【画像】TARAKO(声優)の死因は何?結婚して夫・子供がいた?若い頃かわいい!

TARAKOさんの死去について、公式に明かされているのは「死因は非公表」という一点です。

ネットで囁かれる推測は根拠が示されておらず、所属事務所の発表から読み取れるのは、2024年に体調を崩しつつも病棟や車いすからでも収録へ向かうほど作品に尽くした事実のみ。最期まで「ちびまる子ちゃん」や映画の役に向き合い、周囲が“温かい人柄”と口をそろえる姿勢が記憶されています。

結婚や子どもに関する公式情報はなく、自宅では保護した犬猫と暮らし、SNSやブログでは“家族”として大切にしてきた日々がうかがえます。若い頃の魅力は、透明感のある声と素直な表現力、そして等身大の優しさ。初レギュラー「ザブングル」や歌手活動を経て、まる子の声に抜擢され“かわいい”の原点を築きました。

本記事では、確かな一次情報に基づき「非公表の事実」「家族・私生活の範囲」「若き日の歩みと愛らしさ」を整理してお届けします。

この記事でわかること

  • 公表されている事実:死因は非公表/闘病しながら出演を続けた経緯
  • 結婚・子どもに関する公式情報の有無と、暮らしに見える“家族観”
  • 若い頃の「かわいい」を支えた声・表現・人柄の具体例
  • 初レギュラーから「まる子」までの主要なキャリア年表
  • お別れ会のトピックと周囲が語ったTARAKOさんの人となり
目次

【画像】TARAKO(声優)の死因は何?

TARAKOさんの死因について、巷では自死か、コロナワクチンの影響か、ALSか、など様々な噂が飛び交っています。ですが、公式にはTARAKOさんの死因は公表されていません。

所属事務所によると、2024年(当時63歳)になってから体調を崩し、闘病しながらお仕事を続けていたそうです。上の画像は2024年2月(当時63歳)にTARAKOさん公式Xで投稿されたものですが、中央にいるTARAKOさんは車いすに座っている様子がわかります。

引用元:X

ちびまる子ちゃん」の番組スタッフは「最後まで病棟でも収録をしたいと意欲的で、大きな愛情をもって『ちびまる子ちゃん』に向き合って下さいました」と明かしていました。

同年2月24日には、3月22日・4月19日に公開されたアニメ映画「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション」でデベ子役を演じることが情報解禁され、「私、命をかけて演じますね」と話されていました。本当に亡くなる直前までお仕事をされていたのがわかります。

TARAKOさん
引用元:TARAKOオフィシャルブログ

また、上の画像2枚目は2023年(当時62歳)にTARAKOさんのブログにアップされたものですが、少し前のTARAKOさんの写真に比べてほっそりされた印象があります。2024年に入ってから体調を崩したとのことですが、近年はあまり体調が良くなかった可能性も考えられます。

けん

TARAKOさんは、闘病中もお仕事をしていたみたいだけど、お仕事についてどう考えていたのかな?

のぞみ

大事にしなければ罰が当たる」「仕事って何てすごい出会いの場なんだろう」と感じていたそうよ。
表現という疑似体験の喜びを人に伝えることができるお仕事をしていることを、とても幸せに思って大切にしていたみたいね。

TARAKO(声優)は結婚して夫・子供がいた?

TARAKOさんの結婚についての情報はありませんでした。ネット上ではTARAKOさんは結婚していた、という情報もありましたが、公式発表はないため詳細は不明です。

TARAKOさんの公式ブログによると、TARAKOさんが亡くなる前は自宅で猫たちと暮らしていたようです。上の画像1枚目はTARAKOさんが猫と暮らしている様子です。投稿の中で、猫に対してTARAKOさん自身を「ママ」と表現しています。

引用元:X

そのため、こちらも公式発表はありませんでしたが、TARAKOさんに子どもはいなかったと考えられます。TARAKOさんの公式ブログでも、一緒に暮らしていた犬猫たちに対して、「長男」「次男」などと表現していました。このことからも犬猫たちを子供のように可愛がってきたことが伺えます。

大山早百合さん
引用元:ナタリー

また、TARAKOさんのご家族については、父は2008年(TARAKOさん当時47歳)に交通事故、母は2018年(TARAKOさん当時57歳)に突然亡くなられています。TARAKOさんのお別れ会では、実姉の大山早百合さんがあいさつをしていました。上の画像2枚目がその時の様子です。

けん

TARAKOさんは、どうしてたくさんの犬猫を飼っていたのかな?

のぞみ

猫たちは、2010年(TARAKOさん当時49歳)に亡くなった愛犬ももじくんのお散歩中に保護したみたいだよ。
晩年一緒に住んでいたのは2008年(当時47歳)に保護した4匹の猫だったけど、2008年3月~2010年1月の間は犬1匹猫5匹の大家族だったみたいね。

【画像】TARAKO(声優)は若い頃かわいい!

TARAKOさんが「かわいい」のは、見た目だけでなく“声と人柄”まで一体となって愛らしさを生むからです。

少女のように澄んだ声で日常の機微をふわっと包み、等身大の素直さや照れ屋な緊張感までも魅力に変えるセンスが抜群。弾き語りや子ども目線の創作、まる子やタルるートの温度感ある演技、ナレーションでの寄り添い方から伝わる思いやり――年齢を重ねても無邪気な笑顔と優しい配慮がにじみ、ずっと「かわいい」が更新され続ける人だからです。

幼少期・10代・20代(1960年~1990年)

TARAKOさんは、東京都に生まれ、幼い時に姉と共に劇団日本児童(山王プロダクションの児童部門)に入団しました。

小学5年生の時に群馬県へ転居後、高校生となり「ルパン三世」に憧れてアニメ同好会を結成しました。また、同時期にギターや作曲を始め、ライブハウスや市民会館小ホールなどで活動していたそうです。

高校卒業後は「アニメ声優になろう」と思い上京し、東京映像芸術学院の演技声優科に入学しましたが、中退しました。

引用元:X

この頃、芸能界入りのきっかけとなった出来事が起こります。TARAKOさんがアマチュアボーカルグループを結成して、友人のバイト先の飲み屋で歌っていた時に、事務所の社長にスカウトされました。

そして、1981年(当時20歳)の時に、テレビアニメ「うる星やつら」の幼稚園児役で声優デビューしました。当初はラム役のオーデイションを受けましたが、残念ながら落選し幼稚園児役となったそうです。

声優として活動を始め、女子高生役や通行人役など脇役として頻繁に出演したそうですが、当時は声優の仕事だけで食べていくことはできませんでした。そのため、スーパーマーケットの試食販売やコンビニエンスストアの店員、交通量調査など、さまざまなアルバイトをやったそうです。

1982年(当時21歳)に、「戦闘メカ ザブングル」の8歳の女の子チル役で初レギュラー出演を果たしました。上の投稿の2枚目の画像に、チル役を務めた当時のTARAKOさんの写真が掲載されています。初々しくてとても可愛いですよね!

TARAKOさんが2024年(当時63歳)に亡くなられた際、「戦闘メカ ザブングル」がXのトレンドワードに急浮上しました。「TARAKOさんと言えばチル」「チルが忘れられない」といった声が集まりました。

TARAKOさん
引用元:トルバドール音楽事務所X

1983年(当時22歳)にオリジナルアルバム「とっておきの瞬間」を発売し、歌手デビューしました。

上の1枚目の画像はジャケット写真で、2枚目の画像は同年にイベントで歌を披露していた時のものです。ギターを弾きながら歌っている姿も可愛いですよね!

このアルバムに収録されている「泣いてみようか」という曲は、事務所の社長がTARAKOさんにオリジナルの楽曲を作るように勧めたことで誕生しました。

当時ショートカットでオーバーオールを着ていたTARAKOさんの姿とアンバランスな歌だったそうで、この歌を聞いた事務所の社長はとても衝撃を受け、事務所を立ち上げたそうです。

TARAKOさん
TARAKOさん
引用元:FRIDAYAMAZON

1990年(当時29歳)から亡くなった2024年(当時63歳)まで、代表作である「ちびまる子ちゃん」の主人公まる子の声を担当しました。

当初、まる子役は当時の人気アイドルを起用する予定でしたが、原作者のさくらももこさんが「イメージと違う」難色を示したため見送られたそうです。その後数回オーディションが行われ、TARAKOさんもオーディションに参加しました。

TARAKOさんの声がさくらももこさんの声によく似ていたことから、さくらさんは「この声だ!」と思い、TARAKOさんをまる子役に抜擢したそうです。

上の1枚目の画像は同年10月に週刊誌に掲載された時のもので、2枚目の画像は同年11月に発売されたオリジナルアルバムのジャケット写真です。アイドルのようにとても可愛らしいですよね!

けん

TARAKOさんは、高校生の時にギターや作曲をやり始めたみたいだけど、どうしてだったのかな?

のぞみ

中学生から高校1年生までバスケットボール部に所属していたけど、帰宅が遅くなるからやめなさいとお母さんに言われたそうよ。それがきっかけで、部活を辞めてフォークソングを始めたみたいだね。

30代(1990年~2000年)

1991年(当時30歳)、8枚目となるアルバム「My dear」を発売しました。上の1枚目の画像はそのジャケット写真です。犬におやつをあげている様子はとても微笑ましくて可愛いですよね!

TARAKOさんは声優と音楽活動を共に精力的に行っていて、このアルバムが発売された同時期である1990年9月(当時29歳)~1992年(当時31歳)にはアニメ「まじかる☆タルるートくん」の主人公タルるートを担当していました。上の2枚目画像の中心にいるのがタルるートです。

さらに、TARAKOさんはオープニングテーマや2代目エンディングテーマ、挿入曲も歌っていて、作詞・作曲を手掛けた曲もありました。また、「まじかる☆タルるートくん」は同じテレビ朝日系で放送されている「ドラえもん」のアンチテーゼとして作られた作品だったそうです。

TARAKOさん
まじかる☆タルるートくん
引用元:トルバドール音楽事務所ナタリー

TARAKOさんは1995年(当時34歳)に子どもの目線で作られたスペシャルアルバム「わ~いっ」を発売しました。上の画像はジャケット写真です。明るい雰囲気とTARAKOさんの無邪気な笑顔がぴったりでとても素敵ですね。

TARAKOさんは舞台作家や出演者としても活躍されていました。1996年(当時35歳)に演劇集団WAKUを立ち上げ、同年第弾公演となるWAKUプロデュースvol.1「Help!?~せっぱつまった人たち~」が上演されました。

TARAKOさん
TARAKOさん
引用元:トルバドール音楽事務所COJI-COJI

TARAKOさんは、WAKUプロデュース作品の多くの脚本・演出を担当するだけでなく、実際に舞台に出演したり、声の出演もしていました。

また、声優としては1997年(当時36歳)~1999年(当時38歳)にさくらももこさん原作アニメ「コジコジ」でスージー役を担当していました。上の2枚目の画像がスージーです。謎のナゾ怪人というとても不思議なキャラクターでした。

TARAKOさん
引用元:東海テレビ

TARAKOさんの代表作である「ちびまる子ちゃん」は、1990年(当時29歳)に放送開始し、1度1992年(当時31歳)に放送終了しています。それによって仕事が減った時に声がかかり、ナレーターやリポーターの仕事もするようになりました。

上の画像は1998年(当時37歳)にリポーターとして番組出演された時のものです。マルチな活躍をされていて、リポーターを務める姿も素敵ですよね!

TARAKOさんがナレーターやリポーターを始めた当初は、アニメのやわらかい世界での出演が多かったことから、真面目な雰囲気のナレーションの仕事に自信がなかったそうです。

ですが、放送作家の田代裕さんから「堅い番組でチャンネルを変えそうになる人を、TARAKOのナレーションで止めてほしい」といわれ、表現をすることをより面白く感じるようになったそうです。

けん

TARAKOさんは、まるちゃんのような特徴的な声の持ち主だけど、自分の声についてどう思っていたのかな?

のぞみ

TARAKOさんは自分の声にコンプレックスを持っていて、「もっとかわいらしい声質だったら良かったのに」と思っていたそうよ。若い頃は自分の声が嫌いだったけど、のちに「まあ、大丈夫なのかな」と思えるようになったみたいね。

40代(2000年~2010年)

2004年(当時43歳)から2012年(当時51歳)、TARAKOさんと爆笑問題(爆チュー問題として参加)が歌った「アララの呪文」がちびまる子ちゃん」のエンディングテーマとして使用されていました。

上の画像は2004年(当時43歳)に撮影されたものです。まるちゃんも駆け付けた、とても貴重なショットですね!この曲はさくらももこさんが作詞されていて、不思議な呪文のような歌詞と音楽、まるちゃんたちのダンスが癖になる曲でした。

TARAKOさん
引用元:スポニチ

この曲を収録した時のことについて、爆笑問題の太田光さんは「レコーディングは別々で一生懸命歌ったけど、完成を聴くと我々はバックコーラスみたいで」「プロは全然違うんだなと驚いた。」と話し、TARAKOさんの凄さについて語っていました。

TARAKOさん
引用元:TARAKO公式オフィシャルブログ

2002年(当時42歳)から2023年(当時62歳)まで、群馬交響楽団が毎年行っている「夏休みコンサート」で案内人を務めてました。TARAKOさんは小学5年生から高校生まで群馬県で生活していた縁で、毎年レギュラー出演されていました。

上の画像は2010年(当時49歳)の時の控室での様子です。小さい子供も多く来るコンサートで、当時は「かなり緊張」と公式ブログで明かしていました。

毎年レギュラー出演していたため、このコンサートの顔であり、元気で愛溢れるMCで客席とオーケストラの架け橋の役割を果たしていたそうです。硬いイメージのあるオーケストラと子ども達を繋ぐ大切な存在だったようです。

けん

TARAKOさんは、この頃声優としてどんな役柄を演じてきたのかな?

のぞみ

2005年(当時44歳)に「甲虫王者ムシキング」でチビキング役を務めたのが有名みたいね。他にも2002年(当時41歳)から2004年(当時43歳)には「HUNTER×HUNTER」でセンリツ役を務めていたみたいよ。

50代以上(2010年~)

TARAKOさんは、2021年8月31日(当時60歳)、ひなたサンマリンスタジアム宮崎で行なわれたプロ野球の試合、福岡ソフトバンクホークス対東北楽天ゴールデンイーグルス戦始球式を務めました。

TARAKOさん
TARAKOさん
引用元:パ・リーグTVTARAKOオフィシャルブログ

上の1枚目の画像は始球式での投球直後に喜ぶTARAKOさんです。投球前はとても緊張した様子でした。実際のマウンドより前に立って投げ、ボールはワンバウンドでキャッチャーに届き喜んでいました。歳を重ねてもとても可愛らしいですよね。

TARAKOさん
引用元:スポーツ報知

2024年3月4日、63歳でTARAKOさんはご逝去されました。その後、同年6月15日にTARAKOさんのお別れ会「TARAちゃんありがとうの会~たいせつなきみへ~」が行われ、TARAKOさんとの別れを惜しみました。

上の画像はお別れ会にて飾られた祭壇の写真です。祭壇の花々はTARAKOさんの元気で明るいイメージからオレンジ色を中心としてまとめられています。お別れ会には「ちびまる子ちゃん」に出演する声優さんや、他の声優仲間など約800人の関係者が集まりました。

集まった関係者の方々はTARAKOさんについて「気を使いすぎるぐらいに気を使う方だった」と口をそろえていました。このお別れ会も「喪服ではなく、普段会う時の服。自由な服装でお越し下さい」と呼びかけられ、最期まで周りに気を配っていたそうです。

けん

TARAKOさんのお別れ会は、どんな雰囲気だったのかな?

のぞみ

もちろんお別れは悲しいけど、会の最後は参列者全員で「おどるポンポコリン」を大合唱したそうよ。笑顔で手拍子を鳴らす人もいれば、涙をこらえながら歌う人もいたみたいだけど、TARAKOさんのように温かい雰囲気の会になったみたいね。

TARAKOのプロフィール・SNS

  • 名前:TARAKO(たらこ)
  • 本名: 非公開
  • 生年月日:1960年12月27日
  • 年齢:享年63歳(2024年3月4日没)
  • 出身地:東京都
  • 血液型:AB型
  • 趣味:詩作、空を見ること、犬猫に話しかけること
  • 所属事務所:トルバドール音楽事務所
TARAKOさん
引用元:トルバドール音楽事務所

SNS

TARAKOさん
けん

TARAKOさんって、なぜ芸名をTARAKOにしたのかな?

のぞみ

TARAKOさんは「サザエさん」に出てくるタラちゃんのような話し方をする、と友達に言われ、「タラ子」と呼ばれていたんだって!
それをローマ字表記にして芸名にしたそうよ。

TARAKO(声優)の死因・結婚情報・若い頃の魅力まとめ

  • 死因は公表されておらず自死やワクチン影響などの噂はあるが公式情報はない
  • 2024年に体調を崩し闘病しながら仕事を続けていたと所属事務所が明かしている
  • 2024年2月の公式X投稿では車いすでの近影が確認できる
  • ちびまる子ちゃんのスタッフは病棟でも収録を望むほど仕事に意欲的だったと証言している
  • 2024年2月24日公開解禁の映画でデベ子役を担当し命をかけて演じますねと述べている
  • 2023年の公式ブログ写真では以前よりほっそりした印象が見られる(推定)
  • 結婚について公式発表はなく配偶者の存在は不明である
  • 自宅で猫と暮らしSNSで自らをママと表現している
  • 子どもに関する公式発表はなく不在と考えられるが断定はできない(推定)
  • 家族は父が2008年に交通事故で他界し母は2018年に急逝している
  • お別れ会では実姉の大山早百合が挨拶を務めている
  • 2008年に保護した猫たちと暮らし2010年頃は犬1匹猫5匹の大家族だったと記している
  • 幼少期に劇団日本児童に所属し高校ではアニメ同好会を結成し音楽活動を始めている
  • 1981年にうる星やつらで声優デビューし1982年にザブングルのチルで初レギュラーを獲得している
  • 1983年にアルバムとっておきの瞬間で歌手デビューしている
  • 1990年からちびまる子ちゃんのまる子役を務めさくらももこの声に似ていることが抜擢理由とされている
  • 1990年代はまじかる☆タルるートくん主演や演劇集団WAKU設立など多方面で活動している
  • 2021年にプロ野球の始球式を務め2024年3月4日に63歳で逝去し6月15日のお別れ会では約800人が参列しおどるポンポコリンを合唱している
  • 闘病中も作品に向き合い続けた職業観と温かな人柄が広く敬愛されその功績は今後も語り継がれていく
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