【画像】竹中直人と奥さんの馴れ初めは?病気の噂は本当?若い頃から破天荒?

結婚の馴れ初めは「映画の準備中に出会い」、スペインでの偶然の再会を経て、竹中直人さんがニューヨークへ婚姻届を持って駆けつけてプロポーズ――1990年に木之内みどりさんと結婚し、現在は子どもも独立してお孫さんもいます。

一方で、近年ささやかれた“病気”の噂は事実ではなく、公式な発表はありません。名前が似た別俳優の休業報告が混同されたのが発端です。

若い頃は多摩美大在学中に「ぎんざNOW!」の素人コメ道場でチャンピオンとなり、“笑いながら怒る人”などの唯一無二の芸でブレイク。コメディアンから俳優・監督へと領域を広げ、『シコふんじゃった。』『東京日和』、大河『秀吉』などで受賞を重ね、今もオファーを断らず挑み続ける“破天荒で誠実”な仕事姿勢が評価されています。

本記事では、出会いからプロポーズの詳細、噂の真相、そして若い頃から現在までの歩みをわかりやすく整理します。

この記事でわかること

  • 竹中直人さんと木之内みどりさんの出会い〜NYプロポーズまでの具体的な流れ
  • 「病気の噂」はなぜ広がったのか(混同の発端と公式発表の有無)
  • 若い頃からの破天荒エピソードと“笑いながら怒る人”誕生の背景
  • コメディアン/俳優/監督としての代表作と評価のポイント
  • 現在の活動スタンス(オファーを断らない姿勢)と近年の露出
目次

【画像】竹中直人と奥さんの馴れ初めは?病気の噂は本当?

竹中直人と奥さんの馴れ初めは?

木之内みどりさん
引用元:JIJI.com
木之内みどりさん
引用元:スポニチ

竹中直人さんは、1990年(当時34歳)に木之内みどりさんと結婚しています。お2人は1男1女をもうけ、現在はお子さんが結婚してお孫さんもいるようです。

超個性派俳優と元アイドル歌手の結婚となると馴れ初めが気になる方も多く、2025年5月18日放送の「なりゆき街道旅」にゲスト出演した時にも、共演者さん達から質問攻めに遭いました。

竹中直人さんはまぁ、いいじゃないか!とお得意の変な声でかわそうとしましたが追及は終わらず、映画の準備中に出会ったと照れ臭そうに言って話題を変えました。

2017年(当時61歳)放送の「徹子の部屋」ではもっと詳しくお話されています。

竹中直人さんが劇団青年座にいた頃に「写楽考」という舞台の旅公演でスペインに行って、その時に木之内みどりさんと偶然会ったそうです。スペインには1ヶ月ほどいて、木之内みどりさんをお気に入りの喫茶店に誘いましたが、向かっている途中に緊張で道が分からなくなったのだとか。

そうして1時間くらい迷っていた時に「この人と僕は……」と結婚の予感を抱いたと語っています。

けん

どこでどんな風にプロポーズしたのかも気になる!

のぞみ

写真の仕事で一足先にニューヨークへ行った木之内みどりさんを竹中直人さんが追いかけたんだって。
ニューヨークに婚姻届を持参してプロポーズしたみたいだよ!

竹中直人の病気の噂は本当?

竹中直人さん
引用元:映画ナタリー
竹中直人さん
引用元:シネマトゥデイ

2024年あたりから竹中直人さんの病気の噂がありますが、これは事実ではなく、竹中直人さんには目立った病気の発表はありません。

お名前が1字違いの俳優の竹中隼人さんが、2024年4月にご自身のSNSで右半身麻痺による休業を発表した際に、「竹中直人さんが病気?」と勘違いする声が上がったことが噂の発端のようです。

これらの声を受け、竹中隼人さんはこのようにコメントされています。

「あの…ですね。わたくし竹中隼人は、大御所俳優『竹中直人』さんとは血縁関係御座居ませんし、竹中直人さんご本人様やご関係者様にご迷惑が掛かる事を危惧しております」
「病気というセンシティブな事もあり今一度、名前、顔を確認してからポスト、リポストして頂けると幸いです。お願い致します」
引用元:スポニチ

けん

70歳近くなると体のあちこちにガタが来る人も多いと思うけど、竹中直人さんはどうなのかな?

のぞみ

インタビューの時に「元気で生きていることが信じられない」と言っているし、今も積極的に活動されているから、ガタが来るのはまだまだ先かもね!

【画像】竹中直人は若い頃から破天荒?

幼少期・10代・20代(1956年~1986年)

竹中直人さん
引用元:YouTube

竹中直人さんは、神奈川県横浜市金沢区で、横浜市役所勤務の地方公務員夫婦の1人息子として生まれました。子供時代は自宅での1人遊びを好む内気な少年でしたが、ご両親と一緒によく映画鑑賞に行ったことなどがきっかけで映画業界に関心を持つようになったそうです。

関東学院六浦中学校入学を機に、内気な性格を克服すべく習得したモノマネ芸で同級生からの注目が集まり始めました。

そして、2浪して入学した多摩美術大学美術学部デザイン科在学中の1977年(当時21歳)、テレビ番組「ぎんざNOW!」「しろうとコメディアン道場」の19代チャンピオンに輝きました。

上の画像は、その頃のものです。50年近く前のテレビ番組の映像が残っていることも、同時に出演している方々(関根勤さん・小堺一機さんなど)の錚々たる顔ぶれもすごいですね!

竹中直人
引用元:西日本新聞

大学在学中は「映像演出研究会」に所属して、8ミリ映画の制作に没頭して監督から出演までをこなし、地蔵が首を振って笑う「首振り地蔵の怪」という短編映画を撮影しました。

しかし皆に作品を馬鹿にされたため、「(笑いながら)ふざけんじゃねぇ、コノヤロー」と言ったところ大爆笑となったことが、のちに40年以上続くネタ“笑いながら怒る人”の起源です。

俳優を志したのは大学時代のことでしたが、俳優だけでは一生食べていけないと思い始めた頃にプロダクション人力舎の玉川善治さんから声をかけられました。

1983年(当時27歳)にテレビ朝日「ザ・テレビ演芸」のオーディションコーナー「飛び出せ!笑いのニュースター」に出演してグランドチャンピオンになり、コメディアンとしてデビューしました。

上の画像は、1983年のコメディアン時代の竹中直人さんです。

引用元:西日本新聞

「ザ・テレビ演芸」では、普段は辛口な評論をする司会の横山やすしさんから絶賛され、その後バラエティ番組に多数出演しました。

1985年(当時29歳)には、シティーボーイズ・いとうせいこうさん・宮沢章夫さん達と、演劇・コントユニット「ラジカル・ガジベリビンバ・システム」(RGS)を結成しています。

俳優としては、当初は脇役での奇矯な演技が多かったのですが、次第にシリアスな役・小市民・悪役などへも役柄を広げていきました。

上の画像は、1984年(当時28歳)の竹中直人さんです。

けん

8ミリ映画って何?最近あんまり聞かない言葉だけど……。

のぞみ

8ミリ幅のフィルムを使った映画のことだよ。
80年代にビデオテープが出てきて姿を消すまでは、これが動画撮影や映写の一般的な手段だったみたい。

30代(1986年~1996年)

竹中直人さん
引用元:YouTube

1989年(当時33歳)からは「東京イエローページ」というバラエティー番組が放送されており、こちらの番組では竹中直人さんを中心とした出演者によるコントなどを披露されていました。ゲストとして女性アイドルが多数出演していたため、当時のアイドルファンが注目した番組でもあったのだとか。

番組内では「クイズそっちの方がスゲェー!」などのコーナーもあり、アドリブで自由奔放に徹底的に現場の空気を凍りつかせながら進行していく形式の、不条理クイズ番組コントが繰り広げられていました。

冒頭では竹中直人さんが即興で、現実にありそうな名前からめちゃくちゃな名前まで、その時によって色々な架空の芸名を名乗っていたようです。

上の画像は、「東京イエローページ」出演中の竹中直人さんです。

引用元:X

1992年(当時36歳)には、映画「シコふんじゃった。」に出演されました。

この作品は遊び人の大学生・山本秋平が主人公で、突然教授に呼び出されて「卒業に必要な単位が欲しかったら1日だけ相撲部の助っ人として試合に出ろ」と言われます。その大学の相撲部は、かつては強豪でしたが現在は弱体化している上に部員も1人しかおらず、廃部の危機に瀕しています。

竹中直人さんは、そのたった1人の相撲部員・青木富夫を演じました。

相撲部を守るために留年を続けて大学8年生になるくらい相撲愛が強く知識も豊富ですが、プレッシャーに弱く試合の度にお腹の調子が悪くなるため、入部以来公式戦で1度も勝ったことがないという人物です。

こちらの作品は公開から30年が経った2022年に、Disney+で後編の「シコふんじゃった!」が制作され、竹中直人さんも再び出演されています。

竹中直人さん
引用元:NHKアーカイブス

1996年(当時39歳)には、NHK大河ドラマ「秀吉」で主演の豊臣秀吉役に抜擢されました。平均視聴率30.5%、最高視聴率37.4%の高視聴率を記録するヒット作となっています。

竹中直人さんが演じる秀吉の、手を突き出して5文字を強調しながら言う決め台詞「心配御無用!」は、その年の流行語になりました。

竹中直人さんはその後、「熊本物語『おんな国衆一揆』」(2002年)・「敵は本能寺にあり」(2007年)・「軍師官兵衛」(2014年)・「仁王2」(2020年)・「もしも徳川家康が総理大臣になったら」(2024年)と合計6度にわたって秀吉を演じています。

けん

4年制の大学って最大8年間しかいられないよね。「シコふんじゃった。」の青木が卒業した後、相撲部はどうなったのかな?

のぞみ

1日限りの助っ人のはずだった主人公が、コネでの就職を辞退して青木の跡を継いだんだって!

40代(1996年~2006年)

竹中直人さん
引用元:映画ナタリー

1997年(当時41歳)の映画「東京日和」では、監督と主演を務めました。

荒木経惟さん・荒木陽子さん著のフォトエッセイが原作で、写真集出版の準備を進める写真家が回想する、亡き妻との日々を綴った純愛ドラマとなっています。

荒木経惟さん役を竹中直人さん、荒木陽子さん役を中山美穂さんが演じました。竹中直人さんはこちらの作品で、第21回日本アカデミー賞の優秀監督賞と優秀主演男優賞を受賞しました。

90年代の作品ですが、現在も「荒木さんの、奥さんへの想いが伝わってくる」「ストーリーの展開ひとつひとつに無駄がなく、引き込まれる」などのレビューが寄せられています。

竹中直人さん
引用元:YouTube

2003年(当時47歳)には、連続テレビドラマ「ライオン先生」に出演されました。重松清さんの短編小説を原作としたドラマで、舞台は鎌倉の高校です。

竹中直人さんは主役の古典教師・高村雄介を演じました。竹中直人さんが教師役を演じたのはこちらの作品が初めてです。

主人公は若い頃熱血教師として名を馳せ、教え子と結婚しましたが死別しました。現在は高校生(ドラマでは大学生)の娘と同居し、若い頃と異なり生徒と思いが通じないことを嘆いています。

初回から最終回まで視聴率10%を超えることはありませんでしたが、相武紗季さん・和希沙也さん(現:倉本清子さん)・末高斗夢さん(現:三遊亭とむさん)など、この作品をきっかけにブレイクした俳優さんもいらっしゃいます。

けん

「ライオン先生」の竹中直人さん、髪がフサフサだね。かつらかな?

のぞみ

竹中直人さんが演じた高村先生は、若い頃は地毛だったけど後にかつらになったんだって。
弟がかつら屋さん勤務という設定もあるよ。

50代以上(2006年~)

竹中直人さん
引用元:MANTAN WEB

50代以降の竹中直人さんのところには、ハーフや外国人の役のお話が舞い込んでくることがありました。それもアジア人ではなく、フランスやドイツなどの西洋人です。

2006年(当時50歳)のテレビドラマ「のだめカンタービレ」ではフランツ・フォン・シュトレーゼマンを、2009年(当時53歳)のテレビドラマ「神の雫」では土肥ロベールを演じています。

今まではスケジュールさえ合えばどんな仕事でも受けてきた竹中直人さんでしたが、唯一断ったのがフランツ役だったそうです。

「日本人がドイツ人を演じるなんて無理です」と断って打ち合わせ場所を去ろうとすると、プロデューサーや監督がうなだれている姿が目に入りました。それで思わず「かつらを被って特殊メイクで鼻を高くすれば出来るかも」と言ってしまい、「それでいきましょう」という流れになったのだとか。

竹中直人さん
引用元:ORICON NEWS

2020年(当時64歳)には、「おもしろい!進化のふしぎ ざんねんないきもの事典」という児童書を原作としたテレビドラマ「ざんねんないきもの事典」で主役を務めました。

全24回・1回2分30秒のミニドラマで、竹中直人さん扮する神様が、“ざんねんだけど愛おしい”動植物と現代人たちの似ているポイントを毎話1種ずつ解説しています。

竹中直人さんは、こちらの作品についてこのようにコメントしています。

「今回のドラマで、ざんねんないきものがこんなにたくさんいて、こんなに愛おしいんだ……としみじみ感じました。
まだまだ元気でいたいと思っていても老いてゆく人間はざんねんないきものです。
あっと言う間に時は過ぎてゆく……と言う事を感じる事が出来るのも人間しかいない。
でもそれをざんねんと捉えるか否かは自分自身ですね。」

引用元:ステージナタリー
けん

スケジュールが合う限り仕事を基本的に断らないなんて、なかなか出来ることじゃないね。

のぞみ

「仕事を選ぶなんて偉そうだし照れ臭い」という理由なんだって。
有名俳優になってもそういう姿勢でいられるのがすごいよね。

竹中直人のプロフィール・受賞歴

竹中直人さん
引用元:フロムファーストプロダクション

プロフィール

  • 名前:竹中 直人(たけなか なおと)
  • 生年月日:1956年3月20日
  • 年齢:69歳(2025年9月現在)
  • 出身地:神奈川県横浜市金沢区
  • 血液型:A型
  • 身長:168cm
  • 趣味:映画鑑賞・音楽鑑賞
  • 特技:美術・歌
  • 所属事務所:レディバード

受賞歴(コメディアンとして)

  • 1977年:TBS ぎんざNOW!しろうとコメディアン道場 19代目チャンピオン
  • 1980年:ビックリハウス エビゾリングショウ 優勝
  • 1983年:テレビ朝日 ザ・テレビ演芸 3週勝ち抜きチャンピオン
  • 1983年:テレビ朝日 ザ・テレビ演芸 6代目グランドチャンピオン
  • 1984年:第21回ゴールデン・アロー賞 芸能新人賞
  • 1984年:第4回花王名人大賞 新人賞
  • 1985年:第13回日本放送演芸大賞 ホープ賞

受賞歴(俳優として)

  • 1988年:にっかつロマン大賞 主演男優賞「天使のはらわた 赤い眩暈」
  • 1991年:第16回報知映画賞 新人賞「無能の人」
  • 1992年:第46回毎日映画コンクール スポニチグランプリ新人賞「無能の人」
  • 1992年:第34回ブルーリボン賞 主演男優賞「無能の人」
  • 1992年:第42回芸術選奨文部大臣賞 文部大臣新人賞 映画部門
  • 1992年:第29回ゴールデン・アロー賞 大賞
  • 1992年:第29回ゴールデン・アロー賞 映画賞
  • 1992年:第15回日本アカデミー賞 優秀主演男優賞「無能の人」
  • 1993年:第66回キネマ旬報ベスト・テン キネマ旬報読者賞 「シコふんじゃった。」
  • 1993年:第16回日本アカデミー賞 最優秀助演男優賞「シコふんじゃった。」・「死んでもいい」
  • 1995年:第18回日本アカデミー賞 優秀助演男優賞「119」
  • 1996年:第69回キネマ旬報ベスト・テン 助演男優賞「EAST MEETS WEST」・「GONIN」
  • 1996年:第19回日本アカデミー賞 最優秀助演男優賞 「EAST MEETS WEST」
  • 1997年:第34回ゴールデン・アロー賞 大賞
  • 1997年:第34回ゴールデン・アロー賞 放送賞
  • 1997年:第20回日本アカデミー賞 最優秀助演男優賞 「Shall we ダンス?」
  • 1998年:第21回日本アカデミー賞 優秀主演男優賞「東京日和」
  • 1999年:第18回ベスト・ファーザー イエローリボン賞 芸能部門
  • 2001年:第24回日本アカデミー賞 優秀主演男優賞 「三文役者」

受賞歴(映画監督として)

  • 1991年:第1回日本映画批評家大賞監督賞
  • 1991年:第48回ヴェネツィア国際映画祭 国際批評家連盟賞「無能の人」
  • 1992年:第65回キネマ旬報ベスト・テン 日本映画 第4位「無能の人」
  • 1992年:第46回毎日映画コンクール 日本映画優秀賞「無能の人」
  • 1992年:第46回毎日映画コンクール 宣伝賞 優秀賞「無能の人」
  • 1992年:第13回ヨコハマ映画祭 日本映画ベストテン 第2位「無能の人」
  • 1992年:第13回ヨコハマ映画祭 新人監督賞「無能の人」
  • 1992年:第15回日本アカデミー賞 優秀作品賞「無能の人」
  • 1992年:第15回日本アカデミー賞 優秀監督賞「無能の人」
  • 1995年:第16回ヨコハマ映画祭 日本映画ベストテン 第6位「119」
  • 1995年:第68回キネマ旬報ベスト・テン 日本映画 第6位「119」
  • 1995年:第68回キネマ旬報ベスト・テン 読者選出日本映画ベスト・テン 第1位 「119」
  • 1995年:第68回キネマ旬報ベスト・テン 読者選出日本映画監督賞「119」
  • 1995年:第49回毎日映画コンクール 日本映画優秀賞「119」
  • 1995年:第18回日本アカデミー賞 優秀作品賞 「119」
  • 1995年:第18回日本アカデミー賞 優秀監督賞 「119」
  • 1998年:第71回キネマ旬報ベスト・テン 日本映画 第9位「東京日和」
  • 1998年:第19回ヨコハマ映画祭 日本映画ベストテン 第8位「東京日和」
  • 1998年:第21回日本アカデミー賞 優秀監督賞「東京日和」
  • 2002年:第16回高崎映画祭 最優秀監督賞「連弾」
  • 2002年:第23回ヨコハマ映画祭 日本映画ベストテン 第9位「連弾」
けん

映画は出演したり監督したりするだけでなく、見る側になるのも好きなんだ!
特に好きなジャンルはあるのかな?

のぞみ

ホラー映画とか、あんまり他の人が見てない映画とかが好きみたいだよ。
配信で見ることもあるけど、映画館で見るのが特に好きなんだって。

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