重要性などを認識し、長年支えてくれたファンへの恩返しという意味も込めてケアハウスの設立に至ったみたいだよ!
60代以上(2005年~)
引用元:NHKアーカイブス
水前寺清子さんは、2008年(当時63歳)から2011年(当時66歳)にかけて音楽番組「渋谷らいぶステージ」に出演し、司会を務めました。
この時、水前寺清子さんを歌手デビューへ導いた作詞家の星野哲郎さんへ向けて以下のように感謝の気持ちをお話しされていました。
星野先生はもう一人の父親のような存在でもありました。ほめることはあまりないのですが(笑)、怒られたこともありません。とても優しく温かく包んでくださり、それでいていつも私の周囲で起きていることや人の言葉の意味などを、きちんと教えてくださった。常に感謝の気持ちを忘れないようにというのも先生から教えていただいたこと。私が歌手でありながら司会という大役を務められたのも、星野先生の教えのおかげだと思っています。
引用元:NHKアーカイブス
上の画像は「渋谷らいぶステージ」で最終回を迎えたの時のものです。60代になってもショートヘアで溌剌とした印象はそのままですね!
引用元:スポニチ
水前寺清子さんは、2019年(当時74歳)の時に、芸能などの分野で高い功績を残した者に与えられる旭日小綬章を受賞しました。
このとき水前寺清子さんは、「本当にいいんでしょうか、という気持ち」とお話しされており、驚いていた様子でした。また、「元気がいいねと言ってもらえるように、今後も一歩ずつ歩んでいきたい」と決意を露わにされていました。
水前寺清子さんは2020年(当時75歳)のときに芸能生活55周年を迎えました。このときはコロナ禍で、水前寺清子さんも自宅で過ごすことが増え、インタビューでは「こんなに休んだことがない。何十年前のことを思い出したりしている」とお話しされています。
また、55周年を迎えた心境を以下のようにお話しされています。
周囲の人に恵まれてここまできた。東京五輪の年(1964年)にデビューして55周年でまた東京五輪があるなんて、こんなことあるのかと。コロナで延期になりましたが、無事にこの年を迎えられてよかった。すごく幸せです
引用元:スポーツ報知
上の画像は旭日小綬章を受賞したの時のものです。70代になってもトレードマークのショートヘアは変わらずですね。
引用元:NEWSポストセブン
水前寺清子さんは2023年(当時77歳)のときにバースデーライブを開催しました。
2024年(当時78歳)のときにはデビュー60周年を迎えました。78歳となっても変わらず精力的に活動を続ける水前寺清子さんは、このとき以下のようにお話しされています。
新しいことに挑戦すること、知らない世界を体験するのがとても楽しいです。ライブハウスなど20代の若い子たちが集まるところで歌うのは物凄く刺激になりますし、ロック音楽にも挑戦しています。
最近はYouTubeやSNSなどにも興味があるのですが、やっぱり年なのか、なかなか思うように行きません(笑)。健康にも気をつけなければいけないと思うのですが、何もしないことが健康の秘訣だと思っています。持病の腰痛も上手く付き合っています
引用元:NEWSポストセブン
上の画像は、77歳を迎えたときのバースデーライブでの写真です。年を重ねてもチャレンジ精神が豊かで素敵ですよね!
けん水前寺清子さんには、今後の目標みたいなものはあるのかな?
のぞみ2024年のインタビューでは「今後は音楽や歌を学ぶ若者のお手伝いができないかと、漠然とですが思っています」とお話しされているよ!
水前寺清子さんの今後にも注目だね!
水前寺清子のプロフィール・SNS
引用元:ORICON NEWS
プロフィール
- 名前:水前寺清子(すいぜんじきよこ)
- 本名:林田民子
- 生年月日:1945年10月9日
- 年齢:79歳(2025年9月現在)
- 出身地:熊本県
- 血液型:O型
- 趣味:園芸、編み物
- 特技:みんなを元気にすること
- 所属事務所:水前企画
SNS
けん水前寺清子さんのマイブームって何なのかな?
のぞみ水前寺清子さんはもともとスイーツが大好きみたいで、数年前からは特にドーナツにハマているみたい!オフィシャルブログでもドーナツがよく紹介されているよ!
水前寺清子の最新動向まとめ
- 水前寺清子さんは1989年(44歳)に音楽家の小松明さんと結婚
- 夫の小松明さんは個人事務所の社長として長年公私で支えた
- 2011年のケガや病気をきっかけに関係がすれ違い始めたと報じられている
- 姉の死後、仲裁役を失ったことも離婚の一因となった
- 2020年(75歳)に熟年離婚を発表、30年以上の結婚生活に終止符
- 離婚後は明るく前向きに「今頃かい!!」とブログで笑い飛ばしていた
- 子どもはいないため、円満に離婚が成立したとみられている
- 現在は老人ホームではなく自宅で穏やかに暮らしている
- 熊本に設立したケアハウス「水清庵」は出資のみで経営関与はなし
- ケアハウスは不正発覚後に解散、水前寺さん本人は関与せず
- 若い頃はショートヘアがトレードマークで、明るい笑顔が印象的
- デビュー60周年を迎えた現在も、ライブやディナーショーで精力的に活動中



















